小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

リサイクル

2006年01月31日 | 私の考え
先日、新聞記事を整理していて興味深い投稿記事を見つけました。(日経の1月16日付記事)
記事のタイトルは「リサイクル 資源のムダ」(名古屋大学 武田教授)です。

リサイクルを推進してもゴミは減っておらず、資源も逆にムダ遣いしているという内容です。
例えばペットボトルは容器包装リサイクル法に基づき1997年から回収され始めましたが、当時のペットボトルの生産量は20万トン。2003年には21万トン回収されましたが生産量が44万トンに増えたためゴミは減っていません。
それどころか、この21万トンのペットボトルを分別回収し再生産品として加工するためには、この3倍のペットボトルが生産できるだけの石油が必要となるそうです。
リサイクルなどしないで可燃物として回収して燃やし、その熱で発電したり排熱を利用するほうがよほど合理的だそうです。

他にもあって、例えば建設廃材の使用済みコンクリートを路盤材に使えば約6年で日本中の平野は全て舗装されてしまうそうです。

民間企業が行っている鉄スクラップや古紙の回収はリサイクルのために必要な資源が少なく経済的に成り立っていますが、行政の補助金がないと成立しないリサイクルは環境保全・資源節約になっていません。耐久性が高く長持ちする商品を開発し、大切に使うことの方がよほど重要で効果的だということです。

リサイクル社会の実現とは、大量生産大量消費社会を続けていくための言い訳に過ぎないのかもしれません。リサイクルといえば耳に響きの良い言葉ですが、冷静に考えて疑ってみることも必要です。
確かに我々がゴミを分別回収するだけでも膨大な労力が必要です。水(ミネラルウォーター)を飲んだだけなのに、ペットボトルのフイルムを剥がしキャップと一緒に廃プラに分別し、ボトルを水で洗って回収袋に入れるという作業が必要です。考えてみれば実にバカバカしい作業です。蛇口をひねったら安全な飲み水が出てくる国に生まれたのですから、コップで水道水を飲めば良いのだということに気付きました。