親父殿の供養、義母の供養の一環として遍路をやることにした。
二義的には関東の歴史をもうちょっと深掘りしたいということもある。
いわゆる「日本百観音霊場」とは、
四国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十三観音をいう。
坂東の場合、鎌倉時代に様式が定まったようだ。
鎌倉の杉本寺を一番とし、西廻りに関東平野の主に山裾を回って行き、安房の那古寺で打納めとなる。
いつかは百箇所全てを回ってみたいものだがまずは本日を発願として坂東三十三観音を一番から行く。
城巡りもそうだが、できればクルマで昔の街道をたどっていきたいのであるが、今日は電車で行く。
まずは鎌倉の鶴岡八幡宮に参詣。
数年ぶりとなろうが前回と異なるのは大銀杏が無いこと。
2010年3月10日、暴風により根元から倒れてしまった。
八幡宮で御朱印をもらい、快晴の空の下、歩いて大蔵山杉本寺に行く。
1kmほどの行程である。
山門から石段を上っていくとこぢんまりとした御堂がある。
受付でまずは専用の納経帳を求め、遍路がスタートした。
四国遍路は常に大盛況であるが、こちらの方は閑かな佇まいで遍路装束の人もいない。
寺歴によれば、鎌倉最古の寺といい、開山は天平6年(734)、光明皇后の発願、藤原房前、行基によって建立という。
本尊は秘仏十一面観音で慈覚大師円仁、恵心僧都源信、行基のそれぞれ作という三体で構成されている。
仏教のスター達である。
杉本寺というのは、1189年、御堂を焼失させた火事が起こった際に三観音が自ら歩いて杉の木の下に避難したからという。
また、一帯は杉本城という中世の城郭で三浦一族の持ち物だったといい、南北朝の時代、北畠顕家が足利義詮を追って攻め落とした。
逸話として、杉本寺の門前を馬上行く者は必ず落馬していたが、蘭渓道隆()が行基作の十一面観音のお顔を袈裟で覆い隠したところ、落馬は収まったという。
ために行基作の観音像は「覆面観音」というらしい。
御詠歌
「頼みある しるべなりけり 杉本の 誓ひは末の 世にもかはらじ」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます