歴史コラム、今号から多少テイストを変えて書いていきたい。
「舶来往来」と副題を付けたのでモノの行き来を取り上げるつもりである。
丸7年、42回連載してネタ切れを心配されたりするが、いろいろ書きたいことがあるので心配御無用。
さて心機一転の第一回は元号のこと。
5月1日から「令和」となった。
この改元、天皇のご在位中、すなわちご生前に改元される珍しいケースとなった。
私は常日頃、西暦で年を考えることが多い。
その方が何年経ったかを計算するのに都合がいいからである。
ワールドカップやオリンピックを思い出す時は西暦でないとこんがらがる。
一方、世間、特に役所では和暦を使いたがる。
これは先例、伝統という意識が大きいであろう。
戦時中は神武天皇即位を紀元とした年号を使っていた。
これを意識するのは兵器の世界、一時期採用年度がコードナンバーのように使われていた。
私ごとでいえば和暦を重んじるのは歴史を振り返る時、何かが起きた年は和暦で考えた方がいい時もある。
特に戦国時代は和暦の方が絶対にいい。
信長だけをとっても、弘治→永禄→元亀→天正 とその時々の信長の立場を元号で測ることができる。
元亀元年は信長が義昭を将軍に就けたことを祝って定められた。
信長は元亀に不満だったらしい。
その義昭を追ってようやく自分の意志で改元させたのが「天正」。
だから天正年間は信長が天下人である。
本能寺の変が天正10年6月。
だから天正5年時点で信長の天下は後5年、天正9年6月は後1年とカウントしやすい。
秀吉や家康もまた同様。
最初の和暦がご存じ「大化」。
これから日本は文字通り「おおばけ」した。
そんな話を書いて改元祝いとした。
平成は私にとってネコと共に過ごした時代。
19年生きた茶々、野良時代が懐かしい小梅は令和を迎えることができなかった。
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