コラム46回目は坊津話。
鹿児島取材で最も印象に残ったのは坊津訪問。
残念ながら鑑真記念館が休館で行けなかったがその分、誰もいない坊津海岸を思う存分眺めることができた。
薩摩半島の南岸はリアス式海岸の典型で自然のままの景観が今に保たれている。
この地は近世まで珍客が訪れる地でそのいちいちがおもしろい。
古代は鑑真、夢破れること数度、視力を失ってなお日本への伝道をあきらめなかった和上がはじめて上陸した日本が坊津。
戦国時代にはフランシスコ・ザビエル。
坊津は中世以後、硫黄の出荷地として隆盛を誇った。
この頃の島津の本拠は伊集院であるが坊津は貿易港として大いに賑わっていた。
当主島津貴久が不在で鹿児島に行けと言われた一行は錦江湾に入って鹿児島に上陸、歩いて伊集院一宇治城まで行って貴久と対面する。
戦国末期には京の公家、前関白の近衛信尹が幽閉された。
1年坊津で暮らすうち、この地がたいそう気に入って京への帰還が赦されても「まだここにいたい」とだだをこねた。
景勝地の選定はこの信尹の残した遺産、今日にまで観光資源となって文化人に足を向けさせた。
坊津の景観は昭和になると西洋人も招いた。
007シリーズ唯一の日本ロケ、悪党の巣窟に選ばれてショーン・コネリー演じるボンドが潜伏し結婚式を挙げた。
このロケは指宿のホテルに滞在したスタッフが連日ヘリで坊津に現れて大変な騒ぎだったという。
土産物のおばさんにそんな話を聞いてコラムに書かねばと思っていた。
坊津の旅、心にしまっておきたい思い出である。
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