扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

薩摩紀行八日目① 大隅国分へ

2019年05月31日 | ご当地グルメ・土産・名産品

元々は今日の午後、東京へ帰る予定にしていた。

ところが帰りの航空券を探していると今日の便より明日の便の方が5千円くらい安いのでもう一泊追加した。

宿はJR隼人駅の近くのアパホテルにとった。

従って今日は移動日の位置づけ、何をするかは成り行きにする。

 

午前中、鹿児島県庁の観光課に資料をもらいに行った。

ホテルからぶらぶら歩いて県庁まで行った。

県庁の上層階に展望スペースがあるので時間調整に寄った。

 

北の方面、城山がみえる

 

磯方面

 

時間になったので打合せに行く。

担当の方が蒲生出身とのことでやはり摩崖梵字は行ったことがないという。

鹿児島県は現在、観光物産振興に力を入れており、「黒」がキーワードという。

「黒豚」「黒酢」はメジャーと思うが、「黒牛」「黒さつま鳥」などなど何でも黒くしているらしい。

昨年の大河ドラマ「西郷どん」は途中で視るのをやめてしまった。

娯楽コンテンツはどうしても史実をいかに脚色するかが勝負であり、大胆な想像も許されるだろう。

それが合う人が楽しめればいい。

視聴率が如実に示すように地元への効果は「篤姫」の方が大きかったと思う。

 

打合せが終了し、前田君と合流して今日もうな丼。

騎射場のふじ井。

ご飯の中に一段埋まっている

 

前田君にJR鹿児島中央駅まで送ってもらい、別れた。

この人に会えてじっくり話が出来たことが一番の収穫。

 

JRで隼人駅まで行く途中、雨が激しくなった。

何か取材するとしたら国分の町あたりになろうが、雨ですっかり気が萎えホテルに籠もって取材内容の整理で終了。

 

 

 


歴史コラム #43 舶来往来、英雄たちと元号

2019年05月31日 | エッセイ:海の想い出

歴史コラム、今号から多少テイストを変えて書いていきたい。

「舶来往来」と副題を付けたのでモノの行き来を取り上げるつもりである。

丸7年、42回連載してネタ切れを心配されたりするが、いろいろ書きたいことがあるので心配御無用。

 

さて心機一転の第一回は元号のこと。

5月1日から「令和」となった。

この改元、天皇のご在位中、すなわちご生前に改元される珍しいケースとなった。

私は常日頃、西暦で年を考えることが多い。

その方が何年経ったかを計算するのに都合がいいからである。

ワールドカップやオリンピックを思い出す時は西暦でないとこんがらがる。

 

一方、世間、特に役所では和暦を使いたがる。

これは先例、伝統という意識が大きいであろう。

戦時中は神武天皇即位を紀元とした年号を使っていた。

これを意識するのは兵器の世界、一時期採用年度がコードナンバーのように使われていた。

私ごとでいえば和暦を重んじるのは歴史を振り返る時、何かが起きた年は和暦で考えた方がいい時もある。

特に戦国時代は和暦の方が絶対にいい。

信長だけをとっても、弘治→永禄→元亀→天正 とその時々の信長の立場を元号で測ることができる。

元亀元年は信長が義昭を将軍に就けたことを祝って定められた。

信長は元亀に不満だったらしい。

その義昭を追ってようやく自分の意志で改元させたのが「天正」。

だから天正年間は信長が天下人である。

本能寺の変が天正10年6月。

だから天正5年時点で信長の天下は後5年、天正9年6月は後1年とカウントしやすい。

秀吉や家康もまた同様。

 

最初の和暦がご存じ「大化」。

これから日本は文字通り「おおばけ」した。

そんな話を書いて改元祝いとした。

 

平成は私にとってネコと共に過ごした時代。

19年生きた茶々、野良時代が懐かしい小梅は令和を迎えることができなかった。