扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

薩摩紀行三日目⑤ 薩摩伝承館

2019年05月26日 | アート・文化

ラーメン分のカロリーを消費するためケースをゴロゴロ転がしながら2.5km歩く。

昨日から足裏の豆が潰れているが痛くはない。

そよ風吹いてそれほどつらくもないが、通る人がいない。

指宿の温泉街とは逆の方向だからだろうか。

30分は歩いたところでお宿に到着。

ここ、「指宿こころの宿」は温泉併設の宿、中はビジネスホテルのようで過不足なし。

 

 

しばし休憩の後、近くの「薩摩伝承館」に散歩に行く。

ここは指宿の老舗ホテル「白水館」の創業者下竹原弘志氏(故人)と二代目が集めたコレクションを保存公開する施設である。

いやはやとてつもない資料館で民間経営としては最高峰ではなかろうか。

薩摩焼の名品が品良く陳列されている。

間近によってしげしげと見物できるのが実によい。

 

2Fは主に薩摩藩時代の歴史と薩摩焼を解説するコーナーになっている。

ガイドさんに西郷どんサイズの羽織を着用で写真を撮ってもらう。

自分の写真を撮るのは何年かぶりである。

ダイエット前の貴重な作品になるといい。

 

閉館時間が迫っていたので退散。

受付でもらったコーヒー券で白水館のラウンジに寄り、海岸に出て庭も堪能して宿に帰った。

白水館から

併設の温泉もなかなかによい。

明日からはレンタカーで薩摩半島一周に出る。

 


薩摩紀行三日目③ 指宿へ −JR指宿枕崎線−

2019年05月26日 | 取材・旅行記

伊集院から鹿児島駅に戻り、ホテルで荷物を受け取ってもう一度鹿児島駅。

そして今度は鹿児島中央駅から指宿線に乗って南下する。

平川駅を過ぎたあたりでやおら海沿いの風景が拡がり天気がいいこともあって実に気持ちがいい。

向かいに座っていたひとり旅の外国人の顔もほころんでいる。

JRの車窓から

ここでちょっとしたミス。

伊集院まではJR東日本のSUICAで入退場できたので油断してSUICAで入ってしまった。

ところがICカードで退場できるのは途中の駅までで指宿は範囲外とのこと。

駅で支払証明をもらって後日精算することに。

 

さて指宿は二度目である。

前回は種子島に行った折、復路で指宿港で高速船を降り、知覧城にでも行こうと思い指宿に宿をとった。

民宿に素泊まりし、例の砂蒸し温泉に行ったところまではよかったが、夕食に適した店が見つからずに困った。

おまけに翌朝はゲリラ豪雨でJRが止まってしまい難儀した。

結局、知覧には行けたのだが雨の影響で知覧城には行けなかった。

そんな思い出と共に指宿に到着。

今日はまずホテルに向かう。

 

 

 

 


薩摩紀行三日目② 妙円寺参り −徳重神社−

2019年05月26日 | 仏閣・仏像・神社

一宇治城の城山を降りて北へ少し行くと旧妙円寺あたりに出る。

途中の路傍に「島津義久公剃髪石」なる史跡がある。

といっても平たい石が数個、仁王像とおぼしき首などが置いてあるのみ。

説明板をみれば豊臣秀吉と会見すべく鹿児島から出水に向かう途中、この石の上で僧体となったらしい。

 

JRの線路を渡るアンダーパスに妙円寺参りのタイル画などがある。

妙円寺参りとは関ヶ原の合戦で島津義弘が演じた「島津の退き口」を讃え、鹿児島城下からこの地まで具足に身を固めて歩いて参詣する行事のこと。

現在でも行われているという。

 

妙円寺は島津義弘の位牌を護る菩提寺となっていたが明治の廃仏毀釈で徳重神社となり近くに移転し現在に到る。

参拝してみると小さなお寺である。

お願いすると義弘公の位牌をみせていただけるとの情報だったが、お寺の人が不在で本堂の戸の隙間から位牌を覗くのみだった。

 

 

 

隣の徳重神社の方へ行ってみるとこちらも戦国島津ゆかりの神社(元は寺院だが)としてはいかにもささやかである。

訪れる人もなくひっそりとしていた。

神社の人にお願いして御朱印をいただき電車の時間に間に合うよう小走りで駅に向かった。

 

 


薩摩紀行三日目① 義弘の里 -伊集院一宇治城-

2019年05月26日 | 城・城址・古戦場

鹿児島三日目は指宿まで移動。

午前中は伊集院へ電車で行く。

ホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらいJR鹿児島駅。

鹿児島中央駅で乗換、鹿児島本線で4駅目が伊集院駅となる。

沿線は鹿児島市内を出るとすぐにシラス台地の狭間を塗っていくような趣きである。

車窓から

 

伊集院駅に着いてまず見に行ったのが島津義弘公像。

数ある戦国武将の銅像でも白眉の出来で何とも素晴らしい。

前後左右どこからみてもいい。

これを見るためだけに来てもいいほどである。

島津本で使用するために写真を撮ってひとまず安心。

 

作者は中村晋也さんといい、三重県出身。

鹿児島大学に勤めた後、鹿児島にアトリエを設けて活動されている。

鹿児島城にある篤姫像もこの人の作品。

 

駅前に観光案内所があり資料をもらいに立ち寄ってみた。 

 薩摩には伊集院はじめ祁答院やら入来院やらと「院」のつく地名名字がある。

この「院」は京の上皇領のことだと思っていたがガイドさんによると「院」は倉庫のことで、「イスノキ」が生えているこの地の穀物倉庫をイスインといい、漢字を伊集院と当てたのが由来とのこと。

勉強になった。

 

伊集院は島津再興を遂げて三州を統一した島津貴久がしばらく居城した一宇治城があったところ。

城まで歩いて行ってみる。

城山はそれほど急峻でもなく比高も大したことはない。

一帯が公園となっていて往時の城の雰囲気は全くない。

説明板を読んでみると「一宇治」とは「一番目の兎道」ではないかとあった。

この城は都城の島津荘を源頼朝から拝領した後、出水を本拠とした島津氏がいったん吹上の方に後退し、島津日新斎、貴久親子が再び薩隅と日向の太守として復興する途中に一時期居城とした。

義久義弘兄弟はここで育ち妙円寺で学んだという。

 

元々は紀性の郡司が築いた城といい島津一族が伊集院氏を名乗って治めた。

通常、山城の曲輪は「本丸」「二の丸」と丸を使うが薩摩の城は曲輪それぞれに「○○城」「××城」と名付けられている。

本丸にあたるであろう神明城では鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルと貴久が会見したといい、現在は物見台が高々と建てられている。

登ってみれば桜島がみえ、薩摩国一円を臨むことができる。

錦江湾も東シナ海もみえており、薩摩半島が意外に東西に短いことがわかる。

 

歩いてみても公園然としていて薩摩の山城の雰囲気に欠け、この後回る城に期待して城山を降りて妙円寺に行ってみることにした。

 

物見台から桜島

 

ザビエル会見記念碑