扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

泉州紀州参詣 2日目 #6 日前宮

2016年07月19日 | 諸国一ノ宮

続いて紀伊一ノ宮のもうひとつ、日前宮へ。

ここも二回目で以前の記憶は割と鮮明である。

神社にしては尋常ではないほど平ぺったい。

 

伊太祁曽駅から6つ目の日前宮駅下車。

大通りを渡ると石橋の向こうに鳥居。

日前宮は上空から航空写真でみると緑の樹木が四角くくっきりと区画されており、小さな島のようである。

参道を歩いてみれば鬱蒼と樹木が茂り、昼なお薄暗い。

司馬遼太郎氏が「街道をゆく」の中で日前宮を訪れ、この樹勢に何やらお書きになっていたように思う。

 

鳥居からまっすぐ行くと丁字路になっていて左に行くと日前(ひのくま)神宮、右に行くと國懸(くにかかす)神宮があり、つまり左右対称にふたつの社がある。

日前神宮の方の祭神は日前大神、相殿には思兼命、石凝姥命(いしこりどめのみこと)の三柱。

國懸神宮の方は國懸大神、相殿に玉祖命、明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)鈿女命(うづめのみこと)

アマテラスが天の岩戸の内に隠れた際、オモイカネが策を計り、イシコリドメが八咫鏡に先んじて作った鏡をそれぞれ神体とする。

つまり鏡を企画した神、作った神、できたものを神体としていることになる。

伊勢神宮の神体、八咫鏡の元となった鏡の社であるからその格は高い。

戦国時代、紀州に侵攻した豊臣家によって破壊されたといい、現在の社殿の歴史は浅いらしい。

 

拝殿のそばに絵馬が奉納されているのを何気なく見ていた。

知恵の神様オモイカネのご利益で受験合格祈願が多いが、一番表に子供の字で

「高橋まり子さんが僕の彼女になりました。ありがとうございます。」と書かれていた。

義理堅いというか何とも威勢のいい話である。

 

授与所で御朱印をいただいてみたら「木乃國」の書があった。 

日前宮、伊太祁曽神社に加え、竈山神社の3社に詣でることを「三社参り」というらしく、ふたつ戻った駅が最寄りであるが、もはや時間も力もなく、本日の参詣を終了とした。

 

宿に着いてから一度休憩し、陽が暮れてから駅地下へ出かけて夜食用のハモの天ぷらやらおやつやらを買い込む。

久しぶりにスターバックスのコーヒーを買った。

寝る前に全身筋肉痛でしばしのけぞったのは脱水症状だったのかもしれない。

 

      

参道の丁字路    日前神宮拝殿   國懸神宮拝殿

 


泉州紀州参詣 2日目 #5 伊太祁曽神社

2016年07月19日 | 諸国一ノ宮

たま電車に乗って伊太祁曽駅下車、少し歩いていくと伊太祁曽神社に着いた。

 

伊太祁曽神社は紀伊国一ノ宮とされている。

後で行こうと思っている日前宮と高野山近くの丹生都比売神社も一ノ宮を称しているので紀伊国の一ノ宮は3つあることになる。

紀伊は「木」の国という説と紀氏の国という説があるが、実際に探訪してみると「木」の国の方ととりたい心情になる。

伊太祁曽神社の祭神は「五十猛命(いそたける)」といい、妹神の「大屋津姫命(おおやつひめ)」、「都麻津姫命(つまつひめ)」の3柱が祀られる。

五十猛命は日本書紀に登場し、スサノオとクシナダヒメの子とされ、スサノオによって紀伊国に入りスサノオの体毛を樹木として植えて回ったという。

まあ「木の国」説からいえばおもしろい神話である。

 

境内は木の材が黒々としていい雰囲気を醸し出している。

木彫の干支が並べられており、これらはチェーンソーカービングなる技法で神前で彫刻、奉納されたものという。

 

それほど大きな神社ではないが趣のあるいい神社である。

 

   

 

伊太祁曽駅はニタマが勤務していた駅舎で、たま関連も含めいろいろ展示してあった。

こちらの方がネコ駅長のいい時代の雰囲気がある。

ささやかな支援と思ってたまの饅頭を買った。

  


泉州紀州参詣 2日目 #4 和歌山電鐵貴志川線

2016年07月19日 | 取材・旅行記

和歌山電鐵は南海電鉄から貴志川線を譲渡されて誕生したローカル鉄道である。

この路線はねこを駅長として採用し、勤務させたことで注目された。

いわば地域再生の成功事例ということだが、ネコ好きにとって見逃せない美談である。

 

たまという三毛猫に駅長のコスプレをさせ、乗客とふれあいの場を提供するというアイデアで、それをネコの健康も考えて真面目に取り組んでいるところがいい。

たま駅長はネコブームの先駆けといえるもので「ネコが流行っているから使おう」というあざとさがなかった。

練られたマーケティングにもとづくものではない。

たまは貴志駅近くのお店で飼われていたが、駅舎と周辺の再開発で家を失い、困った飼い主が新たな社長に相談、ひらめいた社長が駅長として働いてもらうということにした。

たまは期待以上の精勤ぶりで新生和歌山電鐵の乗客増に貢献し、とある民間試算では11億円の経済効果をもたらしたという。

 

前回和歌山に来たときは残念ながらたまに会えず、たまは昨年死んでしまった。

16才だったというからネコにしては割と長寿といえる。

今は2代目駅長ニタマが貴志駅で勤務している。

ニタマは保護された野良ネコで伊太祈曽駅に勤務しつつたまの休日に貴志駅で駅長代理をやったりしていた。

たまの死で貴志駅長に昇格したのである。

 

一日乗車券を買ったので和歌山駅からニタマが勤務中の貴志駅まで行ってみた。

やってきたのは「うめ☆電車」で紀州名物梅干をモチーフとした車輌でなかなかよくできている。

 

単線の線路をごとごとと貴志駅までいくと予想通りのにぎわい。

ニタマは駅舎の中の涼しいところで昼寝をしていた。

駅構内にグッズ販売をする一角があり、観光客で一杯だった。

ほとんどが若者で海外旅行者と思わしき人も多い。

私のようなひねくれ者のネコ好きからすると「流行っているから来る」というのはちょっと違うと思ってしまうのだが、売上に貢献しているなら結構なことかと思う。

 

少し土産を買って来た電車の折り返しに急いで乗った。

「たま電車」が来て、車輌内部はたまのキャラクタで埋め尽くされていた。

イキった高校生が長いすで寝ながらスマホゲームに興じていた。

そもそもが生活路線と路線沿いにある神社の参詣用というのが貴志川線の主要客層だと思われ、ネコ好きだけの路線でもあるまい。

ネコブームが去った後の貴志川線の将来が危惧される。

 

たま電車


泉州紀州参詣 2日目 #2 西国三番風猛山粉河寺 

2016年07月19日 | 御遍路・札所

粉河寺は二度目の参詣となる。

西国遍路という意味以外にもうひとつあって、猿岡山城を見てみたかった。

この城は藤堂高虎が初めて城持ちになったときに入城した城なのである。

 

粉河寺にはJR紀三井寺駅からいったん和歌山駅に戻り乗り換えてJR粉河駅まで行く。

駅から歩いて行くとお遍路さんなどの姿はなく人通りもない。

赤い欄干の橋を渡ると重文の大門がみえてくる。

 

粉河寺の創建は宝亀元年(770)、通りがかりの猟師が光り輝く場所を見つけたところから物語が始まる。

その地に庵をくんだ猟師は童姿の行者がやってきて宿を貸し、お礼にと千手観音を刻んで去った。

後の世、河内の長者が童行者に娘の病を治してもらいお礼をするために「紀州粉河の者」といった行者を探しに行ったところ、小川の水が粉をとかしたように白いのに気づいて庵を訪れると千手観音がいた。

というような話で、国宝の粉河寺縁起という巻物になっている。

大門の右手に小さな川が流れているがもちろん白くはない。

 

粉河寺は寺領4万石という繁栄ぶりをみせていたが、秀吉の紀州平定戦の再、根来寺などとこれに抵抗し、兵火にかかった。

現在の伽藍は江戸時代に紀州徳川家の力で再興されたものである。

大門から入山すると左手に御堂がいくつか並び中門に到る。

中門をくぐると左手に安土桃山様式を残す庭園が現れ、石段を上ると本堂である。

本堂は巨大で真四角に近い。

     

 

紀州の寺といえば、根来寺も私の好きな寺であるが、あちらも巨大な堂宇がどんどんと平地に立ち並び壮観である。

粉河寺も同様に、すこんと空が開けてすがすがしい。

御参りと納経をすませて猿岡山城を見に行く。

城址は現在秋葉公園となっていて、大門と中門の間にある橋を渡って丘を登っていくと本丸のような平地が現れた。

城造りの名人と評された藤堂高虎の居城としてはいかにも小さく、また石垣など痕跡も見つけにくい。

高虎は槍一本で大名に出世した戦国の典型的な成功者ではあるが、武勇のみではなくむしろ土木工事で異才を発揮した。

粉河をもらったのは紀州攻めが終わった天正15年頃であり、まあ焦土の復興と戦後処理の意味合いがあっただろう。

 

ここから秀吉は猛烈に忙しくなり天下一統にむけて家中、休む暇もなくなる。

高虎は和歌山城の普請奉行を初仕事としてあちこちに名城を築いていくが、自身の城は手つかずだったようである。

名建築家の自宅がふつうの住宅だったようなものであろう。

本丸に「猿岡城」という石碑が建っている。

展望台からは紀ノ川方面がはるかにみわたすことができる。

反対側は粉河寺となる訳だが、粉河寺はすでに骨抜きになっているのであり、城の立地は大和方面から橋本を通過して和歌山に侵攻する敵への出城とも思われる。

ただし、大和には豊臣秀長がどんと構えているのであるからその心配は現実的にはない。

だから堅固な城はいらないということなのだろう。

   

 

それにしても暑い。 

電車で和歌山駅に戻るまで約40分、昼寝した。

 

 

 

 


泉州紀州参詣 2日目 #1 西国二番紀三井山金剛宝寺

2016年07月19日 | 御遍路・札所

朝起きてチェックアウトし、次のホテルに寄った。

値段からすれば仕方がないことだが最初のホテルは少々難ありで広くて新しそうなところにもう一泊する。

 

和歌山に前回来たときは、奈良方面から九度山に行き、真田庵をみて紀ノ川を下り、粉河寺。

和歌山市に一泊して城をメインに日前宮、紀三井寺に行った。

 

今日はまさにその3つを再び詣でる。

一ノ宮巡りと西国三十三所はその後始めたのである。

 

まず最初に紀三井寺に行く。

和歌山駅からJRで二つ先の紀三井寺駅、少し歩く。

今日も昨日と同じ猛暑である。

前回来た時は秋の頃で、境内からの眺めと共に山腹を平らにするために積まれた緑色片岩の石垣が印象的で夕暮れのこともあり、夕焼けが美しかったことを思い出す。

拝観受付のところから坂を登っていくと本堂、境内の多宝塔、鐘楼などの朱が鮮やかである。

前回、来た時は寺宝の資料館に入った覚えがあるのだがどうやら今日はやっていないらしい。

紀三井寺には現代の名匠、松本明慶さんの大作、千手観世音菩薩像がある。

新仏殿の前に鐘が設置してあり撞いてみた。

高さ約11mの巨大な立像で内部のテラスから各部分をしげしげと眺められ、楽しい。

これは寄木造りでつまりは木造であるが日本最大という。

これほどの大作をいまだ作り得る日本の仏師の技量と情熱には敬意しかない。

 

納経をすませ、キティちゃんが千手観音に化けているお守りを買った。

ここの石垣はいつみても素晴らしい。

 

御詠歌

「ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん」


        

本堂


   

 

新仏殿から