歴史コラム26回目は前回に続いて沖縄話。
琉球王朝は中国の冊封国として栄華を極めた。
その首都が首里、ひときわ大きなグスクがあった。
首里城には90年代はじめと今年の3月と20年の時をおいて二度行った。
前回はまだ守礼門と石垣のみであったが、今や正殿をはじめ整備が進み、内地の城郭にも優るとも劣らぬ威容を誇っていた。
その全ての建物が大戦で失われ一帯が廃墟と化した。
その惨劇がうそのように首里城は再建され、県民の心の拠り所となり多くの観光客を集めている。
沖縄が沖縄県として日本の中央集権体制に組み込まれて140年。
戦後、米国の一部となった沖縄が日本に還ってきたニュースは私も覚えている。
沖縄の立地はかつて大陸と日本の中間貿易で栄えたように、日本の先っぽにあることが幸いしていたが、現代ではその中国との軍事的緊張にさらされることとなった。
内地の我々は国際的緊張を国境の人々に肩代わりしてもらい斥候を置くことで成り立っていることを忘れてはならない。
繰り返しになるが沖縄の歴史を振り返るとどうも気が重い。
だからこのコラムは泡盛をちびちび飲みながら書いた。