長崎に来た理由のひとつは夜景をみることだった。
どこの街でも高いところはあり、その街なりの夜景がある。
若い頃は高いところ好きもあり、夜景をよくみた。
京都の夜景というのもなかなか乙なもので区割りが直線である京の街の姿が灯りに浮かび上がる。
神戸の夜景もいい。
六甲に登ってみれば街や工場灯りが延々と続き大阪湾まで浮かび上がっている。
日本人は三大何々というのが好きだが、夜景にもそれがある。
「函館」「神戸」「長崎」というのが一般的で長崎のみが未見だった。
長崎に来てみれば新世界三大夜景なるものが指定されているらしく、「長崎」「モナコ」「香港」をいうのだそうだ。
夜景をみるとき、最もおもしろいのは夕暮れからぼうっと街を眺めひとつひとつついていく灯りと濃くなる空の闇のグラデーションが徐々に深まる時間を楽しむことであろう。
しかし今日はそこまで暇ではないのでさっと登っておしまいにしようと思う。
梅雨の時期にしては雲一つ無い晴天である。
長崎の夜景スポットはいくつかあるようでどこにしようか迷ったのだが、まずは稲佐山から眺めてみることにする。
ホテル最寄りのバスターミナルからロープウェイ口までバスで行き、淵神社を通って乗り口に。
思ったより人出はないが、中国人韓国人観光客が喧しい。
ロープウェイを降りて左手に行くと展望台がある。
初めてみる長崎の夜景はやや散漫として期待外れといった方がいいかもしれなかった。
しかしながら長崎の地形がよくわかるという地理的見地からいうとおもしろい。
長崎の市街地は南北に流れる浦上川が開いた部分と東西に流れる中島川のあたり、グラバー園のあたりに分かれる様があざやかである。
湾外に出て行く方向には女神橋がライトアップされる他、三菱造船所の施設、カンチレバークレーンもあかあかとみえている。
夜景は海や川といった暗い部分が絶妙に灯りを切り取ることでその街の生活感を浮かび上がらせる。
ふと原爆のことを思い出した。
1945年の8月9日11時2分、米軍のB29ボックスカーが投下したファットマンが炸裂したのは浦上上空500m、数秒で一帯が焦土となった。今みている灯りのうち、左手の一帯がそこである。
長崎の史跡を考えるとき、世界遺産となっている工業施設やグラバー邸などが何故現存しているかという疑問を持っていた。
その回答は目の前の夜景をみれば氷解で、要するに山の陰になって熱線の被害を免れたのであろう。
周知のように長崎は当初の投下目標ではなく、ボックスカーが狙った小倉上空が、雲により目標変更され、さらに長崎上空に達したとき、雲間にみえた浦上に目標を小修正したため、あそこに落ちた。
私は歴史を調べることを半ばなりわいにしていることで時に悩む。
戦のことをよく文章にする訳だが、往々にしてそれは人殺しの容認につながる。
「昔のことだから」と言い訳をして人間は人殺しを英雄としてしまう。
長崎の惨禍から71年、それは日本史の営みからすればごく最近であり、「体験」した方々も存命であるうちはいいが、100年200年経ったときに「昔のことだから」にならないとは限らない。
私は言い伝えするための子を持たないため記憶を自分で墓に持っていくしかないのであるが、あの時あのあたりの灯りの下にいた人のことを忘れぬようにと、美しい夜景をみながら思ったりした。