高遠のそばを愛した保科正之をしのびながら有名店だという「ますや」で高遠そばの昼食。
高遠そばは辛味大根の汁で食べるらしい。
ここでは焼き味噌のすりつぶしていれる食べ方も推奨。
杖突峠からまた甲州街道に戻って帰宅。
高遠のそばを愛した保科正之をしのびながら有名店だという「ますや」で高遠そばの昼食。
高遠そばは辛味大根の汁で食べるらしい。
ここでは焼き味噌のすりつぶしていれる食べ方も推奨。
杖突峠からまた甲州街道に戻って帰宅。
今日最大の目的は高遠城に行き、資料館の人に話を聞くことにある。
諏訪から高遠へは杖突峠を越えていく。
この道は私のお気に入りの街道である。
理由のひとつが峠の茶屋からの絶景。
今日も見事である。
高遠城址公園の中に高遠町歴史博物館がある。
玄関前に保科正之と母の像が設置されていた。
館長さんに話をうかがうことができた。
どうやら私のことを歴史好きのひとりだと思っていたらしく最初は軽々に扱われてしまった。
何とか資料入手やゆかりの地などの情報を聞き退散。
諏訪湖のほとりで起床。
近くの高島城址へ行く。
江戸時代に「浮城」として名高かった。
元々は諏訪湖に面しており島を丸ごと利用して築城されたものの、今では湖面は遠くなっている。
諏訪の領主は戦国時代、諏訪家が務めてきたが信玄の侵攻により腹心の板垣信方が郡代となり上原城を拠点とした。
信方が戦死、諏訪頼重の娘が勝頼を産み、勝頼が長じると伊那高遠に入って一帯を管轄した。
武田が滅亡すると諏訪頼忠、すなわち武田に協力した方の諏訪家の後継が織田北条との間を立ち回って諏訪に復活、しばし領主となった。
徳川家康が関東に移封となると諏訪頼忠も関東に移動、後に秀吉の命で日根野高吉という武将が高島に来た。
彼は7年掛けて浮城を築く。
せっかく心血を注いだ高島城も日根野氏が転封となり諏訪頼忠の長男頼水が諏訪藩主として復帰、以後明治まで諏訪家が藩主を務めた。
高島城は現在、天守や門などが復元されており石垣など立派なものである。
屋根は銅板葺きであるが当寺はこけら葺だったようだ。