扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

宇治〜徳島取材 #10 明石海峡大橋を再び渡る

2009年03月19日 | 取材・旅行記

取材の前半戦が無事終わり、明石海峡大橋を渡った。

淡路島は「明石大橋の橋桁」と揶揄されるように通り過ぎるだけの人が多いらしい。

橋を往復してみると淡路島が以外に腰高な島で高速道路が高いところを通っているのが実感できる。

鳴門名物、渦潮も高いところから見えておもしろかった。

夜みる橋は幻想的で名高い神戸の夜景も印象的、2泊3日の旅となったが、自分でクルマを走られて巡る旅はスケジュールに縛られることもなくまた思う時間に移動できるため効率的。

これからは積極的にクルマで長距離取材をこなしていきたい。

 


宇治〜徳島取材 #9 淡路国一ノ宮・伊弉諾神宮 

2009年03月19日 | 諸国一ノ宮

記紀神話の始まりはイザナギ・イザナミ二神による国産みから始まる。

その国産みで一番最初に誕生したのが淡路島。

イザナギは淡路島の多賀に幽宮を構えて余生を過ごした。

その跡に御陵が造られ最古の神社となったのがこの神宮。

明治以前は御陵地は禁足地だったといい、よくある様式の神社建築は明治以降の建造物である。

鳥居から始まる参道は石が白々としているがこれは阪神淡路大震災で倒壊した鳥居を再建したもの。

鳥居には「奉祝 天皇陛下在位20年」の幕が巻かれていた。

すでに17時を大きく回っていたが、宮司さんにお願いしてお札をいただいてきた。

 

 


宇治〜徳島取材 #8 四国八十八箇所 五番 無尽山地蔵寺

2009年03月19日 | 御遍路・札所

嵯峨天皇の勅願で空海が開基、勝軍地蔵菩薩を彫って安置という。

「勝軍」というように地蔵さんでありながら甲冑を着て軍馬に乗った姿をしている。

武将の崇敬篤く、寺領が大きく今も大きな境内を維持されている。

1番から5番まで堂宇は長宗我部元親の侵攻の際に焼失したものが多い。

江戸時代安永年間に五百羅漢堂が作られ、焼失したものの復興している。

樹齢800年の大銀杏が見事。

五百羅漢を拝見しているうちに夕暮れとなってお試し遍路はここで終了。

遍路寺はこじんまりしていた。

伽藍や仏像など日頃は美術品的価値を目当てに拝観していたが、遍路はちょっと違う。

行くことそのものが目的であり、あえて言えば立地を愛でるものともいえるのではないか。

 


宇治〜徳島取材 #6 四国八十八箇所 三番 亀光山金泉寺

2009年03月19日 | 御遍路・札所

三番金泉寺は行基が開基、空海がやってきて村人が水不足に苦しんでいるのを知り、井戸を掘ったところ霊水が湧き出し長寿をもたらす黄金の井戸であるとして寺名を「金泉寺」としたのだという。

源平合戦の際には義経弁慶主従が立ち寄って戦勝祈願したともいう。

 


宇治〜徳島取材 #4 四国八十八箇所 一番 竺和山霊山寺

2009年03月19日 | 御遍路・札所

徳島の取材が終わり時間が空いたので御遍路の真似事でもしてみようと思い立ち、一番札所の霊山寺へ。

四国三郎を渡ってしばらく行くと霊山寺。

吉野川下流の扇状地北側沿いに一番から十番までが続く。

一番すなわち最初の遍路寺だけに遍路グッズを揃えるお店が併設されている。

まず形から入るのもいいだろうが、遍路として真面目にやろうと思って今日は見学。

ガイドブックを買ってから参拝。

仁王門の傍らに御遍路さんがいると思ったら、遍路グッズをフル装備したマネキンさんだった。

開山は天平年間、行基によって開かれた。

空海はこの地で修法するうち、釈迦の説法の場面を感得し、念持仏である釈迦誕生仏を納めたという。

境内を見物していると御遍路さんが朗々と「南無大師遍照金剛」と唱えていた。

いつかここから歩き遍路をはじめてみたい。