二日目は徳島の取材、ホテルを出発して市役所で情報収集。
午前中は阿波おどり会館で勉強。
阿波おどりの発祥は諸説ある。
やっていることからすると盆踊りに近いと思っているが、地元では徳島藩祖の家政が徳島城の完成祝いに踊る許可を与えたとの説があるようだ。
家政は秀吉の草創期の家臣小六の子、尾張生まれであるから戦国末期に畿内をかき回した三好一族からの政局転換をうながし民政にも緩かったのかもしれない。
いずれにしても陽気で華やかな集団群舞は香川県の象徴となっている。
会館は眉山に登るロープウェイの発着場になっていた。
天気も良いので登ってみる。
徐々に高度が上がるにつれ、和歌山浦の海が拡がり対岸までが一望。
この光景をみると義経の屋島合戦前哨戦が思い出される。
義経が暴風雨を押して上陸したのは高松港より少し南の小松島とされている。
北をみれば四国三郎、吉野川の河口。
昨日渡って来た時も驚いたが大きな川である。
眉山は標高290mほどの高さ、眉の形をしているところから眉山の名が付いた。
万葉集に「眉の如 雲居に見ゆる 阿波の山 かけてこぐ舟 泊知らずも」との船王(ふねのおおきみ)との歌がある。
いい山を背負っている町の民は幸福である。
故郷に帰ってきたなあと心に染みるのはこうしたランドマークだと思う。