-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

熊野神社裏山の万年堂

2013-07-09 17:51:04 | 歴史

 下畑沢の熊野神社は、南から続く尾根の北端部に位置しています。その熊野神社がある尾根を逆に南に登って、標高差約40mの頂部に万年堂があります。大変、大きく、屋根の一辺が約1.5mほどもあります。屋根の部分だけでも100kgを超えているでしょう。御神体などを入れる厨子(正しい呼び方であるかは分かりません。)の部分は、コンクリートブロックで造られています。この部分は、元々は栗の木などで造られていたものでしょうが、長年の間に朽ちてしまったようです。昔は道路に近いところにあったそうですが、道路拡張の際に村人の手によって、道路の近くから50mもの高いところに移されたそうです。これほどの重量物を人力で移すのは並大抵の苦労ではなかったと思います。私の記憶にないので、私が畑沢を離れてからのことになると思います。屋根の部分には、紋章のような丸い印がありますが、読み取ることができませんでした。 

 ところで、このような石で造られた祠は、「万年堂」ということが最近になってようやく知りました。と言いますのは、上述の件について畑沢の古老からお話を聞いているときに、「マンネンドウ」と発音されていました。その場では直ぐには理解できなかったのですが、村山市新山に関する石碑・石仏の文献を見ていた時に、「万年堂」の説明があり、ようやく「マンネンドウ」の意味が分かりました。専門家ならすぐに理解できるのでしょうが、いかにも私がこの方面の素人であることが証明されました。しかし、新しい知識の世界が拡がったことは、嬉しいことです。

 このような訳で少し利口になりましたので、過去を振り返ります。5月13日に投稿した「5月12日に背炙り峠を訪ねました。-その1-」の3に「万年灯篭」と書きました。しかし、「万年灯篭」ではなくて、「万年堂」が正しいと思います。確かに峠にあった祠は、灯篭のように四方に窓があるものではなく、一方向だけが開いていました。万年堂そのものです。背炙り峠に登る前に幼友達が言っていたのは、確かに「マンネンドウロウ」でした。このことは何回か確認しましたので、間違いありません。私自身も万年堂などというものを聞いたことがありませんので、「万年灯篭」の漢字を頭で想像してしまいました。幼友達は、毎日、私と遊んでくれてましたので、私の悪い癖に感染していたようです。二人は何の疑問も持っていませんでした。

 そこで、先のブログも近日中に訂正いたします。誤った投稿をお詫びします。



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