-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

5月12日に背炙り峠を訪ねました。-その1-

2013-05-13 18:12:16 | 歴史

1 はじめに

 予定していた背炙り峠へ行ってきました。大変な好天に恵まれ、調査としてだけでなく、ハイキングとしても最高な一日でした。畑沢側からの参加者は、私も含めて7人でした。畑沢に何らかの形で関係がある6人と歴史を専門的に調査している人です。この日、背炙り峠入口で自動車は通行止めでしたので、ゲートからは歩いて峠を目指しました。車道の峠までは25分かかりました。さらにそこから古道の峠へ林道を歩いて10分のはずが、何しろ好天気なので、「さて、お城山は見えるか」、「あの池は」、「あの畑は」等々と興味が湧いてきます。結局、30分近くかかってしまいました。途中、春の花がまだ咲いていました。山桜、タムシバ(通称 コブシ)、カタクリです。特にカタクリは、陽当たりの良い古道の路面を覆い尽くして、踏みつけないように歩くのも大変でした。

 山桜 タムシバ

 カタクリ

 村山市側からは4人が参加しました。村山市の歴史研究会などのメンバー4名です。中々にパワフルな方々で、村山市中沢から古道に直接入り、自動車道路を使わなかったそうです。しかも藪になっているところでは、刈り払いもされたようです。

 尾花沢市のメンバーと村山市のメンバーは峠の乳母木地蔵で合流しました。合わせて11人と特別参加の犬1頭です。

 

2 地蔵堂について

 乳母木地蔵堂は、かなり傷みがひどくなっています。列挙すると次のようになります。

① 庇の根太が何本か折れていること。

② 床が腐っていて、抜け落ちていること。

③ 出入り口の敷居がほぼ駄目になっていて、戸がきちんと開閉できないこと。

④ 2体の地蔵のうち1体の首が落ちていること。

 

 以上ですが、単なる「修繕」では対応できないものと思われます。

 ところで地蔵堂の中には次のようなことが書かれていました。

① 昭和42年9月(41年前)に建てられたこと。

② 建築に必要な寄付が畑沢全戸のほかに荒町、古殿、延沢、林崎、延沢、尾花沢

 からも寄せられたこと。

③ 棟札に別当と大工の名前があったこと。

 

3 万年灯篭堂について

  

 「万年灯篭」の名称が適当かどうかは分かりません。他に適切な名称がありましたら、御指導いただきたいと思います。実はこの名称は、先日、幼友達から聞いた話に基づくものです。その友達の話によりますと、「小さい時に峠の地蔵さんの脇に万年灯篭があった。屋根の部分が壊れていたけど、どうなったかな」と言うのです。しかし、これまで私が3回も地蔵堂に行ったのですが、灯篭らしきものはありませんでした。今回の調査でその謎を確認することも目的の一つにしていました。

 そして、とうとうその謎が分かった気がします。灯篭はあったのですが、今はその機能を変えているものと思います。乳母木地蔵堂北側の高台に石造りの祠があります。今まで3回も行ったのに1度も中を覗き込んだことがありません。私は石の祠は、全国共通という固定観念を持っていて、正に「上から目線」で見ていたのでしょう。初めてその祠の中を見て、「あっ」と気付きました。祠の中には地蔵が安置されていましたが、風化しておらずデザインも新しいのです。近年になってから灯篭の灯りを置くところに、地蔵が安置されたのでしょう。しかも高台ですから、灯篭として目につきやすい場所です。灯篭が地蔵の祠に変わったと思います。石造りの屋根も一部が壊れていました。友達が言っていた話と完全に合致します。「万年」と言うのですから、毎日のように旅人のために灯を灯していたのでしょう。古道の重要性があらためて裏付けられました。

 ところで「灯篭」が何時ごろに「祠」になったのでしょう。幼友達が見たときは「灯篭」でしたから、その後と言うことになります。その場合、友達が見た時期が問題になりますが、乳母木地蔵堂が建て替えられた昭和42年あたりが、妥当な時期ではないでしょうか。その頃、私たちは中学生なので、もう峠に行くことはありませんし、費用捻出を考えると乳母木地蔵堂建て替えの寄付が集まる時期が適当だと思います。

 

 上記のとおり報告したところですが、その後、7月7日に私の誤りに気付きました。万年ドウロウと言っていたのは、誤りで、万年堂(マンネンドウ)だったのです。私の無知ゆえに「マンネンドウロウ」と幼友達が発音していたのを、実は「マンネンドウ」であることを見抜けませんでした。そもそも、その時の私は「万年堂」を知りませんでした。頭の中で「ドウロウ」に「灯篭」の漢字を勝手に当てはめてしまいました。勉強不足も甚だしい、素人ゆえの勇み足でした。

 

話が長くなりましたので、続きは次回とさせていただきます。


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