-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

幕末期における畑沢出身の大スケールな人物(その6)-3

2014-02-24 15:44:34 | 歴史

 この背中炙り峠越えの通行の訴訟の一件については、「背中炙り峠一件」と呼ばれています。
 さて、前回に投稿した畑沢、細野、延沢の三村が代官への「返答書」と言う反論を、なるべく原文に近い形で現代語に直して見ます。長文ですし、素人でもありますので、多分に時間がかかります。私の場合は言い訳が多いのを特徴としております。

 ところで、今回の投稿は、返答書の中で三宿駅からの言い分をまとめたところだけとします。前回の原文と照らし合わせて見てください。何となく、原文を読めるようになります。
 今回は、背中炙り峠の山の神が応援しています。手作り感が何とも言えない趣がある石仏です。


――――――――――――――――― 
恐れながら返答書を以て奉り申上げ候(そうろう)
当御代官所の羽州村山郡
延沢村 名主 惣内・新蔵・長兵衛、
畑沢村 名主 源右衛門  組頭 佐五兵衛
細野村 名主 善兵衛   組頭 彦八
が恐れながら一同が申し上げます。

 

同州同郡
尾花沢村 名主問屋兼帯 清一郎  組頭 弥九郎
土生田村 問屋 喜六  名主 孫四郎
本飯田村 名主問屋兼帯 与右衛門
からの御訴訟によりますと、

 

 仙台及び其の外から当郡の上郷筋(楯岡、山形等方面)へ運送する諸荷物は、延沢村から畑沢地内字背中炙りと言う横道(「本道でない脇道」の意)の峠を越えて、秋元但馬の守の御領分である楯岡村は継立てされ、かつ、同郡上郷からの仙台その外の商人の荷物は、右楯岡から直に延沢村へ継立てされている。
 右の様に乱れてしまっては、宿場としての利益を失ってしまい、御朱印・御証文・御伝馬による御用のとおりに各大名の荷物を継立てするのに差支えてしまいます。先年に大貫治右衛門様が御支配されていた時に、延沢村に掛かる訴訟を申し上げたところ、追々、御吟味されて、右背中炙り越えのことは、以前から定まった賃銭もない、全くの横道に相違いないので、これからは御武家様方の荷物は勿論のこととして、諸荷物や背負い荷物も決して継立てしない様に通行を差し止め、かつ、同村で産出した米穀や畑産物も上郷方面へ駄送する物は、右背中炙り越えを差し止められました。ところが、その後に乱れてしまって、延沢村、畑沢村、細野村で産出の米穀と畑産物は、上郷筋へ勝手に右背中炙り横道を駄送する者もあるやに聞こえており、これからは御武家様方のお荷物並びに他郡と当郡の商人の荷物は勿論、右村で産出した米穀・畑産物も一切、右背中炙り峠越えをしないで、街道(羽州街道)で継送りするよう仰せ下さるよう、との訴訟人から願い上げがありました。



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