背炙り古道の峠にある「山の神」です。全体的に白くなって分かりにくいのですが、「山神」の文字を読み取ることができます。これまで、三度、存在を確認していたのですが、読み取ることができませんでした。元々は黒っぽい石材ですが、表面が白い苔で厚く覆われているためでした。今回(平成25年9月6日)あらためて調査しましたところ、苔が依然と比べて薄くなっています。ようやく、山の神に会えたようです。石材は畑沢産ではなく、溶岩が地表で固まった後で川の流れの中で角が丸くなったものです。畑沢以外から持ち込まれたものです。
「山神」の文字の形も彫り方も、専門の石工によるとは思えません。素人の域を出ていません。それだけに「手作り感」がありますし、村人の心と生活が感じられます。私の好きな石仏の一つです。
ところで、この「山の神」は、峠の巨大な「湯殿山」碑から3mほどの距離に並んでいます。湯殿山碑は高さは台を含めると3m、片や山の神は0.4mです。大きさに極端な差がありますので、どうしても山の神は目立ちません。ついつい見落としがちになります。そのつつましさが、またいいところでもあります。
背炙り古道の峠と現在の車道における峠との間にある尾根には、夥しい数の炭焼き窯の跡があります。かつて、畑沢の人達は村山側へ炭を運んで生活していたものと思われますので、峠に近い所での炭焼きは「地の利」そのものだったことと思います。それで、何回も何回も炭焼きが行われたのでしょう。炭焼きには水が必要と言われており、その点、近くに「弘法水」と言われる湧き水もありますので、その点でも好条件でした。山の恵の恩恵を受けている村人にとっては、山の神に感謝してもしきれない気持ちで山の神を建てたのでしょう。
建てられた年代は一切、刻まれていません。しかし、山の神が湯殿山碑に遠慮するように建てられている様子を見ると、私の「いつもの勘」では湯殿山碑が建てられた嘉永五年(西暦1852年)よりも後だろうと思います。
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