-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢へは「主要地方道 尾花沢関山線」を使えます。

2017-07-28 14:55:52 | 近況報告

 山形県のホームページで、尾花沢関山線が平成29年7月26日の午後3時に通行禁止が解除されたことを知りました。もっと簡単に申しますと、この日の午後3時から背炙峠を越えることができるできるようになったそうです。待ちに待った日でした。昔は雪が融ける五月の上旬になると、峠を通行できましたが、ここ4、5年はかなり遅くまで通行できませんでした。工事のためだそうですが、以前は工事をやっていても、何とか通れるようにして下さった気がします。より技術が進んだ訳ですから、昔よりもより不便になったのは不思議でしょうがありません。特に平成28年度は、通行できたのがたった一か月ぐらいでした。何のための道路かと疑いたくなります。「住民の利便性を確保するための道路か、それとも工事をさせるための道路か」と辛口発言をしてしまいます。今の時代ならば、専門的な知識を基にして、さらに賢い頭脳で知恵を上積みした技術を用いれば、道路としての機能を果たしながら工事を進める工法があったはずです。

 尾花沢市常盤地区では、背炙り峠の整備を要望していると思いますが、いくら何でも通行できないような方法で整備するのでは、本末転倒と言わざるを得ません。もっともっと住民の生活を考えた行政をお願いしたいものです。今や全国的に高齢化が進んでいます。工事のための4、5年は、現役世代にとってはたったの4、5年かもしれませんが、私も含めて現役を退いた者、ましてや高齢者と言われる人たちにとっては大きな影響があります。75歳の人は80歳に、80歳の人は85歳に、85歳の人は90歳になってしまいます。1年1年が大変に貴重なのです。畑沢の人達は、その昔は背中炙り峠(古道)、現代は背炙峠(県道)に夢を託してきました。峠は希望なのです。ただ「通れない」だけではありません。

 さて、ここで気分を替えて、下手な写真で峠の眺めを御覧ください。国道13号線から林崎の居合神社の方へ入り、そこから峠に向かう道路に向かいます。正面に見える山は、大平山です。畑沢では同じ山を方角によって別の名前で呼びます。この方角では「真木山」です。頂上の左側と右側で段差があります。左側は畑沢で、ブナ林になっています。右側は細野で、伐採された分だけ低くなっています。古道の背中炙り峠の場所も見えます。大平山の下に横に一直線に伸びている尾根の左端がそれです。目印は「三本の杉」です。その峠から右側に「楯址」が連続しています。写真に見える街並みは、林崎です。この少し奥に旧大倉小学校があります。


 中沢の道玄から峠へ入る所には、ゲートがあります。勿論、開いていました。前の日の午後3時までは閉鎖されていたのでしょう。

 久々の「中沢棚田ビューポイント」からの写真です。でも、やはり新緑のころの様にはいきません。周りはすっかり深い緑です。

 峠へ向かう村山市側の道路の脇には、山百合が咲いていました。畑沢より早く咲くようです。


 道路わきの湧水です。いつもは落ち葉がいっぱいに詰まっているのですが、この日は結構、奇麗に掃除されていました。通行が開始されたのは前日ですので、それから掃除されたとも考えましたが、どうもそうではないようです。もっと前に掃除されています。とすると、きっと道路清掃の方々が奇麗に落ち葉を取り除いて下さったと思われます。嬉しいことです。水量もいつものポトリポトリではなく、連続的にジャージャーと出ていました。これも嬉しいことです。

 峠には県外ナンバーの車が多く来るようになりました。村山市側から何度も何度もクラクションを鳴らして近づいてくる車がありましたので、少し広い場所で停車していたら、品川ナンバーの若い青年二人の車が脇を通過しました。そして、直ぐにカーブの所でクラクションを鳴らしました。あの五月蠅い車は、この車でした。カーブが怖くて、その都度クラクションを鳴らしていた様です。そう言えば、自動車学校での教科書には、カーブではクラクションを鳴らすように書いてあったような気もします。きっと真面目な青年なんでしょうが、カーブにはミラーが設置されていますので、反対方向からの車は確認できます。「ふん、未熟者めが」と、峠のベテランとしては馬鹿にしたくなります。何せ、外に自慢できるものがありません。

 畑沢側へ出ると、ここにもありました。ゲートです。去年の12月から長い間、私の通行を拒んできた代物(しろもの)です。そして、やはりちゃんと開いていました。ああ、これでようやく峠道を通れる実感が湧きました。兎に角、バンザーイです。

 



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