-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

雪が降る前に もう一度 眺めたい 

2023-11-25 11:08:11 | 自然

 薪割に畑沢へ行った令和5年11月22日、背炙り峠路は最高でした。朝から雲一つない青空です。しかし、残念ながら車に木材を積載するのに時間がかかって、峠への入口に着いた時は既に10時30分を過ぎていました。写真撮影を第一に考える真面目な人ならば、このような失態はないでしょう。私は、薪割もしたい、写真を撮りたいと少ない機会を欲張りに使おうとします。「二兎を追う者は一兎をも得ず」は豊富な経験から十分に分かっていたのですが、無職ながらも時間に余裕がありません。しょうがないです。そのような事情を持つ人は私だけではないようです。あの遅い時間帯なのに、2人が写真撮影に熱中していました。いるんですねー、私みたいなのが。

 先ずは、お決まりの撮影ポイント(中沢ビューポイント)からの写真です。この場所は中沢の棚田も撮影対象に考えての命名だったようですが、今では棚田のかなりの部分が耕作放棄地になりました。それでも、西側からの景色はそのまま素晴らしいものです。この時期は白く輝く朝日連峰が見ごろになります。左の一番高いのが大朝日岳、右側で白さが一段輝くのが以東岳です。手前には雲海が広がっていますが、もっと早い時間帯でしたら、さらに手前の方も雲海の中だったでしょう。つくづくも残念。

 

 ズームで朝日連峰を拡大しました。やはり、これももっと早ければ、すっきりと山の線が写っていたでしょう。でも、この程度の「ぼやっとさ」がかえってパソコンの背景用に丁度かとも思います。

 

 すこし峠の方へ上ってから、葉山を写しました。屏風を立てたような雰囲気です。山頂部だけが白いのも面白いものです。

 

 畑沢では、薪割の息抜きに写真撮影です。被写体として特に選べるものもないので、行き当たりばったり方式に写しました。遠くの山は最上町の禿岳です。少しだけ工夫したふりをして、ススキを前景にしました。少し暗かったからでしょうか、スマホでの写真は肌理が粗いようです。

 

 これも同じようなものですが、さらに一工夫して、月を入れてみました。私のカメラでは、これが最大の望遠です。

 

 薪割を終えて、背炙り峠からの夕焼け空を期待していましたが、雲一つない空は実に味気ないものです。しかも、完全に太陽が沈んでいました。朝も失敗なら、夕方も失敗でした。

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仙人にはなれないが、杣人ならなっているかな

2023-11-24 15:21:07 | 近況報告

 山形市内の私の家の裏山では木々が大きくなり、いろいろと支障が生じるようになってきました。秋に葉が落ちてくるのは何の苦もないのですが、枝が我が家の方まで伸びて樹上から青虫や毛虫が多量に落ちてくるようになりました。また5月から8月ごろを除いて家の半分が午後は日陰になります。昔は山の所有者が燃料として木を売ることができたようですが、今の山は負の遺産とまで言われるようになり、伐採の経費が所有者に大きな負担をかけています。民法の規定では隣地の所有者がそのような木を伐採してくれるように請求できるのですが、負担が大きいのを知っていますので可哀そうです。

 畑沢出身の私としては、伐採を請求するのは恥ずかしく感じます。「私が伐採するので、了解してください」とお願いしています。昨年から伐採を始めて今年は2年目です。住宅地での伐採には、色々と注意しなければならないことがあります。一つ目に大きな騒音を避けることです。チェーンソーはエンジン音がうるさいので、全て鋸引きです。これが結構、体幹トレーニングになります。その日は熟睡です。

 二つ目は建物が近接しているので、他人の家に木が倒れないようにすることです。木を根元から切り倒せば、木の高さの分がそのまま水平距離になり、どうしても他人の敷地まで到達して庭や建物を損傷してしまいます。専門業者ならクレーンやロープを使うなどして巧みに作業しますが、単一人でしかも機械を持たない私には別の方法を用いています。樹高の半分以上を登って、枝だけを鋸引きします。枝の太さの半分ぐらいになると、枝はメキッメキッと音をたてて切り口から裂けて下へ垂れ下がります。その後に残りの半分を切れば、ドスンと枝の切り口部分も落下します。順次、上の方から切り落としてから根元部分を切ると小さな範囲で作業でき、周囲に迷惑をかけないで済ますことができます。ただし、木の上に上るのは、高所恐怖症の私には大変ですし、体力も必要です。それなりに体力維持のためのトレーニングが必要です。作業の手順を検討しますので、普段は使わない頭もフル回転です。下手すると大けがですが、小さいころからの木登り経験が生きます。恐々と何度も登りました。

 最後に切った木の始末です。薪ストーブを使っている人が持って行ってくれればいいのですが、それは難しいようです。薪ストーブを使っている方々は、私から見れば皆さんお金持ちです。山から木を伐採して、それを割って薪にする人は極、稀で出来上がった薪を購入されているようです。かなり大変な経費と聞きました。そこで、わざわざ畑沢へ運ぶことにしました。畑沢には周囲のすべてに木々が余るほどあるのに、何故に山形からガソリンと手間をかけて畑沢まで運ぶのかと、自分の馬鹿らしさに呆れます。

 令和5年11月22日(水)、背炙り峠を越えての畑沢行です。愛車に木が大量に積載されていますので、スピードを落とし慎重に運転しました。正直のところは私は小心者ですから、いつも慎重な運転です。つまり、「いつものように慎重に」が正しい表現になります。

 以下は作業の経過と結果です。今回も長々しい文章で疲れましたので、詳しい説明を省きます。御覧になると分かると思います。

 

 

 

 大量過ぎて、全部を割ることができませんでしたので、丸太のままが大分、残りました。

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深まる秋

2023-11-05 10:02:19 | 近況報告

 今年は紅葉が鮮やかになりません。5月から10月まで例年よりもかなり高い高温が続いたせいなのでしょう。高温によって樹木の葉の中でどのような反応が起きるかについて、専門家による詳しい説明を聞いたことがありません。高温は極、近年の現象なので研究されていないのか、単に私が見逃しているのかは分かりません。

 そのような訳で、今年は畑沢や背炙り峠の紅葉をお見せできないのが残念です。代りにと言えばなんですが、先ずは可愛らしくない動物の気配です。令和5年11月3日、畑沢へ向かう背炙り峠への登り口です。いつものカーブでいつも見慣れている柿の木を見ると、枝ぶりに大きな違和感を覚えました。村山市大倉地区の方々から2、3年前に教えていただいた「熊棚」に似たものが見えます。熊棚とは、熊が樹上で果実などを摂食する際に熊が枝をへし折って幹の上に棚状に積み重ねたものです。近寄って確認したところ、確かに沢山の枝がへし折られていますが、棚状とまではいきません。熊棚ではないようです。良かった

 

 樹木の下に半分、齧られた柿の実が落ちています。まだ渋くて途中で食べるのを止めたようです。犯人は近くにいた猿でしょう。ここにも猿はよく姿を見せています。

 

 しかし、太い幹には熊の引っ掻き傷がありました。今年の傷ではなくてもっと前の時期のようです。今年はまだ熊は来ていないようです。柿の渋が抜ける時期を知っているのでしょうか。まだ来ないとは言っても、今年も来る危険性があります。注意が必要です。

 

 

 近くに懐かしい木が見えました。豆柿(マメガキ)です。私たちが食べている柿は、殆どこの豆柿を台木にして接木しています。この時期の豆柿は途轍もなく渋い状態なはずです。食べられるのは、冬になってからです。猿でも秋の豆柿には見向きもしません。

 豆柿の実を拡大しました。

 

 峠へと向かうと、陽光を浴びて明るく輝く大樹が見えます。毎年、見とれるのですが、美しさを表現できる腕がありません。気持ちだけ受け取ってください。本当は奇麗です。周囲に紅葉がないだけに、この木の輝きは一際でした。

 

 林の中からの景色です。特色はありませんが、秋の林を感じ取って下さい。

 

 木々の紅葉はいまいちですが、落ち葉は例年どおりの「落ち葉」です。写真のうまい人は、じっくり被写体を選ぶのですが、私流は「行き当たりばったり」方式です。それでも、秋らしい絵になりました。

 

 そこに、ガサゴソと動く生き物が。もしや、ヒキガエルかとも思いましたが、老眼鏡をかけてよく見ると、アマガエルでした。小さな体ながらも、生まれた水辺から標高差何百メートルも登ってきたことになります。最近の私にとって、何百メートルは辛くなりました。写真は何枚も撮ったのですが、すべてピンボケ。これが、その中で最も良いものです。恥ずかしい限りです。

 畑沢の実家に着くと、結構、近いところから猿が威嚇する吠声がしました。ボス猿でしょう。そして怯えて悲鳴のような子猿らしき声も聞こえます。もしや、ボスの交代時に起こる「子殺し」かなと想像しました。これが夕方まで続いていました。私も可哀そうに感じて、「雄叫び」を発しました。全く効き目がありませんでした。

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ユキツバキかなあ(その11の補足) 繋沢観音堂跡地の藪椿

2023-10-09 17:03:17 | 自然

 いつものように投稿が遅くなりました。いつもの遅さは私の怠慢が原因でしたが、今回はパソコンの故障です。officeのwordが反乱を起こして、全く起動しなくなりました。慣れないリカバリーを何回もやりましたが、やればやるほど深い泥沼に入りました。専門家へお願いした結果、内蔵のハードディスクをSSDに交換し、ちゃんとしたリカバリーで購入時点よりも能力アップして戻ってきました。専門家でないと修理できないのが悔しいです。ITを勉強したいのですが、その参考書さえも見つけられません。

 さて、先の投稿では繋沢観音堂跡地において、銀杏の大木の脇にある椿だけを取り上げました。その椿がほぼ雪椿であると思われましたので、有頂天になって投稿しそれで調査すべて完了と錯覚していました。

 ところが、実はその敷地には別の椿もありました。それは、銀杏脇の椿よりもさらに参道の奥に入った観音堂記念碑の近くです。

 この写真は令和5年6月1日に撮影したもので、既に花の時期は終わって若葉(新葉)が見えます。

 新葉は雪椿系の特徴を一切、持たず、洋平は長く葉柄に毛は生えていません。藪椿(ヤブツバキ)そのものです。樹幹はすっくと立ち上がっており、雪椿のように地面に這いつくばることがありません。

 ところで、雪椿の新葉の葉柄には毛が生えていますが、これがどんな働きをしているのかが分かりません。研究者ならば、そのようなことまで解明すべきかと思います。私の拙い憶測では、低温から花芽を保護をするために油のような液体が花芽をすっぽり覆っていて、毛がその液体を安定させる働きがあるのではないかと考えてみました。葉が展開すれば、不要となって消失します。

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ユキツバキかなあ(その11) 六沢地区と原田地区

2023-09-27 15:05:07 | 自然

 「ユキツバキかなあ」シリーズも、ようやく終盤になってきました。今回は尾花沢市六沢地区とそのすぐ近くの原田地区の椿です。

Ⅰ 六沢地区 繋沢観音堂跡地の椿

 先ずは六沢地区の繋沢観音堂跡地の椿です。この場所は同地区の円照寺住職から教えていただきました。尾花沢市内の雪椿の調査に関して、最も期待する場所です。尾花沢市史編纂委員会が昭和60年に編集した「延沢軍記」には、1540年代終わりごろに野邊澤城が建設された概要が幾種類もの文献として 収められています。それらの書の中に、城の馬場の周辺に「花木」が植えられたとの次のような記述があります。

二ノ丸ノ階ニ馬場アリ、幅七間、長サ百間也、四方ノ土手高ク築キ花木ヲ植タリ

 私は、「花木は椿」であろう推測しています。現代で花木と言えば、いの一番に桜が挙げられますが、椿はかなり前から神社や寺などの大事な場所に植えられていることから、野邊澤城の馬場の周囲にも椿が植えられたと考えました。その根拠を深く尋ねられれば、自信がありません。何はともあれ、馬場跡を調査して2015年10月に「延沢城跡に「ユキツバキ」はありませんでした。残念」と題してこのブログに投稿しました。

 しかし、令和5年4月11日、円照寺住職から「椿」の話を聞き、馬場周辺にはなくなっても、城の裏門とも思われる繋沢観音堂跡地には、まだ残されているかもしれないと期待しました。繋沢観音堂跡地への入り口から奥へ向かって真っすぐな一本道(参道)があります。すると、直ぐに銀杏の大木が見え、その根元にも灌木があります。地面に這いつくばるような姿は、直ぐに雪椿の特徴を思い出させました。そして、椿の枝は雪に押しつぶされていて、これも雪椿を想像させます。

 

 近づいて花を探しましたが、まだ開花期にはかなり早いようです。花の蕾は大分、膨らんでいますが、まだまだ時間がかかります。でも、雪椿の特徴である「葉柄の短さ」を思わせる姿を確認できました。

 

 開花を待って令和5年4月29日、2回目の繋沢観音堂跡地です。雪が消えて、椿の全体が姿を現していました。

 

 枝に沢山の花が咲いていました。花びらは平たく開いて雪椿らしい雰囲気です。ただ、花びらの色が特徴的です。これまで見てきた雪椿や藪椿のどれよりも濃い紅です。円照寺住職が褒めていたのは、この色のことだったのかもしれません。真紅というべきか、どのように表現すべきかは分かりませんが、私は神々しい色に感じました。

 

 雪椿の特徴として最も挙げられるのが、雌しべの基部です。藪椿(ヤブツバキ)は全ての雌しべの基部が隣接する雌しべの基部と融合しているようにぴったりと繋がっていますが、雪椿は基部も全て独立しています。繋沢観音堂跡の椿の雌しべの基部は独立しているようです。

 

 開花と新葉の時期は、一か月以上の開きがあります。令和5年6月11日、3回目の繋沢観音堂跡地です。十分に待ったかいがありました。遠目にも新葉が出ていて、木に活気が漲っています。周囲の緑も元気そうです。

 

 新葉の出現を待ったのは、葉柄に「毛」が生えているかどうかです。古い葉では確認できません。肉眼では新葉でも毛の存在を確認できませんでしたが、自宅で写真の像を拡大して、毛の存在が分かりました。私は両目の白内障手術をしてから、近いものが見なくなって、葉柄の毛を肉眼で確認できなくなりました。老眼を持参すればよいのですが、いつも忘れます。これで、繋沢観音堂跡地に昔から存在していた椿が、雪椿に限りなく近い椿であることが分かりました。山形市大平地区にある雪椿との違いは、花の色だけのように思いました。ただ、私には、これが雪椿であると断定できる力量がありません。もっと雪椿に詳しい方々も、その判断は難しいそうです。雪椿と藪椿のハイブリッド(雑種)は、両種の中間的な形質を持っているそうですが、一株ごとに千差万別で雪椿に限りなく近いものから藪椿の特徴が多いものまであるそうです。こういう時は、今、流行っているDNA分析をすべきかと思いますが、どうも雪椿の研究では下火のようです。

 繋沢観音堂跡地の椿が、延沢軍記に書かれている馬場周囲の花木であったかは明らかにできませんが、畑沢で見てきた椿とも異なり真紅の花びらが神秘の雰囲気を醸し、戦国時代から400年以上も生き延びてきたのかもしれないと、どこか浪漫を感じさせます。

 

 Ⅱ 六沢地区 湯殿山石仏の脇の椿

 昨年の6月1日にたまたま湯殿山石仏の近くで、椿を見つけました。神社仏閣、墓地などに雪椿が植えられている例が多いとのことから、この湯殿山石仏の椿も雪椿の可能性があると興味を持ちました。落ちていた枯れた花と新葉の観察から、雪椿に近いであろうことが分かりました。「雌しべの基部が独立している」ように見えたこと、「新葉の葉柄に毛があつた」ことが理由です。その内容は令和4年8月23日に「ユキツバキかなあ(その6)六沢の椿」として投稿しました。

 しかし、生の花は見ていませんので、今年にあらためて花を確認しました。繋沢観音堂跡地を調査した令和5年4月29日に湯殿山石仏の場所へ回りました。実に見事に豪華さを感じさせる花が咲き誇っていました。これなら一目瞭然、野生種の雪椿ではありません。八重咲で、十分に改良された園芸品種です。

 しかし、雪椿の血統であるようです。昨年の葉柄の毛の存在だけでなく、雌しべの基部が融合しがちながらも藪椿と比べるとかなり独立しています。雪椿は花びらを広げるからなのかは分かりませんが、園芸品種としても好まれる遺伝子を持っているようです。

 

Ⅲ 原田地区の椿

 昨年の冬、たまたま上原田地区墓地の脇を通ったら椿がありましたので、葉を眺めると葉柄が短いような気がしました。心に何か思うところがあると、どんなものでも関係づけてしまいます。花や葉柄などを観察するの時期ではなかったので、今年の開花期まで待っていました。今年、六沢の湯殿山石仏の近くを観察した後(令和5年4月29日)で、こちらにも回ってきました。

 

 花を見て、こちらも直ぐに園芸品種と分かりました。六沢地区の湯殿山石仏の所にあった椿と同様に、八重咲で豪華な花です。この地区では、この園芸品種が流行っていたのかもしれません。

 

 雌しべの基部も湯殿山石仏脇の椿と同じで、藪椿と雪椿との中間型です。雪椿と藪椿の両方の遺伝子が入っています。

 

 葉は古いままです。葉柄の毛は確認できませんが、見るまでもなく新葉が出れば葉柄に毛があるでしょう。

 

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