Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

龍馬伝、第24弾 “土佐の大勝負” 2010年11月14日

2010-11-14 23:33:38 | 日記・エッセイ・コラム

慶応三年九月、龍馬が蒸気船“震天丸”に積んで、長崎から運んできたミニA銃1000丁が高知城に運び込まれた、龍馬が目指すは血を流さずに徳川を政権の座から引き摺り下ろす!そのためには、土佐の大殿様、山内容堂公を動かさんといかんかったがぜよ!・・・

座敷に積まれたミニA銃1000丁の箱詰めの山を見て、容堂公は象二郎に言った「何じゃ!これは!?」、『はあっ!最新式のミニA銃1000丁に御座います!』、『大殿様!薩長は今にも幕府に背(そ)向けようとしよります!戦さになったら!日本中が内乱となりましょう!』、象二郎は銃を1丁手に取り容堂に訴えた『この武器が必要ながです!』、容堂が象二郎に訊いた「後藤!その武器は!どっちを向いて使う気や!?」、『恐れながら!徳川将軍家のご意向は!もはや無く!人臣は幕府から離れ!新しい世を望んじょります!』・・・

すると容堂は無言で背を向け、その場から立ち去ろうとする、『大殿様!』象二郎は先回りして容堂の前に正座して必死に容堂公を呼びとめようとする、『大殿様!大殿様!お待ち下さいませ大殿様にお目通りさせたい者が居ります!坂本龍馬と言う男で御座います!』、しかし容堂は無言のまま離れようとする、『この1000丁の銃を持ってきた男に御座います!』、龍馬がもって来たと聞いて一旦立ち止まったが!容堂公は立ち去って行った、『大殿様!大殿様!』、象二郎の容堂を呼ぶ声が虚しく聞こえていた・・・

別室に待機していた龍馬のところへ象二郎が入ってきて言った「今日は諦めや!坂本!」、『後藤様!?』、「大殿様の不撓(ふとう、心がかたくなな様)体質は動かせんがじゃ!」、『薩長はもう待ってくれんがです!』、「分かっちゅう!」、『何としてでも!何としてでも!大殿様にお会い出来るよう取り計ろうて!つかわさい!』、「分かっちゅう!分かっちゅう!」、この様にして、龍馬はその日のお目通りを残念したがじゃ!・・・

坂本家ではオナゴ達が忙しそうに炊事に熱中していた、表に誰かが訪ねてきた『誰か居りませんろうか!?』、乙女が叫んだ「お客さんじゃ!千野さん!おら!春猪(はるい)!手伝どうて!」、誰からも返事が無かったので仕方なく乙女は玄関へ向かった、『龍馬が戻って来たぜよ!』、「えっ!?」そこに立っていたのは!なななんと龍馬じゃった、「まあ~~!龍馬かえ!」、『乙女姉やん!ただ今!戻って参りました!』、「キャ~~!龍馬じゃ!」、『達者にしとったかえ!?』、「ほんに龍馬じゃ!」乙女はぬか床まみれの手で龍馬の顔をこね回した『止めや!臭い!臭いねや!』・・・

そこへ春猪が三好清次郎を婿に迎え、二人の間に生まれた長女・鶴井(3歳ぐらい)が千野に連れられて出て来た、龍馬は思わず駆け寄りホッペに両手を当てて言った『オッ!おまんは鶴井じゃのう!手紙で知っちゅうぞ!春猪によう似ちゅう!』、権平も出て来た『兄上!ご無沙汰しちょりました!』、そこに次女・兎美(とみ)を抱いて、AKB48の前田敦子が、元へ!春猪もやって来た『おお~~!春猪!春猪が子を抱いちゅう!』、何とも賑やかな坂本家の龍馬との再会じゃった・・・

そして龍馬は仏壇の前に座り、手を合わせ、2年前、死に目に会えんかった継母・伊與(北代家の長女)の死を惜しんだ、権平が言った「坂本家には後妻で来たけんど!幸せな一生じゃったと母・伊與は言うてくれたじゃき!」、乙女も懐かしんで言った「“龍馬さんには母親らしいことは何じゃあ出来んかった!”と言うて、おまんのことだけは最後まで心配してくれちょったけんどのう!」、『家には帰りもせんと!勝手なことばかり!しちょったわしを!どうか許してつかわさい!』、「お母上やて分かっちゅう!龍馬の志しはのう!」、『うん!うん!』・・・

『皆んな~~に!こんど土佐に戻って来る時には!お龍を!必ず!会わすますけ!』、龍馬は改まって権平に伝えた『兄上!実は!此度(こたび)わしは!大殿様にお願いをするために!土佐に戻って来たがやき!』、「はあ!?」、「何を!寝言を言いゆう!?」、「おまんが大殿様に会えるわけがないろう!?」乙女も驚いた、『後藤象二郎様がお取り計らい下さるそうじゃ!』・・・

「後藤様!?」、『うん!』、「藩のご参政と知り合いながか?龍馬さん!」千野が訊いた、『知り合い言うか!同士言うかのう!』、「同士!?」、春猪も訊いて来た「龍馬おじちゃん!もしかして大出世したがか!?」、「大出世?」、『あ~~!否!否!違う!違うき!そう言うわけではないがやき!どう話したらええかのう!?』龍馬は返答に困った、その時、表で「御免つかわさい!」と女性の声がした、久しぶり登場のお喜勢じゃった、そこには長崎に単身赴任中の弥太郎の岩崎家家族の面々がやって来ていた・・・

その夜、 坂本家・岩崎家、両家の宴会が手拍子叩いて!“よさこい”唄って!浮かれて踊って!大いに盛り上がった、♪ 土佐の高知の!はりまや橋で坊さん!かんざし買うを見た!よさこい!夜さり来い!御畳瀬(みませ)見せましょ!浦戸をあけて!月の名所は桂浜!よさこい!夜さり来い!言うたちいかんちゃ!おらんくの池にゃ!潮吹く魚が泳ぎよる!よさこい!夜さり来い!♪ 、踊り踊るは弥次郎の独演会じゃった・・・

弥太郎のおかあ・美和が龍馬に酌をしながら訊ねた「長崎で弥太郎はシッカリ藩のお役に立っちゅうですろうか?」、『ははは~~!勿論じゃ!あいつが土佐商会を引っ張ちょりますけ!』、「そうかえ?でも図に乗っちょらあせんやろか?弥太郎は!仕事が出来るかあ言うて!人様を見下すことをしたら!私が許さん!」、『そりゃ!たまには威張ることがあるかも知れんけんど!根は優しい男じゃき!』・・・

けんどのう!坂本さん!」と酩酊した弥太郎のおとう・弥次郎が絡んできた、『はあっ!?』、「わしゃ!弥太郎がそんなもんでは終わるとは思うちゃあせんぜよ!」、「そんなことは何んぜ!」美和が止めに入る、「侍が商売をするがは!ええ!けんど!それが商人と同じでは!いかんがやき!」弥次郎はすっかり出来上がり!ふらつきお膳につまずいた!「おとうやん!」皆が支えて弥次郎を起した「やかましい!自分が日本を支えると言う気概(きがい:強い意志)を持たんと!侍ではないでのう!」また躓(つまず)きひっくり返った、「おとやん!」息子の弥之助が必死で止めようとする・・・

『ええちゃ!ええちゃ!』龍馬が弥次郎の両肩に手を置いて言った『弥次郎さんの息子は自分いうもんをシッカリ持っちゅう!弥太郎には弥太郎だけの生き方があるがじゃき!』、「それは褒め言葉かえ!?」、『勿論ですき!』、「当たり前じゃき!」美和も嬉しそうじゃった、弥次郎も微笑んで言った「ほんなら!ええ!」、はははは~~~!皆んな~に笑いが起こって、弥次郎がまた踊りだした、龍馬も皆んな~も釣られて踊りだした・・・

龍馬が言うた通りに!弥太郎は己の道で成功すると決意しちょったがや!その夜も弥太郎は土佐商会の職場に一人居残って仕事に励んじょった、そこへ二人の上士がやって来て弥太郎に言った「まだ仕事をしゆうがか?」、『今日の取引に誤りがなかったか!見直しちょりました!』慌てた様子で認(したた)めていた帳簿や書類を風呂敷に包んで言った『何か!何か!お忘れ物ですろうか?高橋様の机にも!盛田様の机にも!何じゃあ残って居りません!』・・・

「その帳簿を見せてみいや!」と高橋が弥太郎に促した、盛田も風呂敷の書類も奪うように受取り、二人はそれらに目を通していった、「これは土佐商会の仕事ではないのう!」、「おぬし!何をしゆう?」、弥太郎はそれらをかき集め彼等から回収した、『わしは自分の商売をしゆう!藩の金を使うわけではないですき!』その場を離れながら『何じゃあ!悪いことでは!ないですろう!』と二人に浴びせた・・・

おんしを責める積りはないぜよ!わし等!おんしが土佐商会の主任を降ろされた事も!残念に思うちゅう!」、「同じ様に思うちゅうもんは!実は他にも居るがじゃ!」、「今!世の中は大きゅう変わろうとしゆう!これからは刀よりも!ソロバンが役に立つ時代になるろう!その仕事!わし等にも手伝わせてくれんかえ!」、「よろしゅう!お願いします!岩崎さん!」と上士が下士に頭を下げたがじゃ・・・

その頃、土佐では、象二郎のもと、藩の行く末について、喧々囂々(けんけんごうごう)の議論が始まっちょったがじゃ、「エゲレスから最新の武器弾薬を手に入れゆう薩長に、わし等が勝てる見込みは無いろう!」、「薩長を倒してまで!徳川を守る大義は無いがぜよ!」、「徳川の世は終わりが見えちゅう!」、「今はむしろ!薩長に味方すべきじゃ!」、未だに容堂公を動かせぬ苛立(いらだ)ちに駆られて思わず『喧(やかま)しい!』と怒鳴ってしまった・・・

龍馬が土佐に戻んて来たいう噂(うわさ)は一晩で城下に広がったがじゃ、龍馬は4人の竹馬の友がきと桂浜に来ちょった、「久しぶりじゃのう!龍馬!」、『まっことじゃ!皆んな達者にしちょったかえ?』、お~!お~!「龍馬!龍馬!最新の銃1000丁をお城に献上した言うがは!ほんまかえ!?」、「龍馬は徳川!と薩長!どっちと闘う積りぜよ!?」、少し間を空けて龍馬が答えた『徳川じゃ!』、オウ~~!「遂にながじゃ!遂に幕府を倒す日が着たかえ!?」、オウ~~!「いよいよじゃ!」・・・

そこへ上士の一行がやって来て「おい!」と龍馬等を呼びとめた、「坂本龍馬いうがは!どこに居るぜ!?」、『何ぜ!おまん等!』龍馬が前に出た、上士等は次々龍馬に罵声を浴びせた、「おぬし!下士の分際(ぶんざい)で大殿様に意見する気かえ?」、「後藤様をたぶらかして何を企んじゅう?」、「土佐藩を戦さに巻き込む気かえ?」、すると下士等も反論した「徳川と薩長が戦さを始めたら!土佐やて当然加わりますろう!」、「日和見は通用せんぜよ!」、おまん等は黙っとけ!何じゃと!黙っとかんかえ!上士と下士がいがみ合った・・・

止めや!』龍馬が刀を腰から外し、砂浜に正座した、「それでええがじゃ!」上士の嘲る声がした、「おまん等もじゃ!」、「膝間付かんかえ!」、その時、『はははは~~~!』龍馬が高笑った、「何んぜ!」、『下士が上士に膝間付く!土佐では!ま~~だ!こればあ!馬鹿馬鹿しいことをしゆうかえ!』、何じゃと!何じゃと!上士等が龍馬に詰め寄った、龍馬は立ち上がり素早く上士の一人の逆手を取った!・・・

わしが持ってきた!あの銃はのう!』、「離さんかえ!」、『こうして!』、「離さんか!」、『皆んな~~が!仲よう!手をつなぐための銃ぜよ!』、「離しや!」、龍馬はその上士の逆手を解いてやった、「ぜえ!いぬき!」、「この振る舞いは決して!許さんぜよ!」と吐き捨てて上士どもは去って行った・・・

高知城内では象二郎が容堂公の御成りを待っていた、「何やら城中が騒がしいようじゃのう!」と容堂が御付けと供に現われた、『大殿様!土佐藩も!もはや時代の流れに逆らうことは出来んがです!坂本龍馬に会うて下さいませ!』、「どういて!わしが!あの男に会わんといかんがじゃ!?」、『今の!今の!この!この世の中の流れを創ったがは!坂本龍馬で御座います!憎み合う薩長を結び付け!土佐と薩摩の盟約を取り持ったがは!あの男ながです!』・・・

おぬし!どういて!それを黙っちょった!」、暫らくの沈黙のあと象二郎が一気に口を開いた『妬(ねた)ましかったがです!妬ましかったがです!下士の分際で叔父上・吉田東洋様に認められ!脱藩もんでありながら!次々と!次々と!大事を成し遂げていく坂本が!妬ましかったがです!』、『大殿様!坂本龍馬に会うて下さいませ!お願い申し上げます!』、この時が遂に容堂が折れた瞬間じゃった・・・

龍馬が容堂公とのお目通りを許され登城(とじょう)して来た、象二郎が奥座敷で、龍馬が庭で土下座して、容堂公の登場を待った、やがて容堂が現われ、龍馬を見て言った「面(おもて)を上げや!」、『はあ~!』、「久しぶりじゃのう!坂本!」、『五年ほど前!勝麟太郎先生の書生をやっていたとき!一度お目にかかって以来に御座います!』、「おんし!土佐の脱藩じゃ言うことを隠して!わしに白々しい口を利いちょっのう!」・・・

龍馬が訴えた『大殿様!お願いが有ります!徳川慶喜公に政権の返上をお奨めする!大政奉還の建白書を書いて貰いませんろうか!?』、「それは直訴かえ!?」、『はい!』、「直訴いうがは!受け入れられんかった時には!腹を斬らんといかんがじゃ!」、『大殿様が!ジャレごとだと!思いになられたら!わしは!ここで腹を斬るがです!』、「ふふふ~~!あっははは~~!おんし!自分のジャレ事で上官に騒ぎを起したのを忘れたかえ!?」と言いながら奥の間の席に納まった、そして言った「吉田東洋を斬ったと大嘘をついたながは!?」・・・

『あれは武市さんを助けたかったがです武市さんは武士の鏡です!』、「あれに切腹を命じたがは!このわしじゃおんしの仲間達を殺して行ったのもわしじゃ!わしが憎うはないか?坂本!」、『憎いがです下士が上士に虐(しいた)げられちゅう!この土佐の有様が憎いがです!けんど!は私くしに教えてくれました!憎しみからは何んちゃあ!生まれんと!人を憎んでも!どうにもならんがです!憎むべきは!260年以上!続いて来た!この国の古い仕組みじゃき!』龍馬は立ち上がり座敷へ上がっていった、「無礼者!」と御付きが龍馬を止(と)めた・・・

(や)めや!」象二郎が御付きに命じると、龍馬から離れた、「申し訳御座いません!」象二郎が正座して容堂公に謝った、龍馬は座敷に立って続けた『大殿様!幕府も!藩も!もう!いらんがですこの国は新しゅう生まれ変わらんとイカン!それが!それが!大政奉還ながです!』、「将軍も!大名も!消えてしまうと言うがか?」と容堂が訊いた、『はい!武士という身分も!恐らく!のうなってしまうがです!』、何!黙れ!何を言うがか!と御付から罵声が龍馬に飛んだ・・・

「おんし!自分が!どればあ恐ろしいことば言いよるか!分かっちゅうがか!?」、『世の中が変わる言うことは!突き詰めて考えたら!今!わしが言うた様なことになるでしょう!』すると龍馬は膝間付き言った『この国は武士が力で治めるのではのうて!志しのある者が議論を尽くして!治めていく国になるべきではないですろうか!?』、龍馬は脇差しを前に差し出し、懐から巻物の書簡を出して容堂に迫った、建白書の土台となった“船中八策”じゃった『ここに!新しい日本の形が書かれちょります!』それを脇差に添えて言った『どうか!大殿様のご決断を!お待ちいたします!』・・・

すると容堂が立ち上がった、「大殿様!ご決断を!ご決断を!」象二郎も脇差を差し出し容堂公に迫った、容堂は立ったまま龍馬に言った「答えや!坂本!武士も大名ものうなってしもうた世の中に!何が残るか?何が残るがじゃ!?」、龍馬は明確に答えた『日本人です異国と堂々と渡り合う!日本人が残るがです!』、沈黙のあと容堂は柔らかく言った「刀をしまいや!」、そして「しまえ!」きつく言った、はあ~~!二人は脇差を腰に戻すと容堂ははけていった、それは直訴が通り!容堂公が建白書立案を承諾してくれた瞬間だった、龍馬と象二郎の目から熱いものが流れていた・・・

坂本家に戻った龍馬は遅い夕食を頬張っていた『うん!美味い!やっぱり坂本家の飯が一番じゃけ!』、「そうかえ!美味しいかえ!」乙女が横に就き、春猪がお茶を注いでいた、隣の部屋でサボテンの世話をしていた権平が言った「そりゃそうじゃ!龍馬が生まれた家じゃきのう!」、「御代りは?龍馬さん!」千野が進めた、『うん!頼むき!』、『けんど!兄上!この家も何やら静かになったねや!』、「そりゃ皆んな歳を取ったげじゃ!」と乙女が言う、「わしも父上が亡くなるまで!あと五年ぜよ!もう長ごうないのう!」・・・

『何を言われますろうか!兄上!兄上はまだ何ちゃあモウロクしちゃあせんですき!』、「けんど!わしが死んだら!この家は誰が守るがじゃ!?」、「そうじゃき!何時も言うろう!この家は私が守るぞね!」と龍馬を心配させまいと乙女が言った、権平が隣の部屋から来て言った「龍馬!坂本家の家督を継いでくれんかえ!?」、「お前さん!」、「そんな!龍馬を停める様なことを言うたちいかんぞね!」乙女が権平を牽制した、「分かっちゅう!分かっちゅうけんど!」権平も辛かった・・・

『待って貰えませんろうか!?』龍馬は権平の前に正座し直して言った『もうちょっとですき!もうちょっとで!わしの大仕事が終わりますき!その時が来たら!わしは必ず!必ず!この家に戻って来ますき!』、えっ!?ほんま!?、「ほんまかえ!?龍馬!」権平も嬉しかった、千野も「戻んて来るがかえ!?」、『はい!ほんまじゃき!もうちっくと!待ってつかわさい!』龍馬は権平に頭を下げた・・・その夜、月明りに照らされた縁側で龍馬が一人酒を呑みながら、やがてやって来る大政奉還の実現に思い巡らしていた・・・

その夜の同じ頃、城内では容堂公が酒を嗜(たしな)めながら象二郎に呟いた「わしが大政奉還の建白書を出して!慶喜様の怒りをこうてしもうたら!この山内家は御取り潰しになるかも知れん!」、『大殿様がお覚悟を持って建白されるならば!それに異を唱える家臣等は!この土佐には一人も居りません!』、容堂は盃を象二郎に差出し、その覚悟の誠意を示した、象二郎はその盃を有難く受けた、容堂はそこへ並々と酒を注いだ、象二郎はそれを一気に呑み干し、容堂公に返杯した、象二郎はその返盃にひょうたん徳利から並々注いだ、それを手にしながら容堂が力強く宣言した「武士の世を!終わらせるかえ!」そしてその返盃に口をつけた・・・

その夜遅くまで一人机に向かい建白書を創案し書き記していく容堂公の姿があった、“ 誠惶誠恐(せいこう、せいきょう:真心から恐れかしこまり)、謹(つつし)んで健言仕り候(けんげん、つかまつり、そうろう:もの申させて頂きます)。天下憂世(てんかゆうせい:天下の世を憂いる)の士(し:さむらい)、口を鎖(ショウ:ひらく)して言はざるに馴(な)れ候は誠(まこと)可懼(カク:恐れるべき)の時に候。・・・・・・

王政復古の業(ギョウ/わざ)を建てざるべからざるの大機会と奉(たてまつ)り存(あ)り候。猶又(なおまた)別紙御細覧被仰付度(こうむりあおぐたびにつけ)、懇々(こんこん:眞に)情難黙止(難しい情勢をほって置く)泣血流悌(ルイケツ、リュウテイ:血の泪を流す)の至(いたる)に不堪(堪えがたき)候。  慶応三丁(十支のひのと)卯(十二支のうさぎ)年九月   松平(有力外様大名に与えられた名誉姓)容堂 ”・・・

容堂公によって一気に書き上げられた建白書が“三宝(さんぽう)”に載せられていた、高々一藩を治めるに過ぎん山内容堂公が、徳川将軍に大政奉還を建白する言うがは、途方も無い決意をした末のことじゃったがじゃ、翌日、象二郎と龍馬が容堂公の前にひれ伏していた、龍馬が心から感謝して言った『まっこと!まっこと!ありがとう御座います!』、容堂はこうまで言ってくれた、「おんしが持って来た鉄砲1000丁!土佐藩が9000両で買い上げちゃる!(大儲けじゃ!確か弥太郎から手切れ金として譲り受けたものである!)」・・・

「けんど!わしは!それを徳川様に向ける気は無い!あくまでも!この土佐を守るためだけの武器じゃ!」、『有難き幸せに御座います!』、すると容堂は龍馬の横に胡坐(あぐら)をかいて言った、「坂本!」、『はあっ!』、「おんし!わしが!これを書くと信じちょったのう!?どういてじゃ?」、『それは大殿様が武市半平太の牢に来られたと聞いたとき!』龍馬は容堂に向き直って続けた・・・

大殿様は!大殿様は!今のそのお姿のように!武市さんと同じ地べたに座られ!“おまんは!ええ家来じゃったと!武市はわしの家臣じゃき!とご自分の脇差を差し出された!”と武市さんから聞いたからに御座います!武市さん!武市さんは!泪を流して喜んじょりました!』、そして容堂公は嬉しそうな顔をして、その場を去っていった、『ありがとう御座います!』、「ありがとう御座いました!」、龍馬と象二郎は深く頭を下げて容堂を見送った・・・

そして龍馬は三宝の上の建白書を手に拝して一礼した、『後藤様!まっこと!ありがとう御座いました!』、象二郎も感極まっていた、「坂本!」、『はあっ!』、象二郎はその場に立ち上がり龍馬に手を差し出した、『後藤様!』、そして龍馬も立ち上がり手を差し伸べ、二人は固く同士を誓う握手を交わした、二人の顔には大事をやり遂げた満足感に満ちていた・・・

翌日、これ以上、晴れ渡った紺碧の空は無いだろうと思われるほどに澄み切った秋の日じゃった、きっと好いロケ日を選らんのだろう、龍馬は一人桂浜に来て、波打ち際の小舟に座り、未来に目を向けていた、そこへ「龍馬!」乙女がやって来た、『姉やん!ははは~~!』、『わしは明日!京へ発(た)つがじゃ!いよいよじゃ!いよいよ正念場ぜよ!』龍馬は背筋を伸ばした、久しぶりに帰郷し坂本家の家族にも再会し、1週間に渡る最後の日であった・・・

龍馬!命だけは大事しいや!決して死んではいかんぞね!」、『姉やん!?』、「おまんの廻りには!なんだか敵ばかりに思えて!わたしは心配で堪らんぞね!」、『何にを言いゆう!何んを言いゆうがじゃ!姉やん!?』、龍馬は乙女の両肩に手を置いて言った『大殿様はのう!わしの願いを聞いて下さったがじゃぞ!後藤様やち!今やわしの味方じゃ!』、「そうやけんど!」、『姉やん!わしはのう!この大仕事を成し遂げたら!蒸気船に乗って!お龍を連れて!この土佐に戻って来るぜよ!』、「えっ!」・・・

『いつか姉やんに約束したろう!わしは一家!皆んな~~を連れて!世界を観て廻ると!憶えちゃせんかえ!?』、「勿論!憶えちゅう!清国!インド!」、龍馬は小枝を拾って砂浜に世界の地図を描き出した、『そうじゃ!アフリカ!これがヨーロッパじゃ!』、乙女も小枝を拾った「アメリカ!」、『もっとデッカイぜよ!アメリカは!』、はははは~~~!『わしはのう!姉やん等に広い広い世界を見せてやるき!』、「ありがとう!ありがとう!龍馬!」、『出立(しゅったつ)は来年の春じゃ!それまで楽しみに待っちょり!』、「うん!」、『うん!楽しみじゃ!』、ははは~~!「まっこと!まっこと!楽しみじゃ!」、『そうじゃのう!早よう春が来んかのう!』・・・

すると乙女が小枝で龍馬のケツを「エイ~~!」と打った、ははは~~!『何をするがぜ!姉やん!』、「龍馬!久しぶりに!どうぜよ!」と乙女が身構えた、『やるかえ!』、「えいっ!」、乙女が龍馬の小枝を払うと真っ二つに飛んだ、『なんちゅう力じゃ!』、「はははは~~~!龍馬の負けじゃあ!」、乙女は直も龍馬に攻撃をかけ龍馬の足を払った、龍馬が飛び跳ねそれをかわした、たあ~~~!二人は幼子に帰って何時までも無邪気にじゃれ合っていた、エイ!エイ!あっはははは~~~!・・・これが龍馬にとって最期の帰郷となることは二人には知る由もなかった、龍馬に残された時はもう40日しか無かったぜよ!・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする