Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第34話“九州出陣~前編!” 2014年8月25日

2014-08-25 14:01:19 | 日記・エッセイ・コラム

九州統一を狙う薩摩の島津は豊後のキリスタン大名・大友宗麟を圧迫していた!耐え切れなくなった宗麟は大坂城に関白秀吉を訪ね、一日も早い出陣を要請して援助を求めた、今までに無い遠い地での戦には時がかかる!此度も、関白殿下の名代となって闘い、島津侵攻を食い止め宗麟援護の先鋒を担ったのは黒田軍であった!「官兵衛殿、何卒お助けぐされ!」、『必ずや!』、官兵衛は懐から十字架を取り出し同じキリスタンの宗麟に見せ安心させた!・・・

官兵衛は中国の毛利勢と合流し豊前へ九州入りすることとなった、黒田軍に呼応し蜂須賀軍も四国の長宗我部勢を率いて九州へ向かう、黒田軍は3000の兵を率いて7月の出立となった、官兵衛におともするのは善助、太兵衛、九郎右衛門となった、長政と又兵衛と大坂・黒田屋敷の留守を預かることとなった、長政は又兵衛と協力して殿下の傍に張り付き、大阪の様子を逐一官兵衛に報告する役目を担った、早速仕度に係ろうとした時、小六が倒れた!?と云う知らせが入った!光も、父を案じて長政の嫁・お糸も同伴して全員で小六を見舞った、小六は力なく寝床に横たわり傷心しきっていた!・・・

小六は娘・お糸の事を心配していた、光が言った『ご安心ください、糸は黒田の立派な嫁で御座います』、「父上、しっかりご養生してくださいませ!」とお糸は父の背に手をかけて励ました、官兵衛は「小六殿が元気にならねば豊臣の天下統一もおぼつきませぬ!」と激励した、小六は官兵衛を生涯の友として慕っていた、しかし天正14(1586)年5月22日、殿下の天下統一を目前にして、蜂須賀小六はこの世を去った!そこへ秀吉も駆けつけ小六の死を看取って、小六の亡骸にすがり号泣していた!・・・

小六が逝って兄じゃを支える古株は官兵衛とわし秀長だけになってしもうた、秀吉は九州攻めの折には小六に四国勢を取り仕切ってもらうことにしていたが、一から考え直すこととなった、『焦りは緊密で御座います、殿下のご出陣は東の徳川が上洛してからが宜しいかと!それまでは、それがしにお任せを!』と官兵衛が一案を提じた、「家康はこのわしを攻めるところではない!のう三成?」と秀吉が訊いた、長久手の戦い後、家老の石川数正が家康のもとを去って、徳川の家中は揺らいでいるに相違ない!と三成が答えた、『どうか、考えて下され、裏切りによって家中が乱れるか、かえって結束が強まるか、それは主君の器次第!』と官兵衛は三成に反論した!・・・

「官兵衛、お主は家康の器量をどう見る?」秀吉は官兵衛の前に座り訊いた、官兵衛が答えた『殿下を長久手の戦にて破った男で御座います!徳川家の結束は寧(むし)ろ強まったと観るべきでしょう!』、三成が反論した「ならば如何して?徳川と戦うなと仰せになったのは黒田様で御座います!」、『戦わずして上洛させるしかあるまい!それには殿下の度量の大きさを示し、この男には逆らえぬと得心させるしかありませぬ!』と秀吉に言った、「官兵衛、家康には正室が居なかったのう?」と秀吉は悟った、そここそが官兵衛の考えていた家康の盲点だった!・・・

そこで秀吉は浜松の家康に文を送って、妹の朝日を家康に嫁がせたいと言ってきた、秀吉の妹なら相当歳を喰っているだろう!?と真に御座いましょうか?小生は疑問に思った??「関白の実の妹とあっては断れまい!」、えっ!本気でしょうか??と小生は家康を疑った?幾つで御座いましょうか?四十四とのことじゃった!?世継ぎの子は出来ぬのでは?よく考えれば家康とはお年頃の相手でもあった!その相手とお見合いのため上洛なされますか?何か裏がある!危のう御座います!何か罠に相違ないのでは?「くれると言うなら貰っておく!それだけのことじゃ!」家康は本気だった!思い切った手を使った秀吉の方もだが、それに乗った家康もどうかしている!?・・・

官兵衛はこの経緯の流れをこう見ていた、『殿下の妹君を受け入れたということは、徳川には殿下に事を構える気はないと言うことじゃ!』、家康との一件は一応収まったようで、黒田軍はいよいよ九州攻め仕度に懸った、出陣の日程が7月の25日に決まった!官兵衛に従う毛利勢の仕度は、ご当主、毛利輝元様を御大将に、吉川様、小早川様の両勢も各々出陣の構えにあったのか!?此度は毛利は全軍での出陣になったのか!?しかし、これは殿下の命であった!『此度は長陣になる!よって暫くは戻らぬ!糧穀の手配を頼むぞ!』と光に頼んだ、『殿を御見送りしたあと、播磨へ戻る所存に御座います、お任せ下さい!』・・・

光は十字架をそっと官兵衛の首にかけた、「光、相談もせずキリスタンになって済まなかった!キリスタンの教えがわしを救ってくれると思ったのだ!」と官兵衛が詫びた、『いいえ、私にも教えてください!』と光はおねだりした、「人に教えるほど、まだ詳しくはない!」と照れた、『ゆっくりで良いのです、殿の御心を知りたいだけで御座います!』と光は別れを惜しんだ、一同が打ち揃い出陣の用意が出来た、「長政、油断なく殿下にお仕えせよ!」、はっ!「行って参る!」光に別れを告げた、『御武運を!』と光は見送った!・・・

安芸・新荘(しんそう)城の吉川元春の屋敷に、小早川隆景が訪れ関白殿下が毛利勢全軍に九州出陣を命じたことを伝えてきた、勿論、兄上である元春軍にも出陣の要請があったことも、「殿下?お前は何処の家の者じゃ?」と元春は乗り気でなかった、「兄上は豊臣から疑われております!高松城の時、秀吉に追手を差し向けろと言い張ったこと!賤ヶ岳の折、柴田勝家と手を結ぼうとしたこと!豊臣に逆心無きことを見せねばなりませぬ!」・・・

「気に入らねば、わしにも元治の様に切腹を命じればよい!毛利が秀吉の家臣となって働くのは、生き残るには止むを得ずかもしれぬ!しかし、このわしまでもが秀吉に膝を屈し、奴の下で働いては、死んでいった者等に申し訳が立たん!わしはこの隠居所で好きな物語などを読んでここで死ぬ!隆景はこれ以上兄じゃを責めることは出来なかった!秀吉を憎む春元はどうしても秀吉の九州攻めには参戦する気はなかったようだ!毛利の行方はどうなってしまうのか!?・・・

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高石ともやとSing・outの夕べ♪♪ 2014年8月24日

2014-08-25 01:05:20 | 日記・エッセイ・コラム

昨日23日10時から、近くの氷丘公民館で開催された加古川市スポーツライフ・セミナーに参加した、途中、町内にお地蔵さんがあるが、そこでおばさんたちが集まって雑談しながら村の守り神”道祖神”を祀る地蔵尊祭りを開いていた、小生がカメラを向けると、『寄って行き!お茶も、お菓子もあるから!』と声をかけてくれた、お茶コップに一杯飲み干し、アイス・キャンディ1本貰って公民館へ急いだ、20人ほどの参加だった、身体を使う方は良かったが、“指ずらし、数かぞえ”、“指梯子の昇り降り”、“一人じゃんけん”、“あとだしじゃんけん”だの脳の働きを促すコォーディネーション・トレーニングには手こずった!・・・

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今日は朝から夜遅くまで忙しい一日だった、11時から2時過ぎまで母校、加古川西高・松筠(しょういん)同窓会会員大会2014が加古川プラザホテル2F“鹿児の間”で行われた、式典の後、アトラクションに移り、母校の女性ばかりの吹奏楽部が“宝島、宇宙戦艦ヤマトメロディ、ジャズナンバーLet's swing、松田聖子メロディ”を見事に演奏してくれた、アンコールには母校西高の校歌のおまけも付いた!女学校時代も入れ1回生から今年入学の66回生まで同窓生の総数が3万5000人を越したらしい!・・・

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今回は我等12回生が12人も集まり1つの回転式丸型テーブルを占領した、冷たい瓶ビールを飲みながら美味い料理を頂きながら若き時代の思い出話に花が咲かせた!校歌斉唱、万歳三唱、閉会の挨拶のあと懇談会は終了した、ホテルを出るとその脚で直接、加古川労音35周年記念・高石ともや平和コンサートの会場となっている鶴林寺の講堂へ急いだ、市役所辺りに来ると突然バケツをひっくり返したような豪雨が降り出した!その土砂降りは鶴林寺に到着しても降り続いていた!・・・

お蔭で小生は頭から足の先までずぶぬれsoaking・wetになってしまった!講堂に入ると高石ともやのリハーサルの最中だった、6時30分の本場までには時間がたっぷりあったので、タオルで衣服を丁寧に拭いていった、我々オープニング演奏役を務める加古川労音と、播州労音韓国舞踊愛好会“サムルノリ”のリハーサルが始まる4時30分頃には大体乾いて来た!本番が始まるまで雨は止んだり降ったりを繰り返していた!・・・

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リハーサルを終えた後、住職同伴で講堂の裏に回って大東亜戦争護国之神鷲“特攻隊忠魂碑”に花を手(た)向け詣でた、この碑は加古川・寺下町にあった特攻隊員指定旅館“中村屋”の軒先にあっものが、区画整理のため鶴林寺に移設されてきたものである!戦時中、近くの尾上飛行場は特攻隊の給油所と整備工場にもなっていた、この尾上から特攻隊員たちは帰られるとも知らず、フィリピン、台湾、知覧、南薩摩・万世(ばんせい)、鹿屋、都城、等へ飛び立っていったのだ!・・・

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6時半に本番が始まった、サムノリエのあと、我等加古川労音は平和の歌声2曲、“折り鶴”と“一人の手”を無難にこなした、講堂は150名以上の観衆で埋め尽くされ満席となっていた!我等の前座が引けたあと、日本語フォークソングの草分けであり、ホノルルマラソン連続38回出場を果たした高石ともやが登場した、彼は笑顔いっぱいに例の絶妙な“語りフォークソング”で聴衆の心に語り掛け、お坊さんの様に安らぎを施していった!皆んなはその語りに陶酔した!昔、聞き覚えた、京都祇園祭り・宵々山フォークコンサートに流れたナンバーが、ともやさんの先導で自然に口からほとばしり、会場は大合唱となって響き渡った!・・・

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1時間ほど時間が押して、コンサートが終わったのが9時を過ぎていた!片付けを終え、帰宅したのが10時半頃だった、行きたかったが予定していた打ち上げ参加をキャンセルした、入浴を済ませると11時を過ぎた、強い雨のお蔭で今夜は扇風機なしに寝れそうだ、しかし天気予報によれば明日からまた酷暑が戻ってくるらしい!やれやれ、今夜の軍師官兵衛、第34話“九州出陣”は明日25日に前編を、明後日26日に後編をお届けすることにしよう、あしからず!(-_-)zzz・・・

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