Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

右目の白内障進行す 2009年2月8日

2009-02-08 15:37:05 | 日記・エッセイ・コラム

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昨夜の加古川総合文化センター音楽練習室1での立ち稽古5で、2月14日本番の加古川シティオペラ結成20周年記念ガラコンサート“バレンタイン・プレゼント”のための全ての練習が終わった、あとは次ぎの金曜日18時30分から青少年女性センターでのリハーサルを残すのみとなった、練習後、田代恭也代表からある1大発表があった、それは加古川シティオペラ・ジュニア団体“Cerchio チェルキオ”の結成と入団オーディションの発表であった・・・

加古川市と近郊にお住まいの歌とお芝居の大好きなジュニア(小学1年生~高校3年生)の皆さ~~ん!!平成21年4月11日(土)13:30スタートの“入団オーデション(募集定員40名)”に加古川市青少年女性センター4F大会議室まで大集合で~~す!!保護者の皆さんよろしくで~~す!!お問い合わせはチェルキオ専用電話090-8528-5334までお願いしま~~す、アラベスクホールでの旗揚げ公演が平成22年2月6日(土)に企画されていま~~すヽ(^。^)ノ

話は全く変わってますが・・・着いて来てください・・・20年前小生47歳の時、当時小生、シスメックス試薬生産部の血球成分分析測定器用試薬・ガラス/ポリ小容器充填ライン・オペレーターを任されていた、冷蔵保存された試薬を取り出すため冷蔵室に入るたび曇るメガネに不便を感じていた、そんな頃、百瀬皓(あきら)著書“近視と近視手術”を読んで近視矯正手術を知った・・・

確か昭和63年(1988年)の10月か11月頃、前任の先輩に小容器アンプル充填ラインの仕事を頼み、会社から2週間ほど有給休暇をとって群馬・桐生市梅田町にある“目の総合病院「財団法人臨床眼科研究所附属病院(百瀬皓院長)」”に入院した、今では安全で高い視力回復が期待できるレーシック手術があるが、当時最先端近視矯正手術といわれた“R-K(Radial Keratotomy 放射状角膜切開手術)”を両眼に受けた経緯がある、そこの病院には全国から多くの近視眼をもつ人々や色んな目の病に侵された人々が集まっていた・・・

同じ病棟に入院しR-Kを受けた仲間の中には正常な視力が要求される何人かの競馬騎手や競艇選手の卵達やパイロット志願者達がいた、手術前には4日間ほど多岐に渡る必要不可欠な精密検査があった、当時小生、精力的にマスターズやマラソン大会などに出場して中・長距離の自己ベストを次々塗り替える絶頂時にいた、マラソンでの自己ベスト3°08′44″30を出したのも前年の1987年であった、検査後夕刻ジャージに着替えて静かな山間にある病院を抜け出し、ジョギングして街へ下って行き、生糸織物の工場が点在する桐生の町を散策したものである、今思い出しても懐かしい桐生の街並みが脳裏に浮かぶ・・・

同室の中間達が手術日が決まり次々R-Kを受けて行った、ついに小生の手術日が決まり、当日シ~~んと静まり返った手術室に運ばれ、眼球に部分麻酔されまな板の鯉となった、しかしモニター映る手術の模様は音声付で観て取れた、隣の手術台では院長の百瀬医師が熟年の女性に白内障のオペを施していた、が一人の女性オペスタッフの準備が不充分だったのが気に障(さわ)ったようで彼女に彼の人格を疑うような物凄い罵声を浴びせていたのが聞くに耐えがたかった、恐らく当時R-K手術の第一人者だった百瀬院長のワンマン経営ではなかっただろうか・・・

小生のオペを担当したのは百瀬医師の一番弟子の金医師であった、やがて大きく開かれた小生の眼球めがけてメスが近づき痛みはないがス~~ス~~と切込みが入れられていくのを感じていた、近い将来来るであろう老眼のことを考えて角膜内皮細胞にダメージの少ない最少線となる4本の放射状切開線が入った、左より右目の方が少し近視度が高かったので多少深めに切るとのことであった・・・

無事に手術が終わり顔全体包帯に巻かれ、絶対安静の個室のベッドに寝かされた、麻酔が切れる夜中ごろからズキンズキンとうずいたあの痛みは今でも蘇ってくる、確か丸一日ほど経ってから包帯が取り除かれた、ハッキリ見えていたが視界は奇妙に小さく眼球全体が突っ張っていた、この強張(こわば)りが取れるまでは2~3日かかり、また視力が落ち着くまで1週間ほどかかるとのことだった、退院する頃には見え方も大分落ち着いていた・・・

確か1ヵ月後最初の術後健診のため再度桐生くんだりまで戻っていった、夜行バスで東京・八重洲口に早朝着き、確か浅草まで出てから東武線に跳び乗り、小山から両毛線に乗り換え桐生にたどり着き健診を受け、その夜東京からまた夜行バスで帰ってくるハードスケジュールなものであった、こんな旅を半年の間に5回ほど繰り返しただろうか、車運転のための軽い近視のメガネを作って持っていたが視力は0.7ほどに落ち着きメガネ無しの裸眼で日常生活を贈っていた、まぶしく見える“グレア”と放射状切り込み線状に光が広がる“スターバースト”も徐々になくなって行った、ただこのR-Kの欠点は、個人差はあるだろうが、年月が経つに連れて放射状切開線は癒され浅くなり、瞳孔上の膨らみが少なくなって行き、元の視力に近い状態に戻っていってしまう傾向があることである・・・

65歳頃老人健診で軽い白内障があると行きつけの曽谷眼科医院で判明していたが、昨年8月67歳になって以来、最近ここ数ヶ月、右目がこわばり目の疲れが気になっていた、一昨日仕事から帰宅後、思い切ってその曽谷眼科に出向いてみた、小生のR-K手術の経過を診て知っていたその眼科医は視力から眼圧、眼底検査、角膜内皮細胞検査まで全てやってくれた、その結果判明したことは直ぐ切羽詰って手術をする必要はないが、左目に比べて右目の白内障が大分進行していた、網膜には曇りもなく綺麗で何の異常なく、眼圧もOKで視神経も正常であった、しかし右目の水晶体の曇りの所為で視力が0.2に落ち遠近とも矯正不能になっているとのことであった、左目の視力矯正は何の支障もないが、右目の視力矯正を取戻すためにはどうやら白内障手術しか他に道はないようである、新しく左目の眼鏡用の処方箋を作って貰って帰宅した・・・

帰宅して家内に右目の瞳孔を覗いて貰ったが、また小生も鏡を観て瞳孔の中を覗いたが濁りらしきものは見えなかった・・・あとは手術日をいつにするかであるが、白内障手術自体は濁った水晶体を取り除いて替わりに焦点の合う人口のレンズに入れ替えるという簡単なもので入院無しで通院で済むらしい、その眼科医、フィルムを小生に見せながら曰く、検査の結果R-Kを受けた右目の角膜内皮細胞もシッカリ詰まっていて白内障手術に耐えられるであろうとのことである、小生、手術日を現在勤めている山角デイケアセンターでの雇用契約が切れる3月31日以降にすると決めることにした、3月31日までにその眼科医に手術を受ける旨を伝えることにしよう・・・

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