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まらずもう再興から2年~玉椿広報部長にきく~

2011-08-05 09:00:00 | まらずもう新聞編集部のまらずもう分析

 

― 平成21年名古屋場所に、日本まらずもう協会が江戸時代以来断絶していたまらずもう興行を再興してから、2年がたちました。きょうは、まらずもう再興の中心メンバーのひとりである、玉椿広報部長に、この2年間のまらずもう界について、またこれからのまらずもうがどうなるかについて、お話をうかがいたいと思います。よろしくお願いいたします。

(玉椿広報部長) 「あー、どうもどうも」

 

― まずは、江戸時代以来興行が行われていなかったまらずもうを再興しようと思い立ったきっかけをお聞かせください。

(玉椿) 「・・・そうねえ。わしも30歳を過ぎたころから朝に勃起しなくなってきたんだよ。こりゃインポかもねえ、歳だからしかたないよねえって、なんとなく理事長に話をしたらさ、あいつどっかから薄汚い和綴じ本を引っ張り出してきてさ。江戸時代にはこういう遊びがあったらしい、おまえもやってみろ、と。あいつ怖いからさ。断りきれなくてさ。んで土俵に上がることになったわけだよ」

 

― その最初の場所で1勝14敗。

(玉椿) 「いやあ、あせったよ。夜勤の仕事をしていて睡眠時間が不規則っていう事情もあることはあったけどね。ここまで勝てないとは思ってなかったからね。」

 

― しかし、翌9月場所は10勝5敗と立ち直られました。

(玉椿) 「戦い方がわかってきたということだよね。勃起しやすい時間帯に目覚ましをセットするとか、食事と運動に気をつけるとか、試行錯誤しながら戦い方を探していた頃だ。この頃は土俵に上がっていてもたのしかったよ。」

 

― 11月場所には池男王子が入門、これは大きかったんじゃないですか?

(玉椿) 「そうだね。池男王子の入門は大きかったね。ほしの山ひとり体制はやっぱり無理があるしさ。このあと新弟子の入門があいついだのは、かれの入門が呼び水になったわけだしね。現在の協会の隆盛の最大の功労者は池男王子かもしれんね。」

 

― それから、『まらずもうブログ』の開設もこの時期です。

(玉椿) 「あのころの『まらずもうブログ』をいま読み返すと、文章が若いね。さいきんは大量の記事をさばかなくちゃいかんこともあって、ほとんど脊髄反射で文章を書いちゃってるけど、当時は記事にふさわしい文体を手探りで探していたからねえ。文体がへんにくだけているわりに、どこか硬さがあったりして、どう書こうか迷ってる感じがおもしろいね。」

 

― 22年1月場所には番付表の発行もはじまり、ほぼ現在の体制が完成しました。

(玉椿) 「ああ、この場所入門したのは、雲虎・玉太田・摩羅の川・汚痔の山か。すごいメンバーが同期入門なんだねえ。大相撲でいえば、曙・貴乃花・若乃花・魁皇あたりが昭和63年3月入門の同期生だけど、こりゃそれに匹敵するねえ。理事長が番付をつくりたくなる気持ちもわかるよ」

 

― それ以降はだんだん力士数もふえ、順調に発展してきたように見えますが・・・。

(玉椿) 「そうだねえ、毛呂乃っていうスター力士が生まれたのが大きかったね。雲虎―毛呂乃戦っていうプロ野球でいえば読売―阪神戦みたいな興行の柱ができたしね。」

 

― 現在のまらずもう界は、雲虎・毛呂乃の二枚看板に、摩羅の川・汚痔の山らを加えた戦国時代を迎えています。興行的には順風満帆に見えますが、この状況は玉椿広報部長からはどのようにご覧になられますか?

(玉椿) 「そうだねえ。優勝争いは激しくなってきたよね。しばらくしたら下から家満あたりが上がってくるだろうし、勝率9割があたりまえ、1敗したら優勝争いから脱落って状況が続くだろうねえ。協会としてはさ、勝率5~6割くらいの月乃猫とか蒼狼とか飛埒王とかさ、そのあたりの力士のモチベーションを下げない方法を考えんといかんわね。ま、優勝が無理でも三賞っていう目標もあるからね」

 

― 今後の協会の課題は、中堅力士のモチベーション維持、ということでしょうか?

(玉椿) 「いや、それよりもさ。最大の課題は新弟子が減ってきてることだね。とくに来場所は池男王子と家満が十両昇進だろ? 十両以上の関取の層はだいぶ分厚くなってきて、それ自体は非常にめでたいんだが、そのぶん幕下以下が薄くなってきたんだよね。下から突き上げるやつがいないと、どうしても土俵がマンネリ化してくるし、頭でっかちの人数構成だと、バランスのいい番付表を書くのもむずかしくなる。ひとりでも多くの新弟子に入門してもらって、まらずもう界に新風を吹き込んでほしいね」

 

― さいきん、一部のファンから、名古屋場所14日目の雲虎戦の記事などについて、協会は「二度寝作戦」に対する扱いが厳しすぎる。あれも立派な作戦のひとつとして認めてもいいではないか、との声が上がっています。広報部長がが二度寝作戦に対して冷たい態度をとるのは「高くなりすぎる優勝ラインを下げたいから」と推測する向きもありますが?

(玉椿) 「んー? 厳しいかねえ? まあ、たしかに優勝ラインを下げたいという気持ちは否定せんけどね。んでもさ、そもそも奈良時代から平安時代あたりまでは、まらずもうってのは吉凶を占うために行われていたわけだよ。そんときに、『勝つまで寝なおします』ってのは『大吉がでるまでおみくじを引き続けます』みたいなものでさ。まらずもうのルーツを考えたら、そりゃ正攻法とは言えませんわね。そりゃ私だって、スポーツ化した現代のまらずもうにそこまで厳しいことは要求しませんよ。審判部としては二度寝しても『勝ち』と認めているしさ。んでも、まらずもうブログでお叱りのコメントをつけるくらいは許してもらえないかねえ。ある程度の節度を持ってもらえればさ、こっちだって『7勝7敗で迎えた千秋楽に、せっぱつまって二度寝しちまった』みたいな事情まで叩くような野暮な真似はしませんよ」

 

― 今後、協会としてこういうことをやってみたい、手を広げたい、という将来のビジョンについてですが・・・?

(玉椿) 「・・・うーん、手を広げるってもさ、わしと大黒柱理事長の二人体制じゃ、事務局の人手が足りないからねえ。人手に余裕があるならコミケにまらずもう本を出してみたいとか、そういう夢はないわけじゃないけどさ。・・・まあ厳しいだろうねえ。ただ、まらずもうの理論的な研究はちゃんとすすめんといかんなあ、とは思っておるよ。ブログで連載中の『まらずもうの歴史』も中途半端なところで止まっているし、決まり手の整理分類もぜんぜんすすんでないしね。よくさ、理論と実践は車の両輪だって言うけど、どうも理論のほうが置き去りになってるね。これは反省点だ。」

 

― きょうは玉椿広報部長にお話をうかがいました。ありがとうございました。

(玉椿) 「いや、こちらこそどうもどうも」

 

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