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まらずもう物知り帳(13)四股名「玉椿」

2010-04-16 10:29:31 | まらずもう物知り帳
【まらずもう物知り帳(13)四股名「玉椿」】

 ほしの山の「玉椿」襲名が発表されました。本場所を挟み、この連載も間隔が開いてしまいましたが、前回はちょうど「力士と四股名」でした。そこで今回は、ほしの山が襲名する四股名「玉椿」についてご紹介しましょう。
 大相撲では、平成に入ってからも「玉椿」を名乗った力士は存在し、序ノ口から玉椿を名乗り、三段目で引退したのが最も新しい玉椿です。大相撲ではこのように序ノ口力士でも名乗れる名前ですが、まらずもうではこの名前はもっと重い存在です。それは「椿」の音読みが「チン」であるから、ということは前回の連載でも、またほしの山の襲名報告でも語られた通りです。
 大相撲でもっとも有名な玉椿は、明治期から大正初期にかけて活躍した関脇・玉椿憲太郎です。といっても、一般のファンの方にはなじみが薄いでしょうから、玉椿憲太郎について簡単にご説明しましょう。玉椿は身長160cmにも満たない小兵ながら関脇を務めた異能力士で、ついたあだ名は「ダニ」。当時の大横綱・常陸山もその実力を認めており、身長の低さを生かし相手の懐に潜り込み、頭をつける取り口でした。と、ここまで書けば「玉椿」という四股名がいかにほしの山にふさわしいかは説明するまでもないでしょう。ご存知のとおり、ほしの山は、まらの小ささを生かし腹の肉に潜り込んだ体勢から、皮に頭をつける取り口なのですから。
 大相撲の横綱・千代の富士はその眼光の鋭さから「ウルフ」とあだ名されましたが、こう呼ばれだしたのはまだ若手のころです。当時の千代の富士は、「動物のあだ名がついた力士は出世するんだ。横綱栃錦は「マムシ」、若乃花は「土俵の“鬼”」だろう?」と励まされたといいます。明治期の玉椿についたあだ名は「ダニ」でした。「鬼」まで「動物」に含められるなら、ダニも立派な動物です。みなさん、これからはほしの山改め玉椿の出世を願い、どうか彼を「ダニ」と呼んでやってください。
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