フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月25日(金) 晴れ

2011-11-26 00:49:33 | Weblog

  8時、起床。挽肉のそぼろとご飯の朝食。

  9時前に家を出て大学へ。電車の中で『平成幸福論ノート』を読む。

   「昭和的感性は、いまだに社会制度のみならずい、人々の幸福感にも大きく影響を与えている。それは、現在の日本人の根っこのところに今なお強固に根ざしており、これを「排除」するのは至難の業である。たとえ平成生まれの者でも、いやそれゆえに「保守化」し「昭和志向」になっているのは、本文で述べたとおりである。したがって、「昭和の魂」は、邪険に扱うのでもなく、古いと一蹴するのでもなく、「鎮魂」するのが最も適切な手段のように思う。」(「あとがき」より)

  鎮魂か・・・。私は1954年、高度成長のとば口で生まれ、小中学校時代は1960年代と重なっている。1969年―72年の若者たちの反乱と終焉の時代には高校生だった。大学に入学した1973年は生産社会から消費社会への転換を促したオイルショックがあり、結婚した1983年には「虚構の時代」(見田宗介)を象徴する東京ディズニーランドが開園した。バブルの時代には非常勤講師や助手で糊口をしのぎ、放送大学に職を得たのはバブルの崩壊が始る1991年だった。それからの「失われた20年」は大学教員としてやってきた。人は生まれる時代を選ぶことはできない。昭和的感性は自分の中にしみこんでいる。それを「鎮魂」することもやはり困難な業ではあるが、当初は一時的なものと楽観視されていた平成不況が「失われた10年」となりさらに「失われた20年」として常態化する中で、自分が生まれ育った時代が特殊な時代であったのだという認識をいやがうえにも持たざるを得なくなっている。一つの時代的感性の中で一生を終えることが至難の業なのである。

  10時から教務室で面談を一件。昼食はミルクホールで購入した菓子パン2つとコーヒー。昼休みに面談をもう一件。

  1時から教務事務連絡会。

  3時から本部で教担主任会。引き続いてFD推進委員会。5時前に終了。

  戸山キャンパスに戻る途中で、「maruhar」で早めの夕食をとる。


里芋と茸の味噌スープ、maruharuサラダ、バケット


ベトナム風お好み焼き


プディング

  6・7限はゼミ。6限は3・4年合同で、4年生のゼミ論報告を聞く。7限は学年別に分かれて、4年生は引き続きゼミ論報告。3年生はブックレビュー。本田由紀編『若者の労働と生活社会』(大月書店)と金泰明『欲望としての他者救済』(NHKブックス)の2冊。


本日のスイーツは彩り豊かなクレープ

  大学からの帰りあゆみ書房で吉田篤弘『木挽町月光夜曲』(筑摩書房)を購入。『それからはスープのことばかり考えて暮らした』の著者の初エッセー集である。