フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月29日(金) 晴れ

2008-02-29 23:59:59 | Weblog
  今日は暖かな一日だったが、自宅から出ることなく過ごした。今日中に片付けなくてはならない仕事が急に入ったからである。過去に行なった社会調査実習(社会学演習Ⅲ)を社会調査士の資格科目として遡及的に認定してもらうために実施年度ごとに「調査実習概要報告書」というものを提出しなくてはならないのだ。私の場合でいうと、2003年度、2004年度、2005年度の3回分である。それぞれA4で一枚のもので、分量としては大したことはないのだが、なにしろ過去の話であるから、細かいことは忘れてしまっている。それぞれの調査報告書を書棚から取り出して、読み返し、記憶を蘇らせる必要があった。あんなことがあった、こんなことがあった、あんな学生がいた、こんな学生がいた、と感慨に耽りながら、3通の「調査実習概要報告書」を作成した。
  今日で2月は終わり、明日から(このフィールドノートを書いている時点ではすでに今日から)3月である。谷川俊太郎の詩に武満徹が曲を付けた「三月のうた」という歌がある。

  わたしは花を捨てて行く
  ものみな芽吹く三月に
  私は道を捨てて行く
  子等のかけだす三月に
  わたしは愛だけを抱いて行く
  よろこびとおそれとおまえ
  おまえの笑う三月に

  私はこの歌を石川セリのCD「SERI: TORU TAKEMITSU POP SONGS」で聴いた(ちょうどいまもそのCDを聴いている)。元々は1965年の堀川弘道監督の映画『最後の審判』のために作られた歌である。映画の内容は、「三月のうた」からは想像できないような、男女の愛欲物語である。きっとこのギャップがよかったのではないかと想像する。(当時、私は小学校5年生だったから、そういう映画は縁がなかった)
  ずっと学校という場所にいるせいだろう(ある時期までは生徒・学生として、ある時期からは教師として)、私にとって三月は別れと出発の季節である。笑って別れようではないか。笑って見送ろう。

          

2月28日(木) 晴れ

2008-02-29 02:19:58 | Weblog
  昨日の深夜、ブックレットの再校(すでに内灘出張の前にチェックを済ませて学文社に返送してある)を何気なくもう一度読み返していたら、二箇所、チェック漏れの箇所を発見してしまった。今日、朝一番に学文社に連絡を入れ、まだ修正が間に合うかを問い合わせた。滑り込みセーフだった。ふう。ベーコンエッグ、トースト、紅茶の朝食。
  今日が締め切りの現代人間論系の学生のための「履修モデル」を作成し、助手のAさんにメールで送る。これはゼミを担当する教員が、自分のゼミを志望するなら専門演習はこれこれ、講義はこれこれを履修しておくことを勧める、というふうに科目履修のモデルを提供するものである。文化構想学部には1年生のときの基礎科目(基礎講義、基礎演習、基礎外国語)以外には自動登録の科目というものがなく、膨大な科目群の中から、自分でオーダーメイドの時間割を組み立てなくてはならなにので、「履修モデル」のようなものがないと五里霧中に陥ってしまう恐れがある。「履修モデル」を作ってみてそのことを実感した。履修してみたい科目がたくさんあるのだ。危うく自分が五里霧中に陥るところだった。
  昼食は息子と一緒に外に食べに出る。「インディアンカレー」(蒲田店)で支那そばとカレーライスのセット(TVのB級グルメ番組で何度か紹介されている)を食べる。支那そばの淡白なスープとカレーライス(色はハヤシライスのようだ)の苦味のあるルーの組み合わせがポイントである。その後、息子は大学へ、私は東京都写真美術館へ。恵比寿までは一緒である。車中では、電車のつり革や網棚や支柱に関する人間工学的な話をずっとしていた。おそらく家族の中で、社交的会話が一番成立しやすいのは父親ー息子の関係であろうと思う(社交的会話とは、互いの私事に踏み込まないで、交わされる会話のことである)。
  東京都写真美術館では、アボルファズル・ジャリリ監督の映画『ハーフェス ペルシャの詩』を観た。教員ロビーの前の廊下の壁にポスターが貼ってあって、気になっていた映画だった。イラン映画だが、『時効警察』でおなじみの麻生久美子が出演している。

  「シャムセディン(メヒディ・モラディ)はコーランを諳んじている者だけに与えられる称号を受け“ハーフェズ”と呼ばれるようになり、高名な宗教者の娘・ナパート(麻生久美子)にコーランを教えはじめる。ナバートは外国育ちのため、コーランの知識が少ない。見つめ合うこともないまま、コーランや詩を詠み合ううちに、恋に落ちていくふたり、恋心を隠せず、聖職者として禁じられている詩を詠んでしまったハーフェズは罪を問われ、称号を剥奪、住む家も失う。父親により別の男と結婚させられたナバートは原因不明の病に落ちてしまう。引き離されたふたりは、再び出会うことが出来るのだろう・・・。」(プログラム4頁から引用)

  とイントロダクションを紹介すると、悲劇のような印象を与えるだろうが、作品を観て受ける印象はちょっと違う。乾いた大地の風景の中で展開されるおとぎ話、いや、神話という印象である。ハーフェズはナバートとの愛を忘れるために(普通は愛を成就するために行なう)鏡の請願と呼ばれる旅に出る。7つの村で、その村に住む処女に、持参した鏡を拭いてもらい、そのお礼として彼女の願いを叶えてあげるというものだ。最初の旱魃に苦しむ村では雨乞いの仕方を子どもたちに教えて雨を降らせてあげた。次の村では500枚のパンを贈ろうとしたが途中でパンを盗まれてしまった。しかし女性は「嘆かなくてもいいわ。パンは届くべきところに届いたのよ」とハーフェズを慰める。そのまた次の村では、目の悪い少女を町に連れて行ってメガネを作ってあげる。しかし少女の父親に無断でそれをしたためハーフェズは鞭打ちの罰を受ける。留置所に入れられたハーフェスに会いに8人の目の悪い少女たちがやってくる。釈放されたハーフェスは町の工事現場で働いて8人分のメガネを購入して少女たちに贈る。さらに別の村では、処女は老婆一人しかいなかった。彼女は結婚したかったが縁に恵まれなかったのだ。ハーフェズは彼女と結婚式をあげるが、誓いの言葉を述べる直前に老婆は死んでしまう。・・・次から次に面白い話が展開して飽きることがない。文化の違いを越えて理解できる部分と、異文化ゆえに理解が難しい部分があって、油断がならないというか、単純に癒されているような気分でいると、急に違和感を覚えたりもする。世俗的かつ形而上学的な映画という言い方もできるかもしれない。
  美術館1Fのカフェ「シャンブルクレール」で、ここに来たときはいつも注文する、生ハムのオープンサンドと紅茶で一服。外に出るともうすぐ日没の時刻になろうとしていた。

        

        

2月27日(水) 晴れ

2008-02-28 02:26:47 | Weblog
  8時、起床。ウィンナーソーセージとキャベツの炒め、トースト、紅茶の朝食。フィールドノートの更新を済ませてから、御園中学校3年生のときの担任の林幹子先生の消息を調べるために、大田区教育委員会、東京都教育委員会、大田区教員組合、東京都教職員互助会などに電話をする。しかしいずれもすでに退職した教員の現在の連絡先の情報は把握していないとのこと。担当の方を通して記録に残っている限りでの最後の住所の電話に連絡を入れてもらったが、「この電話番号は現在使われておりません」とのアナウンスが流れたとのことだった。役所であれ企業であれ、組織はメンバーの情報はしっかり管理しているが、いったんそこを離れた人間の情報には無関心なのだということをあらためて知った。集団に所属していないということは存在していないのと同じことなのだ。
  あちこちに電話をかけながら、村上春樹の『風の歌を聴け』の中のエピソードを思い出していた。主人公の「僕」は高校時代の同級生の女の子から借りたままになっていたLPを彼女に返すために、彼女の連絡先を調べようとする。

  「三日間、僕は彼女の電話番号を捜しつづけた。僕にビーチ・ボーイズのLPを貸してくれた女の子のだ。
  僕は高校の事務所に行って卒業生名簿を調べあげ、それをみつけた。しかし僕がその番号に電話をかけてみるとテープのアナウンスが出て、その番号は現在使われておりません、と言った。僕は番号調べを呼び出し彼女の名前を告げたが、交換手は5分間捜しまわった末に、そういったお名前ではどうも電話帳には載っておりません、と言った。そういったお名前では、というところが良い。僕は礼を言って電話を切った。
  翌日、僕はかつてのクラス・メートだった何人かに電話をかけて、彼女について何か知らないかと訊ねてみたが、誰も彼女については何も知らなかったし、大部分は彼女が存在していたことさえ覚えてはいなかった。最後の一人は何故だかわからないが僕に向かって、お前となんかは口も聞きたくない、と言って電話を切った。
  三日目に僕はもう一度学校に行き、事務所で彼女の進んだ大学の名前を教えてもらった。それは山の手にある二流の女子大の英文科だった。僕は事務所に電話をかけ、自分はマコーミック・サラダドレッシングのモニター担当の者だがアンケートに関して彼女と連絡を取りたいので正確な住所と電話番号を知りたい。申しわけないが重要な用件なので、と丁寧に言った。事務員は調べておくので15分後にもう一度電話を頂けないか、と言った。僕がビールを一本飲んでから電話をかけると、事務員は彼女は今年の3月に退学届けを出したと教えてくれた。理由は病気の治療です、と彼は言ったが、何の病気なのか、今ではサラダが食べられるほどに回復しているのか、そして何故休学届ではなく退学届だったのか、といったことについては何も知らなかった。
  古い住所でもいいんだけどわかりますか、と僕が訊ねると、彼はそれを調べてくれた。学校に近い下宿屋だった。僕がそこに電話をかけてみると女主人らしい人物が出て、彼女は春に部屋を出たっきり行く先は知らない、と言って電話を切った。知りたくもない、といった切り方だった。
  それが僕と彼女を結ぶラインの最後の端だった。
  僕は家に戻り、ビールを飲みながら一人で「カリフォルニア・ガールズ」を聴いた。」(講談社文庫版、67-68頁)

  『風の歌を聴け』は1979年に書かれた作品だが、物語の時代は1970年だ。まだ個人情報保護法や、振り込め詐欺や、テレホンセールスなんてものはなかったから、電話でのこういう牧歌的な(といってもいいだろう)やりとりも可能だったのだ。いまでは電話で個人の消息を尋ねようとしても小説で使えそうなエピソードは生まれない。保護されるということは、切断されることでもある。いったん切断されてしまったラインの復旧は著しく困難な作業である。

        
              どこかでこの夕日を見てらっしゃるだろうか

2月26日(火) 曇り

2008-02-27 11:32:16 | Weblog
  9時、起床。朝食はとらずに9時半に予約してある歯科へ。すぐに名前を呼ばれて、診察台へ。ただし、診察台は4台あって、医師は2人なので、しばし診察台の上で待つことになる。この二段階方式は歯科医院に特有のもので、歯の治療という気の進まない行為に向かって、徐々に緊張感が高まっていく。と同時に、まな板の上の鯉の心境というか、「どうにでもしてくれ」「好きなようにしてちょうだい」という気分になっていくのである。ふと、自分のつま先に目をやると、スリッパを履いていたときは気づかなかったが、靴下の色が左右で微妙に違う。やばい、左足の靴下が裏返しなのだ。どうしよう。診察台の上で靴下を履きかえるのはかなり目立つ行為である。右の足首を左の足首の上に重ねておけばごまかせるかもしれない。いや、やはりばれるであろう。治療行為に専念している医師は気づかないとしても、そばに立っている歯科衛生士さんは気づくであろう。「あら、この患者さん、靴下が片方裏返しだわ。奥さんとかいないのかしら。単身赴任かしら。いえ、平日の午前中に予約を入れているんだから、会社勤めをしているわけではなさそうね。まだ定年という歳には見えないけど、リストラされちゃったのかしら。それで奥さんとも離婚・・・。こらから再婚というわけにもいかないでしょうから、老後は大変そうね。かわいそう」、と思われるに違いない。絶対、そう思われるに違いない。そうした同情がいつしか愛情へ変るというストーリーもありえないわけではないが、それは期待しない方がいいだろう。私は周囲の視線が私に向けられていないことを確認した上で、診察台の上で手早く靴下を履き替えた。前回、上の歯の歯石の除去を行なったから、今日は下の歯と思っていたら、また上の歯の歯石の除去。ただし、前回は歯科衛生士さんだったが、今日は医師が行なった。同じ歯石除去でも歯科衛生士さんがやっていいこと、いけないことの範囲があるのだろう。治療を終えて、待合室に戻ると、ソファーで息子が雑誌を読んでいた。息子は10時からの予約だったらしい。靴下こそ裏返しに履いていないものの、生成りの綿パンに白っぽいフリースという組み合わせは、いかがなものか。歯科衛生士さんに「なに、このセンスのなさ。これじゃ、彼女はできなわね」、と思われるに違いない。父親として忸怩(じくじ)たるものを感じながら、歯科医院をあとにした。
  今日は夕方から現代人間論系の教室会議があったのだが、特筆すべきは、安藤先生から全員に「うさぎや」のどら焼きの差し入れがあったことである。今日大学に来られる途中で、日本橋で購入されたのである。数あるどら焼きの中でも「うさぎや」のどら焼きはその餡のトロリ感において随一であろう。ついいましがた作ったような食感である。夕方からの会議のお茶請けとしてこれにまさるものはちょっとないのではなかろうか。この大盤振る舞いは、もしや『院単』のさらなる増刷が決まったのかと思ったら、そうではなくて、実は安藤先生がちょっとしたミステークを犯してしまったことのお詫びの印ということであった。そのミステークについては、もちろんここで書くことはできない。「そうですか、それは大変でしたね」と言いつつ、みんなニコニコしながら、「うさぎや」のどら焼きを頬ばったのであった。

        
                   第二研究棟前の白梅

2月25日(月) 晴れ

2008-02-26 12:30:05 | Weblog
  8時半、起床。朝食は夕べの残りのおでん。味がよく沁みこんで美味しい。10時半からの会議に主席するために、9時半に家を出た。蒲田駅でタッチの差で電車に乗り損なう。でも、3分もしないうちに次の電車が来た。これが内灘なら30分は待たねばならない。東京的日常の中にいることを実感する。
  最近、「社会学の先生方はコマ数が少ないですよね」ということを何かの機会にいわれることがある。「コマ数」とは一種の業界用語で、担当している授業の数のことで、半期科目1つを1コマとしてカウントすると、8コマ(週4科目)というのが最低それだけは担当しなくてはならないとされているコマ数である。社会学の教員の平均コマ数は10コマあたりらしく、全教員の平均コマ数を下回っているという。下限値を下回っているわけではないのだから、文句を言われる筋合いはないと思うのだが、コマ数の多い人から見ると面白くないのであろう。しかし、そういうことで苦言を呈されるというのも、同様に、面白くない。第一に、コマ数の計算の仕方に問題がある。たとえば、私の場合、「現代人間論系総合講座1」のコーディネーターをしていて、毎週(他の先生が講義の担当のときも)、授業に出ているが、コマ数計算では0コンマいくつにしかならない(1コマを教員数で割るから)。卒論指導も演習形式で毎週やっているが、これもコマ数計算ではほとんどカウントされない。つまりコマ数は教員の負担ないし負担感を反映していない。第二に、教えている学生数はまったく考慮されていない。40人の講義も400人の講義も同じ1コマである。青息吐息で答案の採点作業をしていることなどまったく考慮されていない。第三に、これが一番重要なことだが、コマ数が少ないことよりコマ数が多いことの方を問題にすべきなのである。専任教員のコマ数をもっと健全な値に下げる努力(専任教員や非常勤講師の増員、および科目の削減)が必要である。働きすぎの人たちから「もっと働け」と言われたくはない。
 昼食は「ごんべえ」の釜揚げうどん。「シャノアール」で珈琲を飲みながら、鈴木貞美編『大正生命主義と現代』を読む。「大正生命」といっても生命保険会社ではない。「大正時代に流行した生命主義」という意味である。

  「大正期は、「自我」「自己」の語が氾濫し、個人の解放の思想が盛んであったが、その「自己」とは、概括すれば、近代市民社会の原理の一面である「利害追求の自由」が、進化論の影響から「生存競争」の原理として把握されるときに浮上したものといえよう。逆に言えば、競争する個を越える、普遍的概念としての「生命」が浮上していたのである。」(4頁)

  労働は、レジャーや恋愛と並んで、生命の燃焼の代表的な行為である。近代人は生き生きとした生を生きるために、一生懸命に働き、一生懸命に遊び、一生懸命に恋をする。しかし、同時に、個人のそうしたエネルギーを資本主義社会は燃料として活用する。「搾取」というのはそういうことである。人件費はできるだけ押さえ、労働力はめいっぱい搾り出す。こうしたシステムに対応していくためには、ワークライフバランス(WLB)の感覚を失わないことが肝心である。それは個々人が注意するというレベルではだめで、資本主義社会の内部に、その弊害を制御するためのサブシステムとしてきちんと組み込んでおく必要がある。コマ数の上限の設定なんかは、基本構想委員会の次なる課題の一つであろう。働きすぎを防止するために働こうと思う。

        
           このろくでもない、すばらしき世界(内灘駅前にて)