フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月30日(金) 晴れ

2015-10-31 08:07:43 | Weblog

6時、起床。

パン、サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

O君に教えてもらった金沢の寿司屋に予約の電話を入れる。「乙女寿司」は満席だったが、「大平寿し」は予約できた。楽しみだ。

昼過ぎに家を出て、大学へ。

途中、「SKIPA」に寄って昼食をとる。

 定食は鶏肉団子のカレースープ煮が本日の主菜。

食後にアイスチャイ。

いただきものだという干し柿のおすそ分けにあずかる。

まだありますよということで梅ソーダを注文。

壁にたくさんかかっているのはのんちゃん作のポストカードの原画である。

「生きる屍ポストカード展」(11月3日まで)

骸骨はのんちゃんの自画像である。

「ほっと一息」

「初めての入国審査」

この作品は本人の一番のお気に入り。初めて海外旅行(タイ)のときの心細かった記憶。

そのときの写真(宙太さん撮影)がこれ。

不安そうな表情をしている。

「lost in concrete jungle」

「どしゃ降り」

一番最近の作品。屋久島(?)に行ったとき、ずっといい天気だったが、帰りの飛行場でどしゃ降りに見舞われた。

 「ほっと一息」を購入。売約済みのシールを貼って11月3日まで展示される。

店内では作品を印刷したポストカードも販売されている。

記念会堂の解体工事現場には瓦礫の撤去のトラックが頻繁に出入りしている。

2時からK君の卒業研究指導。

3時からS君のゼミ論指導。

5限・6限はゼミ。

5限は3年生・4年生合同でテキストを読んでのディスカッション。

6限は学年に分かれて、4年生はゼミ論中間報告(自主ゼミ)、3年生はライフストーリーの実例を読んでのディスカッション。

本日のスイーツは4年生のAさんが用意してくれた。

8時前に終了。

夕食は「五郎八」で。

さて、何を食べようか。

揚げ餅そば(冷製)を注文。真冬になると揚げ餅うどん(=力うどん)を注文することが増えるが、今日はまだ冷たいそばでいい。

9時半、帰宅。


10月29日(木) 晴れ

2015-10-30 09:02:38 | Weblog

7時半、起床。

明け方、一度、目が覚めたとき、眼が痛かった。眼が痛くて目が覚めたのかもしれない。昔、ウィルス性の結膜炎(流行り目)を患ったことがあるが、そのときの痛みに似ている。しかし、白目は充血していないので、結膜炎ではなさそうである。

眼を使うのがつらい。テキストを読むタイプの授業は休み、聞いたり、話したりするタイプの授業だけやることにする。

朝食はとらず、9時に家を出て、大学へ。

10時からTさんのゼミ論指導。

11時からSさんのゼミ論指導。

昼食は「たかはし」に食べに行く。

鰤(ぶり)の一点盛りにも惹かれたが、朝食抜きで腹ペコだったので、 定食の王道、豚肉生姜焼き定食を注文。しっかり食べる。

スロープと工事現場の間の道が少し広くなって歩きやすくなった。

新しい記念会堂(という名前なのだろうか?)の工事は平成30年11月末までかかるようである。あと3年か・・・。

 現代人間論系の同僚の大藪先生から雑誌『発達』をいただく。併せてゼミの公開講演会のチラシをいただいたので、ご紹介しておく。

  久保田まり氏(東洋英和大学教授)による「子どもの愛着障害とリジエンス」。*「リジエンス」とは「心の回復力」の意味

  11月19日(木)5限(16:30-18:00)

  戸山キャンパス31号館205教室

同じく現代人間論系の同僚の岡部先生から新著をいただいた。

寺本晃久・岡部耕典・末永弘・岩橋誠治『ズレてる支援!ー知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の対象拡大』(生活書院)

以前頂戴した同じメンバーによる『よい支援?-知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援』(生活書院、2008)の続編である。寺本が「あとがき」でこう書いている。「『よい支援?』では難しいと言いながらもまだ断定的で明るい前向きな話も多かった。けれども本書は難しい。身も蓋もない話が多く書かれている。/それまでうまくいっていると思っていたことや正しいと思っていたことが、実は誤解の上に成り立っていたのだと気がついたとき、わかったうれしさと同時に深く後悔する。わかったことはほんの少しであって、多くのことを誤解したまま、でも表面上はうまくいっているから、誤解していることに気がつかないままでいる。私たちは、迷い悩み続ける中で、それでも日々の暮らしを廻し続けている。」(371頁)

その通り。私たちはみなズレを抱えて生きている。だからズレがあることそれ自体をあまり深刻に考える必要はない。それは人生の常態なのだ。ただ、問題はそのズレの大きさ、ズレの程度である。ズレから生じるストレスが忍耐の限度を越えて大きいとき、あるいは限度を越えて大きくなりそうだと予感するとき、わたしたちはそのズレをなんとかしようとして行動に移る。多くの場合、そうしたズレは構造的なものだから、ピンセットでつまんでポイというわけにはいかない。生活の(あるいは社会の)構造に手を付けなければならない。それはエネルギーのいる作業である。そうしたエネルギーの源泉の1つは、大切な他者の存在だろう。

岡部先生が書かれた「第3章 亮佑の自立と自律」はあの震災の日のことから始まっている。

「しまった。強い揺れがおさまったときにそう思った。これは電車が止まる。帰らなくちゃ、すぐに、とも。職場の大学で研究会の最中だった。いっしょに記念会堂前まで退避した参加者にそそくさと詫びて別れを告げ、すぐに自宅のある三鷹方面に向かって歩き始めた。/五時前にもかかわらず、帰路につく人たちで歩道はすぐに一杯になった。被災地の様子は皆目わからなかったが、新宿の大ガードにさしかかったとき、家電量販店の壁面ディスプレイが東北の街を巨大な津波が押し流していくさまを映し出すのが見えた。その前で声もなく立ちすくむ人々を押し流すように通り過ぎていく人のうねりが津浪の映像と重なりながら、今でも蘇る。/携帯で連絡がとれて、亮佑が無事に帰っていることがわかった。いつものように特別支援学校に介護者が迎えにいってくれていたのである。でも、亮祐自身よりも、介護者が帰り、彼とふたりで取り残されているつれあいのほうが気がかりだった。亮祐は不安定になっているに違いない。亮祐と添い寝をするのは私の役目なので夜までに帰宅しなければならない。はやく帰らなくちゃ。はやく帰らなくちゃ、はやく三人いっしょになりたい、と気が急いた。/自然と歩みが早まり、職場のある早稲田から自宅まで20キロほどの道程を四時間あまりで歩き尽くしてしまった。帰り着いた街には都心とは異なるおだやかな日常が流れ、亮祐の顔をみて心底ほっとする。つれあいも思いのほか落ち着いていた。痛む足をさすりながら、繰り返し流される津浪の映像を眺めたのち、亮祐に添い寝しながら、これが「世界の終わり」だとしても、今はこうしていたい、なんか『渚にて』みたいだな、とぼんや思いながら眠りについたことを覚えている。」(65-66頁)

そうか、岡部先生もネヴィル・ショートの『渚にて』(創元社SF文庫、1965)の読者であったのかと、妙なところで共感した。

生協戸山店で本を購入。

5限は講義「ライフストーリーの社会学」。よく喋った。

7時に大学を出る。

地下鉄に乗る前に「あゆみブックス」に寄って雑誌と本を購入。

雑誌『MONKEY』7(スウィッチ・パブリッシング)

西村賢太『東京者がたり』(講談社)

松浦弥太郎『ひとりでいること みんなとすること』(PHP研究所)

眼が痛いのによく本なんか買う気になるよなとわれながら呆れる。

老後の不安といってもまだ漠然としたものだが、眼が悪くなって本が読めなくなったら辛いだろうなと思う。ちなみにいまのところ私は眼鏡ともコンタクトレンズとも無縁の生活をしている。

8時、帰宅。

夕食は焼肉(ジンギスカン)。昼食といささかかぶっているが、そのことを妻に告げると、「豚と羊は全然違うじゃない」と言い放った。確かに。豚はブーと鳴き、羊はメ~と鳴く。全然違うよな。ぶーぶー言わずに食べることにする。

デザートはマロンのプチケーキ。


10月28日(水) 晴れ

2015-10-29 15:55:39 | Weblog

7時半、起床。

パン(ハムとチーズのサンド)、サラダ(トマト、レタス)、紅茶の朝食。

10時半に家を出て、大学へ。

スロープから記念会堂の解体作業をながめるのが日課となっているが、地上部分の作業は終りに近づいている。

11時半からEさんのゼミ論個別指導。

10月中旬の合宿で全員のゼミ論中間報告をしてもらったが、これから11月末まで、毎週3名のペースで個別指導を行う。

 昼食は赤城神社の境内にある「あかぎカフェ」に食べに行く。

卒業生のNさん(論系ゼミ三期生、2013年卒)と会食の約束があるのだが、大学を出るのが遅れて、Nさんをお待たせしてしまった。

今日は平日だが、私大の職員をしているNさんは「夏休み」をとったそうだ。多忙な職場のようで、「夏休み」を消化できておらず、11月末までに今日を含めて5日分の「夏休み」を消化しなくてはならないそうである。

ランチメニューから私はトマトクリーム煮込みハンバーグ(ペンネ添え)を注文。Nさんは牛肉の煮込みとライスを注文。

食事を終えてから、お参りをするNさん。食事のときのおしゃべりから考えるに、何を祈願されたかはだいたい想像がつく(笑)。

今日は散歩日和だ。神楽坂を下る。

私のブログをよくチェックしているNさんは、ゼミの同期だった卒業生がブログに登場すると私に会いに来たくなるのだそうだ。また、直接の接触はなかった2学年離れたゼミの卒業生(1期生)でも、ブログで何度も見ていると、「ゼミの先輩」という親しみがわいてきて、その動向が、自分のこれからの人生と連動して、気になるそうである。

おそらく卒業生にとっての私のブログの機能の1つは「バーチャルな同窓会場」ということである。

デザートは「紀の善」で。

栗あんみつ。

お店の方にお願いして写真を撮ってもらったが、アングルのせいで、私が進撃の巨人のように見える。Nさんもこんなに小柄ではありません。

ちなみにNさんは両耳とも右手(利き手)で耳かきをする派です。

これから新宿に行くというNさんとは飯田橋の駅で別れた。どうか「夏休み」がうまく消化できますように。

研究室に戻り、夕方まで雑用。

帰りに丸の内の「丸善」で開催中のカレンダーフェアーで来年のカレンダーを購入。

書斎の壁に掛けるカレンダー(米津祐介デザイン)。

書斎で使っているノートパソコンに貼り付けて使うステッカータイプのカレンダー(左)

研究室で使う机上タイプのカレンダー(右)。

リビングのホワイトボードの横に壁に掛けて使うカレンダー。

すべて今年使っているカレンダーを踏襲している。

ジュンパ・ラヒリがイタリア語で書いたとうエッセー『べつの言葉で』(新潮社)を購入。

『「余白」には理由があります』という変わったタイトルのスケジュール手帳を購入。「べつの言葉で」書いてみようかしら。

東京駅北口(丸の内口)前の夕方の風景。

蒲田について、帰宅する前に、「テラス・ドルチェ」で電車の中で読んでいた本を切のよいところまで読む。一人暮らしの人にはわからいだろうが、帰宅してすぐに書斎にこもって本を読むということはできないのである。

夕食は冷豚しゃぶ。

豚しゃぶのサラダのようなものである。


10月27日(火) 晴れ

2015-10-28 08:21:54 | Weblog

7時半、起床。

今日は気温が上がるようである。冬から春へ行きつ戻りつ移っていく過程には「三寒四温」という言葉があるが、秋から冬への過程には何か言葉があっただろうか。

うどん、サラダ(トマト、レタス)の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

途中でATMから会計事務所への支払いを振り込む。ついでにもう一件、別の振り込みをしようとしたら、一日にATMから振り込める金額の上限を超えてしまった。あらま。窓口で振り込むのは時間と手数料もかかる。明日にしよう。

記念会堂は外壁の取り壊しの段階に来た。地上から完全に消滅するのも時間の問題となってきた。 

今日は半日かけてゼミ選考面接(13名)を行う。

2限に4人。

昼食は「カーナ」に食べに出る。マトンのカレーとナンにサラダとラッシーで690円は安いだろう。

ところが支払いのときになって財布を研究室に忘れて来たことに気づく。またやってしまった。この店では二回目だ。私は長財布を使っていて、普段は上着の内ポケットに入れているのだが、今日は財布にかなり厚みがあったので(笑)、上着の胸が膨らむのがいやで、鞄の中に入れておいたのだ。お店の人に事情を説明して(日本語がどこまで理解されているか心もとなかったが)、研究室に取りに戻る。

「カーナ」の階段から見た「鯛焼屋さんの裏側」。

3限に2人。

4限に3人。

5限に3人。

6限に1人。

終わった。やれやれ。

校舎の上の満月に薄い雲がかかっている。

7時に大学を出る。

8時、帰宅。

夕食はオムライス。冷蔵庫の中に溜まった冷や飯が一定量に達するとオムライスになる。

食事をしながら妻と話をしていて、妻の工芸教室に来ている生徒さんで、左肩を左手で、右肩を右手でかく人がいるそうだ。可愛らしい仕草ではあるが、普通は、左肩は右手で、右肩は左手でかくだろう。その人も自分が少数派であることは自覚していて、なんでだろうと考えたが、彼女のお母さんもそうであることに先日気づいたそうだ。お母さんがモデルだったわけだ。三つ子の魂百まで。


10月26日(月) 晴れ

2015-10-27 09:08:38 | Weblog

8時、起床。

昨日今日で季節が急に進んだようである。

晩秋だ。

一年を早く感じる理由の1つは、季節の変化のせいだろう。ずっとトンネルの中を走る列車と、窓からの景色が次々と変化する列車を想像してみればわかる。同じ距離、同じ時間を走るのであっても、後者の方が時間の経過を早く感じるはずだ。

秋と一口に言っても、初秋と仲秋と晩秋では違う。他の季節についても同様で、かつ、晩春と初夏、晩夏と初秋、晩秋と初冬、晩冬と初春は多少の重なりはありつつ、やはり違う。ということは、単純計算で、私たちは一年で12の季節を送っていることになる。一年が過ぎるのを早く感じるはずである。

1日が2倍とはいわないまでも、3割増しで32時間あればいいのにと思うことがある。そしたら8時間たっぷり睡眠をとった上で、24時間フルに活動できる。

トースト、目玉焼き、サラダ(アボカド、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

目玉焼きには醤油。こうして食べるときのトーストはカリカリで。

午後、散歩に出る。

遅めの昼食は「三州屋本店」で。

カキフライ定食(1000円)を注文。お通しの冷奴を摘まみながら待つ。

ここの定食のカキフライは五つ。

頼もしや五つ並んだカキフライ  たかじ 

しっかり揚げた衣カリカリのカキフライは中農ソースと辛子で食べる。

ご飯が少し残ったので、ほうれん草の胡麻和え(360円)を注文して、サッパリと〆る。

ごちそうさまでした。

先週の土曜日に正式オープンした池上の古民家カフェ「蓮月」へ行ってみる。

入ってすぐ左のテーブルに座る。この場所は仮オープンのときは窓に向かってのカウンター席になっていたが、蕎麦屋「蓮月庵」だった頃の配置に戻したようである。「蓮月庵」のファンだった人たちの要望に応えたのだろうか。

ブレンドコーヒー(450円)とほうじ茶のプリン(400円)を注文。

ブレンドコーヒーのお替りは200円。

池上散歩の中継地点になりそうなので、コーヒーのチケット(10枚綴り)を購入。

店を出て、池上駅へ向かう。

秋の夕暮れだ。

夕暮れ時の駅のホームには情緒がある。

帰宅前に「phono kafe」に顔を出す。

ひざ掛けが用意されていた。

売約済のシールの貼ってあるコーヒーカップを欲しがった客がいたそうである。

天使の羽と猫のクッキー、あずき茶を注文。

私のブログの読者という方が来店された大原さんにくださったお茶をおすそ分けしてもらう。

ちょうどそこへその方のお姉さんが来店。お姉さんは「phono kafe」の近所にお住まいで、妹さんは遠方にお住まい。今日はお姉さんのところへ来たついでに「phono kafe」に寄られたのだろう。

妹さんは昔、早稲田大学の第二文学部の学生だったことがある。ただし、私の授業に出たことはなく、面識もない。あくまでもブログの読者である。お姉さんはネットをやらないので、私のブログを見たことはないが、妹さん経由でブログの内容はご存知である。

実は、奇遇なのだが、20年以上前、姉妹のお父様がやっていた茗荷谷の中華料理店「金門飯店」に私は何度か入ったことある。茗荷谷には御茶ノ水女子大学や放送大学の学習センターがあり、当時、よく通っていたのだ。世界はどこかでつながっているものである。

帰宅して、一階の雨戸をしようとしたら、窓に影絵のように野良猫のなつの姿が映っていた。

ガラス戸を開けると、室内に入ってきた。寒いのかもしれない。

デッキで餌をやる。これから野良猫には厳しい季節になる。よく食べて体力をつけることだ。

夕食は秋刀魚の塩焼き、アボカドのサラダ、茸と白菜入りのうどん、ご飯。

デザートはカステラ。

妻と話をしていたら、耳かきを使うとき、右手を使うか左手を使うかという話題になり、妻は右耳も左耳も利き手である右手を使うのが普通だと思っているので、それは違う(普通は右耳は右手、左耳は左手で耳かき棒を使うものだ)という指摘をしたら、驚いて、ネットで調べ始めた。結果、私が嘘を言ってはいないことが判明した。「びっくらぽんや!」と言ったから、「びっくりぽんや!」が正しいことも指摘しておいた。

将棋王座戦は今夜第5局(最終戦)が行われ、羽生善治王座が佐藤天彦八段に勝ち、3勝2敗で王座を防衛した。