フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月29日(金) 晴れ

2016-04-30 02:41:21 | Weblog

7時、起床。

トースト、目玉焼き、サラダ、紅茶の朝食。

今日からGWがスタート。それを待っていたかのように、卒業生数名から社交メールが届き、かなり先の週末まで予定が埋まる。私は原則として土日の両方に社交的な約束を入れることをしない。土曜日か日曜日、どちらか1つである。そして週休二日で働いている人の多くは土曜日を希望する。日曜日は自宅でのんびりしたいのだろう。また学会関係の会議や催しなども土曜日に設定されることが多い。その結果、土曜日はかなり先まで埋まってしまう。現在、一番近い土曜日で空いているのは6月18日である。

午後、散歩に出る。

「西洋料理SUZUKI」に昼食を食べに行く。

本日のランチ。

「先日はありがとうございました」と奥様から挨拶される。4月11日の私の誕生日に妻とディナーを食べに来たのだ。

コーンポタージュスープ。

一皿に魚介料理(帆立のグラタン)と肉料理(ビーフカツレツ9とサラダがのっている。

私の隣のテーブルでは年配の男女(夫婦ではないが旧知の仲のようである)がおしゃべりをしていてい、話しの中に「大隈講堂」とか「穴八幡」とかの名前が出てくる。学生時代からジャズに親しんでいたようで、ジャズの曲ゆあミュージシャンの名前が出てくる。外国旅行でいった都市や美術館の名前が出てくる。たぶん「佐伯祐三」のことだと思うが、画家の名前がどうしても出てこないで(度忘れしてしまったのだろう)苦しんでいた。私もおしゃべりに加わりたい気分だったが、自制した。

ごちそうさまでした。美味しかったです。

いつもであれば、食事の後にコーヒー(+プリンアラモード)を注文することろであるが、今日はデザートは別の店で食べることに決めていた。

陽射しはあるが、風が強く、冷たい。

「北国の青い空」という奥村チヨの歌のタイトルを思い出す。50年ほど前の歌である。

「まやんち」に到着。

本日からメニューに新登場の「はちみつとグレープフルーツのケーキ」を注文。紅茶はカナさんに相談して、ダージリン(マーガレット茶園の夏摘み)をポットで。

いまの季節にふさわしい爽やかな風味のケーキである。まさに「薫風カフェ」の一品だ。

家路をたどる。

専門学校の駐輪場。自分のところのビル風が原因だからしかたがない。

雲の流れが速い。

6時頃、外出先から妻が戻ってくる。

夕食は外で食べようということになる。

釜飯の「梅Q」へ行く。ゴールデンウィークの初日だけあってけっこう混んでいる。 

梅Qサラダ。

焼き鳥盛り合わせ。

上新香。

特製五目釜飯は妻のリクエスト。

牛釜飯。

味噌汁はアサリ。

帰りに東急プラザの本屋に寄って行く。

単行本を2冊購入。

 倉本聰『見る前に跳んだ 私の履歴書』(日本経済新聞社)

 朝井麻由美『「ぼっち」の歩き方』(PHP)

 一人では(とくに女性が)行きにくいと思われる場所に女性ライターが行ってみてレポートにした本だ。「プラネタリウム」、「ボウリング」、「公園のボート」・・・このあたりは入門編だろう。どうってことない。「潮干狩り」、「バーベキュー」、「ウェイディングングフェア」・・・だいぶハードルが上がる。「秋の浜辺でスイカ割り」、「フレンチレストランの個室を予約してフルコースを食べる」、「ラブホテル」・・・ここまで来ると何かの罰ゲームのように思える。

「苦手なことから逃げてしまうのは、結構いいことだと私は思っている。集団行動や、人とのコミュニケーションが苦手で、そこから逃げて別の生き方を模索した結果が、ぼっち的なライフスタイルなのである。・・・(中略)・・・集団行動やリア充、みんなでいること、絆、シェア、仲間・・・、そういったものを否定するつもりは全くない。それらに馴染めるのならば、それをよしとできるのであれば、社会で生きやすいことは間違いないからである。けれど、うまく馴染めないのに、無理して合わせているとしたら、それはとても不健康なことだ。自分がそういうものとは相容れないと認め、ぼっちを謳歌する方向に舵を切った今、私はとても生きやすい。」(「おわりに」より)

私はいま家庭を舞台とした「幸福の物語」が、家庭を離れて舞台を仲間たちに移した「仲間のいる幸福の物語」と、親密な関係性そのものから離れる「孤独である幸福の物語」に変容しつつあると思うが、この本は後者についての実践レポートである。ちなみに彼女はコラムニストの泉麻人のひとり娘で、『ひとりっ子の頭ん中』という本も書いている。

3時、就寝。


4月28日(木) 曇り

2016-04-29 01:58:10 | Weblog

7時、起床。

トースト、サラダ、紅茶の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

「今日一日働けばGWだ」と日本中の多くのサラリーマンが思っているに違いない。ホームや電車の中の人びとの表情がいつよもり明るくゆとりがあるように見える。GWが毎月あればいいのにと思う。ゆとりですが、なにか?

2限は院生の研究指導。先週に続いてD1のS君の報告を聞いてディスカッション。

昼食はコンビニおにぎり2個とフリーズドライの味噌汁(茄子と葱)。食事をしながらコースナビに提出されている基礎講義(1年生用のオンデマンド授業)のレビューシートに目をとおしてコメントを返す。

3限は大学院の演習。M2の2名が就活のため欠席。いよいよそういう時期になってきたようである。

4限は学生の面談を一件。

5限は講義「日常生活の社会学」。私もそうだが、受講生の多くもこの授業が連休前の最後の授業である。和やかな雰囲気で授業は進行し、ニコニコしながら終了する。みなさん、よいGWを!

河野憲一さんから新著『自明性と社会 社会的なるものはいかにして可能か』(晃洋書房)を頂戴する。博士論文を本にしたものである。

本書は「社会はいかにして可能か」という問いをめぐる考察である。この問いは普通には「秩序問題」として理解されることが多い。実際、私も「日常生活の社会学」という社会学入門的な講義ではそういうものとして取り上げている。すなわち「社会とは人々の相互作用である」と「社会」を定義した上で、「なぜ人々の相互作用がある程度の安定性をもって持続可能なのか」という問いに変換され、「それは相互作用がデタラメに行われているわけではなく、人々が共有している一定のルール(社会規範)に従って行われているからである」というような説明が与えられて、一段落する。しかし、本書はそういう立場をとらない。

「「社会はいかにして可能か」という問いは、永らく社会学の根本問題だとみなされてきた。だが、その十分な回答は、いまだに提示されていない。「社会はいかにして可能か」が難問であるのは、これが何を明らかにすべき問いであるのか、その核心を掴むことが、じつは容易ではないからである。この問いが、「社会」を主題とする問いであることはたしかだろう。だが、この問いでは、「社会」の定義が単純に問われているわけではない。そして、そこで主題となっている「社会」は、常識的に誰もが知っている意味での社会と精確に対応するわけではない。また、この問いは、「社会秩序」(あるいは「相互作用秩序」)の成立を問う、いわゆる「秩序問題」に連なる問題系とも、或る意味で決定的に異なる。」(1頁)

どう決定的に異なるのか?

「「社会はいかにして可能か」という問いは、この問いに取り組む社会学者が、「社会とは何か」をすでに知っている立場を採り、そこに足場を固めるとき、いわば逆説的に、解くことができない難問となる構造をもっている。というのも、この「問い」は「社会」と名付けられる以前にすでに生成しており、なおかつ、事後的に「社会」として認識されるような、そうした「何か」があるという洞察を要石とする問いだからである。この「何か」が有する、いま述べた独特の両義性にかんする「論件」は、「社会とは何か」をすでに知っているという立場から探究を進めるとき、手元からすり抜けてしまうことになる。そしてこのとき、「社会はいかにして可能か」という問いは、その問いの核心を掴むことができない難問と化してしまう。のちの議論を先取りしていえば、「社会はいかにして可能か」という問いは、「社会」の生成の位相と「社会」の認識の位相とを自覚的に区別したうえで、前述の「何か」そのものにまなざしを向けることができるようになったときに、はじめてその問いの核心を把握することが可能となるのである。」(1ー2頁)

「何か」そのものにまなざしを向けることはいかにして可能なのか? 本書の全体がそれが可能であることの証明になっているわけだが、それは予想されるほど難解なものではない。難解になりすぎないように著者はずいぶんと工夫をしている。私はそのことに感心した。「はじめに」の最後で著者は「本書の読者への覚書」というものを示している。

「本書の意図は、「社会」という現象の基底を根本的に問い直すような探究を提示し、翻って、ひとりでも多くの方とともに、「社会」について考え続ける道を歩んでいくことにある。それゆえ、社会学の初学者や専門家ではない読者が、身のまわりの「社会」について自ら問いながら考えていくうえでも、社会学の専門家が社会現象に真にアプローチするうえでも、ともに役立てるように書いているつもりである。」(V)

実際、本書の随所に見られる抽象的議論を具体的な例で補完する手法は著者がいろいろな大学(学生のレベルもさまざま)で授業を担当するなかで身に着けたものであろう。同業者としてこのあたりの苦労や工夫はよくわかる。

8時ごろ、帰宅。

夕食はお刺身。

授業の準備をせずに(する必要がなく)夕食後の時間を送れるのはありがたい。

2時、就寝。


4月27日(水) 曇り

2016-04-28 09:39:20 | Weblog

8時、起床。

トースト(葡萄パン)、炒り卵、サラダ、紅茶の朝食。

10時半に家を出て、大学へ。

研究室のドアの前に和服の女性が立っていた。11時半のお約束だったが、ほんの少し早く着かれたようである。

女性の名は澤田瞳子さん。歴史小説・時代小説を読まれる方はご存じだと思うが、デビュー作の『弧鷹の天』(2010年)で中山義秀文学賞、『満つる月の如し 仏師・定朝』(2012年)で新田次郎文学賞を受賞され、昨年は『若冲』で直木賞の候補になった作家さんである。

京都にお住まいだが、今夜、大隈講堂で「 『螺旋』メンバーが早稲田大学にやって来る!」というイベントがあり、伊坂幸太郎、朝井リョウ、吉田篤弘といった作家さんたちと一緒にトークショーのお仕事があり、東京に来られたのである。*「螺旋」というのは文芸誌『小説BOC』(中央公論新社)の創刊を記念して、8組9人の作家が古代から未来の日本を舞台にして「海族」と「山族」の戦いを描くという競作(同時進行の連載小説)企画である。

いただいた『小説BOC』創刊号の目次を見ると、以下のようなラインナップになっている。

 大森兄弟 「ウナノハテノガタ」 *原始

 澤田瞳子 「月人壮士」 *古代

 天野純希 「もののふの国」 *中世近世

 薬丸岳 「蒼色の大地」 *明治

 乾ルカ 「コイコワレ」 *昭和前期

 伊坂幸太郎 「シーソーモンスター」 *昭和後期

 朝井リョウ 「死にがいを求めて生きているの」 *平成

 吉田篤弘 「天使も怪物も眠る夜」 *未来 

昼食は「たかはし」に食べに行く。澤田さんは昨晩は居酒屋の食事、今夜は中華になるでしょうとのことだったので、和食の店にお連れすることにした。「すぎうら」も考えたが、「私、けっこうしっかり食べる方です」とのことだったので、「たかはし」に決定。

私は肉豆腐定食、澤田さんは刺身定食(カツオ)。

食事中に澤田さんからうかがったお話はとても興味深いものだったが、ここで書くわけにはいかない。

食後のお茶は「SKIPA」で、私はアイスチャイ、澤田さんはシークワ―サー。

のんちゃんが「素敵なお着物ですね。先生の教え子さんですか?」と聞いてきた。そうではない。彼女は同志社大学の卒業生である。

では、何かということ、澤田さんは私のブログの読者なのである。私も彼女の小説の読者なのだが、それは最近の話で、彼女はずっと前から(2010年ころからだろうか)私のブログを愛読されているのである。

私の文章から多くを学び、作家としてデビューした・・・ということではなく、東京の甘味処についてネットで検索していて、たまたま私のブログ(池上の「甘味あらい」の記事)を読まれて、それがきっかけで常連の読者になったということである。ほどなくしてブログにたまに登場する京都在住の教え子Uさんが澤田さんの中学・高校時代の友人であることに気づき、バーチャルな世界であった「フィールドノート」とご自身のリアルな世界がリンクして、びっくりされたそうだ。2年前の私の還暦の祝いの会のとき、Uさんを通じて彼女からのご本(『関越えの夜 東海道浮世語り』)をちょうだいし、私も返礼に『日常生活の探究』をさしあげ、メールを交わした。そういう間柄である。「甘味あらい」に行けず仕舞いだったのは残念でしたが、「まやんち」のピーチメルバはぜひ食べてみたいです、とのことだった。今夏、お連れしましょう。

2時半から大手町の中央公論新社でイベントの打ち合わせがあるとのことなので、「SKIPA」を2時に出た。

 『若冲』にサインをしていただいた。

宙太さんは澤田さんはご存じなかったが、時代小説・歴史小悦は好きなので、今度ぜひ読ませていただきますとのことだった。

大学に戻り、3時からOさんの卒業研究指導。

澤田さんからお土産にいただいた京都のお菓子を食べながら。

同僚の竹中先生から新著をいただいた。

 竹中仁『自閉症とラノベの社会学』(晃洋書房)

ユニークな視点で面白そうだ。ありがとうございます。

卒研指導を終わり6時に大学を出る。

7時、帰宅。

夕食は鶏肉と野菜のレンジ蒸し。

デザートは苺。

明日の授業(大学院の演習と学部の講義)の準備をして、2時半に就寝。


4月26日(火) 晴れ

2016-04-27 10:12:40 | Weblog

7時半、起床。

トースト(葡萄パン)、サラダ、紅茶の朝食。

午後から大学へ。

昼食は「グッディ」で。

本日のランチセットのドライカレーを注文。これから授業があるときの昼食は軽めなものがいい。

軽めだと思いますが、何か。

サイフォンで淹れるコーヒーが付いて840円はお値打ち価格である。

経費節減のためか、あちこちの店でコーヒーシュガーが姿を消しているが、ここにはまだコーヒーシュガーがある。

大学に着いて、教員ロビーのメールボックスを覗くと、一文の卒業生(社会学専修)のY君の名前が書かれた封筒があった。郵便ではなく、直接教員ロビーに来て預けたものである。中には手紙と映画のチケットが入っていた。Y君は私が大学院生のとき、学部の調査実習の手伝いをしていて、そのときの学生である。だから私はY君にとっては先生ではなく先輩である。年齢は5つくらい下だろうか。大手の私鉄に就職して、いまは関連の学校法人に出向していますと手紙に書いてあった。安藤先生が高校の先輩だそうで、その安藤先生に会いにやってきて、ついでに私に映画のチケットを置いていかれたというわけである。「10数年前、大久保さんとお会いした時、映画がお好きであるとの話をうかがった記憶があります」と手紙には書かれていた。そう、前回会ってから、10数年が経っている。律儀な人である。ありがとうございます。

5限は講義「現代人のライフスタイル」。今日は話す内容が多く、90分で収まるかどうかという感じだったのだが、ピタリ90分で話し終えた。

6限は演習「個人化の社会学」。前回、テキストの各章を担当するグループを決めたが、今日は自分が担当することになった章を各自が読んできて、感想をグループ内でフリーディスカッションして、これから発表に向けての方向性を考えてもらう。6限というのは午後6時15分から7時45分までで、お腹も空いてくる頃である。蒲田の駅ビルのショップで買って持ってきたワッフルを配る。喜んでもらえたようでよかった。90分間ずっと私がしゃべる講義とはちがって、演習の主役は学生で、私は演出家のようなものである。

8時に大学を出る。

夕食は「五郎八」で。

天せいろ。

今日も初夏のような気候だった。

これから天せいろを注文することが増えるだろう。

食後のコーヒーを「カフェゴト―」で飲んで行く。

GW中の営業について尋ねたら、3日、4日、5日と8日がお休みとのこと。

 

10時半、帰宅。

先月卒業したばかりのゼミ6期生で新聞記者として高知に赴任したMさんから手紙が届いていた。「あれから一ヶ月、私自身は何も変わりませんが、環境がめまぐるしく変わり、バタバタと過ごしています」とのこと。たぶん、みんなそうでしょう。健康第一を忘れずに、頑張って下さいね。

 


4月25日(月) 晴れ

2016-04-26 02:27:01 | Weblog

8時、起床。

昨夜は寝つきが悪くて困った。7時半に必ず起きようとめったに使わないケータイのアラーム機能をONにして就寝したら、いつものように蒲団の中でリラックスできなかったのだ。明け方近くなって、アラーム機能を解除して、寝坊したらしたで構わないと腹をくくったら、眠りに落ちた。自然と目がさめたのは起きようと思っていた時刻より30分遅かったが、これで構わない。なまじいつもより少し早起きいようと思ったのがよくなかったのだ。

『とと姉ちゃん』(録画)を観ながら、トースト、サラダ、紅茶の朝食。

朝食をすませ、書斎で原稿書きをしていると、一文の卒業生でいまは芸大の大学院の画学生である櫻井あすみさんからメールが届いた。4月27日から始まる(5月8日まで)「上野の森美術館大賞展」で彼女の作品が優秀賞(産経新聞社賞)を受賞して展示されるというお知らせだった。上野の森美術館大賞のサイトは→こちら

彼女の作品「fragments」は、俯瞰された街の情景と、ズームインされた街の住人の暮らしの一断面がモンタージュされた作品。ズームインされた街の人の暮らしの一断面は、街の上空に置かれているので、見方によっては、街はすでにゴーストタウン化していて、かつてそこにあった(いまは消滅してしまった)住民の暮らしの記憶のように受け取れなくもない。しかし、櫻井あすみはそういうつもりで描いてはいないだろう。彼女の描く街は静謐だが、それは死んだ街の静けさではなく、人びとが慎ましく生活を営む街の静けさなのである。もし家の窓に明かりが灯っていればそれは容易に理解されるはずだが、彼女はそういうわかりやすい(説明的な)描き方をしない。櫻井あすみの世界がここにある。

午後、昼食をとりに外出。

初夏を思わせる日差しだ。

「いっぺこっぺ」のカツカレーを食べたい。隣りのとんかつ屋「檍」(あおき)は日月が定休だが、「いっぺこっぺ」は水が定休。

カウンター(7席)のみの店で、ドアの外で2人が待っていた。私も待つことにする。

10分ほど待って入店。ロースカツカレー(1000円)を注文。

カツはライスの上に薄めにスライスされて出てくる。カレーのルーはかかっていない。

カツはソースではなく、全切れ岩塩を振って食べる。おいしいトンカツには岩塩が一番合う。

ライスはカレーと一緒に食べたり、とんかつをおかずに食べたり。

ああ、美味しかった。ごちそうさまでした。

「いっぺこっぺ」から駅の方へ戻る途中にあるクリーニング屋さんは店の外の黒板に日記のようなものを書いていて、なかなか面白いのだが、今日のはびっくりした。ここに書かれているのは全部今月の出来事なのだろうか? それとも過去の4月に経験したことを列挙しているのだろうか。前者だとすればいくらなんでもひどすぎるだろう。たぶん後者だと思うが、それでもつらい。「早く5月にな~れ!!」という気持ちがよくわかる。

「phono kafe」で食後のコーヒーとスイーツをいただくとしよう。

コーヒーとマフィン(アプリコット入り)。

帰宅して1時間ほど眠る。やはり寝不足がたたっている。

夕食は、ししゃも、アスパラのベーコン巻、サラダ、筍ご飯、大根と油揚げの味噌汁。

『ラブソング』第3話をリアルタイムで観る。今日の後半は福山雅治と藤原さくらのライブをたっぷり聴かせてもらった。二人ともプロのミュージシャンだから聴きごたえがあった。

2時半、就寝。