フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2006年1月(後半分)

2006-01-31 23:59:59 | Weblog

1. 15(日)

 今日はよく寝た。朝は普通に8時に起きたが、朝食の後、仕事をしていたら眠くなったので昼まで蒲団に潜り込んで寝て、午後も一仕事した後に1時間ばかりソファーで居眠りをし、夕食の後も蒲団に入ってウトウトしていたら、今日から始まるTVドラマ『輪舞曲(ロンド)』の時間になって妻に起こされた。先週は火曜日から土曜日まで毎日大学に出て、夕食を家で食べた日が一日もなかったから、疲れがたまっていたのだろう。『輪舞曲』はなかなか緊張感のあるドラマだが、子どもの頃に父親を殺された主人公(竹野内豊)が成長して刑事になるという設定は、やはり竹野内が主人公の刑事を演じた『人間の証明』と同じで、どうなのかと思った。石橋凌や橋爪功といった渋い脇役陣の中に入るには、組織のドン(杉浦直樹)の息子役の速水もこみちの演技力は心許ない。同じ若手でも竹野内の弟分役の佐藤隆太とは大分差がある。このドラマの最大の目玉はヒロインのチェ・ジウだが、気品があって気丈夫な役柄ははまり役かと思う。ただ照明の加減によってオバサンぽく見えてしまう場面があった。30代の女優さんはこういうのを気にするはずである。

 

1.16(月)

 予約日ではないのだが、診察してもらいたいことがあって、父を車椅子に乗せて病院へ。11時で受付が終わってしまうのだが、支度に手間取って家を出たのがその15分前。一人でスタスタ歩いてもそのくらいかかる。飛ばしました。車椅子をあのくらい速く押している人間を街で見かけることはそうないだろうというくらいのスピードで飛ばしました。滑り込みセーフ。今日はいつも診てもらっているN医師が外来の担当の日ではないのだが、看護師さんが気を利かせてくれて、N医師がいまやっている手術を終えるまで待ってN医師に診てもらういことになった。待つこと2時間半。診察、検査を終えたのが午後2時。帰宅して、遅い昼食をとったら、3時になっていた。今日は久しぶりにジムへ行こうかと考えていたのだが、遅くなったし、何だかんだで疲れたので、やめにした。一つ隣の駅のキネカ大森に『有頂天ホテル』を観にいくこともチラッと考えたが、やはりやめておいた。映画を観るときもコンディションというのは大切なのだ。

 夜、ビデオに録っておいたTVドラマ『小早川伸木の恋』(木曜10時)の初回を観る。『白い巨塔』で財前五郎を演じた唐沢寿明が同じく大学病院の外科医を演じているが、手術の腕が確かであること以外は、キャラクターはまるで違う。よき夫、よき父親でありたいと思いながら、ままならず、職場の人間関係にも辟易している。そんな彼の前に突然一人の魅力的で謎めいた女性(紺野まひる)が現れる。となれば、ストーリーはおのずから決まってくる。病院ドラマ+不倫ドラマである。両方とも好きな人には一粒で二度美味しいドラマであろう。紺野まひるがいい。これまで「これ」という当たり役に恵まれなかった彼女だが、こんどの役は彼女の魅力を十分に引き出している。

 ところで、今夜、私が妻から今月分の小遣いを受け取ったとき(我が家ではそういうシステムなのだ)、その場に居合わせた娘が、その額の少なさに驚き、もっとあげるべきだ、その分お母さんがショッピングを控えるべきだ、という意見を妻に向かって言った。まことに正しい見識と言わねばならない。さすがに成人しただけのことはある。

 

1.17(火)

 ある若手の社会学者の奥さん(彼女は私の教え子)から聞いた話。夫の小遣いは月額3万円(別途、学会費などのために毎月5000円を積み立て)。ただしその3万円を一度に渡すのではなく、1万円は彼名義の郵便貯金にして通帳は妻が管理している。残りの2万円を千円札20枚にして4つの袋に分割して、毎週一袋(5000円)ずつ渡している。こうすることによって彼が無計画に本を買って月の途中でその月の小遣いがなくなってしまうことがないようにしている。月1万円の郵便貯金は何のためかというと、妻への誕生日やクリスマスのプレゼントを購入する(させる?)ための予算なのだそうだ。・・・・私はこの話を聞いて、人間というものはどのような隷属的境遇にも適応できる動物なのだということを改めて認識したが、一つだけ、彼女に意見をした。社会学者には一見無関係に見える世の中のさまざまな事象の間に張り巡らされている見えない連鎖を読み解く能力、社会学者ミルズが「社会学的想像力」と呼んだところの精神の資質が求められる。そうした資質の涵養のためには、「無計画な本の購入」は必要な行為なのである。常に自分の周囲にアンテナを張って、そこに引っかかった書籍を迷わずに購入することは、社会学者のハビトゥス(身に付いた振る舞い)といってよいものである。だから社会学者の妻たるものが夫の足を引っ張るようなことはしてはいけません、と。彼女の夫は、昨日の私のフィールドノートの最後の部分を読んで、「全米が泣いた感動巨編やで!!」と生来の関西弁で彼女に訴えたそうだが、私もまた彼のために涙したことを告白しておこう。とくに「毎週一袋ずつ」というところには泣かされた。いや、泣いているのか、笑っているのか、わからない感じだった。織田作之助の名作、『夫婦善哉』を読んでいるような気分だった。

 

1. 18(水)

 キネカ大森で『THE有頂天ホテル』を観た。大ヒットしている映画なので内容の紹介は不要だろう。大晦日の一夜、都心のホテルで展開されるさまざまな人間ドラマを緻密に計算された構成で相互に結びつけて「人間讃歌」という名の一枚のタペストリーに仕上げた三谷幸喜ワールドである。社会学者の仕事が一見無関係に見える世の中のさまざまな事象の間に張り巡らされている見えない連鎖を発見することにあるとすれば、劇作家の仕事は、いや、三谷幸喜という劇作家の仕事は、一見無関係に見える世の中のさまざまな事象の間に目に見える連鎖を張り巡らすことである。この二つは似て非なるものである。前者に必要なのは社会学的想像力であり、後者に必要なのは演劇的創造力である。三谷幸喜ワールドのもう一つの特徴は、オールスターキャストということである。ただしそれはたんに有名な役者がたくさん出演しているということではない。出演している役者のそれぞれに見せ場が用意されているということである。だから役者たちが全員、有名であるが故にではなく、生き生きとしており、それが三谷幸喜ワールド全体の輝きとなっている。これはおそらく三谷が劇団出身の脚本家であることと関係しているだろう。という意見を、連れの若い女性(彼女は大学の演劇研究会に所属していて役者であると同時に脚本も手がけている)に言ったところ、彼女は肯いていたので、たぶんあたっていると思う。最後に、誰もが気付いていることだが、三谷幸喜の「不幸」についても述べておくべきだろう。それは上手すぎるということだ。超絶的な技巧をもったピアニストは聴衆を感動させるよりも感心させてしまうのである。映画が終わり、私は売店でマスコット(映画の中に登場したダブダブという名のアヒル)付きの携帯ストラップを買って、連れの女性にプレゼントした。われわれは同じ電車に乗って、同じ駅で降り、同じ道を歩いて、同じ家に帰り、同じ食卓に着いて、同じ夕食を食べた。

 

1.19(木)

 また財布を家に忘れてしまった。研究室の机の抽出の中にあった小銭をポケットに入れて、近所のコンビニへ行き、マルちゃんの赤いきつね(150円)を購入。7限の授業が始まる前に、研究室のトースターで常備食の切り餅を一個焼いて、力うどんにして食べた。これが本日の夕食。わびしい。もし銀行のカードや信販会社のカードを財布の中ではなく、たとえば定期券のケース(身分証や生協の組合員証などが入っている)の中に入れておけば、今日のようなことにはならないわけだが、カードはマネーの一形態であり、したがって財布に入れておくものという固定観念がある。・・・・と、ここまで書いてきて思い出したのだが、今日行ったコンビニはファミリーマートだったから、スイカ(JRの定期券)で支払いができたはずだ。私はまだ一度もスイカで買い物をしたことがない。今度、おにぎりを購入するときに試してみよう。

 7限の基礎演習は本日で最終回。すでに補講期間で、この授業は一度も休講をしていないから本来は補講の必要はないのだが、グループ報告の数の問題で補講期間も使わないと終わらなかったのである。最終回のグループ報告は「郊外」の景観の均質性(全国どこでも同じ)をテーマにしたものだった。均質性の原因だけでなく、その是非(価値判断)や改善策にも踏み込んだ報告だったので、当然、質問や意見があれこれあって、時間を20分ほど延長した。私はずっと二文の基礎演習を担当しているが、今年度のクラスはなかなかよいクラスだった。他の学生の報告に対して質問や意見を言うというのは、当然そこに批判的なものが含まれることがしばしばだから、あたりさわりのない人間関係を志向する傾向の強いいまの若者たちの苦手とするところなのだが、今年度のクラスにはちゃんと自己主張のできる学生が多かった。残りの3年間、それなりの努力を怠らなければ君たちはいい線までいくだろう、と私は授業の最後に学生たちに言った。「金八先生」の最終回であれば、一人一人の学生の名前を呼びながら、それぞれに声をかけるところだ。そういう「感動のフィナーレ」もギャグとして面白かったかもしれないなと、研究室に戻る途中で考えた。

 

1.20(金)

 3限の大学院の演習はOさん(学部生)がバブル期に流行したファションを素材にした自己論の報告を行った。びっくりしたのは、演習に参加している女子学生だけでなく、男子学生もファションに詳しい(関心のある)ことである。私が学生の頃もファションに詳しい男子学生はいたが、彼らはマイノリティであった。現代思想や文学に詳しい学生は一目置かれていたが、ファッションに詳しい男子学生についてはそういうことはなかった。むしろ蔑視の対象にさえなっていたように思う。一体、いつ頃からいまのようになったのだろう。5限の調査実習は全員がそろっての授業形式は今日が最後。これからは報告書の作成に向けてのグループ単位および個人単位の作業になる。最近実家から蜜柑がダンボール箱で送られてきたTさんから蜜柑のお裾分けをいただく。小振りで、皮の薄い、蒲郡産の蜜柑である。蜜柑らしい蜜柑である。とっても美味しい。何個でも食べられそう。授業を終えて、大隈会館の楠亭でやっている「正岡先生と35年を語る会」の発起人会(最終打合せ)に顔を出す。本番(1月28日)まであと一週間。細かな段取りを詰める。私の担当は「文集」。全体会の後、シャノアールで文集班の詰めの打合せ。文集の完成は本番の前日というタイトなスケジュールである。打合せを終わって外に出ると、夜空から小雪がちらほら落ち始めていた。

 

1.21(土)

 降りしきる雪の中、午後から会議があり大学へ。メタセコイヤの並木が雪化粧をしている。東京育ちの私には雪は叙情的な対象である。舗道を歩いていると、頭の中で、「雪の降る町を」が聞こえる。♪雪の降る町を、雪の降る町を、思い出だけが通り過ぎてゆく・・・・。とくに雪にまつわる格別な思い出があるわけではないが、気分はすでにして高倉健である。自分は不器用な生き方しかできませんから、と誰かに言ってみたくなる。

 

1.22(日)

 一年前に亡くなった義父の法要で三沢墓地へ行く。雪の墓地を歩く。昨日なら大変だったろう。夜、「正岡先生と35年を語る会」への出欠のハガキの通信欄に書かれたメッセージを文集用に編集する。150人以上のデータがあり、18ページにもなった。一昨日の打合せでは、この部分は3ページの割当だったのだが、まあ、文集に厚味が出るからよいのではないだろうか。深夜、編集長のTさんに18ページの原稿をメールで送る。もし「当初の予定どおり3ページに収めて下さい!」という返事が返ってきたら、私、泣きますね。いや、ぐれてやる。

 

1. 23(月)

 予定では今日からジムでのトレーニングを再開するはずであったが、父の体調が芳しくなく、そうもいかなくなった。夕方、息抜きに散歩に出る。シャノアールで日誌(ほぼ日手帳を使っている)を書く。これは「フィールドノート」とは違って、普通の感覚でいう日記に近い。もちろん非公開である。日誌は家の外で書くことが多い。日誌を書くことは私にとって日常生活を客観的に見る行為であるから、家という日常的空間の外部での方が書きやすいのである。筆記具には万年筆かボールペンを使っているが、万年筆で書くときと、ボールペンで書くときとでは、文章のタッチに違いがあることに最近気がついた。筆圧との関係かと思うが、万年筆で書くときの方が肩の力が抜けている。こう書くと、万年筆で書いたときの文章の方がいいように聞こえるかも知れないが、必ずしもそうではなくて、肩の力を抜いて書くべき事柄と、多少力んで(文章を書くという行為に意識的になって)書くべき事柄で、筆記具を使い分けているのである。今日は、焼き餅入りぜんざいと日本茶のセットを注文して、万年筆を使って書いた。有隣堂で、保坂正康『東条英機と天皇の時代』(ちくま文庫)、畑中史代『差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も』(平凡社新書)、岩間夏樹『新卒ゼロ社会 増殖する「疑似社員」』(角川書店)、高橋呉郎『週刊誌風雲記』(文春新書)を購入。売り場の隅っこで今年のカレンダーや手帳がまだ売られている。カレンダーは半額セールになっているものもあるが、手帳は安売りしないことになっているらしく、定価のままである。売れ残りは全部廃棄処分されるのであろう。コンビニの弁当と同じだ。手帳の定価はこうした大量の売れ残りを見越して最初から高値に設定されているのである。

 

1.24(火)

 午前11時からカリキュラム委員会。それが終わって、10分ほどの間に文カフェで昼食(鶏肉うどん)をとり、午後1時からの入試関連の会合に出る(少し遅刻)。ついあれこれ発言してしまい、危うく分科会の世話役にされそうになり、とんでもないと固辞する。仕事を増やしたくなければ、会議で発言しないことである。少なくとも提案めいたことは言わないことである。これ、穏やかな人生を送るための鉄則である。しかし、発言らしい発言をしないのであれば、会議に出ている時間は人生の中の無意味な時間になってしまう。多忙を覚悟で意味を求めるか、多忙を回避して無意味を甘受するか。それが問題だ。2つ目の会議が終わってから、家に電話を入れ、父の様子を尋ねる。近所のY医院の先生に往診を頼んで来てもらっているところだとのこと。Y先生と替わってもらって電話で話を聞く。すぐに帰宅する必要はないようなので、夕方まで、研究室で期末試験の採点。帰りがけにあゆみ書房で、堀江珠喜『純愛心中 「情死」はなぜ人を魅了するのか』(講談社現代新書)、本田由紀・内藤朝雄・後藤和智『「ニート」って言うな!』(光文社新書)、四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま新書)、三浦展『ファスト風土化する日本 郊外化とその病理』(洋泉社)、香山リカ『貧乏クジ世代 この時代に生まれて損をした!?』(PHP新書)、ジャウジン・サルダー+ボリン・ヴァン・ルーン『カルチュラル・スタディーズ』(作品社)、純文学研究所編『15歳からのニッポン文学 勝手に純文学ランキング』(宝島社)を購入。『カルデュラル・スタディーズ』の帯には「1時間で、あの「カル・スタ」の全貌がわかる!」と書いてあったので、ほんとうだろうかといぶかりつつ、電車の中で30分、帰宅してからさらに30分、計1時間けっこう集中して読んでみたが、半分(90頁)しか読めなかった。もっとも帯には「1時間で読み終えることができる」とは書かれていないし、半分読んだだけで「全貌」がわかってしまう頭のいい人も世の中にはいるかもしれないので、「広告に偽りあり!」とは言えない。この本は「マンガ版」で活字が少ないので、1分で3頁のペースで読めば、1時間で読み終えることができる計算になる。しかし、読書というのは、読みながらときどき立ち止まって考える時間が大切というか、それが読書の醍醐味ではないかと思うので、ハイペースかつノンストップの読書というのは、充実しているように見えて、やはり意味に乏しい時間のように思える。多忙さと充実感はしばしば混同されやすいものである。

 

1.25(水)

 父を車椅子に乗せて病院へ。80歳を越えた人間の病気に「治癒」を期待することはできない。いかに「小康状態」を、相対的に快適な状態を保つかということである。待合所の椅子に座って、母が、「以前は病院の廊下をよたよた歩いている老人を見ると気の毒だなと思っていたけれど、いまは自分の足で歩けるだけ立派だと思うようになったわ」と言った。確かにその通りだと私も思った。病院から帰って、遅い昼食をとりに「やぶ久」へ。腹ぺこだったので、いつものすき焼きうどんにご飯を追加注文した。腹一杯食べられることの幸福を感じながら食べた。

 

1.26(木)

 昼から大学へ。昼食は高田牧舎でハヤシライスと珈琲。夕方まで研究室で試験の採点。途中、息抜きに、文カフェでおでん(大根、玉子、竹輪、ロールキャベツ)を食べ、生協文学部店で便利グッズ(携帯電話の乾電池式携帯充電器、ストラップ用のミニ・ボールペン)を購入。便利グッズは携帯電話に装着したところを撮りたかったのだが、人間が自分の顔を自分の目で直接見ることができないように、携帯のカメラで携帯自身を撮ることはできないのである。夕方から「正岡先生と35年を語る会」の打合せ。文集は明日一日で印刷と製本(200部ほど)をしなければならない。出よ! 火事場の馬鹿力。夕食は五郎八で天せいろ。数年前まで二文の事務所の職員でいまは理工学部の事務所にいるHさんと一緒になる。ここの蕎麦のファンでよく来るのだという。Hさんの定番はきざみ鴨せいろである。カウンターでしばし蕎麦談義。修論と卒論を紙袋に入れて、自宅に持って帰る。ずしりと重い。

 

1.27(金)

 昼から大学へ。昼食は「ほづみ」の塩ラーメンと半チャーハン。ここはカウンター席のみの店で、他に客がいないと、カウンターの向こう側の方々(ご家族3名ほど)と対座する形で食べることになり、少々緊張するのだが(「携帯のスイッチは切って下さい」という貼り紙も緊張感を増幅させる効果がある)、今日は先客が5人ほどいたので、安心して暖簾をくぐる。午後2時頃から文集の作成に入る。当初は、片面印刷で部数も40部の予定だったので、夕方までには終わると踏んでいたのだが、土壇場になって、両面印刷で部数も220部と技術的にも量的にも要求水準がアップした。4台のプリンターを動員して印刷を行ったが、カラー写真を組み込んだページの印刷に恐ろしく時間がかかったり、プリンターが途中で動かなくなったり、トナーが切れたり、両面印刷のページの組み合わせを間違ったり・・・・およそ考えられる限りのトラブルが次々に発生し、これはとても今日中に終わらないのではいかと絶望的な気分になったりしたが、夕食の弁当を食べるあたりから作業が軌道に乗り、午後11時を少し過ぎた頃、ようやく最終段階のホチキス止めの作業が始まった。残念だったのは、終電の関係で、最後の一冊のホチキス止めが終わるのを見届けられなかったことだ。A4判、74ページの立派な冊子に仕上がった。今日の作業を手伝って下さったみなさん、とくに正岡ゼミの学生諸君、どうもありがとう。

 

1.28(土)

 昼から大学へ。昼食は五郎八の天せいろ。今日はこれからいろいろ行事があるので、せいろは普段より一枚多い三枚にしてもらった。午後1時から長田先生の研究室でN君の修士論文の口述試験。それを終えてから、2時40分からの正岡寛司先生の最終講義に出席。たくさんの卒業生(歴代の正岡ゼミの方々)で38号館AV教室が埋まった。引き続き、夕方から場所を九段会館に移して、「正岡先生と35年を語る会」が開かれた。これは歴代の正岡ゼミの合同懇親会というべきもので、出席者は150人を越えていた。昔、私が大学院生として参加させていただいたゼミもいくつかあり、また、最近の卒業生は講義や演習で顔見知りだから、私自身にとっても楽しい会だった。2時間はあっという間に過ぎた。おそらく正岡先生にとっては35年という教員生活もあっという間に過ぎたのかもしれない。

 

1. 29(日)

朝食を済ませて、パソコンに向かっていると、頭痛がした。私にしては珍しいことである。サイコロジカルな意味で頭の痛いことはしばしばあるが、フィジカルな意味で頭が痛いことはめったにない。「頭痛にノーシン」とかのコマーシャルを見ているときも頭痛とはそんなにつらいものなのかと他人事として見ている(同じことは二日酔いの薬のコマーシャルについても言える。ただしそれは私が酒に強いからではなく、酒を飲まないからである)。それでも、ごくたまに、頭の一区画がドックンドックン痛むことがある。そして、「ああ、これが偏頭痛というやつか」と珍しい蝶々を捕まえた昆虫学者のような気持ちで頭痛を受け止める。さて、どうしたものか。とりあえず横になってみるかと、蒲団に入って昼まで寝直したら、頭痛はきれいさっぱり消えていた。雲散霧消とはこういうときに使う言葉だろう。スッキリした頭で昨日の「正岡先生と35年を語る会」で久しぶりで再会した人たちの顔を思い浮かべた。あらためていい会だったと思う。

 

1.30(月)

 昨日今日といい天気なのだが、一歩も外へ出ていない。髭も剃っていない。父を介護し、庭の鉢植えに水をやり、ベランダに居着いてしまった野良猫(仔猫二匹)の相手をしていると、何となく一日が過ぎていく。陰鬱で、長閑な、そんな一日。

 

1.31(火)

 ちょうど2ヵ月前、12月1日のフィールドノートで、二文の学生Kさんがミス日本コンテストの全国大会に出場が決定した話を書いた。その全国大会が昨日行われ、私の(希望的)予測どおり、Kさんがミス日本グランプリを受賞した。彼女の名前は小久保利恵さん。社会人間系専修の2年生で、昨年度、私の基礎演習の学生だった。小久保という姓がいかにも教え子という感じがするではないか。これから忙しい日々が始まるであろうが、健康に気をつけて、そして自分を見失わずに、頑張っていってほしい。

 明日は卒論の口述試験の日。学生の一人からメールが来て、何時からどこでやるのですかと訊いてきた。そんな重要なことも知らないのかと唖然とする。文学部ホームページに載っている(ただし集合時刻のみ。場所はキャンパスの掲示板)。返信のメールにその旨を書き、冗談で、「場所はカフェ・ゴトーです」と書いたら、すぐにまたメールが届き、カフェ・ゴトーでやっていただけるとはとても嬉しいですと書いてあった。どうも冗談が通じていないようである。冗談の解説をするなんて・・・・と思いつつ、再び返信のメールを送る。


2006年1月(前半分)

2006-01-14 23:59:59 | Weblog

1. 1(日)

 お節料理のない元旦の朝食、の予定であったが、三世代揃っての朝食であったため、昆布巻き、牛蒡・蒟蒻・筍・椎茸の煮物、数の子、刺身、ローストビーフ、卵焼きなどが食卓に並び、雑煮とお汁粉を食べ、いつもの正月とそれほど大差なかった。いつもと違うのは年賀状が来ないこと。ただし、皆無というわけではなく、喪中であることをご存じない(あるいは忘れている)方から20枚ほど届く。こういう場合は松の内が明けてから寒中見舞の返信を出せばよいと礼儀作法の本には書いてあるが、ご存じないのは私が知らせていないからで、申し訳ない気持ちがするから、年賀状ではなく絵葉書に返信を書いて投函する。外出ついでに散歩。昨日までは快晴続きであったが、今日は一転して曇天である。ほとんどの店舗はシャッターを下ろしており街に昨日までの賑わいはない。しかし駅ビルなどは早くも明日から営業を開始するから、この静かな谷間の一日がかえって貴重に思える。シャノアールで家から持参した『丸山真男座談1』(岩波書店)を読む。丸山は『世界』1946年5月号の「超国家主義の論理と心理」で一躍論壇のスターになったが、その後は総合雑誌に論文はめったに書かず、もっぱら座談という形式で発言を行ったから、戦後日本のオピニオンリーダーとしての丸山について知るには座談記事を読むことが肝心である。深夜、WOWOWで崔洋一監督の『血と骨』を観た。在日朝鮮人一世の金俊平という実在の人物の一代記。2時間半の作品であったが、長くは感じなかった。

 

1. 2(月)

 昨日、元日と日曜日が重なったため、今日は「振替休日」である。しかし、その恩恵を受けている人(振替休日であるが故に今日が休みの人)って、一体どのくらいいるのだろうか。午前中は箱根駅伝(往路)、午後はラグビー大学選手権早稲田対法政をTV観戦。妹の夫が川崎大師のお札を持ってきてくれる。娘の成人のお祝いもいただく。父の弱りように驚いている様子。昨年の5月に妹夫婦は両親を車で箱根の温泉に一泊旅行に連れて行ってくれ、そのとき父は旅館で出された料理をしっかり食べていたそうだ。11月に腰痛で床に就くようになってから急速に弱っていったのである。朝から降っていた雨があがったので、散歩に出る。栄松堂で朝永振一郎『量子力学と私』(岩波文庫)を購入し、シャノアールで読む。朝永は1906年の生まれだから、清水幾太郎(1907年生)とは同時代人である。しかし自然科学の道に進んだ者と社会科学の道に進んだ者とでは1930年代(「暗い谷間の時代」と呼ばれている)の経験の仕方はずいぶんと異なる。マルクス主義へ接近した清水が社会学批判の論文を書いて東大の社会学研究室を追われ、しだいに強まる言論統制の下で売文業者としてどうにか暮らしていた頃、朝永は日独交換研究生としてライプチヒ大学のハイゼンベルグ教授の下で原子核理論の研究に従事していた。そのときの日記が「滞独日記」である。

 

一九三八年一月二十三日

   朝早くおきて、公園へ行く。ちぎれ雲が日にきらきらして風のある天気だ。もう雪は消え、ゆうべの雨でみちがぬれている。白かばにふさが下っていて、柳の木はうす緑にかすんで見える。エルスターの川面を風が波立たせて、空のちぎれ雲の影を水の上で光らせている。

   かえって、計算する。夜までやると、つかれて、精神がおかしくなる。うまくいかないからだ。とんでもない一人よがりで仕事に手をつけたのがまるでばかなことで、自分一人世間からとりのこされているような、おびえた気持ちになる。もう一月で学期が終わる。

 

日記には、研究の進捗状況の芳しくないこと、物理学者としての自分の才能への自負や危惧、ライバルたちへの嫉妬などが赤裸々に書かれていて、後のノーベル賞受賞者も決して順風満帆なコースを辿ってきたわけではないことがわかる。同時に、この日記は、彼の関心が自己の周囲と研究テーマの周辺に集中して、日本や世界の政治経済的動向へは向けられていなかったことを示唆する。夜、年賀状への返信の絵葉書を書いて、近所のポストに投函する。夜空に雲はないようで、オリオン座やシリウスが冴え冴えと瞬いている。

 

1. 3(火)

 妻と子供たちは妻の実家に出かけたが、私は高校時代の友人と久しぶりで会う。彼とはバドミントンでダブルスを組んでいた。ツーといえばカーの間柄である。久しぶりで会っても昨日会ったばかりのように会話を始めることができる。高校を卒業して30有余年、草臥れてもいるし、身軽でもないから、威勢のいい話はほとんど出ない。互いの仕事のことや家族のことについてあれこれ話をする。年齢が同じだと抱えている問題も似通ってくる。それを確認し合うことで連帯を深めているようなところがある。昼飯を食べ、珈琲を飲み、「それじゃあ、またな」と言って別れる。

 

1.4(水)

 自宅で仕事始め。2006年度の講義要項の作成に取りかかる。ワセダネット・ポータルを使ってウェッブ入力できるのだが、何度か操作をミスして、書いたものが更新・保存されずに消えてしまった。前年度と同じ科目は今年度のものに加筆修正する程度なのでよいのだが、新たに担当する科目(一文の「社会学演習ⅡB」と二文の「現代人の精神構造」)は一から書かねばならず、これを書いているときの操作ミスはとても痛い。「お~い、それはないだろう」と画面に向かってぼやく。持って行き場のない憤り。二度と同じ文章は書けない。そうなると消えてしまった文章がとてもいい文章だった気がする。「逃がした魚は大きい」の心理である。しかしこれは錯覚で、冷静に考えれば後から書いた文章の方が推敲されていてよい文章であることの方が多いのだ。と、考えることにして、明日のジョーのように何度でも立ち上がり、キーボードを叩き始めるのである。夜、炬燵に入って、『古畑任三郎』を観ながら、今日届いた年賀状(6枚)への返信の絵葉書を書く。

 

1. 5(木)

 今日から我が家にヘルパーさんがやってくる。ほぼ寝たきりになってしまった父の介護のためである。男女のペアーで、ほれぼれするほど手際がいい。とりあえず朝と昼の一日二回だが、夕方にもう一回お願いすることになるかもしれない。ヘルパーさんを依頼するにあたっては多少のためらいがあったのだが、依頼してよかったと思う。我が家は二世帯同居だから一般の家庭よりも人の手はあるのだが、それでも毎日毎日のこととなるとさすがに疲れるし、気持ちに余裕がなくなってくる。老人介護は乳児の世話と同じで、四六時中スタンバイしていないとならないところがあり、介護者は自分自身の生活のプランニングが大変難しいのである。

夕方、散歩に出る。熊沢書店で上野千鶴子編『脱アイデンティティ』(勁草書房)、鹿島敬『雇用破戒 非正社員という生き方』(岩波書店)、内田樹『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋)、キタヤマオサム『ふりかえったら風2』(みすず書房)を購入。ルノアールで上野の論文「脱アイデンティティの理論」を読む。

 

 今からふりかえってみれば、二〇世紀は「アイデンティティidentity」という概念が席巻した時代だった、と言ってもよいかもしれない。ひとびとは「アイデンティティ」なしでは生きられないかのようにふるまい、宗教や文化や民族アイデンティティをめぐって殺し合うことさえ起きた。(中略)さまざまな言い方であらわさられる「アイデンティティ」についての仮説を、本書では「アイデンティティ強迫Identity obsession」と呼ぼう。この「アイデンティティ強迫」はいかに成立したのか、それはどんな効果を持ったのか、その強迫が残りつづけることでどんな問題が起きるのか、つまるところアイデンティティはもはや有効期限切れの概念ではないのか。

 

 そのとおりであると思う。ミスターチルドレンの『名もなき詩』の中に「自分らしさの檻の中でもがいてる」という一節があるが、これなどは「アイデンティティ強迫」の病理をよく表していると思う。大学生が就職活動の中で行う「自己分析」という作業も制度化された「アイデンティティ強迫」の一形態である。

夜、『古畑任三郎』の最終回を観ながら、今日届いた年賀状(なかなか打ち止めにならない)に返信の絵葉書を書く。松の内に年賀状の返信を出さなくてはならない。これ、「年賀状強迫」である。

 

1.6(金)

 ヘルパーさんにお願いしているのはオムツの交換と身体洗浄である。朝昼夕の一日3回、日曜を除く毎日お願いすることになった(平日の夜と日曜はわれわれだけでやる)。現在の父の要介護度は「1」なので、自己負担費用は月6万円ほどである。ただし「1」というのは寝たきりになる前の段階のものなので、いま区分変更の申請をしており、「2」ないし「3」と認定されれば、自己負担費用はもっと安くなる。今日は朝昼夕、ヘルパーさんの作業に付き合って介護のやり方を学習した。夜、それを自分で試してみて、ヘルパーさんのようにはいかないものの、先日までと比べて格段に手際よくできるようになった。何でもその気になって学習すればできるようになるものである。一方、父の方も、家族に介護される場合と比べて、「他人様」という意識がは働くためだろうか、ヘルパーさんの指示に素直に従っているし、「美人の方ばかりで・・・・」などとリップサービスまでしたのには驚いた。人間は精神が弛緩しないためにも他者との接触は必要なのだとそのとき実感した。

 

1. 7(土)

 12月23日のフィールドノートで杉田弘毅『検証 非核の選択』(岩波書店)の感想を少々書いたが、それをご覧になった杉田さんからお礼(?)とフィールドノートを読まれた感想のメールをいただいた。杉田さんとは一面識もない。これがネット空間の面白いところである。そのうち鶴田真由さんからもメールをいただけるんじゃないだろうか。

 復活書房で園田高弘『ピアニスト その人生』(春秋社)を購入。少し前にあゆみ書房で手にとって買おうかどうしようか迷って、結局、買わなかったのだが、2200円の新刊が520円となれば買わない手はない。園田は戦後の日本を代表するピアニストで、2004年10月に76歳で亡くなったが、死の直前まで演奏活動をしていた。私はピアノを弾けないが、ピアノ曲を聴くのは好きだ。CDを聴きながら、両手を動かして、ピアノを弾いている振りをして遊ぶことある。もし神様が何かの楽器を自由に演奏できる才能を授けて下さるのなら、第一希望はピアノで、第二希望はチェロ、第三希望はとくになし。でも、私は手があまり大きくないので、きっと苦労することだろう。園田は7歳の頃からレオ・シロタというピアニストから個人レッスンを受けていたのだが、そのときのことをこんな風に書いている。

 

 僕は最初、シロタ先生のように、手のひらを鍵盤に対して斜めに広げて弾いていた。なぜかというと、先生は手が大きくて、まっすぐに鍵盤に向けると指が鍵盤の奥のピアノの蓋にあたってしまうからで、子どもの僕は、そのように弾くものだと思いこんでいたのだ。シロタ先生はともかく身体も大きく、指は信じられないほどに大きかった。

 ちなみに、作曲家で大ピアニストだったラフマニノフは、よく指を丸めて弾いていたというが、彼も、音程の一〇度も一三度も届くと言われるほど手は大きく指が長かったからだ。一般に手が小さいとされる日本のピアニストとは正反対の悩みである。

 シロタ先生の教えは、父が東京音楽学校で学んだような、手を動かさずに弾く奏法とはまったく違っていた。そのような奏法だけではヨーロッパでは通用しない。明治時代に東京音楽学校教授を務めた久野久子は、ウィーン留学中に自殺した。自殺の本当の原因は謎のようだが、奏法のギャップに悩んだのは間違いないと思う。

 

 西洋人の、しかも男性の標準的身体を基準に作られたピアノを日本人が演奏することの宿命的困難。これはピアノに限らず、ありとあらゆるものを西洋から輸入し、それを模倣することで一等国になろうとした近代日本の「いじらしさ」を象徴するものではなかろうか。

 

1. 8(日)

 2006年度の学部の講義要項(7科目分)をようやく全部書き終えた。締め切りが明日(9日)なので、毎度の事ながら、今回も土壇場の作業であった。残っているのは大学院の演習の講義要項で、これは明後日(10日)が締め切りだから、明日やることにしよう。明日できることを今日やるな。メソポタミア文明の古文書にそう書いてある(嘘です)。

 

1.9(月)

 今日は成人式。外出しなかったので、街を歩く晴れ着姿の女性たちを見る機会はなかったが、我が家で娘の晴れ着姿を見た。昨年の5月、写真館での撮影の際に一度着ているので、「目を見はる」ということはなかったが、「そうか、娘も成人か」と再認識した。病床の父にも見てもらう。孫娘が成人を迎えたことはわかったようである。「うん、うん」と頷いて、「お祝いをあげないと・・・」と母に言っていたが、お祝いはすでに昨日いただいているのである。父は、いまだから書けるが、年末年始の数日間、かなり危機的な状態にあった。何も食べなくなり、何も話さなくなり、痰が喉に始終からんで呼吸が困難であった。誰かが常にベッドサイドで看ていないとならなかった。救急車を呼んで入院させることも考えたが、そうすれば、気管切開などの医療的処置が行われるだろう。栄養も口からではなく人工の管を通して行われるようになるだろう。そして、おそらくはもう二度と自宅には戻って来られないであろう。もし父の呆けがもっと進行していて、家族の判別ができないような状態であったら、そういう選択をしたかもしれない。しかし、父の呆けはそこまでは進行しておらず、妻、息子(私)、嫁、二人の孫、それに飼い猫を識別することができる。父は家族的空間の中で生きている。介護のやり方をめぐって私と母が口論になったとき、それを見ていた父は、「同じ屋根の下に住んでいる者同士が言い争いをしてはいけない」とかすれた声で言った。看病に疲れた母が父に「入院しますか」と尋ねたとき、父は「やっぱり家がいいなあ」と言った後で、「でもみんなに迷惑がかかるから入院しようかな」と言った。われわれが父を入院させない(少なくともいましばらくは)と決めたのはそのときであったと思う。

 

1. 10(火)

 大学へ初出勤。JRの定期券もメトロカードも切れていたので、蒲田-東京間の定期券を一ヶ月分(6300円)と3000円のメトロカードを購入。いきなりの出費である。そして、カリキュラム委員会、基礎演習ワーキンググループ、現代人間論系運営準備委員会といきなり会議が目白押しである。会議の合間に、戸山図書館の学習図書の選定作業、調査実習の領収証の整理、その他の雑用を済ます。生協文学部店で、村岡到『社会主義はなぜ大切か マルクスを超える展望』(社会評論社)、西原博史『学校が「愛国心」を教えるとき 基本的人権からみた国旗・国歌と教育基本法改正』(日本評論社)、ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(新水社)、井上俊・船津衛『自己と他者の社会学』(有斐閣)、間々田孝夫『消費社会のゆくえ 記号消費と脱物質主義』(有斐閣)、ジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期米日関係』(みすず書房)を購入。最初の会議が始まったのが午前11時で、最後の会議が終わったのが午後8時。帰りに成文堂で『中央公論』2月号を購入。特集「大学の失墜」を電車の中で読む。潮木守一と竹内洋の対談「大学転落物語 教養の砦から若年失業者の収容所へ」の中で、竹内がこんな発言をしていたが、肯ける部分が多い。

 

 これを読むことが「教養」だ、という本はもうないと思います。ですが、漱石の小説でもマックスウェーバーでも、各先生が自分の感動体験とセットにして、学生に本を紹介する授業はするべきだと思っています。要するに今の学生にとって、自分を抜きにした客観主義はつまらないわけです。あなたにとってそれは何なのかということを知りたいわけです。

 それからかつての教養主義は、進歩や成長の歴史意識のもとに誕生したものだと思います。人格主義というのは、社会の進歩の個人版、つまり人格の進歩ですから。だから当時は本を読んで人格を高めていくということが自然に納得できたんですね。今の学生にとっては社会が進歩し、成長していく実感がないことと、自分の人格を高めていくという実感がないことは並行しているのだと思います。教養主義の没落は、進歩と成長の歴史意識の衰退によるものだと思います。

 しかし、今の学生には、教養主義の古層ともいえる煩悶青年に似たところもあるんですね。引きこもりやニートは現代版煩悶青年とも言えます。そういう学生のよりどころになっているのが、マンガやアニメといったポピュラーカルチャー。大学では、大衆文化をいま以上に徹底してやる必要があると思いますね。

 

 え~、いまこれを読んでいる調査実習の、映画・TVドラマ班、小説班、音楽班、ブログ班、キャッチコピー班の諸君、ポピュラーカルチャーにみる人生の物語の分析を「徹底して」やってくださいね。そういえば、わがクラスには「煩悶青年」ならぬ「悶々青年」がいたっけね(笑)。

 

1. 11(水)

 夜、卒論演習の学生たち(4年生)と神楽坂で打ち上げの食事会。楽しい会だったが、6時半から始めて10時頃にお茶漬けやお握りやらデザートを注文したので、そろそろお開きかと思ったら、そこからまた二次会のごとく(同じ店で)飲み物の注文が始まり、お開きになったのは11時半であった。いや、よく喋った。席上、パーカーの万年筆(私のネーム入り)を学生たちから頂戴する。万年筆は学生の頃使っていたが、最近ではボールペンとシャープペンが私の筆記具の中心である。これを機会に万年筆をまた使い始めようか。書類にサインをするときはやはり万年筆が一番似合っているし、絵葉書の文字も万年筆が一番味わいがある。

 

1.12(木)

 今年の冬は例年より寒いが、早稲田大学的特殊事情により、その寒さが一段と応える。どういうことかというと、早稲田大学ではこの冬から教室や研究室へのスチーム暖房の供給がストップされたからである。エアコンがあるからいいだろうと。要するに経費節減である。しかし、エアコンによる暖房とスチーム暖房では暖かさの質が決定的に違う。スチーム暖房は足下から温まるが、エアコンは天井から温まる。「頭寒足熱」という言葉があるが、勉強や研究に適しているのはスチーム暖房で、エアコン暖房ではない。エアコンで足下の方まで暖めようと思うと、かなり温度設定を高くする必要があり(この時点ですでに経費節減は期待できない)、それで足下が温まっても顔が火照り、頭がボーっとする。だから私などはエアコンは弱めにして、電気ストーブで足下を暖めているのだが、小さな電気ストーブだから暖をとるに十分ではない。今度、家からダウンジャケットをもってきて部屋着にしようかと考えている。膝掛けも必要だ。昭和基地の隊員だって室内ではもっと軽装だろう。これが大学が進める125周年事業の舞台裏である。お寒い話だ。7限の授業の前に「ごんべえ」でカレー南蛮うどんを食べて、冷えた体を温める。

7限の基礎演習は「ニート」をテーマにしたグループ報告。「ニート」の定義を問題に焦点を当てた報告であったが、概念の吟味というのは、いってみれば包丁(概念)の切れ味をよくするために包丁を砥石で研ぐようなもので、お客としてはその研いだ包丁を使って何かしらの料理を作ってもらいたい。しかし報告では、包丁は研いだだけで、実際の料理(分析)に使われることはなく、食品サンプル(どこかの学者が考案したニートの3タイプ)の紹介が行われて終わった。もの足りない内容だった、と私は率直に感想を述べた。もの足りない部分には目をつぶり(あるいは大目に見て)、どこかしらよかった点を見つけ出して評価するというやりかたももちろん知っている。実際、そうすることもある(というよりは、その方が多いかもしれない)。しかし、ときにそういう配慮はあえてせずに率直にだめ出しをすることがある。だめ出しをしても大丈夫な学生、もちろんだめ出しをされて嬉しい学生はいないであろうが、それを糧にして伸びるであろう学生に対しては、率直にだめ出しをする。ただ、それをした日は、彼らはいまごろどんな気持ちでいるのだろうと考えたりする。

 

1.13(金)

 昼から大学へ。3限の大学院の演習は最近出た山田富秋編『ライフストーリーの社会学』(北樹出版)の第一章「ライフストーリーから見た社会」(桜井厚)を読む。私が事前に本に書き込みをしながら読んだものをコピーして配布し、私が何を考えながらそれを読んだかを追体験してもらった上で、ディスカッション。5限の調査実習は報告書の作成に向けて各人のレポート(インタビュー記録の分析)のテーマならびに分析に利用するケースについて説明してもらった(全員が説明する時間はなかったので、半分の人は来週回しとなる)。「五郎八」で夕食(天せいろ)をとった後、研究室に戻って、明日の試験(3科目ある)の問題を考える。10時、帰宅。残り物のトンカツでご飯を一膳。風呂上がりに、『時効警察』という今日から始まった深夜のTVドラマを何となく観たのだが、これが面白かった。ゴールデンタイムにやっている並のドラマよりずっと面白いんじゃなかろうか。

 

1.14(土)

 今日一日でテストが3つ。といっても受けるわけではなくて、出題する側だが、立て込んでくるとミスも出る。2限の「社会学基礎講義B」では問題用紙だけ持って、解答用紙を持たずに教室に行ってしまい、あわてて教員ロビーに取りに戻る。でも、この程度のミスは3限の「社会学研究10」でのミスに比べればミスとは呼べないものであった。4つの問題の中から1つを選んでもらって解答するという形式のテストだったのだが、4問のうちの1つで授業でやっていないことを出題してしまったのである。だから事実上、3問の中から1つを選ぶ形式になったわけである。ところがその解答不能のはずの問題を選択した学生が一人だけいて、しかもちゃんと解答していたので、二度びっくりした。6限の「社会と文化」ではミスはなかったが、試験時間60分で、「残り1分」を告げたときにまだ懸命に書いている学生が数人いたので、「ロスタイム30秒」を加算した。入試だったらこういうわけにはいかないが、教場テスト(それも私の科目の)ですからね、裁量の範囲内でしょう。今日は一日雨だった。久しぶりの雨である。夕食は蒲田に着いてから銀座アスターでたらば蟹と金華ハムの炒飯を食べる。今月のおすすめ料理となっていたので注文したのだが、なるほど、そんじょそこらの炒飯とは違う。至福という言葉が大袈裟すぎるなら、感激という言葉を使っておこう。ただし、値段もそんじょそこらの炒飯とは違う。2100円(!)。炒飯一品で2100円(!)。町の中華料理店の3倍(!)。『ぐるぐるナインティナイン』という番組の「ごちバトル」という企画があるが、一瞬、自分がその出演者になったような気分になり、国分太一のマネをして「オイシー!」と叫びそうになった。