フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月12日(木) 晴れ

2024-09-13 12:29:52 | Weblog

8時、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

昨日、アヤナさんからいただいたお菓子を食べる。

「朝からお菓子ですか」

昨日のブログを書く。(『グッドイヤー・ミュージック・エアシップ』をタイムフリーで聴きながら)

いつもより早めの昼食(1時頃)を家で食べる。バタートースト、カレー、牛乳。朝食のような昼食。

食事をしながら、カフェで食事をするときと同じように、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読む。原稿を書いている時期というのは、読書単独の時間というのはなかなかとれない。昼食をとりながら、あるいは電車での移動時間に、息抜きで読むことになる。週末の二日間をまるまる使って、長編小説を一気に最後まで読むというのもいいものだが、毎日、ちびちびと読むのも悪くない。長くその世界に浸っていられるからだ。

 獣たちが門の中に入ってしまったあとで、僕は門番が僕に見せようとしたものがいったい何であるかを理解することができた。眠っているように見えた獣たちの何頭かは、同じ姿勢のまま凍りついて死んでいたのだ。そんな獣たちは死んだというよりはまるで何か重要な命題について深く考えこんでいるように見えた。しかし彼らにとっての回答は存在しなかった。彼らの鼻や口からは一筋の白い息ものぼらなかった。彼らの肉体はその活動を停止し、彼らの意識は深い闇の中に吸いこまれてしまったのだ。
 他の獣たちが門に向かって立ち去ってしまったあとには、まるで大地に生じた小さな瘤のようなかたちに数頭の死体が残された。白い雪の死衣が彼らを包んでいた。一本の角だけが妙に生々しく宙を射していた。生き残った獣たちの多くは彼らのそばを通りすぎるときに、あるものは深く首を沈め、あるものは蹄を小さく鳴らした。彼らは死者たちを悼んでいるのだ。(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』第20章より)

全部で40章からなる小説の半分まで読み終わったことになる。再読なのだが、驚くほど覚えていない。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が出たのは1985年6月である。私が31歳のときだ。私は本を読み終わると裏表紙の裏にそのときの自分の年齢と季節を記しておく習慣がある。本書は「47歳、年の初め」と記されている。普通は買ってすぐ読むのにこれは一体どうしたことだろう。おそらく、おそらくだが、本書を購入した時、私はまだ定職についておらず、半年後には長女が(もう性別はわかっていたと思う)生まれることになっていた。長編小説を読み耽る気分ではなかったのだろう。そうして読むタイミングを逸してしまったこの長編小説は長いこと(16年!)本棚の片隅に放置され、後から出された村上春樹の作品たちが読まれるのを傍らで黙って見つめていたのだ。下積みの長かったお笑い芸人のようである。

昼寝をする。いまの日常に昼寝は不可欠。しかし、目が覚めたら3時を回っていた。寝すぎた。

「ベイクマン」に食パンの取り置きを電話でお願いして3時頃取りに伺いますと言ってあるのだ。着替えをして家を出る。

大森「ジャーマン通り」。

「いつもありがとうございます」とお店の方に言われる。毎回、食パン2斤(6枚切)を購入し、冷凍し、基本的に一日一枚食べるので、12日間隔で来店している。たまに、しかし定期的に来る客である。

「本の庭」に寄っていく。

スタッフのKさんが私が手に提げているものを見て、「パン屋さんに行かれたのですね」と言った。

梅ソーダを飲みながら、ゼミ論相談の資料に目を通す。「ノチハレ珈琲店」同様、ここの梅ソーダも今月でなくなるだろう。夏の名残の梅ソーダ。

30分ほど滞在して店を出る。

帰宅して夕刊に目を通す。「群雄割拠」「呉越同舟」「大同小異」「有象無象」・・・いろいろな四文字熟語が浮かんでくる。

5時からSさんのゼミ論相談(オンライン)を1時間半。

夕食は鯛のアクアパッツァ、鱈子と昆布の佃煮、白菜の漬物、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『新宿野戦病院』最終回(録画)を観る。

「最終回でサプライズ」があるとは聞いていた。もしかして寅子(伊藤沙莉)が出演するのでないかと思ってみていたら、そうか、これだったか。主題歌「恋のブギウギナイト」を歌うサザン・オールスターズがエンディングに登場。

昨日、ホナミさんからいただいたお菓子を食べながら今夜の『プレバト』(録画)も観る。俳句秋のタイトル戦(錦秋戦)の予選Aブロック(兼題「一人めし」)とBブロック(兼題「一人暮らし))。的場浩司と大迫永依が一位通過

 削げし頬月下貪るパンの耳 的場浩司

 薄めたシャンプー朝冷えのワンルーム 大迫永依

原稿を書く。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


9月11日(水) 晴れ

2024-09-12 12:07:48 | Weblog

7時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。今日の目玉焼きは目玉が崩れている。卵の割り方や、フライパンから器に移すときのやり方がまずかったことによることもあるが、元々黄身に張りがないことが理由のこともある。

『ア・ターブル ノスタルジックは休日』の最新話をTVerで観ながら(録画したのだが誤って消去してしまったのである)、昨日のブログを書く。

12時半ごろ、家を出て大学へ。蒲田発の電車なので車内はスカスカである。でも、この先、しだいに混んで来るからマスクは着ける。

コロナは終息したのではなく、浮沈曲線を描きながら定着したのである。私の身近にも最近感染した人人たちがいる。後遺症も含めてやはりきついそうである。必要以上に神経質にならなくてもいいが、油断は禁物である。

家を出るときにあわてて履いた靴下の履き心地がよろしくない。ゆるくてずり落ちてきそうだ。東京駅から大手町駅への乗り換えの時、オアゾビルの地階の「キャンドゥ」で靴下を買うことにした。「キャンドゥ」はいわゆる100円ショップであるが、最近は、数百円するものも売っている。一見「ポロ」風のこの靴下もそうだろうと思ったら「110円(税込み)」だった。安い! あらゆるものが値上がりする時代にあって、安物に安堵することが増えるだろう。願わくばすぐにボロになりませんように。

今日は、昼と夜、二人の卒業生が研究室を訪れることになっている。

昼の訪問者は、ホナミさん(論系ゼミ2期生)。半休をとって来てくれた。

彼女とリアル空間でお会いするのは(コロナの最中にオンラインでカフェをしたことがある)、コロナになる前の2019年の12月のことだったから、実に5年ぶりということになる。しかも、他の卒業生と一緒でなく一人で会うのは初めてであろう。「何かの報告とセットでご連絡しようと思っていたらいまにいたってしまいました・・・(笑)」

とはいっても、今日は何かの報告があるわけではない(笑)。いいんですよ、それで。会いたくなったから会いに来る。会うこと、会っておしゃべりをすること、それ自体が目的であるような相互行為をジンメルは「社交」と呼んで、「純粋社会学」の例として『社会学の根本問題』の中で取り上げている。

研究室でしばらくおしゃべり(彼女の近況)をして、遅い昼食(すでに2時半だ)を「フロハン」に食べに行く。

ランチのクレープセット。5種類の食事クレープの中から2種を選ぶ。私はベーコンのクレープとチキンの照り焼きクレープをチョイス。

彼女はハムのクレープとカプレーゼのクレープをチョイス。

デザートはオレンジのパウンドケーキ、ドリンクは私はコーヒー、彼女はアイスティー。

二人が共通に観ている夏ドラマ『海のはじまり』について語り合う。われわれが語り合っているときに、われわれよりも後から入って来て食事をしていた女性がそそくさと席を立ったのは、もちろん食事がすんだからであると思うが、もしかしたら録画してまだ観ていないドラマの話を聞きたくなかったからかもしれない。

店には1時間半近く滞在した。腹ごなしに本キャンを散歩する。

村上春樹ライブラリー併設のカフェ「橙子猫(オレンジキャット)」に入ろうかと思ったらお休みだった。夏休みだからではなく水曜定休なのだった。

「カフェゴトー」に行く。お腹はいいので、ドリンクだけにする。私はスイーツ代わりのココア、彼女はアイス珈琲。

『海のはじまり』に出て来た(『ア・ターブル ノスタルジックな休日』にも出て来た)釣り堀は阿佐ヶ谷にある寿々木園という釣り堀だが、高円寺に住んでいる彼女はその釣り堀のことを知らなかった。スマホで検索して、「あっ、ほんとに阿佐ヶ谷の駅の近くにあるんですね」とびっくりしていた。次は彼女に地元のカフェを案内してもらいがてら、釣り堀でおしゃべりをするのもドラマっぽくていいかもしれないねという話になった。真冬は寒そうだから、秋の終わりか、春の初めくらいがいいかもしれない。

店には1時間ほど滞在した。久しぶりに馬場歩きをして帰りますという彼女とは馬場下の交差点で別れた。

私はもう一人の卒業生とこれから会うために研究室へ。

6時過ぎに卒業生のアヤナさん(論系ゼミ10期生)がやってくる。研究室のある39号館がどこにあるかわからず(忘れてしまい)、キャンパスを右往左往したようである。

彼女と会うのもずいぶんと久しぶりである。前回が2020年の8月であったから、4年ぶりである。彼女は東京の出版社に勤めているが、新潟の実家でリモートワークで、ときどき東京にやってくる。そのたびにホテルをとっていたのだが、東京在住の彼氏と結婚をすることになり、早稲田にマンションを借りて暮らし始めた。大家さんから入居者の面接を任せられている不動産屋さんは二人が早稲田大学の卒業生と聞いて即OKを出したそうである(笑)。

研究室でしばらく(1時間ほど)おしゃべいをして「すぎうら」に夕食を食べに行く。

海鮮サラダ。いつもここではこれを最初に注文する。お刺身とサラダを一緒に食べられる。

天ぷら盛り合わせ。

丸茄子の田楽。

穴子の白焼き。

彼女は少食なので、料理はこのへんで。締めは稲庭うどん。

やはりここでも『海のはじまり』は共通の話題になった。

ドラマの場合と同じく、将来生まれるであろう、彼女たちの子どもをどこで育てるかについては、夫婦・親族間で調整が必要のようである。

「すぎうら」は9時閉店である。閉店までいて、歩いて帰る彼女とは地下鉄の入口のとこで別れた。

10時帰宅。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


9月10日(火) 晴れ

2024-09-11 11:33:25 | Weblog

8時、起床。

おはよう、チャイ。掘り炬燵の天板を自分のベッドだと思っている。

ナツの墓の水を替える。庭のカエルが水の器の近くにいることが多いのは、自分が水に浸かるため(猛暑のとき)もあるけれど、蚊とかがやってくるからかな(カエルが虫を食べている場面にまだ出くわしたことがないけれど)。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

今日の朝ドラ。時代は60年代末、大学紛争の時代に入っていった。当時のに大学生はいまの大学生よりも政治に関心があったとよくいわれるけれど、ファッションの視点から見ると、デモなどに参加することが「カッコいい」ことだと思われていたのである。若者はいつの時代にも「カッコいい」ことが好きである。

食器を洗う前にカップにティーバッグを入れてお湯を注ぐ。食器を洗い終わって、歯磨きを済ますと、濃いめの紅茶が入る。

紅茶の入ったカップを持って書斎へ移動。今日も白い雲と青い空。

『サンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴きながら昨日のブログを書く。

一服してから、原稿の続きを書く。

2時を回った頃に昼食を食べに出る。ベランダの洗濯物はもう乾いので、取り込んでから出かける(思わぬ雨がちょっと心配)。

さて、どこで食べようか。「ホンズキッチン」か「プリミエールカフェ」かな。前者はおしゃべりカフェ、後者はもの思いカフェとして利用することが多い。

本(キンドル)を読みたい気分だったので、「プリミエールカフェ」に行く。

ポロネーゼのランチセット(1030円)を注文する。

生パスタを使っている。

セットの珈琲は食後に。

 私はエレベーターに乗って下に降り、玄関の植え込みに座ってタクシーが来るのを待った。時計は午後の一時半を指していた。二人組が部屋のドアを叩き壊してからまだ二時間半しかたっていないのだ。実に長い二時間半だった。十時間かそこらは過ぎてしまったような気がする。
 買物かごを提げた主婦が、私の前を次々にとおりすぎていった。スーパーマーケットの袋の上からねぎや大根がのぞいていた。私は彼女たちのことを少しうらやましく思った。彼女たちは冷蔵庫を叩き壊されたこともなく、ナイフで腹を裂かれることもない。ねぎや大根の調理法や子供の成績のことを考えていれば、世界は平和に流れていくのだ。一角獣の頭骨を抱えこんだり、わけのわからない秘密のコードや複雑なプロセスに頭をわずらわされたりする必要もない。そういうのが普通の生活なのだ。(村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』第15章より)

いきなりドアを破って部屋に押し入って来た二人組に室内をめちゃくちゃにされ、下腹をナイフで切られてから、2時間半が経過した場面である。捨て鉢な気持ちになるのは無理もない。買い物帰りの主婦たちの姿をステレオタイプな目が眺めたくなるのもわからないではない。でも、彼女たちもいろいろな悩みや苦しみを抱えていると思いますよ。「普通の生活」って何だろう。

床屋の前を通る。もし空いていたら入ろうかと思ったが、待っている客が二人見えたので、別の日にすることにした。火曜日は床屋の定休日の翌日なので平日にしては案外混んでいるのだ。前回、床屋に行ったのは7月21日だったので、まだ2カ月は経っていない。今日でなくてもいい。

帰宅して、今日、女流棋士の西山朋佳女流三冠のプロ編入試験五番勝負の第一局が戦われていることを思い出した。ネットTVに接続し、対局中継を観る。

午前中から始まった対局は終盤になっている。先手の高橋五段が8五桂馬と飛んで後手の玉に詰めろ(9三銀打ち以下)をかけたのに対して、後手の西山が9七角打ちの王手をして局面だ。AIの形成判断は後手の優勢である。

指し手は進んで後手の必勝の局面になった。

プロ編入試験というのは、アマチュア棋士や女流棋士がプロ棋士(全員男性)相手に一定の成績を収めたときに、プロ棋士資格を与えるために用意された五番勝負のことである。相手は若手の5人の四段たち。3局勝てばプロ棋士となる。まだ女性棋士は一人もいない。だから今回の五番勝負は藤井聡太のタイトル戦並みに、いやそれ以上に、注目されている。

西山は4二角成と指した。これをAIは緩手と判断し、形勢はたちまち互角に戻った。

しかし、高橋は西山の緩手を咎める7五金打ちではなく、8六桂と打った(9四金打ち以下の詰めろ)。しかし、これもまた緩手で、形勢は再び西山勝勢に戻った。

以下、西山は手堅く指し、先手の攻めを差し切りに導いた(局面は6四歩打ち)。ここで先手は投了した。

対局室にたくさんのカメラマンが入って来て、高橋の背後から、勝者の西山にカメラを向ける。

西山は幸先良いスタートを切った。残り4番で2勝すればよい。でも、その2勝が大変なのである。尋常な勝負ではないからだ。今回も終盤で安全勝ちを目指して危うく逆転負けを喫した可能性もあった。将棋用語で「ふるえる」というのがある。勝ちを意識した瞬間の気持ちの高まりと緊張を表す言葉である。勝負は相手との戦いであると同時に、自分との闘いなのだ。頑張ってほしい。

終局は5時45分。夕食まで原稿を書く。

夕食の前に、チャイを抱っこして家の前の道に出ていたら、駅から自転車に乗って帰宅する女子大生と遭った。チャイのファンの一人である(彼女の高校生の弟さんもそうである)。まだ夏休み?と聞いたら、「もう夏休みは終わりました」とのこと。聞くと、医学部の看護学科に通っていることがわかった。国家試験目指して4年間みっちり勉強するわけだ。彼女がチャイの頭を撫でているときに、チャイは彼女の手を二度ほど甘噛みをした。これが小さな女の子だったらびっくして泣き出してもおかしくないところだ。「慣れてますから大丈夫です」と彼女はニコニコして言った。勉強、頑張ってね。

夕食は鰺、椎茸の肉詰め焼き、味噌汁、ごはん。

大きな鰺である。値段は秋刀魚の半分とのこと。

食事をしながら『海のはじまり』第10話(録画)を観る。言葉足らずの夏と、言葉が過剰な周囲の人たち(海も小学生にしてはストレートな言葉を的確に夏のボディーに打ち込んで来る)。彼も大変である。周囲に助けてもらいながらの「父子家庭」ははたして実現するのであろうか。忍従の演技が続いているだけに、彼が海に対してどこかで言葉を荒げてしまうシーンが出てくるのではないかと心配である。

デザートはシャインマスカット。

原稿書き。13頁(A4)まで書いた。残りは本文2頁(うまく収まるかな?)、参考文献1頁である。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


9月9日(月) 晴れ、雲が湧く

2024-09-10 12:29:34 | Weblog

7時半、起床。

今朝は早起きをしたので、朝食前に朝ドラをリアルタイムで観た。時間は早足で進む。8年に及んだ原爆裁判は原告側の敗訴に終わり、義母は亡くなり、多岐川はガンの手術を受け療養中で、ヨ・ハンスの娘は母が朝鮮人であることを隠して生きてきたことに反発し、よねと轟は尊属殺人の被告の弁護を引き受け、寅子は東京家庭裁判所少年部部長になり、桂場は最高裁長官に就任する。これ、全部一回分の話である。まるで一週間の振り返りのようである。詰め込み過ぎでしょ。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。過不足のない食卓である。

昨日のブログを書く。

いつも食パンを買っている大森のパン屋「ベイクマン」のインスタに土下座のイラスト。何かと思ったら、「本日、製造が遅れております。主な原因としては熟睡による寝坊が考えられます」とのこと(笑)。

今日は11時45分に歯科を予約している。白い雲が盛り上がっている。

ここは「おしゃべり歯科」である。医師とおしゃべりをし、担当の歯科衛生士さんとおしゃべりをし、受付の方とおしゃべりをする。診療中は口を開けているからおしゃべりはできないが、診療前、診療の合間、診療後におしゃべりをする。11時45分(から)というのは午前中の最後の予約の時間帯なので、後ろに患者がおらず、みんなゆとりがあるのである。来月も同じ時間帯で予約をした。

白い雲はますます盛り上がり、両手を振り上げた怪獣のように見える。

帰宅して原稿書き。

3時近くなって、いつものように遅い(遅すぎる)昼食を食べに出る。

多摩川を越えて、矢向にある「ノチハレ珈琲店」へ向かう。普段は水曜日に行くことが多いのだが、今週の水曜日は早稲田で卒業生と会うので、今日にしたのである。

「ノチハレ珈琲店」の定休日は火曜と土曜である。

曜日のせいか時間帯のせいか、先客はいなかった。

いつものようにマヨたまトーストと梅ソーダを注文する。梅ソーダを飲めるのもあと1回(来週)か2回(再来週)かな。梅ソーダが終わると、夏が終わったなと思う。

私が入店した後もしばらく客は入って来なかったので、久しぶりで店主さんとたくさんおしゃべりができた。「ノチハレ珈琲店」はいま9年目で、来春、10周年を迎える。ここに店を開く前、関内(横浜)の駅前でキッチンカーで珈琲を販売していたそうである。朝早くから販売を始め、出勤人たちにに買ってもらえたそうだが、果物を絞ってジュースを作ることがキッチンカーでは許可が下りなかったり、夏の暑さが半端なかったことなどから、キッチンカーは短期間でやめたそうである。矢向は地元で、自転車で通える場所に店舗を探して、ここに決めたそうだ。スケルトンの物件だったが、以前はお好み焼きやもんじゃのお店で(客としてきたことも会った)、空調装置が店の広さの割に大きいそうである。店主さんはとくに「カフェをやりたい」という夢があったわけではなく、なりゆきでカフェを開くことになったという方があたっている。その点は「スリック」のマダムに似ている。

マヨたまトーストを食べ終え、梅ソーダも飲み終えた頃、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた女性が入って来て、梅ソーダを注文した。私はハレブレンドを注文し、卓上にキンドルを置いて、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の続きを読むことにした。ところがその女性は10分足らずで、梅ソーダ―を飲み干し、会計を済ませて、店を出て行った。駅のホームの立ち食いソバ屋並みの短期滞在である。カフェの利用の仕方としては異例である。「ずいぶんと早いね」と私が店主さんに言うと、「そうですね。私も驚きました」と店主さんにとっても珍しい客だったようだ。「はじめての方?」「はい、初めていらした方です」。ベビーカーを押していたのだから近隣にお住いの方だろう。以前から店の前を通っては一度入ってみたかったのかもしれない。お子さんが生まれて、カフェからしばらく遠ざかっていて、カフェでの過ごし方の感覚が戻っていないのかもしれない。あるいは急に何かを思い出したのかもしれない。それとも赤ちゃんがうんちをしてしまったのかもしれない。でも、それにしてはあわてて出て行った感じはしなかったな。ほんの束の間、一息入れたかっただけなのかもしれない。

 やがて秋はその姿を消した。ある朝目を覚まして空を見上げると、秋はもう終わっていた。空にはもうあのさっぱりとした秋の雲の影はなく、そのかわりにどんよりとした厚い雲が不吉な知らせをもたらす使者のように北の屋根の上に顔をのぞかせていた。街にとって秋は心地良く美しい来訪者だったが、その滞在はあまりにも短かく、その出立はあまりにも唐突だった。
 秋が去ってしまうとそのあとには暫定的な空白がやってきた。秋でもなく冬でもない奇妙にしんとした空白だった。獣の体を包む黄金色は徐々にその輝きを失い、まるで漂白されたような白味を増して、冬の到来の近いことを人々に告げていた。(中略)「今年の冬の寒さはおそらく格別のものになるだろうな」と老大佐は言った。「雲の形をみればそれが分かるんだ。ちょっとあれを見てみなさい」
 老人は僕を窓際につれていって、北の尾根にかかった厚く暗い雲を指さした。
 「いつも今頃の季節になると、あの北の尾根に冬の雲のさきぶれがやってくる。斥候のようなもんだが、そのときの雲の形で我々は冬の寒さを予想することができる。のっぺりと平たい雲は温暖な冬だ。それが分厚くなればなるほど冬は厳しくなる。そしていちばん具合が悪いのが翼を広げた鳥の恰好をし雲だ。それが来ると、凍りつくような冬がやってくる。あの雲だ」
 僕は目をすぼめるようにして北の尾根の上空を見た。ぼんやりとではあるが、老人のいう雲を認めることができた。(中略)
 「五十年か六十年に一度の凍てつく冬だ」大佐は言った。「ところで君はコートを持っておらんだろう?」(「世界の終わり―森ー」より)

 われわれの住む街でも、秋は短いだろうと言われている。しかし、夏の暑さのことがさかんに話題になるようには、冬の寒さのことは話題にならない。むしろ冬の温かさ、雪の降る日の少なさのことが話題になっている。ダウンコートは厚さの異なる3着をもっているが、一番軽いやつでたいてい間に合っている。一番重いやつは去年は一度も着なかったように思う。

それぞれに小さな男の子を連れたママ友らしき二人連れが入って来た。席を立つにはいいタイミングだ。滞在時間はちょうど1時間だった。

電車の窓から見る東の空のモクモクとした雲は下の方が灰色になっている。

帰宅して夕刊を広げると、囲碁の国際大会で日本の一力遼(いちりき・りょう)棋聖が優勝したという記事が一面に出ていた。囲碁はだいぶ前から中国と韓国が二強で(国をあげての英才教育が行われている)、日本人の優勝はなんと19年ぶりである。快挙といっていい。日本囲碁界の悲願であった。ちなみに将棋は日本がダントツのトップである(言い方を換えれば、国際的に普及していないボードゲームのである)。

夕食まで原稿を書く。

夕食はモツ鍋。まだ季節が早いように思うが(残暑がきびしい)、妻が言うには、「ちょっと前、涼しくなったときに買ったニラがしなびちゃうから」。食材の事情なのね。

デザートはシャインマスカット。

食事をしながら『降り積もれ孤独な雪よ』最終回(録画)を観る。最終回だから、すべての謎が明らかになったが、上質なミステリー小説と違って、伏線にもなかったような出来事が最終回でいきなり出てくるというのは、『笑うマトリョーシカ』同様、びっくりするというよりも興覚めである。裏になったままのものも含めてテーブルの上のカードだけで勝負してほしい。机の下から新しいカードを出さないでほしい。そうでないと、何でもありになってしまう。

「最終回で人が死ななかったのはよかったですね」

原稿を書く。自分が以前い書いた論文を読み返して、書こうと思っていたことがすでに書いてあることがわかって、「やれやれ」と思うことがよくある。新しくひらめいたのではなくて、思い出しただけなのだ。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。


9月8日(日) 晴れ

2024-09-09 11:01:44 | Weblog

8時、起床。

一階の雨戸を開ける。

「雨戸を開けると花が目に飛び込んで来るのはいいですね。」

チーズトースト、カレー、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。珈琲豆があと一回分しかない。「きりん珈琲」に買いにいかなくちゃ。

食事をしながら『ア・ターブル ノスタルジックな休日』(録画)を観る。BS松竹東急というマイナーな局の番組なので、観ている人は少ないと思うが、私はこの番組のファンである。週末の朝食をとりながら観るのにいい。

休日の朝の食卓で夫婦が珈琲を飲みながら語り合うところから始まる。妻が伯母の葬儀で実家に帰ったときの話をしている。たくさんいたきょうだいをまた一人失った母親が落ち込んいるのは当然として、父親が老いたという話をしている。日課の散歩をめんどくさいとしなくなったり、食器の洗い方が雑になったという。私の娘もたまにうちに来るが、歳をとるのはいたしかたないとして、「カフェにいかなくなった」とか言われないようにしよう。

その後二人は散歩に出る。今日は釣り堀に。あれっ、ここは『海のはじまり』で夏と実父が行ったのと同じ釣り堀ではないか(阿佐ヶ谷にある「釣り堀 寿々木園」である)。7月24日に放送された第4話なので、『海のはじまり』のマネではない(むしろ逆だろう)。

帰宅した二人は、祖母や母が読んでいた『暮らしの手帖』のレシピをもとに、一緒に夕食を作る。毎回、「朝の珈琲」「散歩」「夕食作り」の三部構成である。夫婦の会話の話題は毎回違う。妻役は市川実日子、夫役は中島歩。

昨日のブログを書く。

少し目を休めてから、原稿にとりかかる。

3時半頃、遅い(遅すぎる)昼食を食べに出る。

「きりん珈琲」に行く。珈琲豆の焙煎は事前に電話で頼んでおいた

テーブル席に座る。『ぶらり途中下車の旅』で取り上げられてから来店する客が増えたようである。

厚焼き玉子サンドとオレンジジュース。軽食だが、この後、「ティールーム101」に顔を出すので、これくらいでちょうどいい。

厚焼きの玉子焼きに甘めのソースがトースト合う。

食事をしながら『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の続きを読む。

 それから私は計算士を引退したあとの生活について考えた。私は十分な金を貯め、それと年金とをあわせてのんびりと暮し、ギリシャ語とチェロを習うのだ。車の後部座席にチェロ・ケースをのせて山に行き、一人で心ゆくまでチェロの練習をしよう。
 うまくいけば山に別荘を買うこともできるかもしれない。ちゃんとしたキッチンのついた小綺麗な山小屋。私はそこで本を読んだり、音楽を聴いたり、ヴィデオ・デープで古い映画を見たり、料理をして過ごすのだ。料理――というところで、私は図書館のリファレンス係の髪の長い女の子のことを思い出した。彼女がそこに――その山の家に――一緒にいるのもわるくない気がした。私が料理を作り、彼女がそれを食べるのだ。(「ハードボイルド・ワンダーランド――フランクフルト、ドア、独立組織――」より)

主人公の「私」は35歳で独身。計算士を引退する年齢がいくつかのかはわからないが、50歳くらいだろうか。まさか70歳ということはあるまい(相当心身に負荷のかかる仕事のようなので)。あと6カ月ほどで私も退職後の生活を始めることになるが、田舎暮らし、まして山の別荘暮しなんて考えたこともない。旅行でいくのはいいが、住みたいとは思わない。

新しい外国語と楽器を習い始めるというのも、50歳で引退ならありかと思うが、70歳では無理だ。古典ギリシャ語は大学1年生の前期の授業に出ただけで諦めた。新約聖書(原文はギリシャ語)がテキストだったが、大学3年生の夏休みにギリシャを旅行したときに少しだけ役に立った。アテネの街を散歩しているときにふらりと入った食堂で、「ネロ(水)」と言ったら、店主がびっくりして、店にいた客たちに「この東洋人はギリシャ語を話すぞ」と言った(たぶん)。店主は日本に来たことがあるそうで、「横浜のヨーコという女を知っているか?」と聞かれた(たぶん)。

一番好きな楽器はピアノで、二番目がチェロだが、自分では弾けない。若い頃から将棋はよく指した。本来が社交的なゲームだから、また人間を相手に指してみたいと思う。

料理については、いまと同じように、朝食は自分で用意し、昼食は散歩がてら外に食べに出て、夕食は妻にお任せだ。でも、万一妻に先立たれた時のことを考えて(人生はどうなるかわからない)、簡単な、しかしある程度バラエティに富んだ夕食を作れるようになりたい。

再婚はしない(たぶん)。

引退後の生活について考えながら眠りについた主人公は悪夢を見る。

 誰かが私の頭にドリルで穴をあけ、そこに固い紙紐のようなものを押しこんでいた。ずいぶん長い紐らしく、紐はあとからあとから私の頭の中に送りこまれていった。私は手を振ってその紐を払いのけようとしたが、どれだけ手で払っても、紐は私の頭の中にどんどん入りこんできた。(「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド――フランクフルト、ドア、独立組織――」より))

私もたまに悪夢は見るが、こういうホラー的なものではない。

店には1時間ほど滞在した。店を出るときに頼んでおいたきりんブレンドの豆を受け取る。

御成橋通りを行く。

高齢のご主人がなくなって休業状態だった「双葉食堂」は息子さんが跡を継いで「フタバ」になった。

サービスメニューだったアジフライ定食(500円くらいだった)は他のメニューと肩を並べる値段になっている。ポークソテーがかつては一番高いメニューだったが、「スリック」のマダムはこれが好きだった。値段は据え置きだ。

空き地に猫じゃらしが群生している。正式名称はエノコロ草。漢字では狗尾草と書く。犬の尾を連想させるからだが、犬っころ草が転じてエノコロ草となったそうだ。猫じゃなくて犬なんですね。

「ティールーム101」に到着。通りからマンションの脇の通路を通って行く。

すでに4時半を回っていたが、先客が4名。私が入って満席になった。この時間にしては珍しい。先客の一人が3種のお茶の飲み比べをしていた。3つのメーカーのアールグレーを飲み比べるとかではなく、ラプサンスーチョン、バンガロー、和茶というまったく違うテイストの3種のお茶を飲み比べていた。

私はポートランド・ブレックファースト。店に入る前は紅茶のかき氷を食べて8種コンプリートにしようと思っていたが、店内の冷房がよくきいていたので、気が変わった。

シフォンケーキはラムレーズン。

閉店まで滞在した。

帰宅するとチャイが出窓のところにいた。

地域情報誌「かまにし」の最新号が届いていた。JR蒲田駅の開業120年特集だ。

空襲で燃える前の西口の駅舎の写真。初めて見た。ちょっとモダンでかわいい駅舎だったんだ。

夕食はニシン蕎麦とマッシュポテトのサラダ。

食事をしながら『ブラックペアン』第8話(録画)を観る。一週間前のものだ。妻が「今日の放送が最終回よ」というので、続けて、リアルタイムで観ることにしたが、最終回ではなかった(なんてこった)。来週が最終回で2時間スペシャルとのこと。オリンピックで休んだ分の時間調整だろうと思うが、主役の体調不良で一回「特別篇」を入れた『海のはじまり』はどうするのかしら。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

AI相手の将棋を3番指して、1回勝った。

2時、就寝。