8時、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
昨日、アヤナさんからいただいたお菓子を食べる。
「朝からお菓子ですか」
昨日のブログを書く。(『グッドイヤー・ミュージック・エアシップ』をタイムフリーで聴きながら)
いつもより早めの昼食(1時頃)を家で食べる。バタートースト、カレー、牛乳。朝食のような昼食。
食事をしながら、カフェで食事をするときと同じように、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読む。原稿を書いている時期というのは、読書単独の時間というのはなかなかとれない。昼食をとりながら、あるいは電車での移動時間に、息抜きで読むことになる。週末の二日間をまるまる使って、長編小説を一気に最後まで読むというのもいいものだが、毎日、ちびちびと読むのも悪くない。長くその世界に浸っていられるからだ。
獣たちが門の中に入ってしまったあとで、僕は門番が僕に見せようとしたものがいったい何であるかを理解することができた。眠っているように見えた獣たちの何頭かは、同じ姿勢のまま凍りついて死んでいたのだ。そんな獣たちは死んだというよりはまるで何か重要な命題について深く考えこんでいるように見えた。しかし彼らにとっての回答は存在しなかった。彼らの鼻や口からは一筋の白い息ものぼらなかった。彼らの肉体はその活動を停止し、彼らの意識は深い闇の中に吸いこまれてしまったのだ。
他の獣たちが門に向かって立ち去ってしまったあとには、まるで大地に生じた小さな瘤のようなかたちに数頭の死体が残された。白い雪の死衣が彼らを包んでいた。一本の角だけが妙に生々しく宙を射していた。生き残った獣たちの多くは彼らのそばを通りすぎるときに、あるものは深く首を沈め、あるものは蹄を小さく鳴らした。彼らは死者たちを悼んでいるのだ。(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』第20章より)
全部で40章からなる小説の半分まで読み終わったことになる。再読なのだが、驚くほど覚えていない。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が出たのは1985年6月である。私が31歳のときだ。私は本を読み終わると裏表紙の裏にそのときの自分の年齢と季節を記しておく習慣がある。本書は「47歳、年の初め」と記されている。普通は買ってすぐ読むのにこれは一体どうしたことだろう。おそらく、おそらくだが、本書を購入した時、私はまだ定職についておらず、半年後には長女が(もう性別はわかっていたと思う)生まれることになっていた。長編小説を読み耽る気分ではなかったのだろう。そうして読むタイミングを逸してしまったこの長編小説は長いこと(16年!)本棚の片隅に放置され、後から出された村上春樹の作品たちが読まれるのを傍らで黙って見つめていたのだ。下積みの長かったお笑い芸人のようである。
昼寝をする。いまの日常に昼寝は不可欠。しかし、目が覚めたら3時を回っていた。寝すぎた。
「ベイクマン」に食パンの取り置きを電話でお願いして3時頃取りに伺いますと言ってあるのだ。着替えをして家を出る。
大森「ジャーマン通り」。
「いつもありがとうございます」とお店の方に言われる。毎回、食パン2斤(6枚切)を購入し、冷凍し、基本的に一日一枚食べるので、12日間隔で来店している。たまに、しかし定期的に来る客である。
「本の庭」に寄っていく。
スタッフのKさんが私が手に提げているものを見て、「パン屋さんに行かれたのですね」と言った。
梅ソーダを飲みながら、ゼミ論相談の資料に目を通す。「ノチハレ珈琲店」同様、ここの梅ソーダも今月でなくなるだろう。夏の名残の梅ソーダ。
30分ほど滞在して店を出る。
帰宅して夕刊に目を通す。「群雄割拠」「呉越同舟」「大同小異」「有象無象」・・・いろいろな四文字熟語が浮かんでくる。
5時からSさんのゼミ論相談(オンライン)を1時間半。
夕食は鯛のアクアパッツァ、鱈子と昆布の佃煮、白菜の漬物、味噌汁、ごはん。
食事をしながら『新宿野戦病院』最終回(録画)を観る。
「最終回でサプライズ」があるとは聞いていた。もしかして寅子(伊藤沙莉)が出演するのでないかと思ってみていたら、そうか、これだったか。主題歌「恋のブギウギナイト」を歌うサザン・オールスターズがエンディングに登場。
昨日、ホナミさんからいただいたお菓子を食べながら今夜の『プレバト』(録画)も観る。俳句秋のタイトル戦(錦秋戦)の予選Aブロック(兼題「一人めし」)とBブロック(兼題「一人暮らし))。的場浩司と大迫永依が一位通過
削げし頬月下貪るパンの耳 的場浩司
薄めたシャンプー朝冷えのワンルーム 大迫永依
原稿を書く。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
2時、就寝。