フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月28日(金) 曇り

2015-08-29 08:42:19 | Weblog

8時半、起床。

ひつまぶし+とろろ、サラダ(トマト、レタス)、豚汁の朝食。

8月は初旬が猛暑で、下旬が秋冷。気温差は10度以上あった。今日も涼しいが、それはたぶん私が風邪気味のせいもあるだろう。腹筋・胸筋・背筋の痛みとこわばりはまだ残っていて、少々寒気がする。

昼食は、温かいうどんが食べたくなって、「吉岡家」へ行く。

鍋焼きうどんを注文。それしても8月に鍋焼きうどんとはね・・・。

美容院帰りの妻と駅で待ち合わせて、「まやんち」へ。

今シーズン最後の(「まやんち」では)ピーチメルバを食べる。

これが10皿目のピーチメルバである。店主のまゆみさんによると、2位の客は現時点で6皿なので、最終日(明日)を待たずに今シーズンの「キング・オブ・ピーチメルバ」は私に決定したとのこと。賞状(?)の授与は来月に来店したときにとのこと。ホントの話だったんだ。

「くまざわ書店」と「有隣堂」に寄って、高橋源一郎『100分de名著 太宰治 斜陽』(NHKテレビテキスト)と山崎ナオコーラの新作『反人生』(集英社)を購入。

高橋源一郎と太宰治という組み合わせに興味があった。

「『斜陽』は、太宰治の小説群の中で、永遠に輝きつづける恒星であるようにぼくには思える。一方で『人間失格』という、暗さを突き詰めた、この社会の真理に激突すると、どうなるかを身をもって教えてくれる小説を書きながら、太宰は、「人間らしく生きたい」と願う、すべての読者の期待に応えるために『斜陽』を書いた。長い戦争の時代があった。「あの戦争」から、もう七十年がったのだ。それは、日本人にとって、ただ戦闘に巻きこまれた、ということ以上に過酷な体験だった。・・・(中略)・・・みんなが少しずつ手を汚したいた。みんながどこかでなにか「悪」に染まっていた。なにより大切なのは自分だとおもっていたんじゃないか。他の人間なんかどうでもいいと思わなかったやつがいるだろうか。でも、今度こそ、一からやり直したい。身も心も綺麗にして、ほんとうに恥ずかしくない人間として生きていけるのだ。戦争が終わったとき、日本人の心の中には、そんな呟きが溢れていたのである。けれども、そうはならなかった。希望していることは起こらなかった。古いものがすぐに復活しようとしていた。「元の木阿弥」・・・そんなことばがみんなの脳裏に浮かんだとき、太宰治は『斜陽』を書いたんだ。心の底から「生きていたい」と願う人たちすべてに向かって、『斜陽』という作品は書かれている。『斜陽』の中で、太宰治がやろうとしたのは、ひとことでいうなら「革命」だと思う。政治的な「革命」じゃない。人間のもっと深いところからの「革命」を、太宰治は小説の中に書きこもうとした。それができるのは、ほんとうに絶望したことのある人間だけだ。この社会はおかしい。この世界はどうかしている。そんな気持ちを人びとが抱きつつける限り、『斜陽』はいつまでも読まれるだろう。もちろん、現在もだ。」(高橋 pp.9-10)

いつ降り出してもおかしくないような空の下を帰る。

帰宅する前に「phono kafe」にちょっとだけ顔を出す。来週の土曜日の予約をするためだ。

人参サラダとあずき茶を注文。

夕食はハンバーグ。

デザートは梨。

夕食後、来年度のゼミ要項を作成して事務所にメールで送る。

明日から茅野と松本で友人に会ってきます(ブログの更新はお休みします)。


8月27日(木) 曇り

2015-08-28 11:26:11 | Weblog

8時、起床。

昨夜、食事の後にお腹が張って、みぞおちやわき腹、さらに背中の方に鈍い痛みがあった。最初、夕食のタンステーキが硬くて、噛みきれないまま飲み込んだせいかと思ったが、どうもそういうわけではなく、これまでの経験に照らして考えるに、風邪の兆候かと思う。風邪の兆候というのは人によってパターンがあると思うが、私の場合は2通りで、鼻水や喉の痛みで始まるパターンと、首や肩や腹筋や胸筋や背筋などの痛みで始まるパターンである。前日にジムで筋トレをやった筋肉痛が下地にあったのかと思う。

あるいは私には若いころから胆のうにポリープや石があるので、そのせいかもしれない。胆石の痛み(疝痛)は激しいものというイメージがあるが、軽めの疝痛というのもあるのかもしれない。

風邪による筋肉痛か胆石による疝痛かわからないが、たまに来るこの痛みは、お腹の方から始まって背中の方へ抜けていくというお決まりのコースがあり、ちょうど「痛みの矢が」が体を射抜いていくような感じなのであるが、今夜の痛みは背中まで行ってからなかなか体外に抜けてくれず、明け方近くまで眠ることができなかった。

なので今日は寝不足気味。朝には痛みはなくなっていたが、痛みの名残のような筋肉のこわばりがある。

遅い朝食はトースト、サラダ(トマト、レタス)、ホットミルク。暖かい牛乳は筋肉のこわばりをほぐす効果がある(ように思う)。

午後はいつものように散歩には出ず、家の中でおとなしくしていた。

朝食が遅かったせいで、昼食も遅くなり(午後3時過ぎ)、カップヌードル(シーフード)ですます。

夕食はひつまぶし、ととろろ芋、がんもどき、豚汁。食欲は普通にある。

深夜、8月末が締め切りの短めの原稿を仕上げて、出版社に送る。肩の荷が少し下りる。


8月26日(水) 曇り

2015-08-27 01:23:31 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ(炒り卵、ハム、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

午後(2時頃)、散歩に出る。

会計事務所に書類を届けてから、遅い昼食をとりに「ハリスコ」に行ったが閉まっていたので、隣の「キエーザ(CHIESA)」という初めての店に入ることにした。

中休みの時間はないそうで、ランチタイムは5時までだそうだ。私のように昼食の遅い人間にはありがたい。

大きなグラスに入った水が出てくる。私のように食事中にたくさん水を飲む人間にはありがたい。

ボードに書いてある海南鶏飯を注文(ご飯は並で)。鶏肉に付けるソースには4種類あるそうで、そのうちの2種を指定できますとのこと。よくわからなかったので、お任せでとお願いする。

茹でた鶏とその茹で汁で炊いた米が海南鶏飯である。東南アジアの屋台で一般的な料理。上品な味でそのままでも食べられるが、2種のソースはチリ味と醤油味(あちらの醤油)で、私は醤油味の方が好みだった。ライスはスープと一緒に口に運ぶと美味しい。

黒板に書かれている「セルフサービス」って何だろうと思っていたら、前の客が食べ終わってトレーを持ってカウンターのところに運んでいた。そうか、このことか。これは私にはありがたくない(学食や社食みたいで)。

食後のコーヒーはどこかのカフェで飲もう(そこで少し長居をして葉書を数枚書くつもりなので)。

その前に「山田時計店」で腕時計の電池を換えてもらう。電池交換はいつもここでやってもらっている。前回も今回も1年2カ月ほどで止まってしまった。使い続けて30年の時計で、間で一度分解掃除をしているが、そろそろ二度目の分解掃除をした方がよいかもしれない。一万五千円くらいかかるとのこと。「でも、いい時計ですから、分解掃除をしてお使いになった方がいいですよ」と勧められる。はい、考えておきます。

「山田時計店」の隣りの古本屋「一方堂書店」をのぞく。

久野収『平和の論理と戦争の論理』(岩波書店、1972年)、秋山清『郷愁論 竹久夢二の世界』(青林堂、1974年)を購入。

「一方に爆発を待つ原子爆弾のパイルをおき、他方に激しさをくわえていく二つの世界の対立をおいてみよう。われわれの生きている現実の特色は、実にはっきりとあらわれる。常識の立場からみても、残酷と狂気とよぶよりほかに言葉のないような現実である。/西と東の対立が原子爆弾の蓄積を中心としながら、現状のままで進行をつづけるならば、われわれの前途に待ちうけているのは、三回目の世界戦争以外の何ものでもないだろう。たとえ中間に軍備競争と武装平和の時期がはさまれているとしても、そのかせがれた期間に対立の原理的調整がおこなわれなければ、それはただつぎの世界戦争を一層激しくする準備の期間だけの意味しかもちえないであろう。軍備競争と武装平和は、相互の陣営をますます仮想敵の関係に追いこみ、最後にはたんにこの二つの要因だけからでも、戦争は不可避となるのである。《力ずくの平和》はどこかで《了解と妥協の平和》に変わらなければ、この〝平和〟自身がやがて戦争をよびだすであろう。」(久野 pp.25-26:「二つの平和の世界平和につながるか」、『世界』1951年11月号掲載)。

ここに描かれている現実はシンプルな構造を持っている。あるいは現実はもう少し複雑なもので、現実を分析するモデル(東西対立モデル)がシンプルだったのかもしれない。いずれにせよ、現在のわれわれの現実はもっともっと複雑で、現実を分析するモデルも多極的なものになっている。そのことが世界戦争が勃発する確率を大きくしたのか小さくしたのかは難しい問題だが、しかし、確かなことは、われわれが世界戦争という大きな戦争よりも、テロという小さな(局所的な)戦争のことを心配しなくてはならなくなったことである。

「カフェドコバ」で親戚から届いた梨のお礼や、母の親友だった方からの手紙への返事を書く。

書き終えた葉書を投函して、そのまま散歩を続ける。

近所の美容院が他の場所に移って、空家になった。見るからにカフェ向きの作りであるが、いまどき、そう簡単に新しいカフェはできないだろう。よく卒業生から「先生は定年後、カフェをやられたらいいんじゃないですか」と言わるが、冗談ではありません、そんなことをしたら、散歩をしながらカフェの梯子をする時間がなくなってしまうではありませんか。

ベニースーパーの店頭に梨が並んでいる。「二十世紀」は当初は新しい名前だったのだろうが、いまではレトロな名前になっている。清水幾太郎が戦後に「二十世紀研究所」を立ち上げてその所長になったとき、名刺を渡した相手から、「梨の研究をされているのですか?」と聞かれたそうである。

大きな桜の木のある西蒲田一丁目児童公園。

そのすぐそばに「女塚児童公園」という小さな公園がある。出来たのはここが先だろう。「女塚」は蒲田の古い町名の1つだった。それが「西蒲田」という味も素っ気もない町名に変更になったのは1967年、私が中学1年生のときだった。元に戻せないものだろうか。

西蒲田一郵便局で葉書用の切手を買う。

「喜八食堂」は今日も近所の男たちのたまり場になっている。店外の扇風機は、暑い日に、戸を開けて外の空気を店内に入れるためである(店内にはクーラーがないのである)。でも、今日は戸は閉まっており、扇風機は廻っていない。秋になったのだ。

「あるす」に顔を出すつもりで来たが、営業中の札が出ていない。午後4時、店仕舞いにはまだ早い時間である。どうしたのだろう。今夏の猛暑で体調でも崩されたのだろうか。

夕食はタンステーキとアスパラのベーコン巻。 

デザートは梨。


8月25日(火) 曇り一時小雨

2015-08-26 13:31:01 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ(ハム、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

朝食のメニューから牛乳が消えると夏の終わりであるが、「世界陸上」のおかげでかろうじて夏の熱気(の余韻)を感じている。

午後、散歩に出る。下丸子の「喜楽亭」に昼食を食べに行く。

下丸子にはANAの研修所があるので、駅の周辺には就活の女子学生たちの姿が多く見られる。

前回来たのが6月29日だったから(ブログ内検索ですぐにわかる)、2カ月ぶりの「喜楽亭」である。

この雑然とした室内を見よ!(笑) 

いつものチキンカツ定食を注文。

おや、獅子唐とポテトのフライが添えられている。

厚揚げと大根の煮物の小鉢はいつも付いている。これがいいのだ。

ご主人によれば、昔「定食」といえばたくさんの惣菜の中から客が自分の好み(および懐具合)でチョイスしたものだが、ある時期から、チョイスがなくなって、主菜+ご飯+味噌汁+小鉢(おまかせ)になったとのこと。しかし、いまでは小鉢の付かない(最低限の構成の)定食が増えている。余裕のない、せちがらい時代になったのである。

味噌汁とご飯が美味しいのも「喜楽亭」の定食の美点である。腹ペコで来て、わしわし食べるのだ。

食後のコーヒーは、蒲田に戻ってきて、「グッディー」で。

冷房のスイッチが切られ、窓が開放されている。

しばらく(1時間ほど)書きものをする。コーヒー一杯の有効時間は1時間というのが私のカフェにおける規範である(それ以上滞在する場合は追加のオーダーをする)。

ジムへ行へ向かう。東口駅前のビル群は高さが凸凹である。これはビルに新旧があって、それぞれのビルが建てられた時代の高さ制限を反映しているのだろう。それにしても駅前で2階建のビルとはね・・・。森重久弥主演の映画『駅前〇〇』シリーズの時代(1960年代)ですなあ。

ジムでは軽めの筋トレ2セットとクロストレーナー40分。カツでもチキンカツならこの程度でカロリー消費がきるだろう。

トレーニングを終えて、陸橋を渡って西口へ。

東急プラザ屋上(かまたえん)の観覧車は、都内で唯一の屋上観覧車である。大田区版文化遺産に指定してもよいのではないだろうか。ついでに蒲田に2館残っている映画館(テアトル蒲田と蒲田宝塚)も指定してほしい。

「南天堂」もすっかり数が少なくなった古書店として頑張ってくれている。

古本を見ていたら妻からケータイに電話が入って、「いま蒲田駅に着いたのだけれど」と言う。妻が仕事帰りに外から電話を掛けてくるときはたいてい「疲れたから夕食は外で食べない?」という誘いである。「はい、いいですよ。いま、駅前商店街の古本屋さんにいるから、くまざわ書店で待っていてね」と答える。

清水茂『影の夢』(書肆山田、1993年)と佐伯彰一『大世俗化の時代と文学』(講談社、1993年)を持ってレジに行くと、女主人が「学校の先生とかですか?」と私に尋ねた。「は、はい、そうですが」と答えると、「そうだと思いました。最近はこういう本を買ってくれる方が少なくて・・・。嬉しいです」と言った。

清水茂はかつて私と職場の同僚だった方である(すでに定年退職されている)。専門はフランス文学だが、詩人でもある。『影の夢』は詩集。

 「秋への傾斜」

  時間が秋へむかってゆっくり傾く

  世界のうえに透明な翳がひろがる。

  たとえばここにある瞬間の陽だまり

  そのなかに一日踏み入れば

  萩の花の こぼれ こぼれた道つづきに

  今日のものでないすべての秋の日が

  どこまでもあらわになる。

  熟れた果実の内側で

  明るくて 澄んだ音が ひびいている

  若かったころの母の背(うしろ)姿があり

  子どもの記憶の向こうから

  いろいろなものの匂いがあり

  幸福へのおののきがある。

東急プラザ6階、「くまざわ書店」の隣にあるカフェ「To;Fuku」。「豆腐」+「幸福」ということだろう。

料理を注文すると飲み物が付いてくる。チョイスしたのは豆乳に桃をブレンドしたもの。まろやかなピーチジュースですね。

私は鯖の味噌煮をメインにしてワンププレート料理を注文。

添えられているのは豆腐と野菜の料理。とても健康的である。

デザートのショートケーキにも豆腐が使われている。

この時間(まだ6時だ)にこういう低カロリーな夕食を食べると明日の体重はグッと減っているに違いない。

帰宅して、「世界陸上」を見ながらオレンジケーキをとコーヒー。急なダイエットは体に悪いからな(笑)。

一昨日、「アマゾン」に注文した本が届いていた。

4月始まりの私の「カズン」はいまこんな感じでほどよい太り具合である。これなら旅行鞄に入れていくこともできる。

日記が続かないという人の話をときおり聞く。日記は書かなければならないという類のものではないから、「忙しくて書く時間がない」というのはどうかと思う。私は教務主任をしていた2年間も(滅茶苦茶忙しかったが)日記は欠かさず書いていた。「日記を書けないほど忙しい生活」は厭だったから、書けたのだと思う(もちろんブログも休まず書いていた)。日記を書くこと(一日一日をきちんと振り返りながら生きていくこと)が自分のライフスタイルにとって不可欠の行為だったから、「忙しくて書けない」とすればそれはよほどの忙しさで、実際、私にも母の死の半月ほど前にそういう日があったが、それは本当に例外的なことである。そのといは多忙よりも体調不良が理由であった。日記に限らず何かをしない、何かができないことの理由に、多忙をあげるのはいかがなものかと思う。本当にしたいことは、忙しくてもする(せずにはいられない)のではないだろうか。できないのは、多忙だからでなくて、本当にしたいことではないからにすぎないのではないだろうか。私はそう思います。

さしつかえないのページを広げると、私の「カズン」はこんな感じです。


8月24日(月) 曇り

2015-08-25 12:08:48 | Weblog

8時15分、起床。

トースト、サラダ(トマト、レタス)、紅茶の朝食。

8月の最後の一週間が始まる。認めたくはないが、夏の終わりが近づいている。

簡保の母の入院費の請求の書類を郵便局に持って行く。何度か書類の不備があったが、ようやく受理される。

現代人間論系の初代の助手で、いまは非常勤講師をされているあびるさんが蒲田にやってきてくれたので、「phono kafe」へお連れする。  


私はご飯セット、あびるさんはパンセットをチョイス。おかずは6品全部を注文し、シェアすることにした。

「phono kafe」的満漢全席。見た目に美しく、食べて美味しく、しかも健康的である。

四角豆と豆腐のチャンプル(手前)、ツルムラサキとオクラとミョウガの梅肉和え(奥)

切り干しコリンキーのバジルオリーブサラダ(左)、おからコンニャクの竜田揚げ。

揚げ茄子とトマトのマリネ。

玄米と豆腐のタルト人参ソース掛け。

いただきます!(私が写真を撮り終わるのを待って)

今日のランチタイムは満席で、店に入ってくる客に「申し訳ありません」と何度も謝っておられた。いつもこういうわけではなく、日によって変動が大きいようである。

お腹の大きな女性が店に入ってきて、大原さんが今日何度目かの「申し訳ありません」を言ったので、食後のお茶は別のところですることにして、私たちは席を立った。

「どこかで美味しいスイーツが食べたいですね」とあびるさんが言う。あいにく今日は「まやんち」はお休みである。池上の「バターリリー」も月曜は定休だ。池上駅前の「浅野家」で葛餅かあんみつでも食べましょうかということになり、蒲田駅まで行ったが、気が変わって、東急プラザの屋上(かまたえん)に行ってみることにした。 曇り日で陽射しがきつくないのでちょうどいい。

ここは夜はビアガーデンになる関係で、テーブルがたくさん置いてあり、寛ぐにはもってこいである。

縁日的な演出もされている。

あびるさんの目が輝いたのではセブンティーンアイスの自販機を見つけたときだった。彼女はこれが大好きとのこと。私にはピンと来ないが、世代的なものだろうか、個人的なものだろうか。

私もお付き合いすることにした。

「一番美味しいのはチョコミントなんです!」と彼女は熱く語った。「そ、そうですか・・・」

あびるさんはすっかりこの場所が気に入られたようで、今度は、息子さん(2歳半になる)を連れて、あるいは自分一人で来てみようかなと言っていた。家族の時間、社交の時間、そして孤独の時間、デパートの屋上の遊園地というのはいろいろな時間の過ごし方ができる。

 あびるさんを改札口で見送ってから、会計事務所に書類を持って行く。

会計事務所の入っているビルの踊り場の窓の下には「phono kafe」が見える。

夕方、今日二度目の「phono kafe」。 

梅ソーダを注文し、ちょうど居合わせた常連さんたち(会計事務所のKさん、中学教師のMさん、あとから謎の人物S氏やブログ仲間のGさんもやってきた)と大原さんを交えておしゃべりをする。これぞ「おしゃべりカフェ」(⇔「もの思いカフェ」)という雰囲気だった。

夕食は鰹のたたきと豚汁とサラダ(アボカド、トマト、レタス)。

デザートは先日Aさんからいただいたオレンジケーキと今日あびるさんからいただいた「マッターホルン」(学芸大学)の焼き菓子。