フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月30日(土) 晴れたり、曇ったり、雨が降ったり

2011-07-31 02:55:43 | Weblog

  8時、起床。5週間ぶりに何の予定も入っていない土曜日。鮎の甘露煮でお茶漬けの朝食。実に美味しい。
  10時過ぎに家を出て、恵比寿の写真美術館へ行く。

 

 

  友の会の会員資格を更新してから、江成常夫写真展「昭和のかたち」を観る。戦争を始めたこと、そして戦争を忘れたこと、これが日本の二重の過ちであると江成は言う。そして彼は戦争を忘れないために一貫してかつての戦場(南洋の島々、旧満州国)や戦争の犠牲者たち(中国残留孤児、広島・長崎の被爆者)を撮り続けてきた。普通、ひとわたり作品を観た後に、もう一度最初から印象的だった作品を観るのだが、今回は、重い作品が多かったので、二巡することはせずに会場を出た。母の兄がテニヤン島で戦死をしているのだが、戦死した日は8月3日となっている。8月3日は玉砕の日で、実際はもっと前に戦死した可能性が高い。テニヤン島の日本軍の玉砕から間もなく、広島と長崎に原爆を投下したB29はこのテニヤン島から飛び立ったのである。

  館内のカフェで昼食をとる。クロックムッシュ(サラダ付)とオレンジジュース。

 

  写真美術館を出て、ガーデンプレイスの中を歩いていると、前方に「ふくさ」らしきものが落ちている。まさか祝儀袋が入っていたりしないだろうねと思いつつ拾い上げてみると、本当に祝儀袋が入っていたのでびっくりした。結婚披露宴に向かう途中の人(〇〇清作と名前が書いてある)が落としたものだろう。面倒なものを拾ってしまったなというのが最初の感想で、まさかドッキリカメラとかじゃあないだろうなというのが続いての感想。落とし主が引き返して(路上を探しながら)来るかもしれないので、しばらく近くのベンチで待ってみる。礼服を着てキョロキョロしている人がいたら〇〇清作さんに違いない。しかし、現われる気配がないので、交番に届けようかと思ったが、それよりも結婚披露宴なら十中八九目と鼻の先にあるウェスティンホテルに違いないと思い、そちらに行ってみることにした。清作という名前から判断するに年配の方であろう(清作は野口英世の改名前の名前である)。おそらく甥か姪の結婚披露宴ではなかろうか。袋の厚味から推し量るに祝儀は5万円であろう。5万円を落としたら痛いよな。そんなことを考えながら歩く。ホテルの受付で事情を話して、これから始まる結婚披露宴を調べてもらったところ、〇〇家・△△家両家の結婚披露宴というのがあって、〇〇清作という人が招待客のリストにいることがわかった。しばらく待っていると〇〇清作さんが現われて(年配の方だ)、礼を言いつつ、私に五千円札を渡そうとした。お礼はいいから、一応祝儀袋の中身を確認してくださいと私が言うと、いや、それには及びませんと言いながら、これは受け取ってもらわないと困りますと、私のワイシャツの胸ポケットに5千円札を差し込んだ。まあ、私が彼の立場でも謝礼を受け取ってもらわないと困るだろうと考え、ではありがたく頂戴しておきますと答える。私は思わぬ臨時収入よりも、自分の勘がどんぴしゃりと当たったことが嬉しかった。この調子なら、通りすがりの美しい女性に声をかけても上手くいくんじゃないかと思えたが、調子に乗りすぎるとろくなことはないので、それはやめておく。

 下の写真は「ふくさ」を拾う直前に撮ったもの。家に帰ってから拡大してみたら、中央の3人家族の女性の足元に「ふくさ」が写っていて、ベビーカーを押す男性がそれに視線を向けているのがわかった。しかし、彼はそれを拾わなかった。もし彼がそれを拾っていたら、どういう行動をとったであろうか。おそらく私とは別の行動をとり、世界は別のストーリー展開をしていただろうと思う。 

  恵比寿から有楽町まで山の手線で移動する。日比谷のスカラ座で『コクリコ坂から』を観るためである。上映まで時間があったので、日比谷公園を散策する。

  『コクリコ坂から』はよくできた作品だと思う。「佳作」だと思う。「佳作」を作ろうと思って作ったような作品といったら、少々意地の悪い言い方だろうか。しかし、私にはどうしてもそのように観えてしまうのだ。「佳作」であるための条件というか、要素というか、アイテムというか、そういうものをみんなで相談して、組み合わせて作ったような作品のような気がしてしまうのだ。高校生たちはひたむきで、大人には礼儀正しく、大人たちもものわかりがよくて、若い頃の純粋な気持ちを忘れていない。ここには世代の断絶なんてどこにもない。それが1963年、戦後18年目、東京オリンピックの前年の頃の日本の社会の現実だったとは到底思えないが、『ALWAYS三丁目の夕日』パート3も1963年の東京を舞台にするそうだから、1963年はそういう時代だったとみんなが思いたがっていることは間違いないようだ。『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲』の中で、秘密組織イエスタディ・ワンス・モアのリーダー、ケンが言っていたように、「みんな、戻りたいのさ。未来が輝いていたあの頃に」。当時、私は9歳だった。当然、未来は輝いていた。それはあの時代のせいではなくて、私の年齢のせいである。きっといまの子どもたちにも未来は輝いているはずだ。大人たちは未来が不安定で不透明だという。大人がそう思うのはしかたないが、だからといって子どもたちにもそう思わせようとしてはならないだろう。微妙なのは若者で、彼らはそう思ってしまっているところがある。自分がまだ生まれてはいなかった時代を大人と一緒になって懐かしんでいる。世代の対立がないという点では作品の世界と同じかもしれない。


7月29日(金) 曇りのち晴れ

2011-07-30 08:50:15 | Weblog

   8時、起床。午前中は授業の準備など。11時半に家を出て大学へ。馬場下の交差点の中華弁当屋さんで昼食を購入。教務室の電子レンジで温めて食べる。390円也。
  1時から3時過ぎまで教務事務連絡会。その後、事務所の新人のSさんとS君から教職協働研修への協力をお願いされる。授業にクリッカーを導入して、授業中に学生たちに質問をしてその回答をクリッカーを使ってしてもらうと瞬時にカウントされて数字やグラフがスクリーンに映し出されるというもの。私は授業中によく学生に質問をする。大教室だと、手を揚げてもらっても大雑把な数しかわからない。私の得意の冗談は、「ふ~む。276人が手を揚げましたね。はい、もちろんちゃんと数えていますよ。なにしろ私は日本野鳥の会の会員ですから」というもの。クリッカーを導入するともうこの鉄板ネタが使えなくなるのが残念であるが、秋学期の講義「ライフストーリーの社会学」で試しに使ってみましょう。 

  5時頃、早めの夕食をとりに「maruharu」へ。金曜日はナイトメニュー(5時から9時まで)のある日だ。グレープフルーツのゼリー、鶏の唐揚げの香味ソースがけ、バゲット、コーラ、ピクルスを注文。1550円也。テーブルの上にあれこれ並んで、ゼミに臨む前の、ちょっと贅沢なひととき。授業がなければコーラをビールに替えたいところ。

 

 

  6限・7限はゼミ。6限は3年生・4年生合同で、4年生のインタビュー調査のケース報告(3ケース)を聴く。休憩時間のスイーツは3年生のK君が調達してきたミスタードーナツ。動物の顔を模したドーナツが入っていた。7限は学年で分かれてのゼミ。私は3年生のクラスに出る。読みかけの文献があったので、それを最後まで読んで、春学期を終える。3年生と次に会うのは夏休み明けだ。4年生は合宿(9月下旬)がある。そこでゼミ論の構想報告をしてもらうことになっている。

  

  教務室で雑用を片付けて10時過ぎに大学を出る。あゆみ書房で河出書房新社編集部編『思想としての3・11』を購入。蒲田に着いて、立ち食い蕎麦屋で、チクワ天、コロッケ、生卵をトッピングした蕎麦を食べる。460円也。一週間が終ったなと思う。

 


7月28日(木) 曇り

2011-07-29 00:28:44 | Weblog

  8時、起床。ウィンナーとキャベツの炒めとパンと牛乳の朝食。
  今日は必修基礎演習のレポートの締め切り日。当日だけれども何本か草稿がメールで届く。その場で読んでコメントを返す。
  11時頃家を出て、大学へ。昼食は「すず金」の鰻重(肝吸いと肝焼きも注文)。うまい。安くて、うまい。店の入口に貼紙がしてあって、諸般の事情により8月1日から各品100円の値上げをさせていただきますと書いてある。1600円(大)がそもそも安過ぎるのであるから、100円の値上げは慎ましい。これからも贔屓にさせていただきます。 

 

  3限の時間は教務室で授業の準備。最近は、授業の準備も研究室でなく教務室でしている。たまにしか研究室にいかないので、留守電が入っていてもわからないことがある。
  4限の時間にゼミ一期生のNさんと研究室で会う。Nさんは3月に卒業せずに就職活動をしていたのだが、最近就職の目処が立って9月卒業をすることになった。一緒に「maruharu」に行って、ささやかなお祝いをする。フルーツタルトとアイスカフェラテ(Nさんはオレンジジュース)。9月から4月までの期間はどうやって過ごすのと聞いたら、まだ決めていませんが、アルバイトでもしようかと思っていますというので、4月からいやというほど働くのだから、アルバイトに精を出さなくてもいいんじゃないのと言ってみる。学生でも社会人でもない過渡期の半年を私だったらどう過ごすだろう。考えるだけでも楽しい。松戸のおばさんのところへ就職決定の報告に行くというNさんと馬場下の交差点のところで握手をして別れる。

  5限は講義「日常生活の社会学」。授業評価アンケート(マークシート+自由記述)をやってもらってから、授業に入る。授業の最後にテストのことについて少し話す。4問だしてすべて答えてもらうこと。4問とも空振りなら単位はさしあげられないが、普通に出席していて全問空振りはむしろ難しいだろう(授業中に居眠りでもしていない限り)と言っておく。しかし、不思議なことに、必ず何人かは単位を落とすのだ。たぶん全然授業に出ていなくてだめもとでテストを受けるのではないかと思う。そりゃあ、だめに決まっているでしょ。


7月27日(水) 曇り

2011-07-28 01:10:01 | Weblog

  7時半、起床。今日もそんなに暑くなさそう。妻が、8月は冷夏で9月は残暑が厳しいそうよという。冷夏? ほんとですか? パンとチーズと牛乳の朝食。

  今日は昼休みの時間に現代人間論系のゼミガイダンスがあるのだが、私は会議で出られそうにない。主任の安藤先生に2年生へのメッセージを送り代読してもらうことにする。他人のライフストーリーを聴くのが好きで、おしゃべりも好き、社会学と心理学に関心があって、合宿に行くのが楽しみで、甘いものが好き・・・私のゼミに向いているのはそういう学生です。

  10時半から基本構想委員会。おべんとうを食べながら1時過ぎまで。引き続いて、現代人間論系の教室会議に出席。来年度の時間割の作成に着手する。私自身はどうも今年度より1つ授業が増えそうである。ふぅ。

  会議を終えて教務室でしばらくデスクワーク。5時から人事委員会。比較的短時間で終って、再びデスクワーク。ときどき必修基礎演習の学生からレポートの草稿が届く。目を通して、コメントを返す。基礎講義のレビューシートもちょっと油断すると貯まってしまうので、定期的に目を通してコメントを返す。7月だが「師走」という言葉がふさわしい。

  7時から高田馬場の「カフェ・コットンクラブ」で教務のメンバーと暑気払い。乾杯はビール、途中はウーロン茶、最後はオレンジジュース。われながらよく食べた。明朝の体重はふだんより1キロくらい重いのではなかろか。

  一次会は9時過ぎにお開きになり、何人かの人は二次会(カラオケ?)に向かったが、私は明日の授業の準備があるので、失礼する。10時ちょっと過ぎに帰宅。シャワーを浴び、講義資料の作成。0時をちょっと回ったところで、コースナビにアップする。


7月26日(火) 曇り

2011-07-27 00:27:06 | Weblog

  8時、起床。ん?そんなに暑くない。台風前のあのきっぱりとした真夏日はどこへ行ってしまったのだろう。暑ければ暑いでしんどいのだが、あまり暑くないと、なんだかものたりなかったりするのである。

  午前中から大学へ。教務的な仕事。

  昼食は「フェニックス」で。ピラフとサラダとコーヒー。日誌をつける。この店でアルバイトをしている女の子は早稲田の学生なのだと思うが、何人か見ていて、清楚な感じの子という共通点がある。アルバイトに応募してくる子がみんなそうだというわけでなかろう。つまりマスターとマダムのお眼鏡にかなうのがそういう子なのだろう。

  3限は必修基礎演習。レポートの構想報告(6名)。締め切りまで残りわずかとなった。ラストスパートをかけるべし。

  4限は演習「現代社会とセラピー文化」。グループ報告は今日が最後。来週は学生の希望を聞いて、みんなで現代人間論系について(とくにゼミについて)しゃべろうということになる。ゼミ間、学年間交流するぞ。一人200円を集めて飲食代とする。

  今日は居残り当番の日。夕食は「五郎八」に食べに行く。せいろと卵焼きを注文。卵焼きは先日岡部、阿比留、関水先生らと来て食べたときにおいしかったので、ぜひ独り占めして食べてみたかったのである。せいろ+単品料理という組み合わせならそんなに高くはない。今日は1000円でおつりが来た。

  9時半に大学を出て、10時半に帰宅。シャワーを浴び、帰宅途中に「神戸屋レストラン」で50%オフで買ったパンでハムサンドとチーズサンドを作って食べる。体重を維持する(夏バテしない)ために軽めの夜食を食べている。