9時、起床。
混ぜご飯とサラダの朝食。
お昼に家を出て、大学へ。今日は個人的に授業初日。
3限は大学院の演習。出席者は4名。講読する文献の発表の分担を決めてから、今日は私が夏休み中に描いた原稿の一部をテキストにして授業をする。
演習が終わってからの遅めの昼食は「メーヤウ」でインド風ポークカリーとラッシー。
5限は講義「ライフストーリーの社会学」。
演習「ひきこもりの社会学」を担当されている関水先生さんから新著をいただく。
関水徹平『「ひきこもり」経験の社会学』(左右社)。
2年前に書かれた博士論文に大幅に手を加えて出来上がったのが本書である。いまパラパラと見ただけだが、「第4章「私」」たちの人生の物語ー語りの難破と語りの再構築」は「ライフストーリーの社会学」の教材として活用できそうである。
授業を終えて「カフォゴトー」で一服していく。
コーヒーとチーズケーキ。チーズケーキは焼き上がってまだそれほど時間が経っていないようで、ふんわりとした口当たりでいつにもました美味しかった。
「新宿シアター・ミラクル」にゼミ生のSさんが出演している芝居を観に行く。初めて行く場所なので時間に余裕をもって行ったら、早く着きすぎてしまった。
劇場のあるビルの入口で整理券を受け取る。4番だ。整理券がトランプとは洒落ているが、14人目の客にはどういう札が渡されるのだろう?
開場の時間まで西武新宿線の新宿駅の周辺の飲み屋街をブラブラする。日常、私とは無縁の世界だ。
あじのたたきが950円とは蒲田駅周辺の飲み屋街と比べると物価は高いようである。
それでも路地裏のやきとり屋までお客がいっぱいだ。
開場(7時40分)となり受付でチケットを受け取る。
feblabo×シアター・ミラクルプロデュース「桜の森の満開のあとで」。
芝居の舞台はとある大学の政治学のゼミの教室。卒業試験である模擬会議が行われる。ある地方都市の条例を決定する会議で、11人のゼミ生が与えられたさまざまな立場で討論をする。議論される条例は「老人に選挙権を放棄させる」という内容のもの。無茶苦茶な話だが、賛成派が優勢で会議は始まる。超高齢社会の「シルバーデモクラシー」では老人の意見が通りやすい。そしてそれが社会を停滞させているのだと。この条例は一種にカンフル剤の機能を果たすと期待されている。もしこの条例が通れば、国から補助金が出て、地域の経済は潤う。原発と似た構造だ。最終的に反対派がどこかで盛り返して逆転勝利をするだろうことは予想されるストーリーだが、どういう展開でそうなるのかがこの芝居の見どころだ。ゼミ室にいるのは11人の学生と市長役でオブザーバー参加している教授の会わせて12名。「教室」という密室と「12人」という数字から誰でも映画『十二人の怒れる男』を連想するだろう。そう、これは「十二人の怒れる(興奮する)若者」の芝居だ。政治の問題でこんなに熱く議論する大学生の姿を教員になってから私は見たことがない。私自身の大学生時代(1970年前半)にかろうじてその残存があったように思うが、それも遠い昔の話だ。怒らない若者たち、政治に関心のない若者たち、そうした若者イメージが定着して久しいが、昨今の社会状況の中で、実態は変化してきているのかもしれない。このままじゃいけないと考える若者たちが出てきているのかもしれない。芝居は政治一辺倒ではなく、家族や友情が重要なファクターとして絡んでくる。公と私の領域がどう架橋されるのかがこの芝居の見どころの一つだと言えるだろう。
芝居が終わってアンケート用紙に感想を書いていると、Sさんが挨拶に来た。Sさんの舞台を観たのは二度目だが、どちらも重要な役で、しかもまったく違う人格を見事に演じていた。自分とは違う人格を演じるのが役者の醍醐味だと思うが、一体、彼女の中にはあとどれだけの人格が潜んでいるのだろうか。普段ゼミの教室にいるSさんもそうした人格の一つに過ぎないのかもしれない。そして彼女自身、多元的自己の迷宮の中で、どれが「本当の自分」なのかがわからないのかもしれない(笑)。卒業までにあと2つ公演があるそうだ。すごいなと思うものの、ゼミ論は大丈夫なのかとちょっと心配になる。しかし、きっとスイーツと同じで「ゼミ論は別腹」なのだろう。おしゃべりの最後は来週の合宿で行うゼミ論構想報告のレジュメの書き方の話になった(笑)。
帰りはJRの新宿駅まで歩く。
平日の夜でも賑やかな街である。
蒲田に着いて、遅い夕食を「吉野家」で食べる。
牛丼並盛の汁多め+けんちん汁。
牛丼には紅生姜をたっぶりのせて。
けんちん汁には七味唐辛子を入れて。
〆て510円なり。
豚丼って牛丼より高いんだな。牛肉より豚肉の方が安いというイメージ(事実そうだろう)があるので、ちょっと意外。牛丼がサービス商品ということなのだろう。
11時過ぎに帰宅。
2時、就寝。