9時、起床。朝食は塩鮭、茄子の味噌汁、御飯。新学部の基礎演習のガイドブックの最終校正。じっくりと読み返す。1箇所、明らかなミスを発見。ああ、よかった。ミスではないが、直すか、削除するかした方がよい箇所も2つ、3つあった。たぶんこれだけやっても、製本されて納品されたものを手にとってパラパラと見たときに、必ず「ギャッ」と飛び上がることになるのであるが、不完全な人間の宿命として受け入れるしかない。
昼食は中村屋の中華まんをせいろで蒸かして(息子の担当)食べる。私はあんまん2個と肉まん1個(息子と娘は、あんまん、肉まん、ピザまんを各1個)。あんまん→肉まん→あんまん、の順序で食べる。中華まんはいろいろな種類のものが出ているが、私はあんまんが一番好きで、しかし、あんまん3個では飽きてしまうので、口直しに肉まんを間にはさむのである。釣りが「鮒に始まって鮒に終わる」ように、中華まんも「あんまんに始まってあんまんに終わる」のである。
4月6日に現代人間論系の非常勤の先生方(ただし全員ではなく2007年度に開講する科目の担当者のみ)をお招きして、教員懇親会を企画しているのだが、その案内状を発送する。通常、この種の仕事は助手がやるものだが、助手の嘱任は4月1日で、現時点では現代人間論系には助手はおらず、TAも使えず、運営準備委員長である私が、近所の郵便局へ行って切手とハガキを購入するところから始まって、案内状の作成・印刷、返信用ハガキの作成・印刷、封筒の宛名書き、切手貼り、封入といった一連の作業を一人でやらないとならないのである。しかし、私には強い味方がいた。家族である。封筒の宛名書きは娘に頼んだ。案内状と返信用ハガキを封入する作業には妻と息子を動員した。マルクスもびっくりの家内制手工業である。21世紀の新学部もその土台を支えるものは前世紀的な家族の絆なのである。
夕食は鶏鍋。サイドメニューは、夕方、案内状を投函するために外出したついでにテイクアウトの寿司屋で買い求めた握り寿司を1人4貫(サーモン、イクラ、平目のエンガワ、ネギトロ)。これはさきほどの労働への感謝の印である。家庭内の愛情に基づく労働にもそれなりの対価は必要なのである。
昼食は中村屋の中華まんをせいろで蒸かして(息子の担当)食べる。私はあんまん2個と肉まん1個(息子と娘は、あんまん、肉まん、ピザまんを各1個)。あんまん→肉まん→あんまん、の順序で食べる。中華まんはいろいろな種類のものが出ているが、私はあんまんが一番好きで、しかし、あんまん3個では飽きてしまうので、口直しに肉まんを間にはさむのである。釣りが「鮒に始まって鮒に終わる」ように、中華まんも「あんまんに始まってあんまんに終わる」のである。
4月6日に現代人間論系の非常勤の先生方(ただし全員ではなく2007年度に開講する科目の担当者のみ)をお招きして、教員懇親会を企画しているのだが、その案内状を発送する。通常、この種の仕事は助手がやるものだが、助手の嘱任は4月1日で、現時点では現代人間論系には助手はおらず、TAも使えず、運営準備委員長である私が、近所の郵便局へ行って切手とハガキを購入するところから始まって、案内状の作成・印刷、返信用ハガキの作成・印刷、封筒の宛名書き、切手貼り、封入といった一連の作業を一人でやらないとならないのである。しかし、私には強い味方がいた。家族である。封筒の宛名書きは娘に頼んだ。案内状と返信用ハガキを封入する作業には妻と息子を動員した。マルクスもびっくりの家内制手工業である。21世紀の新学部もその土台を支えるものは前世紀的な家族の絆なのである。
夕食は鶏鍋。サイドメニューは、夕方、案内状を投函するために外出したついでにテイクアウトの寿司屋で買い求めた握り寿司を1人4貫(サーモン、イクラ、平目のエンガワ、ネギトロ)。これはさきほどの労働への感謝の印である。家庭内の愛情に基づく労働にもそれなりの対価は必要なのである。