フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月30日(火) 晴れ

2019-07-31 09:41:47 | Weblog

8時半、晴れ。

とりあえずサラダと牛乳の朝食。午前中に皮膚科(10時から)と歯科(11時から)の予約を入れてあるので、そのあとでちゃんとた食事はとろう。

100円ショップで買ったタオル地のサポーターを右手首にして行く。疱疹を隠すためである。本当は目立たない白いのものがよかったのだが、黒いものしかなかった。「どうして片手だけサポーターをしているのですか?」と人に聞かれたら、何と答えよう。「疱疹を隠すためです」といえば、相手は隠された疱疹について思いを巡らすであろう。「実はこのサポーターは重い金属でできていて、これを装着して日常生活を送ることで、腕力が鍛えられるのです」というのはどうだろう。格闘家みたいだ。ただし「どうして片手だけ」という質問には答えてないな。 

帯状疱疹は順調に回復している。

一旦帰宅して、歯科に出かけるとき、一ヶ月のカナダ旅行から昨夜戻られたお隣のNさん夫婦と顔を合わせたので、なつが死んだことを伝える。もちろんびっくりされていたが、実は、Nさん夫婦も春先からなつが痩せて来ていることには気づいていて、この夏は越せないかもしれない、もしかしたら自分たちがカナダに行っている間に死ぬのではないかと思っていたそうである。なので、「やっぱり」という思いが強いようである。

歯科では昔治療した歯の一部がかけたので、古い金属を取り外し、虫歯の部分を削って新しく被せる金属のための型を取った。医師が「なつちゃんは元気ですか?」と聞いたので(彼も猫好きなのだ)、「実は...」という話をするとびっくりしていたが、「そういえば最近体が小さくなったみたいでしたね」とも言った。なつはいろんな人から気にかけてもらっていたのだ。

花屋で仏壇に供える花を買う。

「近江屋」でハムカツとコロッケを買う。

帰宅して、ハムカツとコロッケ(+キャベツとマヨネーズ)でオープンサンドを作り、カレー、コーラの昼食。

デザートは冷やした草団子。

1時間ほど昼寝をしてから、答案の採点作業。

夕方、散歩に出る。

近所の専門学校のキャンパスの芝生の上で雀たちが群れている。この夏に生れたばかりの子雀たちもいる。彼らは人間に対する警戒心があまりないようである。 

有隣堂やくまざわ書店をめぐって、先日新聞の書評欄で見て気になった本を中心に購入。 

今村夏子『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)

千野帽子『物語は人生を救うのか』(ちくまプリマ―新書)

内山節『新・幸福論~「近現代」の次に来るもの』(新潮選書)

山口慎太郎『「家族の幸せ」の経済学~データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実』(光文社新書) 

 佐藤信『日本婚活思想史序説~戦後日本の「幸せになりたい」』(東洋経済新聞社)

大坊勝次『大坊珈琲店のマニュアル』(誠文堂新光社)

筒井清忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』(ちくま新書)

小熊英二『日本社会のしくみ~雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書)

松原惇子『孤独こそ最高の老後』(SB新書)

荒川和久『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックス「PLUS」新書)s 

全部で15000円ほどだが、これは今回キャンセルした松本旅行(一泊二日)にもし行っていたら、現地で買い物に使ったであろう小遣いくらいの額である。読書もまた一種の旅であるとすれば、これで帳尻は合っている。もちろん二日間では読めませんけどね。

夕食はキンキの煮付、人参と挽肉のピリ辛炒め、サラダ、味噌汁、ご飯。 

キンキの煮付は強火で5分の簡単クッキング(落としぶたを利用)。 

答案の採点の続き。5分の2ほど終わる。

2時15分、就寝。


7月29日(月) 晴れのち曇り

2019-07-30 00:21:05 | Weblog

9時半、起床。

牛乳が切れたので近所のコンビニに買いに行く。すでに気温は30度を越えている。猛暑日に近いところまでいくだろう。(あとからネットを見たら、梅雨明け宣言が出ていた。平年より8日遅い梅雨明けとのことだが、台風の影響を除去すれば、先週の木曜日(25日)あたりには明けていたように思う。)

トースト、カレー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『なつぞら』。昭和39年、東京オリンピックの年、なつは27歳になっている。ドラマの焦点はなつと一久の結婚話に移っているが、面白くない。一久が(私には)魅力的な男には見えないからだ。「朴念仁」(ぼくねんじん)という言葉が彼には相応しい。

昼食はカップ麵(シーフード)。カップヌードルではなく、生協の商品である。 

外出する妻にアイスクリーム「爽」のバニラを所望する。セブンイレブンにもマイバスケットにもなかったのだが、ベニースーパーにはあるんじゃないかと。ありました。「爽」の中ではバニラが一番。 

もう夕方だ。朝、コンビニに牛乳を買いに行った以外、今日も外出しなかった。体力の温存・回復に努めた。明日は皮膚科と歯科の予約があるので、そういうわけにはいかない。 

 夕食はカツオのたたき、

玉子焼き、サラダ、味噌汁、ご飯。 

食後にところてんが出てきた。食後に?! 

講義「日常生活の社会学」の答案の採点に着手する。一気呵成にというわけにはいかない枚数である。ぼちぼちやろう。

2時、就寝。 


7月28日(日) 曇り

2019-07-29 13:35:41 | Weblog

8時、起床。

一階の三部屋の雨戸を開け、仏壇と神棚に朝の挨拶をし、郵便受けから取ってきた朝刊を和室で広げる。

母校小山台高校は昨年に続いて東東京予選決勝で敗退した。それにしても都立高校(しかも進学校)がなんでこうも強いのだろう。

日曜日の朝の楽しみは、新聞の書評欄を読むことである。書評を読んで、心惹かれた本を、本屋に行って購入し、カフェで読むというのは日曜日の過ごし方の中でも最上のものだろう。もし書評家というものが職業として成り立つのであれば、私は書評家になりたかった。好きな本を読んで、好きな本について書いて、それで生活していけたらどんなに幸せだろう。しかし、実際は書評だけで食べているという人はいないようである。自分でも本を書いている人が、いわば余技として、他人の書いた本の書評を(依頼されて)書いているケースがほとんどである。自分の好きなことだけやって生活していくというのはそう簡単ではないのだ。

書評欄ではないが、第2・第4日曜日には「シングル・スタイル」というページがある。晩婚化や非婚化さらには独居老人の増加の趨勢を捉えて、独身者のライフスタイルについてフォーカスしたページである。そういうページが常設される時代になったのである。今回は「博報堂の独身研究家」荒川和久氏へのインタビューである。

「(独身者vs既婚者という)対立は不毛です。お互いさまでいいじゃないですか。結婚していようが独身であろうが、ひとりひとりが未来に対して貢献できるやり方があります。独身でも、働いて、税金をおさめて、消費をして社会を回す。それだけでも、結果的に次世代を担う子供たちのためになってるんですから。」

「増える高齢者をだれが支えるんだっていう論点にすぐなるんですが、なんで高齢者が支えられる側って決めつけるの、とぼくは思います。」

「現役世代が高齢者を支えるのではなく、年齢に関係なく働いてる大人の有業者たちが、何らかの事情で働けない人たや子供たちを含めた無業者を支えるという視点に立てば、ひとりがひとりを支えれば足りる計算です。そういうふうにみんなが感じられた方が、独身でも子がなくても、みんなが社会の役に立ってるよねって思えるんじゃないでしょうか。」

「(シングルにも)いろんな人がいるし、ひとりの人も365日24時間ずっと同じ人間ではない。ひとりは寂しくないと言っていても、ある夜中に、めっちゃ寂しくなったりするんです。自分の中にいろんな人間がいるんです。」

「ソロで生きるって、逆説的ですが、人とつながる力です。家族や職場以外で話し相手はいますかっていう話です。家族に唯一依存するんじゃなくて、ほかにつながりを作ることは、自分の中に新しい自分を生み出すことになります。自分の内面の充実につながります。」

「無理に友達や趣味を作らなきゃと思う必要はありません。本でも旅でも「接続するコミュニティ」になります。いろんなものとつながって、自分の中に、多様な自分を作ってほしいですね。」

このインタビューの面白いところは、引用では割愛したけれど、インタビュアー(シングルスタイル編集長の女性)が荒川氏から「あたなは幸福ですか?」と聞かれて自身のシングルライフに語っているところである。インタビューというのは実は対話なのである。

(朝刊にひとわたり目を通してから)トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼食はソーメン。

夕食はカレーライス。 

デザートはキュウイ。 

 今日は一歩も外に出なかった。なので髭も剃らなかった。栄養と休養、それだけを心がけた。帯状疱疹の方はピーク(ボトムというべきか)は越したような感覚がある。自分の体のことなので、それはわかる。

『ノーサイド・ゲーム』第3話を観る。リーグ戦初戦、ラグビー教室やボランティア活動のかいあって、地元の人たちがたくさん応援にスタンドに詰めかけた。感激する選手たち。ベタな演出だが、日曜の夜に観るドラマはベタでいいのだ。

卒業生で書道家で句会仲間の恵美子さんが自身のブログで出産のことを書いている。読み応えのある文章である。

「すごく大変だったけど終わってみれば良い思い出、そんなふうにも今の時点ではできない。/経膣分娩でも帝王切開でも、赤ちゃんの可愛さでその痛みなんて吹き飛んでしまう、ということをよく言うものだが、私は今到底そうは思えないのである。/私はきっと、出産というものにとてつもなく大きな、何もかもを凌駕する未知の感動を、知らず知らずのうちに期待していたのかもしれない。/それを思い知るとき、「期待は失望の母である」との大瀧詠一さんの言葉を思い出す。/出産だって当然のことながら例外ではないのである。」

「この子はきっと、一人っ子になると思うが、もしそうでなかったとしたら私もその痛みや恐怖やえも言われぬ不安感を忘れることに成功したのだということになるだろう。/しかしおそらく、私はこの数日間の体験を数年をかけて考えて受け入れていくような気がしているので、きょうだいは作ってあげられないと思う。」

「結婚」や「出産」は祝祭的なライフイベントだ。みんな(社会が)そう思っている。だから「結婚」や「出産」について語るとき、どうしても文章は定型的なものになる。たとえ自分の気持ちがその定型にしっくりなじまなくても、それに無理に合わせたような語り口になる。でも、恵美子さんはそういうことのできない人である。自分の気持ちを自分の言葉で表現しようとする。それは簡単なことではない。彼女がこの文章を書いたのは退院後6日目である。彼女をしてそれだけの時間が必要だったのだ。

彼女のブログは→こちら

2時、就寝。

 


7月27日(土) 晴れたり曇ったり

2019-07-28 13:55:56 | Weblog

9時、起床。

とくに発熱とかはないが、疲れがたまっている感じはある。横になるといくらでも寝られそうだ。  

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『なつぞら』。なつたちが作ったテレビアニメ『百獣の王子サム』のモデルは『狼少年ケン』である。あれは小学生だった私はよく観ていた。♪ババンバブンバ・・・で始まるテーマソングはいまでも耳に残っている。

昼食はぶっかけ蕎麦。

食後に昨日ミズキさんからいただいた葛餅を食べる。色とりどりのハート形をした変わり種である。葛餅のバレンタイン・バージョンか。 

 黄粉と黒蜜をかけるとせっかくのハート形はわからなくなる。黒蜜は「藤乃屋」流に下に敷いた方がよかったかもしれない。そして黒蜜はハートの型の中に注ぐとよかったかもしれない。後の祭りだが、次回いただいたときはそうしてみよう。

食後に昼寝。いくらでも寝られる。 

夕方、松本旅行の切符の払い戻しに駅まで出る。

途中で「ティースプーン」に顔を出す。 

先日飲めなかったタピオカミルクティーを注文。タピオカの大きさ、弾力も安定してきたようである。 

切符の払い戻しで浮いたお金で『くまざわ書店』で本を購入する。

佐藤正午『小説家の四季』(岩波書店)

岩波の『世界』に連載された文章を中心に編まれたエッセイ集である。ちょっと変わっているのは(それで購入する気になったのだが)、連載の初回に「はじめに」とでもいうような、連載開始前の作者の置かれたいた状況について説明があること。彼は体調を崩して7か月間ほど小説の執筆を休んでいたのだ。はっきりそうは書いていないのだが、どうも「鬱病」気味だったらしい。

「いい年をしてこんなこと書くのも恥ずかしいけれど、去年のいまごろは自分の人生が地味でつまらなく思えて仕方なかった。/「それはまあ冷静に過去を振り返れば、僕の人生は地味でつまらないといえば子供の頃からえんえん地味でつまらなかったし、そんなことには慣れていて小説を書くことの邪魔になったためしはなかったのだが、去年の秋には小説を書くどころか小説を読むことからまずつまらなく思えて、それで最期の砦を攻め落とされたような気分になって落ち込み、と同時に冷静さを欠いてうろたえてしまった。連載小説なんか書いている場合ではない。でもかといってほかになにをする気力もわかない。なにも手につかない。体調不良のせいで食欲もない。食欲もないのに日に三度(根がきまじめなたちなので)食後服用の薬も飲まなければ気がすまず、無理やりにでも食べ物を口に入れなければならない。毎日がつまらない、人生がこれじゃつまらない、ということが、あとちょっとでも気を緩めると、もう生きているのがつらいという暗い呟きに変りそうで心細かった。」

そういう状態は脱したからこそ作者はこういう文章がいま書けているわけだが、彼はその「毎日がつまらない」「人生がつまらない」時期の1つのエピソードについて書いている。彼は30年ほど昔にある雑誌の新人賞に応募してそれっきりになっていた小説の原稿のコピーをずっと保管していたのだが、その鬱の時期にゴミ袋に入れて捨ててしまったのである。最近、そのことを知った編集者が「もったいないなあ」と言った。「それに手を入れて一冊本が出来たかもしれないのに」と。

「そう言われてみて、僕はふたつことを思った。/三十年も大事に取っておいた原稿のコピーをいまさら処分したのには、やはりそれなりの動機があったはずで、処分したときは早めの「身辺整理」をしているつもりがあったのかもしれない。自分が死んだあとでこんなお粗末な小説を人に読まれるのは御免だから、手遅れにならないうちに。つまり、いまはもう回復して忘れかけているけど、当時は自分の死とか死後のこととかをそう遠くない未来、もっといえば目前に迫っていると考えるくらい、心身ともにそのくらいの病気の状態にあったあったのに違いない。」

「もうひとつ、でも三十年のものあいだ(コピー用紙の文字が薄れるくらいまで)それを取っておいたのは、たとえ下手くそな小説でもやはり自分の書いたものに愛着があったからで、いま編集者にお世辞でももったいないと言われれば、それはその通りだ、実にもったいないまねをしたと自分でも思ってしまう。うまく手を入れて一冊本ができたかもしれないのに。だが、いまそう思えるということは、すでに自分が「身辺整理」を思いつく以前の自分に戻っているといういう意味で、病気の状態から脱していることの明らかな証明にもなる。やはりあのとき処分しておいて正解だったかもしれない。処分しておいたおかげで、もったいないまねをしたという後悔がめばえ、いまは自分がもう病気ではないことを自覚できるわけだから。」

佐藤正午がこの連載初回の文章を書いたのは2007年の秋、52歳のときだった(彼は私より1つ年下)。この10年後、彼は『月の満ち欠け』で直木賞を受賞することになる。

小沼丹『ミス・ダニエルズの追憶』(幻戯社)

小沼丹『井伏さんの将棋』(幻戯社)

 1918年生まれの作家、小沼丹の生誕百年を記念して、幻戯社が『小沼丹全集』全5巻(未知谷)未収録の作品を中心に編んだ本(銀河叢書の中で何冊か出ており、これからも出るみたいだ)。初版千部限定ということで、蒲田の本屋の棚で発見できてうれしい。 

 夕食はステーキ。

付け合せは蓮根とアスパラとトマトのソテー。 

食事をしながら『凪のお暇』第二話(録画)を観る。

1時半、就寝。 


7月26日(金) 晴れ、夜になって雨

2019-07-27 12:56:15 | Weblog

9時、起床。

2日ほど前から右手首の内側に発疹ができ、なんだろう、虫に刺された記憶はないし、何かにかぶれたのだろうかと思っていたら、今朝起きたらその部分が地腫になっていて、小指のところにも小さな水泡ができてチクシクする。軽い痺れのようなものもある。「ああ、これは帯状疱疹というやつかもしれない」と思って、午前中に近所の皮膚科に行って診てもらったら、やはりそうだった。子どもの頃にかかった水疱瘡のウィルスをほとんどの大人は保有しているのだが、それが疲労とか、ストレスとか、加齢などによって体の抵抗力が落ちると、体のどこかに帯状の疱疹となって現れるのだ。普通の人は子どもの頃に水疱瘡を一度、大人なって帯状疱疹を一度経験する(一度経験すれば免疫ができるので再発はまずしない)。抗生物質とビタミン剤(神経痛用)が4日分処方される。完治するまで2週間ほどかかるそうだ。(なお、帯状疱疹は大人には感染しない。というか、たいていの大人はウィルスをすでに体内にもっている)。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。トーストが半切れなのはこの後あまり時間をおかずに昼食をたべることになるたま。 

11時半に蒲田駅で卒業生のミズキさん(論系ゼミ4期生)と待ち合わせ「まやんち」へ。 彼女は今日は有給を取ってきたのだ。去年まで「まやんち」は金曜日と土曜日に営業をしていたのだが、この春から木曜日と金曜日の営業に変更になったため、週末休みの人がピーチメルバを食べるためには有給(ピーチメルバ休暇)をとらないとならなくなった。逆に言えば、それだけの「ピーチメルバ大好き」人間がやってくるということである。彼女は今年で5年連続である。

今シーズン3皿目のピーチメルバ(ミズキさんはにとっては1年振り)。紅茶は私はニルギリ、彼女は東方美人。

桃→アイス→紅茶の三拍子でいただく。一人であれば休みなく食べるので、途中でアイスが溶けてしまうことはないのだが、今日はおしゃべりをしながらだったので、途中でアイスが溶け出した。

彼女曰く「アイスが溶け始めてラズベリーソースと渾然一体となったところが好きです」。さすが毎年ピーチメルバを食べている人らしい食レポである(笑)。 

先にデザートを食べて、しかる後にランチである。いくつかお店の候補はあったが、大井町のとんかつ屋「丸八」に行くことにする。

この店で卒業生と食事をするのは初めてである。とんかつというボリュームのある食べ物を女性は敬遠するのではないかという思いこみが私にあるためだが、ミズキさんは「ここのかつサンドは絶品だよ」という私の言葉に心が動いたようである。  

まずは野菜サラダを注文。野菜サラダ+かつサンドという組み合わせは鉄板である。二皿注文しようとしたら、お店方が「量がかなりありますから、まず一皿で注文されたらいかがでしょう」と言ってくれたのでそうする。

かつサンド。これは各自一皿を注文。揚げたてのロースかつを焼きたてのトーストで挟んだかつサンドをカウンターで食べるという贅沢。 

私はかつサンドにはコーラであるが、ミズキさんに「ビールを頼まれたら?」と言ってみたところ、一瞬、迷ったようだったが(笑)、「いえ、お水で大丈夫です」との返事だった。

お店の方がミズキさんに気を遣って、「残ったらお持ち帰りできますから」と言ってくれたが、ミズキさんは完食した。 

その健啖家ぶりにはお店の方も驚いていたが、見かけによらずよく食べる方である。いや、よく食べられるようになったというべきかもしれない。それはとてもいいことだ。笑顔で、よく食べる女性というのは、一緒に食事をしていて気持ちがよいものである。

食後のコーヒーは「ポッタリー」で。「丸八」→「ポッタリー」は歩いて数分。「丸八」で食事をした後は必ず「ポッタリー」でコーヒーを飲む。とんかつとコーヒーの相性はすこぶるよい。 

「ポッタリー」のマダムは「丸八」のかつサンドがお好きなので、一人前をお土産にしてもらっておいた。 「お久しぶりです」の挨拶と一緒にかつサンドをお渡しすると、マダムは満面の笑みになった。 

「コーヒーがカップにあるうちに写真をお撮りしましょう」とマダムが言ってくれた。これもかつサンドの効果であろう(笑)。 

 彼女はIT系の会社にお勤めだが、最近部署が変わったそうだ。ウェイブサイトのマネージメントの仕事からデザインの仕事になったそうだ。「デザインってやったことあるの?」と聞くと、「いえ、経験ないんです。一からです」とのこと。でも、ずっと側で見てきたわけだから、「門前の小僧(習わぬ経を読む)」というやつですよ。きっと大丈夫。

この後、中野の方へ向かう彼女とは、東京駅で別れた。今日はお付き合いいただいてありがとう。夏バテしないで頑張って下さい。次回は秋カフェでしょうか。

 その足で大学へ。今日で春学期の授業は終わる。最後の授業はゼミである。 

今日は5限だけのゼミ。早めに終わって、打ち上げコンパであるが、私は大事をとって帰らせてもらう。 

研究室で雑用を片付ける。朝方より疱疹の腫れや右手の痺れは少し強くなっているようである。まぁ、採点作業に大きな影響はないと思うが、どうせなら、左手に症状が出てくれたらよかったのにと思う。

7時に大学を出る。 

台風がそこまで近づいているが、まだ雨は降り出していない。 

「カフェゴト―」に寄ってアイスココアで一服。 春学期、お疲れ様でした、と自分に言う。

夕食はテイクアウトの鉄火巻とお稲荷さんを帰宅してから食べる(写真は撮り忘た)。

帯状疱疹+台風の接近ということで、残念だが、日曜からの一泊二日の松本旅行はキャンセルする。実は、行けるんじゃないかと思っていたのだが、妻にそのことを話すと、「何を馬鹿なことを言っているの!」と叱られた。家でおとなしく採点作業をすることにしよう。

12時前に就寝。