フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月30日(月) 晴れ

2007-04-30 23:59:59 | Weblog
  昨日ほどではないが、今日もよく晴れている。しかし明日から崩れるらしいというので、昼食(焼そば)のあと、赤目の生け垣の剪定をする。私と妻と息子の三人がかりで、1時間ほどで仕上げる。息子は初参加であったが、「懐かしいな」と言ったのは、原木中山のマンションに住んでいた頃、GW中の1日を使って、住民総出で敷地内の草取りと木立の剪定をしたことを思い出したからである。作業の後、散歩に出るつもりでいたが、久しぶりに体を動かした疲れで、夕方まで居眠りをした。おかげで寝不足が解消したので、夕食(ジンギスカン)の後の時間を基礎演習のテキストに選定した6本の論文の精読に充てることができた(うち1本は自分の論文なので精読の対象外)。個々の論文のねらい、面白さと問題点、さらなる展開のためのポイント、そういったことを余白に書き込んでいく。ちょうど指揮者がスコアーを見ながら演奏のイメージを作りあげていくようなものだ。ただし、個々の論文を素材にして話(発表)をするのは私ではなく、学生たちである。だから今日の精読は自分が話をするためではなく、学生たちの話(発表)を聴くためと、学生たちが相談に来たときにアドバイスをするための下準備である。学生に勉強してもらうためにはこちらも勉強しなくてはならない。それが新しい基礎演習の肝心なところである。

4月29日(日) 快晴

2007-04-30 11:35:12 | Weblog
  7時に目が覚める。二度寝しようと思ったが、抜けるような青空だったので起きることにした。朝食は牛肉の大和煮の缶詰とご飯。急ぎのメールの返信とフィールドノートの更新をすませてから、GW中にすることを紙に書き出してみる。したいこととしなくてはならないことが混在するリストの中から、今日は佐藤正午の小説『5』(角川書店)をピックアップすることにした。以前に購入し、まだ手つかずでいる本だ。悪くない選択だが、問題は今日のこの抜けるような青空である。読書に最適な天候は風雨である。外出することの誘惑が生じないので、室内で読書に集中できるからだ。今日はそれとは正反対の一日となりそうだ。ただし、外出をためらう理由が2つある。1つはまだいくらかの咳が残っていること。もう1つは今日が平日でなくGWの初っ端でどこへ行っても混んでいるだろうとの予測である。結局、読書を中心として、いつもの夕方の散歩を午後の早い時間にもってくるというプランで決着する。
  最初の数章を読んでから、昼飯を取りがてら散歩に出る。「鈴文」でランチのとんかつ定食を食べる。「鈴文」の「鈴」は主人「鈴木靖夫」の「鈴」であることはわかったが、「文」の方の由来はまだ解明されていない。初回と同じように主人の目の前のカウンター席に座ったが、来店2度目の客に相応しく「美味しかったのでまた来ちゃいました」的雰囲気を漂わせ、黙々と食べ、「ごちそうさまでした」と丁寧に言って店を出た。寡黙な主人に話しかけて「鈴文」の謎に迫るのは次回、いや、その次あたりか。

           

  ルノアール(パリオの中ではなく、線路脇のビルの2階にある方)で『5』の続きを読む。いつものシャノアール(地下)でなくルノアールにしたのは、今日は外光の入る明るい喫茶店で読書をしたかったからである。ルノアールは、ビジネスマンの利用が多いからだと思うが、休日の方が空いている。窓際の席で数章を読み、東急プラザの1階で小海老と浅蜊の佃煮とシュークリームを買って帰る。

           
                     外出派の人々

  夕食は鯖の味噌煮、竹の子と若芽の煮付け、春雨と胡瓜とマヨネーズのサラダ、大根の味噌汁、ご飯。食後はN響アワーや録画して未見のドラマなどを観たので、小説はまだ読み終わっていない。稀代のストーリーテラー佐藤正午が得意とする男と女の話である。

4月28日(土) 曇りのち荒れ模様

2007-04-29 09:48:51 | Weblog
  8時、起床。朝食は鱈子の佃煮でお茶漬け。医者からもらっている薬が切れたので、耳鼻科に行く。咳はひんやりした空気にあたるとまだ出るのだが、だいぶ回復してはきているので、抗生剤はもう必要ないでしょうということで、毎食後に4錠(咳止め、去痰剤、総合感冒薬、胃薬)となった。一週間分処方してもらう。昼食に炒飯を食べてから、大学へ出る。土曜は授業のない日だが、研究室の片付けをしたくなったのである。私はこれでもきれい好きで、連休明けに大学に出たとき、研究室がきれいに片付いていた方が気分がいいに違いないと考えたのである。片づけを始めて、途中、休憩がてら生協戸山店に行って以下の本を購入。

  アラン・コルバン『空と海』(藤原書店)
  マルティン・フロイト『父フロイトとその時代』(白水社)
  北山修『劇的な精神分析入門』(みすず書房)
  J.ブルーナー『ストーリーの心理学』(ミネルヴァ書房)
  吉見俊哉・北田暁大編『路上のエスノグラフィー』(せりか書房)
  キャロル・グラック『歴史で考える』(岩波書店)
  土井博文ほか編『はじめて学ぶ社会学』(ミネルヴァ書房)
  碓井『社会学』(ミネルヴァ書房)

  店内にいるとき、空が急に暗くなって、雷と強風のとんでもない天候になった。まるでこの世の終わりのようだった。

  行き帰りの電車の中で、昨日購入した沢木耕太郎『246』(スイッチ・パブリッシング)を読む。出たのは最近だが、元々は雑誌「SWITCH」に1986年に連載された日記形式のエッセーである。神楽坂の新潮クラブに缶詰になって小説『血の味』に取りかかるあたりの記述。

  「まず最初に片付けておかなければならない問題は、人称をどうするかということだ。「ぼく」とするか「かれ」とするか。一人称にも三人称にも一長一短があり、どちらにするか決めかねている。
  だが、そんなごく初歩的なところで行きづまってしまうのは、私にこの小説の全体がまだ見えていないからなのだろう。私には、ノンフィクションを書く場合にも、書こうとしている作品の全体、極端に言えば最後の一行まで見えていないと書き出せないというところがある。どうやらその癖が小説を書く場合にも抜けないらしいのだ。しかし、たとえ人称をどのようにしたとしても、小説としての力を獲得するためには、虚構のバネによって思いもかけないほどの遠くに飛ばされる必要があり、そうである以上、この「血の味」の行く末にも、見透うそうとして見透せない、深い霧の中に包まれているような未知の部分が残ってしまうことに変わりはないはずなのだ。しかし、それがわかっていながら、私にはどうしても全体を掴み切ってから書き出したいという強い思いがある。曖昧なまま見切り発車することができない。あるいは、それは言葉を換えれば、未知のものに向かっていく勇気がない、というだけのことなのかもしれないのだが。」(2月12日)

  私は彼のノンフィクションやエッセーのファンだが(小説はあまり評価していない)、「書こうとしている作品の全体、極端に言えば最後の一行まで見えていないと書き出せない」というのは凄いなと思った。彼とはジャンルが違うから、比較は意味がないのかもしれないが、もし彼と同じ態度で執筆に臨んでいたら私は今日まで一本の論文もエッセーも書けなかっただろう。8割程度の見透しが立てば書き始める。あとの2割は書きながら考える。それが私の流儀だ。だから構想を立ててから書き始めるまではそれほど時間はかからない。その代わり、当初2割と見積もっていた不透明な部分がいざそのあたりにさしかかると思いのほか大きく重い代物で、つまり目算を誤っていたことが判明して、二進も三進もいかなくなるということがたまにある。そういうときは一からやり直すか(時間に余裕がある場合)、難所を避けて迂回路を進むかのどちらかだが(時間に余裕がない場合=急がば回れ)、気分としてつらいのは後者である。かなり自尊心が傷つく。沢木は「未知のものに向かっていく勇気がない」と自己分析をしているが、私の場合は、未知のものを甘く見る(甘く見ることによって不安から逃避する)癖があるのだろう。
  夕食はピーマンの肉詰め、サラダ、味噌汁、ご飯。菊川怜主演の「病院のチカラ~星空ホスピタル」を観てから、昨日の「現代人の精神構造」の講義要旨を作成し、現代人間論系の先生方に配信。本当は今日からなのだろうが、気分としては明日からGWだ。

4月27日(金) 晴れ

2007-04-28 10:15:44 | Weblog
  8時、起床。朝食はベーコン&エッグ、トースト、紅茶。TVドラマ『特急田中3号』と『バンビーノ!』を今日の「現代人の精神構造」(6限)で使うので、使う部分だけを切りとった編集版VTRを制作してから、昨日の分のフィールドノートを書いてアップロードする。昼食はテイクアウトの握り寿司。午後から大学へ。今日は気温が高いのだろうか、京浜東北線の車内は軽く冷房を入れていたようだが、私はもともと電車の冷房というのが苦手な上に、風邪の回復途中であるから、できるだけ冷たい空気の対流に直接さらされない場所をさがすのに苦労する。東京駅で降りて東西線の大手町の駅まで歩く途中で丸善に寄って小学館の『西洋絵画の巨匠』シリーズのモリゾの巻を購入しようとしたところ、モリゾの巻だけがなかった。店員に尋ねたところ、取り寄せになるという。丸善ともあろうものが、だめじゃないか。結局、早稲田に着いてからあゆみブックスをのぞいたらあったので購入。これは基礎演習で読む6本の教材論文の1つ、坂上桂子「ベルト・モリゾの自画像」を担当するグループに、先日TVで放送していたモリゾの特集番組を録画したDVDとセットにして貸し与えるための資料である(編者は坂上先生)。
  4限の大学院の演習は、清水幾太郎が東京大学に入学するまでのライフコースのいくつかのポイントについて講釈する。次回から『社会学批判序説』に始まる清水の主要な著作を順次読んでいく。6限の「現代人の精神構造」(現代人間論系総合講座1)は私の担当する3回連続講義の最終回。『特急田中3号』と『バンビーノ!』のビデオを素材としながら、若者の「肥大しがちな自己」というテーマを中心に話をする。どちらもいま放送中のTVドラマなので、ビデオを流す前に、このドラマを見ている人は手をあげてと尋ねてみたところ、『特急田中3号』を見ている学生は1、2%で、『バンビーノ!』を見ている学生は10%くらいであった。いまの学生はTVドラマをあまり見ないのである(かとって本を読んでいるわけでもない)。ちなみに世間一般の視聴率は、『特急田中3号』第2話が8.7%(第1話は11.5%)、『バンビーノ!』第1話が16.6%である。前者はいわゆる「大コケ」であるが、ドラマの出来はそんなに悪くないと思う。鉄道オタクたちの物語という設定が女性の視聴者を引かせてしまったのだろう。授業を終えて、今日も聴講に来てくれた安藤先生とTAのI君と3人で焼肉屋「ホドリ」で食事。次回からの3回シリーズの担当は安藤先生だが、『三四郎』から『ノルウェーの森』まで、近現代の日本の小説を素材にして、若者と集団所属というようなテーマで話をされるとのこと。取り上げる小説はだいたい私も読んでいるものなので、それらがどんなふうに料理されるのか楽しみだ(もちろん私も聴講させていただく)。

4月26日(木) 晴れのち曇り、一時雷雨

2007-04-27 12:10:19 | Weblog
  咳はまだ出るものの、昨日のように眠れないほどのものではなく、平常に戻りつつある。今日は2限(社会学演習ⅠB)と5限(基礎演習21)に授業。社会学演習ⅠBは7月21~23日の補講期間に鴨川セミナーハウスで合宿のつもりでいたら、施設がすでに予約で満杯で、一週間日程を早めて、7月15・16日の1泊2日に予定を変更する。レクレーションの時間はなくなるが、それはいたしかたあるまい。前期のグループ研究のテーマは「自己と他者」。今日はそれについての私の講義とグループワーク。幹事から最初のコンパの告知があった(毎月やるらしい)。昼食は「たかはし」の竹の子ご飯。あゆみブックスで下記の本を購入し、(購入金額が5000円以上の場合にもらえる飲物券を使って)シャノアールで読む。

  宮台真司ほか『幸福論』(NHKブックス)
  三浦展・上野千鶴子『消費社会から格差社会へ』(河出書房新社)
  加藤典洋『考える人生相談』(筑摩書房)
  風丸良彦『村上春樹短篇再読』(みすず書房)
  沢木耕太郎『246』(スイッチ・パブリッシング)

  今日の基礎演習では、グループ研究のグループを決め(私の選んだ6本の論文のどれを担当したいかを学生に聞き、人数を微調整して、決定)、さっそくグループワークを始めてもらう。とはいっても、まだ担当する論文の精読はこれからなので、同じグループになった者同士あらためて自己紹介をし、これからのグループワークのスケジュールの相談をしてもらう。基礎演習は連休明けから隔週開講になるが、間の週も教室は確保してあるので、グループワークや私への相談などで有効に活用してほしい。他の授業にはない隔週開講という変則的な方式がうまくいくかどうかは、ここのところで決まるだろう。また、グループワークとは別に、個人面談(相談内容は自由)を実施するので、希望者はメールで申し込んでくれるように伝える。みんなの顔を見る限りはいわゆる「5月病」とは無縁そうに見えるが、それは「快活にふるまわなければならない」という大学デビューの規範に従って無理にそうしているということもままあるのだ。また「5月病」ということとは関係なく、新しい学部でこれからどんなふうに勉強をしていったらよいのか五里霧中という新入生は当然いるはずである。担任教師に相談するかどうかは相手の意思にまかせるとして、相談の機会があることはきっちり伝えておかねばならない。
  同僚の山田真茂留先生、と同姓の山田昌弘先生(東京学芸大学)、それぞれから新刊の著書をいただく。どちらも社会学演習Ⅰの後期の授業で使えそうだ。

  友枝敏彦・山田真茂留編『Do! ソシオロジー』(有斐閣)
  山田昌弘『少子社会日本』(岩波新書)

  6時に大学を出て、蒲田に着いてから、くまざわ書店で成田龍一『大正デモクラシー シリーズ日本近現代史④』(岩波新書)を、その隣の新星堂でスメタナ連作交響詩『わが祖国』のCD(クーベリック指揮、ボストン交響楽団)を購入。体調が回復してくると、本や音楽への欲求も出てくるようである。夜、明日の授業の準備をし、寝不足にならないようフィールドノートの更新は明日に回すことしていて、就寝。

           
             めまぐるしく変わる空模様の一日だった