フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月18日(金) 晴れのち曇り

2011-11-19 00:37:50 | Weblog

  8時、起床。パンとキャベツのスープの朝食。スープには豚肉も入っていたのだが、昨日、昼は和食の定食、夜は中華の定食としっかりご飯を食べてしまったので、朝食は軽めに済ますことにした。

  午前中は原稿書き。昼から大学へ。

  1時から2時半頃まで、教務事務連絡会。それから別件で相談。ようやく3時頃、遅く昼食を「フェニックス」でとる(ピラフとコーヒー)。

  夕方から市ヶ谷の私学会館で、生命保険文化センター主催の中学生作文コンクール(第49回)の表彰式。今回の受賞作品はこちらのサイトで読める。

  今年は私が講評を担当。

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みなさん、おめでとうございます。

審査委員を代表して、受賞作品8点についての講評を申し上げます。

 

まず、文部科学大臣奨励賞の粟野紘花さんの作品「生命保険の支え」。

この作品は東日本大震災で被災された紘花さんのおばあさまのことを書かれたものです。気仙沼に住んでおられて、津波で行方不明になり、一週間後に大けがをして地元の病院に入院していることがわかった。ヘリコプターで仙台の病院に転院。現在は退院して、故郷の仮設住宅でリハビリを続けておられるそうです。作品は、おばあさまが行方不明になっている間の紘花さんが感じた不安や絶望感、生きていることがわかったときの喜び、仙台の病院にお見舞いにいったときにおばあさまから聞いた九死に一生を得た体験談、そして紘花さんが今回の一連の経験から考えたことが、的確な文章で綴られています。

 今回の応募作品の中で東日本大震災について書かれたものは1819点あったそうです。これは応募作品全体の8%に相当します。第49回の中学生作文コンクールの大きな特徴といえるでしょう。紘花さんはこう書いています。

 「正直、私は今でも『地震がなかったら・・・』と思うことがたくさんあります。でも地震があったからこそ知ったことや学んだこともたくさんあります。電気がなかったからこそ、いつもの何倍以上も星が輝くきれいな空も見ました。」

 今回の地震を直接に体験した人はもちろん、間接的に体験した人も、地震の前と後とで何かが決定的に変わったことを感じ、そのことの意味についていまも考え続けていると思います。紘花さんの作品はそうしたわれわれの意識を象徴するものであると思います。その意味で今回のコンクールの最高賞にふさわしいものであると思います。

 紘花さんの受賞を知って、おばあさまはお喜びでしょう。何よりの励ましですね。おめでとう。

 

 次に、全日本中学校長会賞の宮坂恵さんの作品「父からの贈り物」。

 この作品は、昨年の10月に49歳で亡くなられた恵さんのお父様のことを書かれたものです。お父様のご病気は癌でしたが、それがわかったのが8年前の夏ですから、7年間という長い闘病生活であったことになります。それは恵さんの小学校時代とほぼ重なっています。大変な時期だったと思いますが、楽しいこともたくさんありました。恵さんは書いています。

 「手術と入院が繰り返される苦しさや、いつ再発するかという恐怖と闘っていた時期でしたが、父は体調の良いときをみては、父の生まれ育った九州大分県への旅行、今、住んでいる信州の富士見駅から飯田線に乗って終点までの電車の旅、真夏の大阪USJへ、古都金沢、四国、鎌倉にはイベントでひと夏に三度も出かけました。いま思うと、父は幼かった私に沢山の父親との楽しい思い出、“愛”を残したくて精力的に色々な所へつれて行ってくれたのだろうと強く感じます。」

 お父様の気持ちは大人であればだれでもわかります。痛いほどわかります。そして、恵さんもいまそれがわかる年齢になったということです。お父様の7年間の闘病生活の時間は、同時に、あなたが成長する時間でもあったのです。今日のあなたを見て、お父様はどんなにか嬉しく、また、誇らしく思っていらっしゃることでしょう。あなたの受賞をあなたのお父様のために喜びたいと思います。おめでとう。

 

 同じく、全日本中学校長会賞の青木拓憲君の作品「「助け合い」の精神が支える生命保険」。

 この作品は、一つの問いから始まっています。「人が困難に直面した時、目の前に立ちはだかった壁を突破させるものは何だろう。」この問いの答えを拓憲君は、難病のため米国での手術を必要としている一歳の男の子を援助するための募金活動の体験から導き出しました。「一人ひとりが、小さな一歩を踏み出すことで、人と人とがつながり助け合うことができ、大きな力が生まれる」と拓憲君は書いています。すなわち、行動力と助け合いの精神ということです。残念ながらその男の子は手術を受ける前に亡くなってしまいましたが、男の子が拓憲君に与えてくれたメッセージは拓憲君の心の中にこれからも生き続けることでしょう。

 ところで、拓憲君は昨年のコンクールでも今回と同じ全日本中学校長会賞を受賞しています。しかも昨年はお姉さんの瑛子さんとの同時受賞で、お姉さんはそのとき二度目の受賞でした。お姉さんは1年生と3年生のときの受賞でしたが、拓憲君は1年生と2年生での受賞ですので、来年、3度目の受賞の可能性が残っています。3年連続というのは前人未到の記録になりますが、あなたの文章力からすれば、十分可能性があるのではないかと私は思います。大いに精進してください。とりあえず、二度目の受賞おめでとう。

 

次に、生命保険文化センター賞を受賞した柏原健人君の作品「名前と生命保険に込められた願い」。

 この作品は、健人君が自分の名前に込められた親の願いについて書いたものです。健人君の場合に限らず、親が子供の命名にあたって、親の願いを名前に込める、文化人類学の用語では「あやかりの原理」といいますが、そういう方法はわれわれの社会では一般的です。私の名前は「孝治」というのですが、領収証などに名前を書いてもらうときは、「親孝行の孝に明治の治です」という言い方をします。たまに「親不孝の孝に太宰治の治です」といってみたい衝動にかられることがありますが、じっと我慢します。名前のせいでしょう、私は大変親孝行な息子で、84歳の母はいまでも息子の自慢をしています。聞かれてもいないのに、「私の息子は早稲田大学の教授なんですよ」と他人に話してしまうのです。名前に込められた親の願いというものは実に強力なものです。健人君の場合は、健康に育ってほしいという願いが込められているわけで、親孝行な子供に育ってほしいという願いに比べると、ずっとつつましいものです。しかし、油断してはいけません。親の願い、期待というものはどんどんふくらむものです。健人君も書いています。

 「ただ健康に育ってほしいと願っていた親も、だんだん欲が出てきたようで、最近になって、将来どんな職業に就きたいのか、どんな生き方をしたいのかと問われることが多くなった。」

 そうですか。やっぱりね。そのうち結婚相手についても口を出してくるかもしれません。「健康の康に子供の子」の「康子」という名前の女性と結婚すると夫婦あわせて「健康」で、健康優良児が生まれるとかいいだすかもしれません。冗談はさておき、この作品は子供の命名というありふれた出来事を通して親子の絆を軽やかなタッチで描いた後味のいい作品でした。ちなみに生命保険文化センターの職員の方の中に、健人という名前の方がいらっしゃるそうです。この後のパーティーの席でぜひお話をされるとよいと思います。今回のあなたの受賞は彼の後押しによるところが大きかった、というのはもちろん嘘です。おめでとう。どうぞこれからも健康で。

 

同じく、生命保険文化センター賞の清水かれんさんの作品「思いやりの形」。

この作品は今年の二月に95歳で亡くなったかれんさんの曾祖母、ひいおばあさんのことをを書かれたものです。ひいおばあさんは、大変な気遣い家さんだったそうで、買物のときは小銭を使わない。理由は「後ろで待っている人がいるのにもたもたしていたら迷惑だから」だそうです。目の前のレジの人のことを考えるとお釣りがないように小銭を払って支払うのがいいように思うのですが、後ろに並んでいる人のことを考えてという発想がすごいなと思いました。私もみならいたいと思います。そんなひいおばあさんですから、自分が入院中のときも、泣き言ひとつ言わずに、「迷惑をかけてごめんね」「心配かけてごめんね」と家族の方にいっていたそうです。そんなひいおばあさんに、作品の最後のところで、かれんさんはこう語りかけています。

「ひいおばあちゃん。お元気ですか? 私は勉強がんばっているよ。受験生だから。だって私、ひいおばあちゃんの期待のひ孫だもんね。それからね、また背が伸びたの。もっと大きくなるよ。そして、これからは心も大きくするよ。ひいおばあちゃんが、いつも大切にしていた“思いやりの心”。私も育てていく。みんなに迷惑をかけず、強くそして優しく成長していく。だから、天国から応援していてね。」

ひ孫からひいおばあさんへの心あたたまる語りかけです。今回の受賞は、きっとひいおばあさんが応援してくれたからでしょ。受験についても、ひいおばあさんは必ずかれんさんを応援してくれるでしょう。受賞おめでとう、そして、受験をがんばってください。

 

 同じく、生命保険文化センター賞の石井純君の作品「傷口から学んだこと」。

 この作品は虫垂炎をこじらせて大変な目にあった純君のお母様のことを書いた作品です。腹痛というありふれた症状を軽視して、病院でちゃんと診てもらうのが遅れたために、腹膜炎を併発して命の危険にさらされたということです。この家族に起こった出来事を、純君は「福島の原発事故」と結びつけてこう論じています。

 「人は、起こってほしくないことは、考えないようにする傾向があるのだと聞いたことがある。誰でも、大切な人が、病気になったり、死んでしまったりすることは、考えたくはない。けれども、事が起きてからは、混乱し、事態の収拾がつかなくなってしまう。大事なことは、普段から、あらゆることの最悪の事態を想定し、考え、覚悟を決めておくことだと思う。」

 ここには若者らしい理想主義的な考え方がみられます。私などの年配の人間にとって「あらゆることの最悪の事態を想定」することはとても気分が滅入ってしまって無理だと思います。せいぜい「大切ないくつかのことがらについて」考えをめぐらすので精一杯だと思います。しかし、その大切ないくつかのことがらの中には、純君が考えているように、間違いなく家族のことが入ってくると思います。大人であればみなそうしていると思いますが、石井家では、今回の一件で、家族全員がそう考えるようになった、それが重要なところだろうと思います。お母様も大変でしたが、怪我の功名というものではないでしょうか。受賞、おめでとう。

 

同じく、生命保険文化センター賞の赤尾英里子さんの作品「保険で知る「愛」。

 この作品には英里子さんの双子の弟たちの出産をめぐるエピソードが書かれています。「双胎間輸血症候群」という双子に固有の病気で、おなかの中で、生まれる前に、二人とも死んでしまう可能性があったということです。それを知ったとき英里子さんは人生で初めて“死”をとても身近に感じたそうです。生命保険をテーマにした中学生の作文コンクールですので、本人よりも上の世代の人たちの死、親の死、祖父母の死、曽祖父母の死が語られることは珍しくありません。しかし、本人の兄弟の死が語られることは非常にまれです。しかも、英里子さんと生まれてくる双子の弟たちとは一回りほど年が離れています。兄弟数の多かった時代にはそう珍しいことではなかったと思いますが、現代では、一回り年の離れた兄弟というのは珍しいと思います。そんな自分よりもずっと小さな者が死の危険にさらされているということで、さらにはお母様の身体のこともあり、英里子さんは本当に気が気ではなかったと思います。結果的に、双子の弟さんたちは無事に生まれました。本当によかったと思います。英里子さんは書いています。

 「保険について今まで無関心でいたけれども、双子の弟たちのことをきっかけに色々知ることができた。お金には違いないけれど、保険を通じて父や母から私たち子供への愛情を感じる。少し大げさかもしれないけれど、将来を守り、助ける“愛”だと思う。」

 弟さんたちは、いま、一歳半とのことですが、お名前は何というのでしょう?そう、ワタル君とタスク君ですか。一回り年が離れた弟というのはどうですか?お姉さんでもあり、母親的な感覚もあるのではないでしょうか。もしかしたらおばさん的な感覚もあるかもしれませんね。あなたの受賞、そして弟さんたちの無事出産、おめでとう。

 

 最後に、同じく生命保険文化センター賞の玉田菜那さんの作品「人生を後押し」。

 この作品には、お祖父さま(菜那さんのお父様のお父様)の死のことが出てきますが、主役はお祖父さまではなく、お父様です。どんなお父様か、菜那さんよれば・・・

 「毎朝五時起床。朝食を食べ、新聞に目を通し、身じたくをして七時には出社。つなぎを着て働く私の父は、明石で自動車整備業を営んでいる。私が生まれた頃の父は今では想像もつかないがネクタイを締めて大阪で会社勤めをしていた。そんな父に転機が訪れたのは三十歳の時だった。」

 その転機というのが、お祖父さまが癌で倒れ、創業57年の自動車整備工場をお父様がお継ぎなるという決意をされたことです。大変な決意だったと思いますが、その決意を後押ししてくれたのがお祖父様の生命保険金であったということです。こうした物語、生命保険が残された家族をたんに経済的に支援したという話ではなく、家族の人生の転機を後押したという物語が、作文コンクールの作品の中で語られることは珍しいと思います。今回の受賞は生命保険のそうした側面を描いた作品である点が評価されたものです。今日はそのお父様もご出席ですね。

奈那さんは、青木拓憲君と同じく、昨年に続いて二度目の受賞です。素晴らしいと思います。おめでとう。

 ところで、今日は怪我をされてのご出席ですね。うかがったところでは、柔道で鎖骨を折ってしまったそうですね。大丈夫ですか? でも、さきほどの授与式のときは、ちゃんと両手で賞状を受け取っておられましたよね。ちなみに、もちろん保険には入っておられますよね? 一日も早い回復をお祈りします。 

以上、受賞8作品の講評を述べさせていただきました。改めて、ご本人、ご家族、先生におめでとうございますと申し上げたいと思います。ありがとうございました。