3.15(土)
2日前にインターネットサイト「日本の古本屋」で注文した『平野謙全集』全13巻(新潮社、1974-75)が届く。山口県徳山市のマツノ書店からである。この全集は14件の古本屋で扱っていて、値段が一番高いのは渥美書房(早稲田の古本屋だ)の110,000円、一番安いのは小宮山書店(神田の有名な古本屋だ)とマツノ書店の35.000円。古本の値段にはかくのごとく差がある。だからある程度値の張るものを買うときは時間をかけて何軒もの古本屋を回る必要があったが、インターネットでそれが瞬時にわかるのは本当にありがたい。小宮山書店のものは「イタミ有り」、マツノ書店のものには「函少汚」と注記があった。私は「美本」であることにこだわらないが、古本のメッカである神保町の小宮山書店が最低の値段をつけたからにはそれなりの「イタミ」なのだろうと考え、マツノ書店のものを注文した。今日届いた『平野謙全集』の「函少汚」は四半世紀という歳月を考えればあたりまえという程度のもので、全然気にならない。『堺利彦全集』を五山書房に注文したときは代金を事前に銀行口座に振り込むシステムだったが、マツノ書店は郵便振込用紙と一緒にすぐに品物を送ってきた。こちらのやり方の方が客としては気分がいい。(ただし、受注のメールには代金の振込みは「商品到着後1週間以内」とあったが、本と一緒に入っていた挨拶状には「2週間以内」とあった。どちらが正しいのだろう? まあ、どっちにしろ、月曜に振込みますけどね)。
平野謙は清水幾太郎と同じ1907年の生まれで、清水より2年遅れて東大文学部社会学科に入学している。しかし、中退して美学科に再入学し、以後、文芸評論家としての道を歩いた。全集の最終巻に平野は後記を書いている。
「私一個とすれば、今年の春、四十余日の入院生活を送ったとはいえ、曲がりなりにこの後記を書きとおし得たことを、ありがたいことと思っている。私などの年齢になれば、いつ癌になっても高血圧にたおれても不思議ではない。それを、ともかく最終配本にまで無事たどりつくことができたのは、僥倖みたいなものであって、そのことをふくめて私は心から感謝したいのである。(中略)かねがね私は自分の運勢を『はじめよく、おわりわるし』と思ってきたが、この最終回配本の後記を校正している現在、第一回配本の『さまざまな青春』に対して、思いがけなく第二十八回野間文藝賞が授賞され、すくなくともこの全集に関するかぎり、私の運勢はあてはまらないようだ。やはり感謝の気持ちとともに、そのことをここに付記しておきたい。」
存命中に自分の全集が刊行され、それが完結するという気分はどのようなものなのだろう。当時、平野は68歳。これからの人生は「余生」だと彼は思ったはずだ。しかし、彼の「余生」は短かった。最終巻の刊行から2年4ヶ月後、平野はかねてからの食道癌にクモ膜下出血を併発して亡くなった(ちなみに、同じく1907年生まれの高見順と亀井勝一郎もやはり食道癌で亡くなっている)。
3.17(月)
朝、9時に妻と一緒に家を出る。妻は10時に銀座の松屋の前で友達と待ち合わせで、私は有楽町の日劇で上映している『戦場のピアニスト』の10時5分からの回を観るためである。とくに一緒に出る必要はないのだが、妻が有楽町から松屋までの道がわからないというので、案内するためである。松屋は銀座4丁目の交差点のところにある。「銀座4丁目の交差点の場所がわからない東京人がいるとはね」と電車の中で軽口を言っていたら、実際に行ってみると、銀座4丁目の交差点のところにあるのは松屋ではなく三越で、松屋は隣のブロックだった。これでまた権威失墜だ(以前、妻が今日と同じ友人と三越の前で会うというので、日本橋三越までの行き方を教えたところ、二人が会う約束をしていたのは銀座三越の方だったようで、後で文句を言われたことがあった)。
開演20分前に映画館に着くと、すでに50人くらいの列が出来ている。中年の女性と初老の男性が目立つ。平日の午前中から映画を観ようなんて、堅気の人間、すなわち額に汗して働いている人間のすることではないという思いが一瞬胸をよぎるが、まあ、いいや、そういう人間じゃないし、と列の最後に並ぶ。場内に入ると、ずいぶんと大きなスクリーンで、私はふつうの映画館なら前から3列目あたりの席に座って、座席に身を沈め、視野いっぱいをスクリーンにして観るのが好きなのだが、ここでは10列目あたりまで下がらないとスクリーンの左右両端が視野から外れてしまう。
『戦場のピアニスト』は評判どおりのいい映画だと思う。『シンドラーのリスト』や『ライフ・イズ・ビューティフル』のような強制収容所の場面は出てこない。一家が強制収容所行きの列車に乗せられるとき、主人公だけがその場から逃れることができたからだ。映画の舞台はゲットーとその外のワルシャワの市街だ。主人公のピアニストは、『シンドラーのリスト』の主人公のように人の命を救うために奔走するわけでもなく、『ライフ・イズ・ビューティフル』の主人公のように息子のために懸命に芝居を演じ続けるわけでもない。ただひたすら周囲の惨劇を見つめ、逃げまどうだけだ。圧倒的な無力感。映画のポスターにもなっている廃墟と化したワルシャワの街は彼の心象風景そのものだ。それにしてもユダヤ人があまりにもあっけなく殺される様はこれが事実だとはとても信じられないほどだ(たとえばある女性などは、収容所行きの列車に乗せられる前に、「行き先はどこですか」と尋ねたとたんにピストルで額を撃たれてしまうのだ)。こうした悲惨な物語の中、随所で流れるピアノの演奏は心にしみる。映画のハイライトシーンである、ドイツ軍将校のリクエストに応えてピアノを弾くシーンが素晴らしかったのはもちろんだが、映画の最後、エンド・ロールが流れる中、戦後の演奏会でピアノ協奏曲を弾く主人公の両手と鍵盤のクローズアップは圧巻であった。これほど観客の目を釘付けにするエンド・ロールは初めてである。
3.18(火)
昨日の夜、98年度に社会学専修を卒業し、いまはワシントンDCに住んで、コンサルタント会社に勤務しているMさんからひさしぶりのメールが届いた。結婚の報告だった。お相手は彼女が交換留学でオレゴン大学に行っていたときに知り合ったフランス人(彼もやはり留学でオレゴン大学に来ていた)とのこと。結婚式は彼の生家のあるフランスのリヨンで6月に行うという。なんでも彼の親戚の所有するワイン農園で行うらしい。国際結婚にもワイン農園でのアウトドアの結婚式にも驚いたが、もっとびっくりしたのは、結婚式に私を招待したいと書いてあったことだ。私も早稲田大学で教えるようになって10年目になるので、卒業生の結婚式に何回か呼ばれたが、海外での結婚式に呼ばれたのは初めてである。しかし、私は結婚式への出席は「日帰りの出来る範囲内」と決めているので(おまけに学期中だし)、当日、結婚式の行われている時刻に、彼の地の空の方角を見やりながら、「おめでとう。幸せにね」と胸の中で祝福をさせていただきますと返事のメールを書いた。
3.19(水)
インターネットで注文した古本の代金を五山堂書店の銀行口座に振り込むとき、4,650円を振り込むべきところを、間違って『平野謙全集』の代金としてマツノ書店に郵便振込みで送金するはずの36,000円を振り込んでしまう。直後に気づき、麻雀に喩えれば、3翻でリーチをかけたらいきなり対面の役満に振り込んだときくらいびっくりした。すぐに五山堂書店に電話して、差額分を返送してくれるよう依頼する。電話のこちらとあちらで苦笑。
3.20(木)
米英を中心とする同盟軍によるイラク攻撃が開始される。国際社会における戦争は外交の一手段であるが、兵器の殺傷能力が高まるにつれ、「最後の手段」(可能な限り回避すべきもの)と考えられるようになった。明治維新以降、日本は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と多くの戦争を当事者として経験してきたが、1945年以降は「平和」が続いている。しかし、その間も地上から紛争や戦争は絶えることがなかった。あいかわらず戦争は外交の一手段として「有効」であり続けている。いま、大量殺害兵器を隠し持っているのではないかと思われている国を、大量殺害兵器を公然と所有している国が攻撃している。したがって、今回の戦争において、大量殺害兵器の所有それ自体が悪いとされているわけでないのは明白である。悪いのは、第一に、それを「隠し持っている」ことであり、第二に、それが他国の攻撃に対する抑止力ではなく、「(テロで)実際に使用される可能性がある」ことであるーこれが同盟国側の(というよりもアメリカの)攻撃正当化の論理である。しかし、この論理を小学生に理解させるのは難しい。もし「隠し持っている」ことが悪いのであれば、英米仏露中印のように公然と所有すればいいことになるが、実際には、すでに所有している国々は新たに所有する国の出現を許さない。こうした既得権の保護はまったく「自由主義的」ではない。なぜ大量殺戮兵器の所有・開発が一部の国には認められ他の国には認められないのかを説明することは、「抑止力による平和」というゲーム理論的概念を使えば可能なのであろうが、しかし、ゲーム理論というものは「合理的に行動する複数の主体」というものを暗黙の前提にしており、この前提は個人のレベルだけでなく国家のレベルでもフィクションに過ぎないことは明らかである。われわれは他人をうっかり信用してはいけないように(人を見たら泥棒と思え)、英米仏露中印を能天気に信用してはいけないだろう。大量殺害兵器が「実際に使用される可能性」がイラクと北朝鮮で高く、英米仏露中印で低いという認識は短期的には正しい(国際社会からの孤立は国際社会のルールの弛緩を意味するから)。しかし、長期的には間違っている(公然であれ、非公然であれ、存在する兵器は常に使用される可能性があり、その可能性が時間の経過とともに小さくなっていくという保証はどこにもない)。
3.21(金)
「誠竜書林」の200円均一本のコーナーに晶文社の「文学のおくりもの」シリーズが何冊か出ていた。つい最近まで400円の値がついていたものが値下げされたのだ。「文学のおくりもの」シリーズは1970年代に出版されたもので、超有名な作家は意識的に外した、知る人ぞ知るといった感じの現代の海外文学を紹介したシリーズで、国東照幸のブックデザインと長新太の絵が洒落ていた。このシリーズ(第三期まで合計21冊出た)の第1巻はレイ・ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』。私は学生時代にガールフレンドからこの本を薦められたが、読もうとは努めたものの、結局、読まずに返したことがある。私は本を読むのは人一倍好きだが、人から薦められた本を読むのは苦手としている。薦められて読んだ本で面白かった経験は少ない。読書というものは恋愛と同じで、自分が一目惚れした本を夢中になって読むからこそ面白いのであって、紹介や見合いというのは(したことがないので憶測でいうのだが)どうもね・・・。しかし、人が薦めてくれた本を読まずに返すというのは気まずいものである。実際、そのガールフレンドとは長くは付き合わなかった。その思い出の(?)『タンポポのお酒』を古本屋の店頭で見つけたのも何かの縁であろうと、購入した。一緒に、同じシリーズのリチャード・ヒューズ『ジャマイカの烈風』も、「息もつかせぬ筆致で鬼才ヒューズが描きあげた驚くべき世界。全世界の人々の目を瞠らせた、イギリス文学の傑作中の傑作」という宣伝文句に惹かれて購入。たんに「傑作」だったら買わなかったかもしれないが、「傑作中の傑作」ですからね。
3.22(土)
このごろ、学生たちから大学院進学の相談のメールが届く。そういう季節なのであろう。私はこれまで一度も特定の学生に「大学院へ進学しないか」と自分から声をかけたことはない。見込みのある学生と出会わなかったからではない。将来の就職が大変だからというのはあるが、それだけではない。たぶん、自分の一言が相手の人生の道筋を決めてしまうかもしれないということ、変えてしまうかもしれないということ、それを回避したいという心理が働いているのであろう。私自身は、大学院への進学を誰かから勧められたことはない。誰に相談することもなく、自分で勝手に決めたのである。ただし、卒論の評価がよかったことは自信(あるいは自惚れ)にはなったと思う。指導教員は現在の社会学専修の同僚である正岡寛司先生であった。その意味では(正岡先生にそのおつもりは全然なかったはずだが)、私にも背中をプッシュしてくれた他者はいたわけである。また、もう一人忘れてはならないのは、社会学者(評論家)の清水幾太郎である。最初の大学院の受験に失敗し、1年間の浪人をしていたとき、私は彼に卒論の概要を同封した手紙を送った。実は、私の卒論は「子供と社会に関する発達社会学的考察」というのだが、これは清水の『社会と個人』(1935年)と『社会的人間論』(1940年)という2冊の本からヒントを得て書いたものである。つまり社会学の根本問題である「社会と個人の問題」(両者の関係や如何に)を、社会の時間(時代)ではなく個人の時間(年齢)を軸にして、個人の加齢に伴って現代社会における「社会と個人の問題」がどのように生成・変容していくかという観点から論じたもので、発達心理学の知見を社会学の視点から再解釈したものといってもいい(当時はまだ「ライフコース研究」という言葉を知らなかった)。無名の読者からの不躾な手紙に対して、清水は丁寧な返事をくれ、そこには卒論の概要を読んで「大変に見事だと思いました」と書いてあった。一種のファンレターに対する返事であるから、リップサービスは当然であろう。当時の私もそのくらいのことは心得ていたが、浪人中の身に誉め言葉は素直に嬉しかった。だから、というわけではないが、学生(ときには卒業生)が大学院進学について相談に来たときは、基本的にプッシュする方向でアドバイスをするようにしている(・・・・と書いているいまもまた相談のメールが届いた)。
3.23(日)
私の愛読書の一冊に池波正太郎『散歩のとき何か食べなくなって』(新潮文庫)がある。この影響だろうか、散歩に出ると何か食べたくなる。今日は西蒲田駅前商店街を入ってすぐのところにある「富士そば」という立ち食いそばのチェーン店で、前から気になっていた480円のカツ丼を食べた。私の中ではカツ丼というのはご馳走の部類に属している。たとえば、小津安二郎の映画『東京物語』(1953年)の中に、尾道から上京してきた義父母(笠智衆と東山千栄子)が嫁(原節子)のアパートで店屋物を食べるシーンがあるが、あのときの店屋物はたぶんカツ丼である(天丼であれば、海老の尻尾が丼の蓋からはみ出ているはずだが、それはなかった)。そう、かつて、家に客が来て、何か出前をとるとき、寿司、鰻重、天丼、そしてカツ丼が定番であった時代があった。いま、寿司と鰻重は依然としてその地位を保っているが、天丼の地位はやや低下し、カツ丼の地位はだいぶ低下したように思う。それにしてもカツ丼が480円とは・・・。デフレの申し子「ワン・コイン・ランチ」(500硬貨1枚の昼食)にカツ丼も仲間入りしたというわけだ。店の外に出ていたカツ丼のポスターはとても美味しそうで、これが480円とはとても信じられない気がした。もちろん、サンプルやポスターが実物以上であることはこの世の常で、実際に出てきたカツ丼はポスターの写真のものよりカツはやや小ぶりで、とじ卵には火が通り過ぎで、ご飯にはあまり煮汁が沁み込んでおらず、吸い物はしょっぱかった。しかし、480円という価格を考えれば(実際、私は食べながら何度もそう自分に言い聞かせた)、味・ボリュームとも及第点を与えてよいだろう。ちなみに、早稲田界隈はカツ丼発祥の地として知られている(というか、「元祖カツ丼」「本家カツ丼」を名乗っている店がある)が、私がよく食べるのは、元祖でもなく本家でもない、文学部横のうどん屋「ごんべえ」のカツ丼(650円)である。もっともここのカツは自家製ではなく、近所の洋食屋「おとぼけ」で揚げてもらっているのだが(ときどき横断歩道で、「ごんべえ」のおばさんがカツの山盛りの皿を運んでいるところを見かける)。
「富士そば」の隣はいつも立ち寄る「書林大黒」である。100円コーナーに河出書房版の「カラー版日本文学全集」の端本がどっさり出ていたので、「石川淳」と「室生犀星・堀辰雄」と「尾崎一雄・上林暁・永井龍男」の3巻を購入。
3.24(月)
今頃の季節になると、大学の周囲の本屋の店頭に『ワセクラ』と『マイルストーン』がうずたかく積まれる。大学が配布する講義要項を「表の情報」とすれば、両誌は「裏の情報」である。見かけはタブロイド判の『ワセクラ』よりもちゃんとした冊子体の『マイルストーン』の方が立派だが、講義情報誌としては『ワセクラ』の方が老舗で、小さい活字で情報量が多く、しかもゴシップ的な(毒を含んだ)内容である。つまり読み物として面白いのは断然『ワセクラ』である。ただし、自分の講義に関する記事以外は(おそらくほとんどの教員はそう感じているはずだ。まさに「人の不幸は密の味」である)。たとえば、私の「社会学研究」についてはこう書かれている。
「充1 楽3 前テ 後テ 出有 サンプル多数。代返可。授業出てればテスト楽でA。試験は論述形式。マクロな社会構造・変動と、ミクロなライフコースが重層的に相互作用・共振し、総体を形成するダイナミズムを、社会学的想像力を用いながら、音楽やビデオを素材に考察。日常生活を見るまなざしが変わる。とても面白いし、涙もあり。今はなきオープンカフェで露文の草野先生をパフェに誘ったが、あとで先生が革マルにカレーに誘われた。偽善者っぽいけど、やはりいい人。学生運動弾圧派だが、対話による解決を志向する姿勢には一定の評価あり。」
さまざまな内容を含んでいるが、因数分解しながらコメントを加えておきましょう。
「充1 楽3 前テ 後テ 出有」・・・・知らない人のために説明しておくと、「充」は充実度、「楽」は楽勝度のことで、それぞれ5段階評価(数字が小さい方が充実・楽勝度高い)。「前テ」「後テ」とは前後期とも教場テストをやるということ。「出有」は出欠を取るということ。「充1」は光栄です。「楽3」はそうでしょうね。テストと出欠についてもその通り。
「代返可」・・・・名簿を読み上げて返事をさせているわけではないので、「代返」という言葉は正しくないが、要するに、出席していない学生の出席カードを友人が代わりに書いて(あるいは記入済みのカードを事前に預かっておいて)提出することができちゃうという意味ですね。はい、そういうことをやってどういう御利益が本人にあるのか私にはわからないけれど(むしろ授業に出ていなければテストで困ると思う)、したければできます。教員の中にはこうした「代返」を見破ろうとして配布する出席カードに細工(針で穴を開けておくとか、角をカットしておくとか)をする人もいると聞く。いやはや、ご苦労な話です。
「授業出ていればテスト楽でA」・・・・これは完全に間違った情報。よほど頭がいいか要領のいい特殊なサンプルの投稿であろう。実際は、Aを取る学生は20%しかいない(フィールドノートの「2.9」を参照)。
「試験は論述形式」・・・・これは事実。○×形式でやれたらどんなにか採点が楽だろうと、採点しながらいつも思う。
「マクロな社会構造・変動と、ミクロなライフコースが重層的に相互作用・共振し、総体を形成するダイナミズムを、社会学的想像力を用いながら、音楽やビデオを素材に考察」・・・・なるほど、そういうことだったのか。
「日常生活を見るまなざしが変わる」・・・・社会学ってそもそも常識破壊的な面があるのです。
「とても面白いし、涙もあり」・・・・松竹新喜劇か。
「今はなきオープンカフェで露文の草野先生をパフェに誘ったが、あとで先生が革マルにカレーに誘われた」・・・・「オープンカフェ」というのは文学部のホームページにあったBBS(掲示板)のことで、いろいろあったが、総じて面白い経験であった。われわれ(草野先生も)が教務を交代するとともに「オープンカフェ」も消えてしまった。地上からアナーキーなものはどんどん消えていく。夏草やつわものどもが夢のあと。
「偽善者っぽいけど、やはりいい人」・・・・「いい人っぽいけど、やはり偽善者」が正しい(偽悪者ぶってどうする)。
「学生運動弾圧派だが、対話による解決を志向する姿勢には一定の評価あり」・・・・それはどうも。ここでいう「学生運動」とは「自称自治会=革マル派の活動」のことではなくて、おそらく、一昨年の夏に活発化した「1・3・8号館地下部室撤去反対運動」のことだろう。『ワセクラ』はその運動に対してシンパ的な立場に立っている印象を紙面全体から受けるが、反体制を貫こうという姿勢には一定の評価あり。
編集者の方、来年の号には「ワセクラの愛読者」という一文を追加しておいて下さい。
3.25(火)
卒業式。冷たい雨がキャンパスの桜の蕾を濡らす。社会学専修の卒業生一人ひとりに卒業証書を手渡し終えて(これは専修主任の役割)、研究室で休んでいると、私が卒業論文の指導をした二文のIさんが研究室に挨拶に来た。卒業生が研究室に挨拶に来ること自体は珍しいことではないが、珍しいのは男性が一緒について来たことだ。しかも、よく見るとその男性には見覚えがある。なんだ、3年前に一文の社会学専修を卒業したK君ではないか。「なんで君が?」と聞いても、K君もIさんもニヤニヤしていて答えない。本棚をバックにIさんと私のツーショットをK君が写真に撮る。記念写真を取り終えて、二人を椅子に座らせて、改めて問う、「なんで君が?」。ようやくIさんが答えた、「実は私たち付き合っているんです」。そ、そうなのか。Iさんの説明によれば(K君はずっとニヤニヤしたまま)、 彼女が1年生のとき、彼は4年生で、彼とその仲間がやっていた同人誌のサークルに彼女も参加したのだそうである。そうか、そういうことか。でも、いままで一言もそんな話出なかったぞ(もっとも卒論ゼミの場所でそんな話も出せないか)。「ということは、付き合い始めて4年ってことかい?」と聞くと、二人、またもニヤニヤしながら、「ええ、まあ」と答える。この流動化社会において(?)、4年間も交際が続いているとはなかなかのものである。もっと2人の話を聞きたかったが、謝恩会の時刻が迫っているので、「じゃ、また」と研究室を出る。
3.26(水)
昨日、謝恩会の会場(新宿のセンチュリーハイアット)に向かう途中のタクシーの中で腕時計が止まった。電池が切れたのである。卒業生を送り出す度に、私も電池が切れたような状態になる。とくに今年の卒業生のようになかなかいい学生が揃っていたときはとくにそうである。彼ら彼女らが去り、また新しい顔ぶれの学生たちと一から関係性を構築していかなければならないかと思うと、「ふぅ」と小さなため息が出る。新学期の授業が始まるまでのしばしの間、充電期間がほしい。しかし、専修主任となるとそうも言っていられないのがつらいところで、今日は午後から、社会学専修の新2・3・4年を対象としたガイダンス(3回)、教室会議、社会学専修教員懇親会が立て続けにあった。
3.27(木)
大隈通り商店街の平山時計店で腕時計の電池交換をしてもらう。支払い(800円)のときスタンプカードをくれる。スタンプ5個で電池交換が1回無料になるという。「この電池はどのくらい持つのですか?」と聞いたら「2年くらい」とのことだった。ということは、6回目の電池交換は10年先のことになる。気の長い話である。そのときまで、このスタンプカードをちゃんともっているとはとても思えないし、そもそも、平山時計店がそのときまであるかどうか・・・・(失礼)。
3.28(金)
新年度の社会学演習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲそれぞれのクラス分け抽選結果の発表。私は今回、ひさしぶりに社会学演習Ⅲ(調査実習)を担当する。早稲田大学人間科学部を10年前に卒業した人たちへのインタビュー調査で、タイトルは「そして彼らは30代になった」。私のクラス(D)の学生は24名(女子13名、男子11名)。性別比はとてもいい。以前、女子20名、男子3名というときがあって(「幸福」がテーマだった)、あのときはちょっと弱った。とくに今回は、インタビュー調査なので、対象者の人生への関心やシンパシーが重要になってくるのだが、その関心やシンパシーが女性の立場からのものに偏ってしまっては困るなと思っていたので、抽選の結果にはほっとした(でも、私のクラスに入った学生はほっとしていないかもしれないが)。
3.30
越後湯沢の駅からバスで50分ほど山奥に入ったところにあるスキー場に来ている。今度高校3年になる長女が小学校にあがる前から毎年一家で来ているスキー場で、もう目をつむっても滑れるくらい、コースのカーブや起伏が体に染み込んでいる。私の腕前は一向に上達しないが、そのくせスピード重視で、転倒するときは、そばで見ている家族が「お父さん、死んだかと思った」と言うくらい激しく転倒する。今日も、一度、少しばかり急な斜面でコントロールを失って転倒し、後頭部を強打した。しかし、スキーは斜面を怖がったらだめで、逆に攻めていく気持ちで滑らないといけないというのが、ここ10数年の経験から得た教訓である。
ゲレンデにいるとき、携帯電話に二文の教務の先生から連絡が入る。私が担当している基礎演習の定員についての問い合わせである(昨日、新入生の登録があったのだ)。履修希望者は36名とのこと。昨年同様、全員受け入れますと回答する。演習というものの性格を優先すれば、原則定員である25名に絞るべきなのだが、新入生が最初に登録する必修科目であることを考えると、それがいきなり抽選漏れではやる気に水を注すことになろう。ただ、昨年は44名を受け入れて、演習の出来としては70点(前期80点、後期60点)くらいだったので、演習の進め方は去年とは変えねばならないと考えている。
ところで今回のスキーはパソコン持参である。ホテルの部屋の電話回線を使ってメールのやり取りをするためである。いま、大学は科目登録の時期なのだが、web登録のシステムが破綻してしまい、急遽、旧来のマークシート方式に切り替えたため、授業の開始日を1週間遅らせざるを得なくなった。こうした混乱の最中なので、関連方面といろいろとメールのやりとりをしなくてはならないのである。しかし、こんな山奥のスキー場にいても、携帯電話やインターネットが使えるというのは便利であると同時に、気ぜわしいものである。地理的には都市から遠く離れても、「都市」というシステムからは逃れることができない。逆に言えば、空間的には都市の内部にいても、通信メディアの末端装置を使えなければ、「都市」というシステムからは疎外される。今後、「デジタル・デバイド」はますます重要な社会問題となることだろう。ところで、ひさしぶりにダイヤルアップでメールを使って、運悪く、1.3メガの添付ファイル(原稿)のメールを受信してしまい、その受信スピードの遅さに辟易した。自宅にADSLを引いてからわずか2ヶ月半だが、すでにそのスピードが自分にとっての「標準」になってしまっていて、その「標準」を大きく下回る事態を不快と感じるメンタリティが形成されている。こうした「社会的速度」の上昇に伴う問題も「デジタル・デバイド」の一部といえるかもしれない。
3.31
旅行の楽しみの1つは、列車の中やホテルの部屋で本を読むことである。私にとって読書は日常的な行為だが、非日常的な空間での読書はまた格別で、集中力も高まる。今回、スキー場に持参したのは、出版されたばりかりの佐々木千賀子『立花隆秘書日記』(ポプラ社)。以前、立花が秘書を新聞広告で募集して、500人以上の応募者の中から一人の女性を秘書に採用するまでの過程を『婦人公論』に書いたことがあり、私はその文章を読んでいたので、「ああ、あのときの秘書さんか」とすぐにbk1に注文した。私はこの本を読む前、いや、正確に言えば、読んでいる途中まで、これは立花隆を礼賛あるいは擁護した本だと思っていた。というのも、このところ、立て続けに立花隆批判本が出版されているからである。しかし、『立花隆秘書日記』には多分に「内部批判」的な箇所がある。正確に言えば、著者は1998年末で秘書を辞めているので(このことは知らなかった)、「秘書による批判」ではなく「元秘書による批判」である。たとえば、立花が『週刊文春』での阿川佐和子との対談の中で、経済的には苦しい生活について縷々述べたときに言った一言、「秘書にもお金を払わなければならないし」に彼女はかなり傷ついたという。「私の給料は決して高いとはいえないはずだ。世間一般の基準からも、仕事の難易度やボリュームからも見合った額が支給されているとは思えない。(中略)別に少なくたってかまわない。ただ、支給する側にそういう認識があるかどうかが、私にとっての重要なポイントだった。もし少ない給料で働いてもらっているという自覚があれば、週刊誌上で先述のような言葉は出てこないだろうと思った。自分なりに支給される報酬以上の働きをしているという思いが私をささえていたのだが、立花さんは必ずしもそう思ってくれてはいなかったようだ。はるかな宇宙の果てで、名もない小さな星がひっそりと消滅したような寂しさを感じた。」・・・・いわゆる立花批判本が「知の巨人」の「知」の部分を批判しているのに対し、この元秘書は立花の「情」の部分を批判している。なんとなく自分を捨てた(彼女は経済的理由で解雇されたのである)冷たい男へのあてつけのようなものが感じられなくもないが、「頭のいい人は人間的に欠けたところがある」と考えたい世間一般の人たちは彼女に同情するに違いない。