フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月29日(土) 小雨

2018-09-30 17:16:57 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。(ピクチャーエフェクトが設定されているのに気付かずに写真を撮っている。)

今日の『半分、青い』。ついに最終回である。2011年7月7日、律と鈴愛の誕生日(40歳)にそよ風ファン(マザー)の発売記念パーティーが鈴愛の実家「つくし食堂」で開かれる。取材に来た地元紙の記者が鈴愛の初恋の人(?)小林君(こばやん)だったのは、一種のサプライズであろう。パーティーには最終回らしく主要なメンバーが勢揃いした。地元の人たちはもちろん、東京からボクテやマー君、そして律も駆け付けた。死んでしまった人たちも遺影で(廉子、仙吉、和子)、そして心の中で(ユーコ)参加していた。弥一の言葉が生きてくる設定だ。「死んでしまった人たちが、いなくなったわけやない。ここにおる。」

パーティーの片づけが終わって、帰る律と鈴愛が二人きりになる場面の言葉のやりとりはさすが北川悦吏子というべきものだった。きっと号泣した女性が多かったのではないかと想像する。一つだけ難を言えば、あれは40歳の男女の会話ではない(笑)。でも、あんな会話を交わせる40歳になれたら素敵だろう。私はもうとっくの昔に40歳を過ぎてしまったけれど。

9時に家を出て、神楽坂へ。今日は卒業生のケースケ君とユリさん、論系ゼミ3期生同士の結婚式がある。

神楽坂下、「紀の善」の並びにある「ラリアンス」でのレストラン・ウェディングである。

ここにこういうウェディング・ラストランがあることにこれまで気づかなかった。

扉を開けて中に入るり、目の前のエスカレーターで2階に上がる。

受付に立っているのは、ゼミ同期の面々。ミサさん、ホナミさん、キミヒロ君、タカノリ君だ。ここでようやくカメラがピクチャー・エフェクト設定されていることに気づく。

これはピクチャー・エフェクトではなくて、ウェルカムボードに描かれた本物の絵である。

控室にも4人のゼミ同期が。リナさん、ユキさん、サキさん、シュンヤ君。ゼミ同期が8名というのは、サキさんの結婚式のときと同じで最多タイ記録である。もしマイコさんが体調不良で欠席しなけらば新記録となるところだった。惜しい。

挙式が始まる。人前結婚式である。

新郎ケースケ君入場。180センチを超える長身である。

新婦ユリさんがお父様にエスコートされて入場。

結婚の誓いを読み上げる。

指輪の交換。

途中のキスシーンは割愛しました。

誓約書にサイン。

参列者の拍手の中、ここに二人の結婚が成立した。

退場する二人。

ここでしばし休憩の後、披露宴へと移る。

披露宴の席に着く。新郎新婦席のすぐ前のテーブルで、サキさん、ミサさん、ホナミさん、リナさんと一緒だ。

開演に先だったアミューズが供される。オマールエビ、大根、ズワイガニの煮こごり。

いよいよ開演だ。新郎ケーススケ君のウェルカムスピーチ。

新郎に続いて、新婦ユリさんもウェルカムスピーチをした。

普通はこの後、新郎側の主賓の祝辞、新婦側の主賓の祝辞となるところだが、今回はそれはなくて、すぐに私が乾杯の発声をすることになる。もちろん乾杯に先だって祝辞を述べる。祝辞は何度も経験しているものの、今回は新郎新婦両方が教え子という初めてのケースである。だから両方のエピソードというか、「二人のエピソード」について言及しなくてはならないので、通常の2倍とまではいわないものの、1.5倍くらいの時間の祝辞になりますと前置きしてから祝辞を述べた。

スピーチのネタにするために、昨晩、二人のゼミ論(卒論)に久しぶりに目を通した。ケースケ君のゼミ論は「現代人の友人関係と自己~友人関係は希薄化しているか」。反語的なサブタイトルからわかるとおり。世間でよく言われるように若者の友人関係は決して希薄化しているわけではなくて、むしろ多元化しているのであり、それに呼応して自己(アイデンティティ)も多元的な構造になってきている、という多元的自己論の立場で書かれたものである。一方、ユリさんのゼミ論は「自己形成と他者~現代人に不可避な決断主義について」。サブタイトルにある決断主義とは選択主義といえばわかりやすいと思うが、個人がさまざまなことに選択を迫られる社会になってきたということである。それはけっこうエネルギーのいることであり、ストレスフルでもある。そうした状況を生きていくためには、長期にわたる親密で信頼できる他者(配偶者や友人)との関係がますます大切になってきた(相談ができるから)ということを述べたものである。二人のゼミ論に共通するキーワードは「友人」であり、今日の結婚式に若い人(友人)たち出席がとても多いことがそのことの表れである。ぜひこれからも、お互いだけでなく、お互いの友人たちも大切にしてやっていってください、というような内容の話をした。

乾杯をして、食事が始まった。

秋ナス、ホタテ、赤エビのマリネ、アーモンド、ミモレットのサラダ 

ここで隣の部屋との間の窓のカーテンが上がって、料理人たちが勢ぞろいしてこちらに手を振った。これからお出しする料理はわれわれが作ったものです、という挨拶である。これは面白い趣向である。

ゼミ同期生たちと新郎新婦のテーブルのところに行って写真を撮る。

能登産あごと季節の茸と羅臼昆布のコンソメ

金目鯛のポワレ シードルのソースで

ケーキ入刀のセレモニーが始まった。

三方のカメラに向かって笑顔を振りまく二人。いい笑顔である。

恒例のファーストバイト。まずは新郎から新婦に小さなスプーンで。

次いで、新婦から新郎へ同じく「小さなスプーン」で。通常は馬鹿でかいスプーンが使われることが多いが、ケースケ君はアゴ関節症で口が大きく開かない由。ちなみに私もアゴ関節「症」というほどではないが、口があまり大きく開かず、「パン日和あをや」でサンドウィッチを注文したときなどは、2枚重ねのパンを2つではなく4つにカットしてもらっている。

 ここでお色直しのため新婦が一時退場。お母様がエスコート。

ブルーベリーのグラニテ(氷菓)。

ココで新婦を迎えに新郎も一時退席。こちらもお母様がエスコート。きょうだいがエスコートするケースも多いが、新郎新婦は二人とも一人っ子なのである。

新郎新婦が不在の時間は二人の生い立ちの映像が流される。

二人が初めて出会ったのは・・・

3年生の春、私のゼミの教室でである。

これは卒業パーティオーのときの写真。「良い友だちのまま大学を卒業!」

二人が交際を始めたのは卒業から2年3ヵ月後のことだった。

「2017年夏 プロポーズ」

ちなみに下の写真は、2017年9月23日に私が二人と「パン日和あをや」に行ったときに撮ったものである。すでにプロポーズの後で、彼女は彼からもらった指輪をはめていたが、みんなにはまだ未発表ということで、指輪をした左手はちゃぶだいの下に隠れている。 

そのときはお蔵入りになった写真をいま公開しましょう。

 牛フィレ肉のソテー 旬の野菜と共にリヨネ―ズソースで

二人が再登場。今回は上の階から階段を下りてきた。

ユリさんは薄いブルーのドレスにお色直し。

テーブルを回ってキャンドルサービス。

テーブルで記念写真。

こちらのゼミ同期のテーブルでも。

カラメル風味のムースと洋梨のガトーにカシスソース ウェッディングケーキのお裾分け コーヒー

キャンドルサービスを終えて、メインキャンドルに着火。

いい表情をしています。

改めて新郎新婦のテーブルに行って写真を撮る。

さて、宴もクライマックスへ。

ユリさんからご両親への手紙の朗読。

両家を代表して新郎のお父様の挨拶。誠実なお人柄が伝わってくる。

結びはケースケ君の挨拶。

会場の出口で二人と言葉を交わす。よい結婚式でした。そして二人でよい家庭を築いて下さい。落ち着いたらまたカフェで会いましょう。

大切なゼミ同期の友人たち。

一緒に人生を歩いて行く仲間たちだ。

では、私はお先に失礼。外に出ると雨が降っていた。

大学へ寄って、雑用を片付ける。

蒲田に戻ってくる。少し休んでから「phono  kafe」に顔を出す。隣のスペイン料理の店は新装開店である。

 開く店閉じる店あり秋の雨 たかじ

暖かな小豆茶を注文。

30分ほどして、妻に電話をかけて、夕食はここで食べようと呼ぶ。

ご飯セットを注文(ご飯は軽めで)。

ニラとコンニャクのピリ辛和え(左) たかきびハンバーグ(右)*たかきび(高吉備)とは畑のお肉と呼ばれる雑穀

おからとコーンの豆腐マヨネーズ(左) 大根とムンク豆のスパイス和え(右) 

蓮根ボールと白菜の葛煮 これは2つ注文した。

私が最近よく食べているヨーグルトパフェを妻も食べたいというので注文する。しかしもう材料が一人分しかないという。なので一つのパフェを一緒に食べることにする。高校生みたいだな。

本日の大原さん。陶芸作家の石井さんと大原さんのお友達と一緒に。

清水さんから作品展「Falo」(「秋」の意味のエスペラント語)のDMをいただく。私も何度か行ったことのある西小山のギャラリー「パルケ」にて10月3日から14日まで(火曜日はお休み)。12時から20時まで。

これまでとはデザインの違うカップですね。

7時過ぎに店を出る。いよいよ明日が最終日だ。

2時、就寝。


9月28日(金) 晴れ

2018-09-29 03:24:46 | Weblog

8時、起床。

久しぶりの青空だ。

トースト、サラダ(+ソーセージ、炒り卵)、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『半分、青い』。「言葉」にあふれた回だった。まずは秋風羽織から鈴愛と律に送られたきた手紙。「短い手紙」と言ってはいるが、2人を励ます言葉にあふれている。

朗読は秋風の声だった。回想の声ではなく、現在の声だ。ただし映像はない。たぶんトヨエツは次の仕事にかかっていて、もう長い髪や無精髭はなくなっているのだろう(笑)。

続いては律がマー君との会話の中で言った言葉、「律は、今までも、遠くにいたり近くにいたりしながら、鈴愛ちゃんを守ったんだよなあ」というマーク君の言葉に、律はこう言ったのだ。「僕の生まれてきた意味はそれなんで。鈴愛を守ることなんで。」すごいことを言うものである。鈴愛が聞いたら卒倒してしまうかもしれない。「それ、本人に言わないの?」とマー君が聞くと、「言わないね」と律は答え、「言うなよ」と口止めをした。この言葉を聞いたのはマー君だけだ。いや、全国の視聴者も聞いている(笑)。

そして極めつけはユーコのケータイに録音されていたユーコの最後の言葉だ。息子と夫への言葉、ボクテへの言葉、そして最後に鈴愛への言葉。この順番は実は微妙だ。大切な順、愛しい順だとすれば、家族の後には鈴愛が来なくてはいけない。しかし、ドラマ的にはしんがりが鈴愛であった方がよい。結局、ドラマの都合が優先されたようである(余計なことかもしれないが、両親への言葉はないのかと思った。でも、長くなっちゃうからね)。

「鈴愛、鈴愛、生きろ!最後に暑苦しいこと言って申し訳ないが、私の分まで生きてくれ!そして、何かをなしとげてくれ。それが私の夢だ。生きろ!」

東京へ帰った鈴愛は、律に言う。「律、そよ風ファンを作ろう」。鈴愛はユーコの分まで生きて、ユーコの夢を叶えると決意する。

さて、ここで一昨日のブログに書いた問いを考えてみたい。「なぜユーコは死ななければならなかったのか」。ドラマの内容だけを見ると、ユーコは鈴愛にパワーを与えるために死んだように見える。だとすれば、ユーコは死ぬ必要はなかった、と私は思う。震災の起こる前、ユーコが亡くなる前、鈴愛は十分パワフルだった。出資家たちへのそよ風の扇風機のプレゼンのときに震災は起こったのである。鈴愛が気力を失ったのはユーコが被災して死んだからである。ユーコが死ななければ、鈴愛の落ち込み→再起というプロセスはなかったのである。もちろんユーコの死によって(死の受容によって)鈴愛はよりパワフルになったかもしれない。でもそれはサイヤ人がスーパーサイヤ人になったようなもので、所詮はパワーのアップに過ぎない。やる気のなかった者がやる気のある者に質的に変化したわけではない。

では、ユーコの死は必要なエピソードではなかったというと、物語の内部的にはそうだが、物語と外部(社会)との関係のおいては必要だったのかもしれないというのが私の解釈である。どういうことかというと、物語の主人公である鈴愛と律は1971年に生れた。そして40代を迎える頃までをドラマで描くと決めた時点で、2011年3月11日と遭遇することになる。これをドラマにどう取り込むか、北川は考えたはずである。それは朝ドラの歴代の脚本家たちが、関東大震災や戦争をドラマにどう取り込むかを考えたのと同じだ。一番軽い扱いはナレーションで済ますことである。「2011年3月に大地震がありました」と。主要な登場人物は誰も亡くならない。しかし、それは無理だと北川は考えたのだろう。関東大震災や戦争はそれを知らない視聴者の方が圧倒的に多いが、東日本大震災はそうではない。身近な人を喪った人は少なくない。昨日の弥一の言葉を借りれば、「悲しみと共に生きている」のだ。ドラマがそんな直近の大きな災害の日を通過する以上、そこには一種の鎮魂の儀式が必要である。ユーコの死はまさにそれだったのではないだろうか。

午後、大学に出る前に、「phono kafe」に寄って昼食を食べていく。朝ドラはあと1日、「phono kafe」はあと2日だ。

カレーライスを注文。

大原さんや居合わせた常連客たちと次の朝ドラ『まんぷく』の話題になる。インスタントラーメンを発明した夫婦の物語だそうである。各自が記憶にあるインスタントラーメンの話題で盛り上がる。他の人たちは日清のチキンラーメンの話ばかりしているが、エースコックのインスタントラーマンのことも忘れないでほしい。

インスタントラーマンの話をしていたら、食べたくなってきた。「phno kafe」で売っている玄米ラーメンは残り3袋と知って、全部購入した。

さて、大学へ。

今日はゼミの日。初日なので、5限にこれからの段取りの説明と相談をして、スイーツタイムに鳩サブレーを食べて、本日は終わり。

3年生は相談が続いて少し延長してやっていたが、夏休み中に誕生日を迎えた4人にケーキが振る舞われた。

これから4年生はゼミ論に没頭することになるので、ゼミの活動の中心は君たち3年生に担ってもらうからね。

大学を出たのは6時半ごろ。新記念会堂の屋上庭園が試験的にライトアップされている。

夕食は「マーボ屋」の料理をテイクアウトする。先日、ランチに行って、ボードに書かれた「今月のおススメ」を見て心惹かれた料理を2品。

カキの甘辛炒め。

太刀魚のトマト入り甘酢ソース。

いい組み合わせだ。

これにサラダと卵スープとご飯。

デザートは葡萄。

明日はゼミの卒業生同士の結婚式。挙式は10時半からだ。

早く寝なきゃと思いつつ、3時半、就寝。


9月27日(木) 曇り

2018-09-28 14:33:26 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の昼食。

今日の『半分、青い』。ユーコの死を知らされた鈴愛は、ユーコの死を受け入れることができないまま、花野を連れて帰省し、自室に引き籠る。そういう鈴愛にとって、律の父弥一が「大切な人の死を受容した人」のモデルとして現れる。妻和子との死別の悲しみを乗り越えてちゃんと生きている人だと鈴愛は思う。しかし、「おじさんはえらいね。強いね」という鈴愛の言葉に弥一はこう答える。

「おじさんもそう思っとった。ほやけど、そんなことはなかった。これが、いつまでたっても悲しい。最近、わかった。哀しみを乗り越えたわけではなくて、悲しみと共に生きている。忘れられん。いつだって涙が出る。ほやけど、生きとると、時は進む。いいこともある。ツバサが、写真で入賞したなんて話を聞けば嬉しい。鈴愛ちゃん、おじさん思うんや。死んでしまった人たちが、いなくなったわけやない。ここにおる。みんな、生と死の間に生きてる。やがて、死ぬ。今は生きている。それだけ。生まれることも、死ぬことも、特別なことやないんやないかって。生まれることがめでたくて、死ぬことが悲しい、っていうのは、乱暴なような気さえするんや。」

もちろん弥一の一言で、鈴愛が瞬時にしてユーコの死を受けれることができたわけではない。しかし、方向性はこれで示された。あとは時間だけだ。本来であれば一週間はこのテーマにかけたいところだが、ドラマとしては今週が最後の一週間だ。せいぜい3日間で(つまり明日の回には)鈴愛に再起してもらわなければならない。鈴愛は東京を経由して仙台へ向かう。すでに引きこもり状態からは完全に脱出した。

昼食は36号館のラウンジで調達に行く。研究室から一番近い食料のある場所だ。「とやまーと」という名前があったのか。知らなかった。この看板、前からありましたっけ? 全然気づかなかった。

購入したのは「チャーライス」。ご飯の上に薄いチャーシューのったもの。ほぼ300円、容器が歪んでいるのは、私が売店の電子レンジで加熱したときにできたもの。

ラウンジから研究室に戻る途中でM君とバッタリ会った。彼はこの春、卒業はせず、留年することになったのだが、就活の方はけりがついたようである。相談したいことがあるというので、研究室に来てもらった。しばらく雑談をしてから、書棚から本を一冊もっていった。森章二『子どもの悲しみの世界ー対象喪失という病理』(ちくま学芸文庫)。「対象喪失」とは「死別」だけでなく、自分にとって大切なもの(生活環境や物品)の喪失すべてを含む広い概念であるが、やはりそこには悲しみが伴うわけで、朝ドラの話と通じるものがある。

ケータイを見ると、卒業生のサキさん(論系ゼミ3期生)から連絡が入っている。いま「カフェゴト―」にいて、旦那さんも一緒だそうだ。先ほど私の研究室の前まで来たらしいが、面談中の様子だったので、引き返したとのこと。間もなく5限の授業が始まる時間だが、ちょっと挨拶だけでもというので来てもらった。お子さん連れというのはときどきあるが、配偶者を連れて卒業生がやってきたのは初めてである。もっとも二人の結婚式には出席しているので、旦那さんとは初対面ではない。

昨日のAさんに続いて、今日も卒業生がアポなしで研究室にやってきた。「アポなし」が時代のトレンドなのだろうか(笑)。

5限は講義「ライフストーリーの社会学」。

講義を終えて、部屋に戻り、サキさん夫婦からいただいたおはぎを1つ食べる(時間があれば3人で食べるつもりだったのだろう)。

ふと手提げ袋(授業のときに必要なものをもって教室に行く)の中を見ると、講義中に使ったハンドマイクが入ったままである。教員ロビーに返すのを忘れてしまった。ただ、あの教室は次の時間(6限)は授業が入っていないので、支障はないはずである。あとで返しに行こう。 

6時半ごろ卒業生のキョウコさん(論系ゼミ一期生)が仕事終わりに研究室にやってきた(これはアポなしではありません)。

ずいぶんと髪が伸びて、今日のファッション(黒の上着と赤いスカート、ゴールドのネックレス)と相まって、80年代のバブリーな雰囲気を醸し出している。「しもしも~」とやったら似合うんじゃないかなと言ったら、ノリでやってくれた(笑)。

残っていたおはぎを食べながらおしゃべり。

夕食は「すぎうら」へ。私が「すぎうらに行こう」と言ったのを「すぎうらに会いに行こう」と聴き間違えて、「私が明日、すぎうらさんに会うのをなぜご存知なのですか」と彼女はびっくりしたように言った。

上新香。美味しい。

飲み物はウーロン茶(彼女も)。

穴子の天ぷら。これは必ず注文する。「美味しいですね」と彼女が言った。「そうでしょ」と私。

カキがメニューに出ていたので、カキフライを注文。「まだ小ぶりなので、4つ出せていただきました」(本来は3つらしい)。私も彼女も「よかった。4つだと喧嘩にならなくて」と思った。今年の最初のカキフライはしみじみと美味しかった。

カレーの煮付。ご飯を注文して、煮汁をかけて食べる。彼女も私のマネをしてそうした。行儀はちょっと悪いが、これが美味しいのである。これをやりたくて煮魚を注文しているようなところがある。

よく食べたし、食前におはぎも食べているので、「カフェゴト―」へ行くのはまたの機会にしましょう。

お茶をもってきてもらって、お腹が落ち着くのを待って、9時半頃店を出る。

11時ちょっと前に帰宅。キョウコさんからはいろいろと鹿児島のお土産をいただいた。このところ彼女は高校の同窓会の準備の打ち合わせで月イチくらいのペースで帰省しているとのこと。

次は冬カフェですね。どうぞお風邪など引かぬよう。

 2時、就寝。


9月26日(水)雨降ったりやんだり

2018-09-27 10:52:23 | Weblog

7時、起床。

ハムトースト、牛乳、紅茶、フルーツゼリーの朝食。フルーツゼリーはサラダ代わり。

でも、一拍遅れて、やっぱりサラダを食べる。

今日の『半分、青い』。みんなの祈りも届かずユーコは(遺体で)見つかった。なぜユーコは、結婚して仙台へ行き、看護学校に通って看護師となり、海の見える病院で働き、そこで被災して死ななければならなかったのか。これが実話であれば、「死ななければならなかったのか」という問いは生じない。彼女はたまたまそこで死んだのだ。しかし、物語の世界、創作の世界の話であれば、彼女の死は、彼女の死に方は、ストーリーの展開に何らかの影響、決して小さくない影響を及ぼすことを意図されて配置されたものである。その影響が具体的にどのようなものであるかは、明日以降の回の中で明らかになるはずだ。ユーコの死んだ後の鈴愛のものの見方、考え方、行動の仕方が、以前と変わらないものであれば、ユーコの死は無駄死にである。まさかそんなことにはならないだろうが、鈴愛に何らかの変化が生じたとしても、それがユーコの死を必要とするほどの変化なのかということは問われるだろう。それが「死ななければならなかったのか」という問いの意味である。

10時に家を出て、大学へ。11時に学生と面談があるのだ。ところが大学へ向かう地下鉄の中で、その学生から「今日は朝から体調がすぐれないので面談はキャンセルにしてください」というメールを受け取った。あらま。

昼食(おにぎり2個+ミニカップ麺)を食べながらパソコンに向かっていると、ドアをノックする音がして、「どうぞ」というと、卒業生のAさんだった。たまたま大学に来て、私がいるかなと研究室の前に来て、ドアをノックしたというわけだ。「ドタキャン」と「アポなし」。世の中はうまくできている(笑)。

「今日は仕事は?」と聞くと、昨日と今日、仕事は休んでのんびりしているそうである。仕事量の多さと職場の人間関係に少々疲れてしまったようである。しばらく雑談をして、帰って行ったが、後からこんなメールが届いた。「研究室の本の匂いや学食の雑多な風景、学生会館に満ちる熱気、すべてが懐かしく愛おしく感じました。私にとって大学時代はとても楽しい時間でしたが、大学生の私に「社会人も楽しいよ!」と胸を張って言えるように少しずつ成長していければな~と思っています」。また、いつでも研究室にいらっしゃい。いつでもいるわけではないけどね(笑)。 

12時半から教授会。予定の3時間を15分ほどオーバーして終わる。

3時半から現代人間論系の2年生を対象にしたゼミ説明会。前半の1時間は主任によるゼミ・卒研選択のシステム、スケジュールの説明と、ゼミ担当教員の自分のゼミの紹介。後半の1時間はゼミごとにブースに分かれて、教員とゼミ生が待機しているところに学生が回って話を聞く。

私のゼミは金曜の5限と6限だが、10月5日(金)はオープンゼミとして見学OKです。準備の都合があるので、事前に私までメールで申し込んで下さい。5限のみ、6限のみ、5・6限通しで、のいずれでもOKです。

 ゼミ説明会終了後、そのまま現代人間論系の教室会議。来年度の時間割の作成。終わったのは8時半ごろ。

夕食は「ごんべえ」で。カツ丼とうどんのセット。カツ丼はご飯軽めにしてもらった。

10時、帰宅。

私のスマホは月間のデータ量が3ギガという契約で、今日がちょうど月替わりの日なのだが、使用量は3.01ギガだった(前月の未使用分が少しあったのでそれで収まった)。前半で2ギガほど使ってしまい、これではいかんと、後半はデータセーバー機能をオンにするなどして節約を心がけて乗り切った。3ギガというのは学生などから見たら驚くほどの小ささだろうが、動画は見ないので、やっていけるのである。スマホのCMなどで50ギガとか言っているのを見ると気が遠くなる。一番使っているソフトはLINEで、3.01ギガのうちLINEが1.88ギガを占めている。妻もLINEを使っているが、私よりも使用データ量はずっと少ない。写真の送受信が少ないからだろう。今後も3ギガで節約生活を心掛けるか、4ギガに増やすか、考えどころである。

2時、就寝。


9月25日(火) 雨

2018-09-26 09:53:40 | Weblog

9時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『半分、青い』。涼次が鈴愛に「やり直さないか?」と言った。復縁話が持ち上がった。ユーコの安否はまだわからない。花野のイジメ問題への対処(転校するのか?)もある。ストーリーは収束に向かうどころか、ますます膨張している。大丈夫か、北川悦吏子。復縁はさすがにないであろう。鈴愛は「一番大切な人」が誰であるかをはっきりと自覚してしまったわけだから。唯一の気がかりは花野の意向だが、花野が涼次のところへ行く前に律のところを訪ねた(ただし律は不在だった)というエピソードを挿入することによって、花野にとっての律の存在の大きさが示唆されている。

ユーコは、時間の経過を考えると、もうだめかもしれない。彼女が急に看護学校へ通い始めたとき「なんで看護師?」という違和感があった。さらにさかのぼればユーコが結婚してその後仙台に行くことになったときも「なんで仙台?」という違和感があった。いまにして思えば、すべて仙台の海の見える病院に彼女が務めてそこで被災することの伏線であったわけだ。脚本家というのは残酷なことを考えるものである。先日の「あさイチ」で華丸が北川悦吏子にインタビューをしていたが、もしいま私が北川にインタビューするなら、ユーコが仙台の海の見える病院で被災することは、ユーコが登場したときから決まっていたことなのか、それとも執筆を進める過程で思いついたことなのかを聞いてみたい。

花野の転校問題(イジメへの対処)については、鈴愛は『湯が沸くほどの熱い愛』の母親(宮沢りえが演じていた)とは正反対である。あの母親はイジメにあっている娘が不登校になることを許さなかった。「逃げちゃダメ」「いま逃げたらこの先ずっと逃げ続けることになるから」と娘を叱咤激励した。その結果、娘はイジメを克服する。これはモダンな考え方である。これに比べて、鈴愛の考え方はポスト・モダンである。まるで浅田彰『逃走論』を読んでいたんじゃないかと思うほどである。「逃げろや、逃げろ」。ただし、「逃げる」という言葉の-のイメージは気になるらしく、花野にはこう説明していた。「あなたは逃げるのではない。正しい場所に行くのです。そして、する必要のない戦いだ。だから、場所を変える。てっとり早い。わかる?」「半分、わかる」「半分、上等。そんな子がいるところに、通う必要はないです。」思えば鈴愛自身、(一流の)漫画家になる夢をその夢の途中で断念している。「一所懸命」(一つのことに命を賭ける)というモダンな考え方に固執しないのだ。「諦めなければ夢は叶う」というモダンの呪縛から解放された人なのだ。もっとも朝ドラの視聴者の半数はモダン的であろうから、転校問題については賛否両論が予想される。

机に向かう。今日のCDはグレン・グールドの弾くバッハ作品の盛り合わせ。ピアノ協奏曲5番、ゴルトベルク変奏曲の第18変奏と第25変奏、ブランデンブルグ協奏曲(第4番)、ピアノ協奏曲3番、コラール。盛りだくさんだ。バレエの公演などでいうところのガラ(特別興行)ですね。ジャケットのイラストが粋。

昼食は雨の中、近所の(徒歩1分)「マーボ屋」に食べに行く。

新メニューのカレー炒飯を注文。

豚ばら肉がたっぷり使われている。そんなに辛くはない。

デザートは杏仁豆腐。

「今月のおすすめ」のボードは、実質的に10月のもののようである。太刀魚ね。魚料理は前はなかったが、いよいよ始めましたか。おお、カキが出ましたか。甘辛炒め、大好きです。今度、夕食で来たときに注文しよう。

外に出ると、雨足がいよいよ強くなっていた。

駅に定期券を買いに行こうと思ったが、やめておいた。明日にしよう。

夕食は焼き魚(ししゃも)、サラダ、ツミレ汁、ご飯。

小ぶりだが美味しいシシャモ。

デザートは梨。

今日は終日原稿書きだった。ぎりぎり30日の締め切りに間に合うか。

2時、就寝。