フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月31日(日) 曇り一時雨

2009-05-31 23:59:25 | Weblog
  9時半、起床。朝食は卵かけご飯。昨日の昼、卵かけご飯を食べようと炊飯器の蓋を開けたらご飯がなかった。冷蔵庫から取り出した生卵を、再び冷蔵庫に戻す気にはなれず、日清のチキンラーメンに入れて食べたが、満たされなかった卵かけご飯への思いは、一晩寝たくらいでは消滅することはなかったのである。
  フィールドノートを更新し、コースナビのレビューシートのチェックそすませてから『1Q84』の続きを読む。第14章は書斎で読んだ。

         
  「物語の役目は・・・ひとつの問題をべつのかたちに置き換えることである。」(318頁)

  昼食(妻が買ってきた調理パン)を食べてから、散歩に出る。池上線に乗って池上で降り、「甘味あらい」に向って歩いているときに雨脚が急に強くなった。店内には私より年上の男性客が一人だけで、雨が小降りになるのを待っているようだった。時刻は3時になろうとしていた。贅沢あんみつを注文し、女将さんと雑談を交わしてから、第15章を読む。後から珈琲を注文した。

         
               「空には月が二つ浮かんでいた。」(351頁)

  第16章と第17章は池上駅のホームのベンチで読んだ。蒲田行の電車を何本もやりすごした。池上駅のホームのベンチは木製で駅舎と一体化している。とても長く、ホームレスや酔っ払いが横になるのを防止するための無粋な金属の枠などはない。池上本門寺の門前町の駅に相応しい慈悲深いベンチである。ホームの幅は広く、屋根も大きいため、雨に濡れる心配はない。売店、飲み物の自販機、トイレがあり、喫茶店よりも明るく、風通しもいい。一定の間隔で周囲の人の数は増えるが、すぐにいなくなる。読書にはもってこいの場所だ。監視カメラはあるが、静かに読書している人間はそっとしておいてくれるはずだ。

         
   「ハイドンのチェロ・コンチェルト、それも老婦人の好きな音楽のひとつだ。」(386頁)

  第18章と第19章は蒲田駅のホームのベンチで読んだ。ターミナル駅のため池上駅のホームのような静寂さはないが、人波の中の気楽さはある。池上駅の改札を通ってからずいぶんと時間が経過しているので、蒲田駅の改札を出るときひっかからないかとちょっと不安だったが、なんら問題はなかった。新星堂でハイドンのチェロ協奏曲の第1番と第2番の入ったCDを購入(チェロはデュ・プレ)。  

         
   「彼女の口がゆっくり開き、そこから、リトル・ピープルが次々に出てくる。」(446頁)

  7時、帰宅。風呂を浴び、夕食(豚の冷しゃぶ)をとったあと、書斎で第20章から第24章まで、つまり上巻を最後まで読む。続きは明日だ。ハイドンのチェロ協奏曲のCDを聴きながら、フィールドノートの更新にとりかかる。「老婦人」が好きなのは間違いなく第2番の方だと思う。

         
  「何故、彼女が身につけたパジャマのことがこうも気になるのだろうか。」(473頁)

5月30日(土) 雨のち曇り

2009-05-31 11:32:49 | Weblog
  『1Q84』の週末だ。パッとしない天気なので、外出への誘惑は少なく、読書にはもってこいだ。もっとも午前中はフィールドノートの更新や、あれこれの雑用があって、読書の体勢に入れたのは昼過ぎからだった。私が小説を読むスピードは決して速くはない。速く読もうと思えば読めないことはないが、その場合はストリーを追うことが主眼にならざるをえない。しかし、ストーリーというのは必ずしも小説にとって一番大切なものではない。「話らしい話のない小説」というものは実際にはたくさんあり、たとえば志賀直哉の短篇の多くはそうである。そして私はそういう「話らしい話のない小説」がけっこう好きなのである。そういう小説は文章(文体)それ自体を味わって読むものである。村上春樹は稀代のストーリーテラーであるが、同時に折々の省察やちりばめられたレトリックにはストーリーとは独立した魅了があり、それを味わいながら愉しみながら読むためには、特急や急行ではなく各駅停車に乗って本のページをめくっていかなくてはならない。今日は上巻の第13章まで読んだ。ここでようやく青豆と天吾、二人の主人公の過去の接点があきらかになった。
  ちなみに二人とも私と同じ1954年の生まれである。ただし小説の時代は1984(1Q84年)であるから、年齢は29歳-30歳である。私はその前年に結婚して綱島のアパートで暮らしていた。ワードパルという名前のワープロを購入し、毎日、それに向って学会報告のための資料を作成していた。当時、ワープロはまだまだ高価なものだったが、妻が松下関連の会社で働いていたので、社員割引で購入することができたのだ。正確に言うと、当時の私には収入らしい収入がなかったので、妻に買ってもらったのだ。『1Q84』に出てくるフカエリ(深田絵里子)という17歳の女の子が書いた(雑誌の新人賞に投稿してきた)小説はワープロで書かれている。高校生のお小遣いやアルバイト代で買えるわけはないから、親が買ってくれたものであろう。裕福な家庭の子供なのだろうと思ったが、話は意外な方向に進んでいく(村上春樹の小説だから意外な方向に進むことは意外ではないのだが)。安藤先生から釘を指されているので、「意外な方向」について具体的には書けませんけど・・・。さて、ブログはこのへんにして、読書に戻ろう。

5月29日(金) 雨

2009-05-30 11:40:09 | Weblog
  今日は村上春樹『1Q84』(新潮社)上下巻が出る日だ。本当は昨日の夜には大きな書店では並んでいたのだろうが、購入してもすぐには読めない(授業の準備がある)ので、今日、3限の講義を終えてから、生協で購入し、それをもって食事に出た。「天や」で小天丼とうどんのセット。いま読み始めても、5~7限と授業なので、中断されてしまうのだが、我慢できずに1章だけ読む。

         

  アマゾンからのお知らせメールで『1Q84』が出ることは数ヶ月前から知っていたが、そのときは『1Q84』の「1」をローマ字の「I」と見誤って、知能指数84の(でも純な心をもった)少年が主人公の冒険譚かと勝手に想像していたのだが、「1984」だったのね・・・。ジョージ・オーエルが1948年に発表した小説と同じタイトルではないか(「9」を「Q」と表示することで著作権問題は回避されている)。もっとも『1984』が近未来小説であるのに対して『1Q84』は近過去小説だ。しかも実際の1984年とは微妙に(?)ズレた世界、もう一つのありえたかもしれない世界が描かれているらしい。主人公は2人いて、1人は青豆という姓の女性だ。変わった姓だが本名だという。3限の講義のテーマが「名前」だったので、もし一日早く読んでいたら、次の箇所など教材として使えたのになと思った。

  「名前を名乗るのがいつもおっくうだった。自分の名前を口にするたびに、相手は不思議そうな目で、あるいは戸惑った目で彼女の顔を見た。青豆さん? そうです。青い豆と書いて、アオマメです。会社に勤めているときは名刺をもたなくてはならなかったので、そのぶん煩わしいことが多かった。名刺を渡すと相手はそれをしばし凝視した。まるで出し抜けに不幸の手紙でも渡されたみたいに。電話口で名前を告げると、くすくす笑われることもあった。役所や病院の待合室で名前を呼ばれると、人々は頭を上げて彼女を見た。「青豆」なんていう名前のついて人間はいったいどんな顔をしているんだろうと。
  ときどき間違えて「枝豆さん」と呼ぶ人もいた。「空豆さん」といわれることもある。そのたびに「いいえ、枝豆(空豆)ではなく、青豆です。まあ似たようなものですが」と言う。三十年間の人生でいったい何度、同じ台詞を聞かされただろう、どれだけこの名前のことで、みんなにつまらない冗談を言われただろう。こんな姓に生まれていなかったら、私の人生は今とは違うかたちをとっていたかもしれない。たとえば佐藤だとか、田中だとか、鈴木だとか、そんなありふれた名前だったら、私はもう少しリラックスした人生を送り、もう少し寛容な目で世間を眺めていたかもしれない。」(13-14頁)

  「こんな姓に生まれていなかったら、私の人生は今とは違うかたちをとっていたかもしれない」という部分は、何かの伏線なのだろうか。
  5限は基礎演習。3人の報告を聴く。消化不良や説明の不手際の部分はあるものの、3人とも「語り」として成立していた。聞き手を引き込む力をもった「語り」だった。言い換えれば、自分の勉強したこと、インタビューしたこと、考えたことを、何とか聞き手に理解してもらおう、聞き手にちゃんと届けようという強いモチベーションに支えられた報告だった。これは先週の4人にもあてはまる。先頭打者から7人が連続でヒットを打ったような感じ。いや、大したものである。
  6限はゼミ。途中に休憩を挟んで9時25分(7限の終わり)までびっしりやる。無理に引き伸ばしたわけではなく、むしろ私が「今日はもう終わりにしよう」と終了宣言をして終らせたのである。心理学系と社会学系の2冊のテキストを同時並行で読んでいるのだが、社会学系のテキストは難易度が高く、しかし報告者たちには、難しいところを飛ばして読むようではいけないと事前に言っておいたので、悪戦苦闘した感じが報告からよく伝わってきた。これは今後の報告者たちによい刺激となったはずである。

         
             今日のスイーツは日本橋「うさぎや」のどら焼き。

  帰りの地下鉄で安藤先生と一緒になる。安藤先生は昨日『1Q84』を入手されて、しかし、私同様、まだ最初の章しか読んでいなくて、いまは奥様が先に読んでいるとのことだった。安藤先生は明日も授業がおありだから、本格的に読み始めるのは明日の夜からということになるのだろう。安藤先生からは絶対にフィールドノートでネタバレみたいなことを書かないでくださいねと釘をさされた。
  大手町で乗り換え、京浜東北線の車内で『1Q84』の第2章を読む。もう一人の主人公は天吾という名前(姓?)の男性である。奇数章は青豆、偶数章は天吾。村上春樹の小説の読者にはお馴染みのパラレルワールドであるが、この先、二人の主人公はどこかで出会うのだろうか。2章を読み終わって、膝の上で本を閉じたとき、隣の見知らぬご婦人から「面白いですか?」と声をかけられる。まだ最初の2つの章を読み終えたばかりなので、断定はできませんが、面白いと思いますと答える。電車の中で見知らぬ乗客同士が会話を交わすというのはめったにないことである。村上春樹が新刊の小説を出すということが一種の社会的事件となっていることを示すものだろう。

5月28日(木) 雨

2009-05-29 02:56:49 | Weblog
  朝から雨が降っている。いよいよ梅雨か。雨は嫌いではないが、「夏休みにはまだ遠い」という認識が気分を重くする。今週は授業としては7週目で、ちょうど中間地点である。よく言われる「まだ半分」と「もう半分」でいえば、私は「もう半分」派なのだが、それは自分が思い描いているあるべき授業の形になかなかもっていけない歯痒さ(科目によって歯痒さの程度には差があるが)のためである。
  昼から大学へ。3限は大学院の演習。歯痒さの程度「大」の科目である。いま読んでいるテキストが来週で終るので、新しい展開が期待できる・・・かもしれない。4限は空き時間。「シャノアール」で昼食(タマゴトーストと珈琲)をとりながら、授業の下準備。5限は専門演習。歯痒さの程度「中」の科目である。机の配置をロの字型に変えてみた効果は多少あったかと思う。TAのI君と「ごんべえ」で夕食(もり)をとる。8時、帰宅。
  深夜、雨脚強くなる。午前1時近くなって、娘を迎えに駅まで行く。蒲田はあまり治安がよい街とはいえないので、娘の帰りが12時を過ぎる場合は私か息子が迎えに行くようにしているのだが、それが週に2度はある。京浜東北線の12時台のダイヤはすっかり頭に入っている。

         
                  桜木町行き最終が到着した。

5月27日(水) 晴れ

2009-05-28 10:30:48 | Weblog
  午前、地元の大学病院へ半年に一度の検診(結石)に行く。最初にレントゲン撮影と尿検査をして、その結果が出てからの診察となる。名前が呼ばれるまで1時間ほど待っただろうか。泌尿器科の待合所の隣は産婦人科の待合所のため、ベンチの横の通路を妊婦さんたちが歩いている。全体として重苦しい雰囲気の漂う病院という空間の中で、ここだけは生命感にあふれている。私の担当医だったK医師が地方の病院へ移られて、今回からI教授が担当医となる。7年前に母が腎臓癌の手術を受けたときの執刀医である。久しぶりでお会いしたが、年をとられたせいか、話しぶりが淡々としておられる。野心というものが身体中から抜け落ちたという雰囲気である。検査の結果は異常なし。これで今年の夏休みは執筆に専念できる見通しが立った。
  自宅に戻って昼食(今日は朝食抜きだった)をとり、少し昼寝をしてから、ジムへ行く。6キロちょっとのウォーキング&ランニングで500キロカロリー(牛丼一杯分)を消費。「シャノアール」で明日の専門演習のテキストに目を通す。

         
        学部の2年先輩だった栗本薫=中島梓さんが亡くなった。合掌。

  7時から、大田区役所5Fの特別会議室で男女平等推進区民会議(第7期)の委嘱状伝達式。それに引き続いて第1回の会合。16名の委員のうち前期に続いての再任は5名、新任が11名。全員自己紹介をしたが、新任の方は意欲的な方が多く(当然か)、活発な会議になりそうな予感がする。慣例により、再任で学識経験委員である私が会長に選出される。事務局からこれまでの経緯の説明、私が昨年度の活動報告書の説明、その他の議題のところで、会議中に各自が持参した夕食をとることOKの件、会長提案で承認を得る。最後に次回の会合の日程を決めて(全員の都合が合う日があるのか心配だったが、大丈夫だった)、本日の会議は終了。副会長のT氏の提案で区役所の向かいの「さくら水産」で懇親会。区長臨席の伝達式のときの硬かった雰囲気が嘘のように和らぐ。11時、帰宅。