7.16(土)
朝、あたふたと家を出て、駅の近くまで来たとき、TSUTAYAに午前10時までに返却しなければならないビデオ(豊田利晃監督の『青い春』)を机の上に置き忘れてきたことに気づく。引き返す時間はない。それでは授業に遅れてしまう。妻に電話してビデオの返却を頼もうとして、携帯電話も机の上に置き忘れて来たことに気づく。やれやれ。久しぶりに駅の公衆電話のお世話になった。
2限の社会学基礎講義Aと3限の社会学研究9は教場試験。どちらも問題は1題のみで(ただし選択式)、試験時間は1時間。試験中はやることがない。教室を見渡して左利きの学生は全体の5%であることなどを確認した。午後3時から早稲田社会学会の機関誌『社会学年誌』の編集委員会。互選の結果(N先生が「大久保君やってよ」と言って、他の委員が頷いただけなんですけどね)、編集委員長になる。今後の段取りをあれこれ決める。編集委員会を終えて、廊下で立ち話をしていたら、文学研究科(大学院)の進学ガイダンスをいましがた終えたばかりの長谷先生(社会学専攻主任)がやってきて、「36号館AV教室が満杯でした。立ち見も出て、400人以上はいましたね」といつものちょっと興奮した口調で言われた。これから専攻ごとに分かれてガイダンスの続きを行うのだという。それではということで、廊下に立って、社会学専修室への道案内の役を買って出る。同じフロアーにフランス文学の専修室もあるので、やってくる人たちに、「フランス文学の方はこの先を進んでください。社会学の方は手前です。フランス社会学を勉強したい方は手前です」と丁寧にアナウンスをする。人は見かけではわからない。いかにもシュールレアリズム風の人が社会学の専修室に入っていったり、いかにも農村社会学風の人がフランス文学の専修室に入っていったりする。研究室で答案の整理を終えて、帰宅しようと廊下に出ると、ちょうど社会学専攻のガイダンスが終わったところで、出席者の一人(数年前の社会学専修の卒業生で、今回、仕事を辞めて大学院を受験される)から研究計画書の書き方について質問を受けたので、その場で簡単なレクチャーをする。もう30年も前になるが、大学院への進学についてあれこれ考えていたときの、これから大海原に漕ぎ出そうとする新米の船乗りのような高揚した気分と心細さを思い出したりした。
7.17(日)
社会学基礎講義Aの答案(150枚ほど)の採点に取りかかる。今日と明日の二日間で終わらせたい。答案用紙には専修名を記入する欄があるが、1年生はまだどの専修にも属していないからこの欄は未記入でよい。しかし、一枚だけ「社会学専修」と記入した答案があって、「いきたい」と添え字がしてあった。思わず、ニヤリ。自己アピールの仕方にもいろいろあるものである。
7.18(月)
きっぱりと梅雨が明けた。真夏の太陽である。こうなるともうじっとしていられない。本来であれば月曜日はジムでトレーニングの日なのであるが、私は平日の12時から17時限定の会員であるため、海の日の今日はジムは使えない。日中は試験の採点をして、夕方近く、自転車に乗って多摩川へ行く。夏を出迎えに行く。向かい風を受けながら、サイクリングコースを川下へ向かって走る。普段なら風の抵抗でペダルを漕ぐのがしんどいところなのだが、今日は不思議とペダルが軽い。筋トレのおかげで脚力が増したようである。爽快、爽快。帰り道で1960年代的大衆食堂を発見。コカ・コーラとスプライトの看板が泣かせる。あと10年もしたら、こういう食堂は街角から姿を消すだろう。今度、ここでカツ丼か何かを食べてみたい。ビールも頼んでしまおうかしら。夕食の後、散歩に出る。熊沢書店で、羽生善治『決断力』(角川書店)、石井政之『人はあなたの顔をどう見ているか』(筑摩書房)、森永卓郎『新版 年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『東京人』8月号(都市出版)を購入。妻に頼まれた卵はコンビニで購入。6個で120円。1960年代的物価を維持しているほとんど唯一の商品ではなかろうか。『スローダンス』の2回目を見てから、試験の採点。社会学基礎講義Aの採点は終了。お次は社会学研究9(100枚ほど)だ。
7.19(火)
今日の教授会はいつにもまして長かった。午後2時から始まって終わったのが8時。東京から「ひかり」に乗って(「のぞみ」である必要はない)博多まで行ける時間である。あるいは東京から「はやて」と「スーパー白鳥」を乗り継いで函館まで行ける時間である。う~ん、いまの季節なら函館かな・・・・って、そういうことではなくて、ホント、ありえない長さでしょ。おまけにカリキュラム委員の選挙があって、なぜか選ばれてしまい、しかも副委員長ということになり、9月からさらに忙しくなることが決まった。いわゆる働き盛りってやつですかね、ふぅ~。帰りにTSUTAYAで『赤目四十八瀧心中未遂』と『血と骨』を借りる。
深夜、調査実習のブログ班のメンバーのブログを読む。Sさん、サービス精神に溢れた語り。Tさん、内省的で理知的な語り。Mさん、感受性豊かな語り。F君、自己劇化的あるいは「青年は荒野をめざす」的語り。もし、それぞれのブログの書き手が入れ替わったら、読者はすぐに「あれっ?」と気づくだろう。ブログも自己呈示の一形態である以上、印象管理というものが行われているはずであり、書き手が入れ替われば印象管理の一貫性にほころびが生じるからだ。さまざまな話題で構成されているブログであっても、よほど意識してやらない限りは、語り口(文体)はほぼ一定である。これが対面的な状況における語りとブログにおける語りの違うこところだ。対面的な状況においては、目の前にいる相手によって語り口が微妙に、あるいは劇的に異なるのが普通である。普通ではあるが、それがときに自己イメージの混乱(どれが本当の私?)につながってしまう。おそらくブログの魅力の一つは、この印象管理のしやすさということにあるのではないだろうか。
7.20(水)
月曜にジムに行けなかったので、今日は一週間ぶりのジムである。間が一週間空くと、けっこうキツイ。ウォーミングアップを十分やらずに筋トレ(レッグプレス→ロープーリー→レッグエクステンション→ハムストリングス→ラットプルダウン→フライ→チェストプレス→シットアップ)を始めたせいもあって、2セット目が終わったところで息が上がる。最後の1セットは後に回して、ウォーキングに切り替える。時速5.5キロのスピードで50分。有酸素運動は最初の20分は体内の炭水化物が燃焼し、その後に脂肪の燃焼が始まるのだそうだ。だからダイエットには20分+αのαの値が重要なのである。今日はα=30分で、ご飯一杯分に相当するカロリーを消費した。もちろんウォーキングよりランニングの方がカロリーの消費量は大きいのだが、疲労度も大きい。私はランニングが苦手で、ランニングの後はクタクタになってしまって、夕食後の仕事に支障が出る。心地よい疲労というのが肝心なのだ。ジムに通うようになって、この感覚を取り戻した。昔、高校のクラブ活動の休憩時間に木陰に腰を下ろして風に吹かれていたときの、あの感覚だ。
7.21(木)
午後、社会学専修の会議の始まる前に「五郎八」で昼食をとる。天せいろ。夏はこれである。冷たい汁につけてすする蕎麦は実に旨い。夏の幸せを感じる。でも、蕎麦だけでは物足りない。夏を乗り切ることができない。天ぷらは海老(3本)と茄子と獅子唐。塩で食べる。天ぷらを蕎麦汁につけると汁に油が浮くからということもあるが、元々、海老の天ぷらは塩で食べる方が好きである。獅子唐も塩がいける。でも、茄子だけは別だ。蕎麦を食べ終わって、蕎麦湯を注ぐ前の汁につけて食べる。ああ、旨かった。夕食は7限の基礎演習が始まる前に「メルシー」でとる。ここではチャーシュー麺を注文することが多いのだが、昼が麺だったので、チャーハンを注文。「メルシー」のチャーハンは付いてくるスープを掛けてリゾット風にして食べるのが一番美味しい食べ方であると信じている。しかし器がスープチャーハン用の深いものではないから、初めからスープを全部掛けて食べるわけにはいかない(店の人の目もある)。蓮華でスープをチャーハンに掛けつつ食べる。うん、やっぱり、旨い。昼の天せいろ、夜のチャーハン。会心の取り合わせであったと自負している。こういう日はめったにない。ちなみに基礎演習のグループ発表の最後に登場した8班は、真打ちと呼ぶに相応しい内容のパフォーマンスで、大いに楽しませてくれた。発表を楽しんでいるところが何よりもいい。あれこれ調べて考えることは楽しいことなのだ。
7.22(金)
3限の大学院の演習、5限の調査実習、今日で前期の通常の授業はすべて終了。夜、高田馬場のMARUHACHIで調査実習のクラスコンパ。10時帰宅。風呂を浴び、録画しておいた『ドラゴン桜』を観て、今日生協で購入した小島亮編『福本和夫の思想』(こぶし書房)に目を通す。これからの10日間で授業中心の生活から研究中心の生活へ基本フォームを組み替えていくべし。
7.23(土)
いま、午後7時。研究室で今日のフィールドノートを書いている。通常、更新は就寝前に行うのだが、夕方の地震のせいで地下鉄やJRが止まってしまい、大学に足止めを食っているのである。地震があったとき、私は文学部のスロープを歩いていた。中庭にいた女子学生が驚いたような表情で空を見上げたので、どうしたのだろうかと思っていたら、木に群れて止まっていた椋鳥たちがいっせいに飛び立った。2階、3階の教室の中から女子学生がキャーキャーいう声が聞こえた。一体何事かと思ったときに足元に揺れを感じ、地震であることがわかった。歩いていても気づく地震というものを私は初めて経験した。携帯電話を自宅にかけるとすぐに娘が出た。かなりの揺れであったそうだが、被害はないとのことだった。教員ロビーに行くとTVで速報をやっていた。震源地は千葉のようで、東京の震度は5弱とのことだった。研究室に入ると、本が3冊ほど床に落ちていた。よく学生から「先生の研究室は大きな地震が来たら大変ですね」と言われるが、実際に本が落下したのは初めてのことである。午後5時から学生の面談が一件あり、研究室に来た学生に椅子を勧めながら、「頭上の本に気をつけてね」といつもの癖でいつものジョークを言った後で、全然洒落にならないことに気づく(その学生は長居することなく帰って行った)。交通機関の復旧にはまだしばらく時間がかかりそうである。本でも読んで待つことにしよう。少なくとも読む本には困らない環境にある。
7.24(日)
昨日の話。お昼に「五郎八」のカウンター席でせいろを食べていたら(前夜、調査実習のコンパで高カロリーの食事をしてしまったので、カロリー・コントロールのため、天ぷらは抜き)、心理学の豊田先生が入って来られ、「よろしいですか」と言って隣の席に座り、私と同じせいろを注文された。私がついさっきまで読んでいたギデンズ『社会学』が卓上に置かれているのを見て、「私もこの本を年始めにザッとですが読みました」と言われた。社会学と心理学は隣接学問とよく言われるが、私の見るところ、社会学者が心理学の本を読んでいるほどには心理学者は社会学の本を読んでいない。心理学者は社会学者より専門志向ならびに自然科学志向が強いのである。しかし、この浩瀚な書物を通読されるとは豊田先生は例外的な心理学者である。話はそれから映画やコミックに及び、私は大いにそれを楽しんだ。
7.25(月)
今日はいつもより早めにジムに行き、正味2時間きっちりトレーニングした(いつもはトレーニングの前後の着替えやシャワーの時間トータルで2時間)。筋トレを3セット。有酸素運動(早歩き)を60分、「ハンバーグ1個+卵1個」分のカロリーを消費。最後に、筋トレの負荷を各種目についてワンランク上げてもう1セット。トレーニングを終えて、更衣室の体重計に乗ったら、75キロをわずかながら下回る数字が表示された。ひさしぶりである。当面の目標は学生時代のベスト体重だった63キロに加算すること10キロ以内であるから、あと一歩である。これは夏休み中に達成可能であろう。その次は、最終的な目標である63キロ+5キロ以内をめざす。もっとも、がむしゃらなダイエットは私の流儀に反するので、1ヵ月に1キロのペースは遵守したい。ジムからの帰り道、コンビニで「ガリガリ君」を一本買って、蒸し暑い東京の空を仰ぎ見ながら食べる。クラブ活動の後の高校生みたいだが、TVドラマ『ビーチ・ボーイズ』の反町隆史のセリフを借りるなら、「いいじゃん、夏だし」。
7.26(火)
東京を直撃するかと思われた台風7号は外房をかすって太平洋上に抜けた。しかし、昼前に23区に大雨・洪水警報が出たため、定期試験の一部が中止になった。私は会議が2つあって、午前中から大学へ出ていたのだが、夕方から予定されていた現代人間論系運営準備委員会の打ち上げの飲み会は中止となった。帰宅すると、夕食はカレーだった。実は、昼食は「メーヤウ」のタイ風レッドカリーだった。まあ、カリーとカレーは似て非なるものだと、自分に言い聞かせて食卓に着く。しかし、多少目先を変えたいと思い、カレーライスにはしないで、ルーだけを器にもらい、トーストで食べる。
30日からの調査実習の合宿での発表に向けて、学生たちは作業に追われている。6月に実施したライフストーリー・インタビューのテープ起こしと編集の作業である。テープ起こしは初心者にはけっこう大変な作業である。インタビューに要した時間の10倍(2時間のインタビューなら20時間)はかかる。3時間、4時間のインタビューもあるから、これはもう苦行といっていい。もっとも締切はあらかじめわかっているわけだから、早くから始めればよいのだが、ほとんどの学生は試験が終わってから作業にとりかかったために、いま、お尻に火がついているのである。数人の学生のブログを読んでいると、窮状が伝わって来る。
「午後5時、おケツが痛くなってしばしコーヒーブレイク。なんとか発狂せぬよう、メールとかしてみたり。」(Tさん)
「体調悪くてバイト休む。店長ごめんなさい。でも、頭痛が酷くって、咳もまだ出るし・・・・」(Kさん)
「・・・・できるのか私。いっそのこと倒れてしまいたい。一人暮らしで倒れると、誰にも気づいてもらえない。倒れるなら、屋外。」(Mさん)
ここで重要なことは、彼女たちは私がブログを読んでいることを知っているということである。つまり、これは独り言ではなく、私へのアピールなのである。間接的な訴えなのである。間接フリーキックなのである。ふ~む。しばし熟考の末、私は学生全員に、編集作業については合宿が終わってからでもよい、というメールを出すことになった。もちろん彼女たちも私のこのフィールドノートを読んでいる。モノローグ風のダイアローグとでもいうべきものがブログ空間には存在するのである。
7.27(水)
台風一過の青空と久しぶりの真夏日。湿度が低いので気持ちがいい。こんな日にパソコンの前に終日座っている学生がいるとしたら気の毒なことである。朝から断続的に送られてくる学生からのメール(テープ起こし原稿や編集版が添付されている)に目を通し、コメントを返す。午後、ジム。有酸素運動60分で「チョコレートパフェ+バナナ1本」分のカロリーを消費する。もっとも、これまでの人生で、私はチョコレートパフェなるものを喫茶店で注文したことがない。見るからにクドそうじゃないですか。私は断固フルーツパフェ派である。あるいはクリームソーダ派である。どっちにしろ大きな声で主張するようなことではないかもしれないが、言明しておきたい。夕食後、しばらくパソコンのスイッチを切って、読書に耽る。昔は、世間とのつながりを一時的に遮断するためには、電話の線を抜くのが有効であったが、現代ではパソコンのスイッチを切るのが有効である。常時接続というのも良かれ悪しかれである。
7.28(木)
昼から会合が1つ。あちらを立てればこちらが立たぬ。大局観が問われる局面である。
その後、二文の卒論指導とアドバイザー面談(勉強会)。合わせて5時間ほど。帰宅して、調査実習の学生たちから送られてきた原稿のチェックを2時間ほど。もう少し分散して送って来てくれると助かるのだが・・・・。ほかにも合宿前に片付けなければならないことがある。M36星雲から大久保2号、大久保3号に応援に来てもらう。彼らに借りを作るのは気が進まないが、そうも言っていられない。
7.29(金)
事務所に前期科目の成績簿を提出し、学生の面談を2件すませ、夜、代官山のレストラン「ラブレー」へ出かける。西洋古典学の宮城先生の結婚披露パーティーがあるのだ。5月10日の「フィールドノート」で同僚のM先生の結婚の話題を書いたが、もうよかろう、あのM先生とは宮城先生のことである(ちゃんと結婚するまでは何が起こるかわからないから、M先生としておいたのだ)。いいパーティーだった。文学部の同僚の先生たち、事務所の方たち、大学院の教え子たち、学生時代の同級生たち、奥様の元の職場の方たち・・・・、出席者の数の多さはご夫妻の人柄を慕っている人がいかに多いかということの証明である。ふつう、パーティーの案内状は何割かの欠席者を見越して出すものであるが、今回の場合、案内状を出した人のほとんどが出席したのではなかろうか。おかげでご夫妻はほとんど料理を口に運ぶ暇もなく場内を回られていたのではなかろうか。初めてお会いした奥様は、びっくりするほど知的な美人で、私は正直、軽い嫉妬を感じましたね。46歳まで独身を通してきた甲斐があったね、宮城先生。パーティーの最後にお二人が挨拶をされたが、宮城先生の挨拶は彼の人柄が滲み出た、例によってオタオタしたものであったが、奥様の挨拶は、もうこれで宮城先生は大丈夫だと誰もが確信したほどの落ち着き払ったものであった。天の配剤というのはこういうことを言うのであろう。
帰宅して調査実習の学生たちのブログをのぞくと、明日から軽井沢で合宿だ、楽しみだわ、みたいなことが書いてある。どうも軽井沢というブランド・イメージに浮かれているようである。あのね、万平ホテルとか軽井沢プリンスホテルとかに泊まるわけじゃありませんから。大学のセミナーハウスですから。大部屋雑魚寝ですから。そもそも軽井沢セミナーハウスの所在地は軽井沢町大字追分字浅間山です。追分というのは道の分かれるところという意味で、日本全国にあるが、信濃追分の場合は中山道と北国街道の分岐点にあたる場所、いわゆる軽井沢の中心(旧軽)からは外れた場所です。避暑地の僻地ね。そこで午前中3時間、午後3時間、夜2時間、一日8時間のゼミを丸二日間やりますから。テニスとかサイクリングとか花火大会とかありませんから。せいぜいピンポンと昼寝と線香花火ですから。もうひたすら勉強。いま午前2時。もしまだ起きていて、これを読んでいる学生がいたら、明日に備えてさっさと寝なさい。えっ? 先生だって寝てないじゃないですかって? 大久保1号はすでに寝ている。これを書いているのは大久保2号なのである。ちなみに大久保3号はパーティーの3次会からまだ帰宅していない。