フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年7月(後半)

2005-07-29 23:59:59 | Weblog

7.16(土)

 朝、あたふたと家を出て、駅の近くまで来たとき、TSUTAYAに午前10時までに返却しなければならないビデオ(豊田利晃監督の『青い春』)を机の上に置き忘れてきたことに気づく。引き返す時間はない。それでは授業に遅れてしまう。妻に電話してビデオの返却を頼もうとして、携帯電話も机の上に置き忘れて来たことに気づく。やれやれ。久しぶりに駅の公衆電話のお世話になった。

2限の社会学基礎講義Aと3限の社会学研究9は教場試験。どちらも問題は1題のみで(ただし選択式)、試験時間は1時間。試験中はやることがない。教室を見渡して左利きの学生は全体の5%であることなどを確認した。午後3時から早稲田社会学会の機関誌『社会学年誌』の編集委員会。互選の結果(N先生が「大久保君やってよ」と言って、他の委員が頷いただけなんですけどね)、編集委員長になる。今後の段取りをあれこれ決める。編集委員会を終えて、廊下で立ち話をしていたら、文学研究科(大学院)の進学ガイダンスをいましがた終えたばかりの長谷先生(社会学専攻主任)がやってきて、「36号館AV教室が満杯でした。立ち見も出て、400人以上はいましたね」といつものちょっと興奮した口調で言われた。これから専攻ごとに分かれてガイダンスの続きを行うのだという。それではということで、廊下に立って、社会学専修室への道案内の役を買って出る。同じフロアーにフランス文学の専修室もあるので、やってくる人たちに、「フランス文学の方はこの先を進んでください。社会学の方は手前です。フランス社会学を勉強したい方は手前です」と丁寧にアナウンスをする。人は見かけではわからない。いかにもシュールレアリズム風の人が社会学の専修室に入っていったり、いかにも農村社会学風の人がフランス文学の専修室に入っていったりする。研究室で答案の整理を終えて、帰宅しようと廊下に出ると、ちょうど社会学専攻のガイダンスが終わったところで、出席者の一人(数年前の社会学専修の卒業生で、今回、仕事を辞めて大学院を受験される)から研究計画書の書き方について質問を受けたので、その場で簡単なレクチャーをする。もう30年も前になるが、大学院への進学についてあれこれ考えていたときの、これから大海原に漕ぎ出そうとする新米の船乗りのような高揚した気分と心細さを思い出したりした。

 

7.17(日)

 社会学基礎講義Aの答案(150枚ほど)の採点に取りかかる。今日と明日の二日間で終わらせたい。答案用紙には専修名を記入する欄があるが、1年生はまだどの専修にも属していないからこの欄は未記入でよい。しかし、一枚だけ「社会学専修」と記入した答案があって、「いきたい」と添え字がしてあった。思わず、ニヤリ。自己アピールの仕方にもいろいろあるものである。

 

7.18(月)

 きっぱりと梅雨が明けた。真夏の太陽である。こうなるともうじっとしていられない。本来であれば月曜日はジムでトレーニングの日なのであるが、私は平日の12時から17時限定の会員であるため、海の日の今日はジムは使えない。日中は試験の採点をして、夕方近く、自転車に乗って多摩川へ行く。夏を出迎えに行く。向かい風を受けながら、サイクリングコースを川下へ向かって走る。普段なら風の抵抗でペダルを漕ぐのがしんどいところなのだが、今日は不思議とペダルが軽い。筋トレのおかげで脚力が増したようである。爽快、爽快。帰り道で1960年代的大衆食堂を発見。コカ・コーラとスプライトの看板が泣かせる。あと10年もしたら、こういう食堂は街角から姿を消すだろう。今度、ここでカツ丼か何かを食べてみたい。ビールも頼んでしまおうかしら。夕食の後、散歩に出る。熊沢書店で、羽生善治『決断力』(角川書店)、石井政之『人はあなたの顔をどう見ているか』(筑摩書房)、森永卓郎『新版 年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『東京人』8月号(都市出版)を購入。妻に頼まれた卵はコンビニで購入。6個で120円。1960年代的物価を維持しているほとんど唯一の商品ではなかろうか。『スローダンス』の2回目を見てから、試験の採点。社会学基礎講義Aの採点は終了。お次は社会学研究9(100枚ほど)だ。

 

7.19(火)

 今日の教授会はいつにもまして長かった。午後2時から始まって終わったのが8時。東京から「ひかり」に乗って(「のぞみ」である必要はない)博多まで行ける時間である。あるいは東京から「はやて」と「スーパー白鳥」を乗り継いで函館まで行ける時間である。う~ん、いまの季節なら函館かな・・・・って、そういうことではなくて、ホント、ありえない長さでしょ。おまけにカリキュラム委員の選挙があって、なぜか選ばれてしまい、しかも副委員長ということになり、9月からさらに忙しくなることが決まった。いわゆる働き盛りってやつですかね、ふぅ~。帰りにTSUTAYAで『赤目四十八瀧心中未遂』と『血と骨』を借りる。

 深夜、調査実習のブログ班のメンバーのブログを読む。Sさん、サービス精神に溢れた語り。Tさん、内省的で理知的な語り。Mさん、感受性豊かな語り。F君、自己劇化的あるいは「青年は荒野をめざす」的語り。もし、それぞれのブログの書き手が入れ替わったら、読者はすぐに「あれっ?」と気づくだろう。ブログも自己呈示の一形態である以上、印象管理というものが行われているはずであり、書き手が入れ替われば印象管理の一貫性にほころびが生じるからだ。さまざまな話題で構成されているブログであっても、よほど意識してやらない限りは、語り口(文体)はほぼ一定である。これが対面的な状況における語りとブログにおける語りの違うこところだ。対面的な状況においては、目の前にいる相手によって語り口が微妙に、あるいは劇的に異なるのが普通である。普通ではあるが、それがときに自己イメージの混乱(どれが本当の私?)につながってしまう。おそらくブログの魅力の一つは、この印象管理のしやすさということにあるのではないだろうか。

 

7.20(水)

 月曜にジムに行けなかったので、今日は一週間ぶりのジムである。間が一週間空くと、けっこうキツイ。ウォーミングアップを十分やらずに筋トレ(レッグプレス→ロープーリー→レッグエクステンション→ハムストリングス→ラットプルダウン→フライ→チェストプレス→シットアップ)を始めたせいもあって、2セット目が終わったところで息が上がる。最後の1セットは後に回して、ウォーキングに切り替える。時速5.5キロのスピードで50分。有酸素運動は最初の20分は体内の炭水化物が燃焼し、その後に脂肪の燃焼が始まるのだそうだ。だからダイエットには20分+αのαの値が重要なのである。今日はα=30分で、ご飯一杯分に相当するカロリーを消費した。もちろんウォーキングよりランニングの方がカロリーの消費量は大きいのだが、疲労度も大きい。私はランニングが苦手で、ランニングの後はクタクタになってしまって、夕食後の仕事に支障が出る。心地よい疲労というのが肝心なのだ。ジムに通うようになって、この感覚を取り戻した。昔、高校のクラブ活動の休憩時間に木陰に腰を下ろして風に吹かれていたときの、あの感覚だ。

 

7.21(木)

 午後、社会学専修の会議の始まる前に「五郎八」で昼食をとる。天せいろ。夏はこれである。冷たい汁につけてすする蕎麦は実に旨い。夏の幸せを感じる。でも、蕎麦だけでは物足りない。夏を乗り切ることができない。天ぷらは海老(3本)と茄子と獅子唐。塩で食べる。天ぷらを蕎麦汁につけると汁に油が浮くからということもあるが、元々、海老の天ぷらは塩で食べる方が好きである。獅子唐も塩がいける。でも、茄子だけは別だ。蕎麦を食べ終わって、蕎麦湯を注ぐ前の汁につけて食べる。ああ、旨かった。夕食は7限の基礎演習が始まる前に「メルシー」でとる。ここではチャーシュー麺を注文することが多いのだが、昼が麺だったので、チャーハンを注文。「メルシー」のチャーハンは付いてくるスープを掛けてリゾット風にして食べるのが一番美味しい食べ方であると信じている。しかし器がスープチャーハン用の深いものではないから、初めからスープを全部掛けて食べるわけにはいかない(店の人の目もある)。蓮華でスープをチャーハンに掛けつつ食べる。うん、やっぱり、旨い。昼の天せいろ、夜のチャーハン。会心の取り合わせであったと自負している。こういう日はめったにない。ちなみに基礎演習のグループ発表の最後に登場した8班は、真打ちと呼ぶに相応しい内容のパフォーマンスで、大いに楽しませてくれた。発表を楽しんでいるところが何よりもいい。あれこれ調べて考えることは楽しいことなのだ。

 

7.22(金)

 3限の大学院の演習、5限の調査実習、今日で前期の通常の授業はすべて終了。夜、高田馬場のMARUHACHIで調査実習のクラスコンパ。10時帰宅。風呂を浴び、録画しておいた『ドラゴン桜』を観て、今日生協で購入した小島亮編『福本和夫の思想』(こぶし書房)に目を通す。これからの10日間で授業中心の生活から研究中心の生活へ基本フォームを組み替えていくべし。

 

7.23(土)

 いま、午後7時。研究室で今日のフィールドノートを書いている。通常、更新は就寝前に行うのだが、夕方の地震のせいで地下鉄やJRが止まってしまい、大学に足止めを食っているのである。地震があったとき、私は文学部のスロープを歩いていた。中庭にいた女子学生が驚いたような表情で空を見上げたので、どうしたのだろうかと思っていたら、木に群れて止まっていた椋鳥たちがいっせいに飛び立った。2階、3階の教室の中から女子学生がキャーキャーいう声が聞こえた。一体何事かと思ったときに足元に揺れを感じ、地震であることがわかった。歩いていても気づく地震というものを私は初めて経験した。携帯電話を自宅にかけるとすぐに娘が出た。かなりの揺れであったそうだが、被害はないとのことだった。教員ロビーに行くとTVで速報をやっていた。震源地は千葉のようで、東京の震度は5弱とのことだった。研究室に入ると、本が3冊ほど床に落ちていた。よく学生から「先生の研究室は大きな地震が来たら大変ですね」と言われるが、実際に本が落下したのは初めてのことである。午後5時から学生の面談が一件あり、研究室に来た学生に椅子を勧めながら、「頭上の本に気をつけてね」といつもの癖でいつものジョークを言った後で、全然洒落にならないことに気づく(その学生は長居することなく帰って行った)。交通機関の復旧にはまだしばらく時間がかかりそうである。本でも読んで待つことにしよう。少なくとも読む本には困らない環境にある。

 

7.24(日)

 昨日の話。お昼に「五郎八」のカウンター席でせいろを食べていたら(前夜、調査実習のコンパで高カロリーの食事をしてしまったので、カロリー・コントロールのため、天ぷらは抜き)、心理学の豊田先生が入って来られ、「よろしいですか」と言って隣の席に座り、私と同じせいろを注文された。私がついさっきまで読んでいたギデンズ『社会学』が卓上に置かれているのを見て、「私もこの本を年始めにザッとですが読みました」と言われた。社会学と心理学は隣接学問とよく言われるが、私の見るところ、社会学者が心理学の本を読んでいるほどには心理学者は社会学の本を読んでいない。心理学者は社会学者より専門志向ならびに自然科学志向が強いのである。しかし、この浩瀚な書物を通読されるとは豊田先生は例外的な心理学者である。話はそれから映画やコミックに及び、私は大いにそれを楽しんだ。

 

7.25(月)

 今日はいつもより早めにジムに行き、正味2時間きっちりトレーニングした(いつもはトレーニングの前後の着替えやシャワーの時間トータルで2時間)。筋トレを3セット。有酸素運動(早歩き)を60分、「ハンバーグ1個+卵1個」分のカロリーを消費。最後に、筋トレの負荷を各種目についてワンランク上げてもう1セット。トレーニングを終えて、更衣室の体重計に乗ったら、75キロをわずかながら下回る数字が表示された。ひさしぶりである。当面の目標は学生時代のベスト体重だった63キロに加算すること10キロ以内であるから、あと一歩である。これは夏休み中に達成可能であろう。その次は、最終的な目標である63キロ+5キロ以内をめざす。もっとも、がむしゃらなダイエットは私の流儀に反するので、1ヵ月に1キロのペースは遵守したい。ジムからの帰り道、コンビニで「ガリガリ君」を一本買って、蒸し暑い東京の空を仰ぎ見ながら食べる。クラブ活動の後の高校生みたいだが、TVドラマ『ビーチ・ボーイズ』の反町隆史のセリフを借りるなら、「いいじゃん、夏だし」。

 

7.26(火)

 東京を直撃するかと思われた台風7号は外房をかすって太平洋上に抜けた。しかし、昼前に23区に大雨・洪水警報が出たため、定期試験の一部が中止になった。私は会議が2つあって、午前中から大学へ出ていたのだが、夕方から予定されていた現代人間論系運営準備委員会の打ち上げの飲み会は中止となった。帰宅すると、夕食はカレーだった。実は、昼食は「メーヤウ」のタイ風レッドカリーだった。まあ、カリーとカレーは似て非なるものだと、自分に言い聞かせて食卓に着く。しかし、多少目先を変えたいと思い、カレーライスにはしないで、ルーだけを器にもらい、トーストで食べる。

 30日からの調査実習の合宿での発表に向けて、学生たちは作業に追われている。6月に実施したライフストーリー・インタビューのテープ起こしと編集の作業である。テープ起こしは初心者にはけっこう大変な作業である。インタビューに要した時間の10倍(2時間のインタビューなら20時間)はかかる。3時間、4時間のインタビューもあるから、これはもう苦行といっていい。もっとも締切はあらかじめわかっているわけだから、早くから始めればよいのだが、ほとんどの学生は試験が終わってから作業にとりかかったために、いま、お尻に火がついているのである。数人の学生のブログを読んでいると、窮状が伝わって来る。

「午後5時、おケツが痛くなってしばしコーヒーブレイク。なんとか発狂せぬよう、メールとかしてみたり。」(Tさん)

「体調悪くてバイト休む。店長ごめんなさい。でも、頭痛が酷くって、咳もまだ出るし・・・・」(Kさん)

「・・・・できるのか私。いっそのこと倒れてしまいたい。一人暮らしで倒れると、誰にも気づいてもらえない。倒れるなら、屋外。」(Mさん)

 ここで重要なことは、彼女たちは私がブログを読んでいることを知っているということである。つまり、これは独り言ではなく、私へのアピールなのである。間接的な訴えなのである。間接フリーキックなのである。ふ~む。しばし熟考の末、私は学生全員に、編集作業については合宿が終わってからでもよい、というメールを出すことになった。もちろん彼女たちも私のこのフィールドノートを読んでいる。モノローグ風のダイアローグとでもいうべきものがブログ空間には存在するのである。

 

7.27(水)

 台風一過の青空と久しぶりの真夏日。湿度が低いので気持ちがいい。こんな日にパソコンの前に終日座っている学生がいるとしたら気の毒なことである。朝から断続的に送られてくる学生からのメール(テープ起こし原稿や編集版が添付されている)に目を通し、コメントを返す。午後、ジム。有酸素運動60分で「チョコレートパフェ+バナナ1本」分のカロリーを消費する。もっとも、これまでの人生で、私はチョコレートパフェなるものを喫茶店で注文したことがない。見るからにクドそうじゃないですか。私は断固フルーツパフェ派である。あるいはクリームソーダ派である。どっちにしろ大きな声で主張するようなことではないかもしれないが、言明しておきたい。夕食後、しばらくパソコンのスイッチを切って、読書に耽る。昔は、世間とのつながりを一時的に遮断するためには、電話の線を抜くのが有効であったが、現代ではパソコンのスイッチを切るのが有効である。常時接続というのも良かれ悪しかれである。

 

7.28(木)

 昼から会合が1つ。あちらを立てればこちらが立たぬ。大局観が問われる局面である。

 その後、二文の卒論指導とアドバイザー面談(勉強会)。合わせて5時間ほど。帰宅して、調査実習の学生たちから送られてきた原稿のチェックを2時間ほど。もう少し分散して送って来てくれると助かるのだが・・・・。ほかにも合宿前に片付けなければならないことがある。M36星雲から大久保2号、大久保3号に応援に来てもらう。彼らに借りを作るのは気が進まないが、そうも言っていられない。

 

7.29(金)

 事務所に前期科目の成績簿を提出し、学生の面談を2件すませ、夜、代官山のレストラン「ラブレー」へ出かける。西洋古典学の宮城先生の結婚披露パーティーがあるのだ。5月10日の「フィールドノート」で同僚のM先生の結婚の話題を書いたが、もうよかろう、あのM先生とは宮城先生のことである(ちゃんと結婚するまでは何が起こるかわからないから、M先生としておいたのだ)。いいパーティーだった。文学部の同僚の先生たち、事務所の方たち、大学院の教え子たち、学生時代の同級生たち、奥様の元の職場の方たち・・・・、出席者の数の多さはご夫妻の人柄を慕っている人がいかに多いかということの証明である。ふつう、パーティーの案内状は何割かの欠席者を見越して出すものであるが、今回の場合、案内状を出した人のほとんどが出席したのではなかろうか。おかげでご夫妻はほとんど料理を口に運ぶ暇もなく場内を回られていたのではなかろうか。初めてお会いした奥様は、びっくりするほど知的な美人で、私は正直、軽い嫉妬を感じましたね。46歳まで独身を通してきた甲斐があったね、宮城先生。パーティーの最後にお二人が挨拶をされたが、宮城先生の挨拶は彼の人柄が滲み出た、例によってオタオタしたものであったが、奥様の挨拶は、もうこれで宮城先生は大丈夫だと誰もが確信したほどの落ち着き払ったものであった。天の配剤というのはこういうことを言うのであろう。

 帰宅して調査実習の学生たちのブログをのぞくと、明日から軽井沢で合宿だ、楽しみだわ、みたいなことが書いてある。どうも軽井沢というブランド・イメージに浮かれているようである。あのね、万平ホテルとか軽井沢プリンスホテルとかに泊まるわけじゃありませんから。大学のセミナーハウスですから。大部屋雑魚寝ですから。そもそも軽井沢セミナーハウスの所在地は軽井沢町大字追分字浅間山です。追分というのは道の分かれるところという意味で、日本全国にあるが、信濃追分の場合は中山道と北国街道の分岐点にあたる場所、いわゆる軽井沢の中心(旧軽)からは外れた場所です。避暑地の僻地ね。そこで午前中3時間、午後3時間、夜2時間、一日8時間のゼミを丸二日間やりますから。テニスとかサイクリングとか花火大会とかありませんから。せいぜいピンポンと昼寝と線香花火ですから。もうひたすら勉強。いま午前2時。もしまだ起きていて、これを読んでいる学生がいたら、明日に備えてさっさと寝なさい。えっ? 先生だって寝てないじゃないですかって? 大久保1号はすでに寝ている。これを書いているのは大久保2号なのである。ちなみに大久保3号はパーティーの3次会からまだ帰宅していない。


2005年7月(前半)

2005-07-15 23:59:59 | Weblog

7.1(金)

 7月である。ずっと口に出すのを我慢していた言葉、「夏休み」という言葉の封印を解くときがきた。夏休み、夏休み、夏休み・・・・夏休みが、ほら、もうそこまで来ている。「下宿屋の西日の部屋や夏休み」(高浜虚子)

 3限の大学院の演習が始まる前、研究室でカップ麺(赤いきつね)を食べる。研究室の食器棚には常備食としてカップ麺と真空パックされた切り餅が入っていて、外に食事に出る時間がないときには重宝している。しかし最近は時間がないことがあらかじめわかっているときは、地下鉄の駅から文学部に来る途中のコンビニでおにぎりを買ってくるので、カップ麺を食べるのは久しぶりである。今年になって初めてかもしれない。5分で作って5分で食べる。たまに食べるとけっこう美味しいが、汁の味が濃すぎるのが難である。汁は飲まずに、付け汁として賞味する。しかしこれだけではさすがに腹持ちが悪く、5限の調査実習の授業が始まる前に、ミルクホールでサンドイッチとミルクティーを買って、教室で食べる。授業はいつものように1時間ほど延長して7時までやったが、空腹のためか、聞き手として集中力が散漫な学生が目につく。ケーキと珈琲の時間が必要かも知れない。

 

7.2(土)

 早稲田社会学会の大会。いつもだと第一会議室で行われることが多いのだが、今回は36号館の681教室。私はこの教室と同じタイプの581教室を授業でよく使うのだが、出入口が前(ホワイトボードの左右)にあるため、遅刻して教室に入って来たり、授業の途中で退出したりする学生が目障りでしかたがない。彼らだってみんなの視線を浴びてばつが悪いだろう。なぜ出入り口とは反対の壁にホワイトボードと教卓を配置しなかったのであろうか。文学部の建物の七不思議の一つである。自由報告は午前11時10分から始まった。私は11時半から学会誌『社会学年誌』の編集委員会があるので、最初のM君の報告が終わったところで退出するつもりだったのだが、質疑応答が長引いて、退出するタイミングが難しい。そのうち係の学生が「編集委員会が始まっています」というメモを持って私のところにやってきたので、しかたない、失礼は承知で退出する。M君、ごめんなさい。授業の途中で退出する学生も心の中で「ごめんなさい」と言っているのであろうか。現在の編集委員会は今日が最後の仕事。会長・理事の改選に伴い、次回からは新体制の編集委員会となる。もっとも私は次期の編集担当理事ということに今日の総会で決まったので、さっそく新しい編集委員会のメンバーを決めなくてはならない。夜、依頼のメールを数人の方に出す。みなさん引き受けて下さいね。

 

7.3(日)

 都議会議員選挙の日。午後、投票所である相生小学校(私の母校)へ行く。投票を済ませてから校庭に出てみると、体育用具の倉庫に使われている建物に「祝開校八十周年相生小」という横断幕がかかっていた。そうか、今年はそういう年なのか。80周年ということは、開校は大正15年ということになる。私の父親が大正12年の生まれだから、ほぼ同時代を生きてきたわけだ。それにしても、せっかくの横断幕をなぜ校舎ではなく倉庫なんかにかけているのだろう。不思議な光景である。もっともこの倉庫、私が在学していた頃からあったような気がするので、校庭にある一番古い建物ということで横断幕がかけられたのかもしれない。うん、きっとそうに違いない。

 夕食は餃子。餃子のみ。うちはみんな餃子が好物で、焼いては食べ、焼いては食べ、鬼のように食べる。食後のデザートはケーキ。息子の遅ればせのバースデーケーキである。こちらは祝生誕17周年である。

 

7.4(月)

 7月に入ってからむしろ梅雨らしくなった。小雨の中をジムに行く。同じ曜日の同じ時間帯(月・水の午後3時から5時)に通っているので、いつも同じような人たちがいる。女性たちはほとんど主婦のようであるが、男性たちは若い人から年輩の人までさまざまで、どういう人たちなのかよくわからない。みんな黙々とトレーニングをしている。

帰りにサンカマタ商店街の一二三堂で『将棋世界』8月号を買って、シャノアールで読む。米長邦雄が将棋連盟の会長に就任して一ヶ月、次々と新機軸を打ち出している。その目玉ともいえるのが瀬川昌司氏(35歳)にプロ編入試験を受けさせることを決めたこと。この人、アマチュアながらプロに勝ち越している(17勝8敗)。プロの棋士になるためには奨励会というプロの卵たちの組織に入会して、ここで一定の年齢までに一定の成績を収めなくてはならない。瀬川氏は以前この奨励会の会員だったのだが、年齢規定により退会を余儀なくされた。普通であれば、これで瀬川氏がプロの棋士にはなる途は完全に閉ざされたのであるが、その後の瀬川氏のアマ棋界での活躍は素晴らしく、プロ棋戦にアマ招待選手として参加して上記の成績を収めたのである。そして将棋連盟に嘆願書を提出し、棋士総会でそれが認められ、花村元司八段以来61年ぶりというプロ編入試験が実施されることになったのである。編入試験は6番勝負。相手は佐藤天彦3段(奨励会員)、神吉宏充6段(フリークラス)、久保利明八段(A級)、中井広恵女流6段、熊坂学4段(フリークラス)、長岡裕也4段(C級2組)。3勝すれば合格(フリークラスに編入)。2勝の場合は内容次第。注目の第一局(対佐藤3段戦)は7月18日に紀伊国屋ホールにて公開対局で行われる。入場料は3500円。私は出かけようかどうしようか迷っている。ちなみに私の予想では、●○●○○の成績で第五局で合格を決めるであろう。ポイントは第二局の対神吉6段戦で勝利できるかどうかにある。

 夜、深津絵理・妻夫木聡主演のTVドラマ『スローダンス』の初回を観る。いろいろな意味で切ないドラマである。妻夫木演じる自動車学校の教官理一は、青春の夢の切れ端を捨てきれずに生きていて、『オレンジデイズ』で妻夫木が演じた大学生櫂のその後を見るようで切ない。深津が結婚の夢破れ、職場での出世も思うにまかせずにいる31歳の女性を演じているのも切ない。『彼女たちの時代』で渋谷のブックファーストの屋上から「私はここにいるぞ~」と叫ぶOL羽村深美を彼女が演じてからもう6年が経ったのだ。広末涼子が脇役で出演しているのも切ない。彼女が登場するたびに「一児の母なんだよな」と思って劇中の役柄とのギャップを感じてしまう。

 

7.5(火)

 朝、髭を剃るときに3ヶ所ほど切ってしまう。顎と頬の傷は自然に血が止まったが、鼻の下の傷は、これがもし女の子だったら親は娘の将来を案じてしまうほどの深手で(ちょっとオーバーか)、なかなか血が止まってくれない。ティッシュで押さえていないと床にポタポタと滴り落ちてしまう。家にあった何種類かの絆創膏を貼ってみたが、結局、老舗のバンドエイドが一番優秀だった。価格が高いだけのことはある。商品名は書かないが、他のメーカーのものは、粘着力が弱かったり、表面の通気穴から血が滲み出て来たりするのである。身体を張った消費者テストの結果だから、間違いない。しかし、鼻の下にバンドエイドを貼って電車に乗るのは気が進まない。家を出る直前に剥がしてみたが、やはりまだ止血されていない。新しいバンドエイドを貼り、マスクをして家を出る。夏のマスクというのは蒸れるものである。

 二文生のK君の卒論指導をすませてから、文化構想学部現代人間論系の運営準備委員会。前回から英文学の安藤文人先生が新しくメンバーに加わり、現在のメンバーは8名である。現代人間論系には4つのプログラムがあり、各プログラムはゼミと演習科目群から構成されている。その他に現代人間論系が提供するブリッジ科目(文学部と共有の講義科目)が多数ある。今日の会合でその全部がほぼ出そろった。これからは文化構想学部の他の論系や文学部の関連コースとの調整という段階に入っていく。7時半散会。まだまだ先は長いが、作業が一山越えたので、夏休みに入る前にいっぱい飲みましょうという話になる。一同賛成。みんな以前よりも表情が和らいでいる。

深夜、義姉からいただいた桜桃を食べながらホームページの更新作業。あれこれの果物が美味しい季節である。

 

7.6(水)

 ジムに通い始めてちょうど一ヶ月経過。腕立て伏せや腹筋運動がちゃんと出来るようになった。こういう目に見える形で成果がわかるというのは嬉しいものである。そもそもジムに通うようになったきっかけは、体重が禁断の領域に近づきつつあることと、もう一つ、腕立て伏せがまともに出来なくなったことである。体重の方は脱衣所に体重計が置いてあるから(どこの家庭でもそうであろう)、増えればすぐにわかるが、筋力の衰えというのは普段はなかなか気づかず、何かの拍子に思い知らされて愕然とするのである。学生時代にスポーツはけっこうやっていたので、そのときの記憶が残っている分、落差も大きいのである。今回、一ヶ月のトレーニングやってみて思ったのは、身体の適応力というか復元力というのは大したものだということ。負荷のかかった運動→筋肉痛(筋肉の細い繊維が切れるため)→筋肉の修復(切れた部分がより太い繊維になる)→筋力アップというのが筋トレの基本的な原理であるわけだが、実践が理論どおり進行しないことは社会現象ではしばしばなので、筋トレについてもそう簡単にはいくまいと思っていたところ、着実に成果が出ているのでちょっと驚いている。たぶん初発段階だからなのであろうが(いずれ努力の割に成果が見られない高原状態が来るだろう)、初心者のモチベーションに水を差さないでいてくれるのはありがたい。体重の方は、1キロぐらいしか減っていないが、最初は脂肪の減少と筋肉の増加が相殺してむしろ体重が増える人もいますとトレーナーに言われているので、予定通りである。筋力アップが一定の段階までいったら、有酸素運動(ランニングなど)を増やしていこうと思う。

 

7.7(木)

 息子が熱を出して学校を休んでいる。実は数日前から熱が出ていたみたいなのだが、期末試験中だったので、何も言わずに学校に行っていたのである。昨日が試験の最終日で、帰宅するなり、「保険証はある?」と言って、自分から近所の内科医に診てもらいに行った。熱が38度3分あり、今日は水泳大会で、休むと補講で500メートル泳がされるから、多少無理をしても登校して50メートル泳いだ方がいいみたいなことを言ったので、「アホか!」と一喝して休ませる。折悪しく、妻は昨日から実家の方へ行っている。学校への欠席の連絡(ファックス)、朝食の支度(ハムエッグ)、ゴミ出し(今日は燃えないゴミの日)、猫の餌など、いつもならまだ寝ている時間に起きていろいろとしなくてはならない。当然、寝不足である。子どもを送り出してから二度寝をする妻の気持ちがわかる。今日は七夕。妻が早く帰ってきてくれますように。

 

7.8(金)

 息子は今朝は平熱に戻っていて、元気に家を出て行った。早起きをすると(と言っても7時ですけど)、午前中の時間がたっぷりあって嬉しい。今日は3限の大学院の演習と5限の調査実習なので、12時に家を出れば間に合う。それまで一仕事。15年戦争の期間における「大きな物語」(挙国一致の物語)と「人生の物語」の関連についての講義ノート作り。山室建徳編『大日本帝国の崩壊』(「日本の時代史25」、吉川弘文館)はいろいろと参考になった。とくに15年戦争の発端である満州事変を国民が支持した大きな要因として日露戦争の記憶(満州事変当時から遡ること26、7年前)があったという指摘は大変説得力のあるものだった。近代日本は幾度もの戦争を経験してきたが、戦争Aの記憶が戦争Bに影響を与え、戦争Bの記憶が戦争Cに影響を与え・・・・、そうした連鎖の過程で国民の戦争観(それは戦争の促進要因にもなれば抑制要因にもなる)も変容していく。今年は戦後60年目。太平洋戦争の記憶を直接体験に基づいて保有している人間はみな高齢である。「戦争はもうこりごりだ」というのは敗戦の記憶に支えられた一般的な戦争観だが、60年という歳月は敗戦の記憶の影響力を弱めると見るのが妥当だろう。現代の若者にとっては、戦争の記憶は他国の戦争(湾岸戦争から同時多発テロまで)に関するものが中心であろう。ここで問題になるのは、他国の戦争をどういう立場から見ているかである。見る場所によって他国の戦争の情景はずいぶんと異なり、したがって戦争の記憶も違ったものになるだろう。それが「次の戦争」に対する抑制要因として作用するためには、敗者の立場、あるいは勝者も敗者もいない、ただ死者と負傷者しかいない場所から見た戦争の記憶でなくてはならない。昨日、ロンドンで起こった同時多発テロの死者は50人以上、負傷者は700人に達している。

 

7.9(土)

 2限の社会学基礎講義Aと3限の社会学研究9は今日が講義の最終回(来週は教場試験)。心配していたプロジェクターのトラブルもなく(スイッチを入れてスクリーンに映像が出ると本当にホッとする)、予定通りの授業ができた。社会学研究9の方は受講生のほとんどが後期の社会学研究10も履修しているので、最終回というよりも中締めという感じだが、社会学基礎講義Aの方は本当の最終回。全12回の講義だった。履修しているのは全員1年生だから、この大学のこの学部に来てよかったと思ってもらえるように、一所懸命に取り組んだつもりである。授業の準備とアフターケアー(講義記録の作成)にはそれなりの時間を投下したが、来週から金曜日の夜をのんびり過ごせる。生協で、粕谷一希『反時代的思索者 唐木順三とその周辺』(藤原書店)、保坂和志『小説の自由』(新潮社)、岡真理『記憶/物語』(岩波書店)、河口和也『クイア・スタディーズ』(岩波書店)を購入して、それを持って「フェニックス」へ行く。講義を終えてから喫茶店で本を読むことは人生の楽しみの中でもかなり上位に来るものであるが、土曜の午後、それも最終回の講義の後となると、また格別である。

 

7.10(日)

 雨は明け方には止み、ひさしぶりの(7月に入って初めての)真夏日である。社会学基礎講義Aの最終回の講義記録をアップし、録画しておいたTVドラマ『ドラゴン桜』の初回を観て(『さよなら小津先生』の受験勉強版だね)、夕方、散歩に出る。栄松堂書店で、桐山桂一『呉清源とその兄弟 呉家の百年』(岩波書店)、天野正子『「つきあい」の戦後史 サークル・ネットワークの拓く地平』(岩波書店)、中沢新一『アースダイバー』(講談社)、青木省三『僕のこころを病名で呼ばないで 思春期外来から見えるもの』(岩波書店)、小谷野敦『帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて』(ちくま新書)、野口京子『楽しそうに生きている人の習慣術』(河出書房新社)を購入。深夜、社会学研究9の最終回の講義記録をアップする。一日に2つの講義記録を作成し、アップした。大車輪である。いつもなら次回の授業までに間に合わせればよい作業なのだが、次回は教場試験だから、試験勉強をするであろう学生の便宜を考えて、早めにアップしたのである。やればできるじゃないか。

 

7.11(月)

 今春、文学部の社会学専修を卒業したHさんからメールが届く。愛媛の支社への配属が決まったそうだ。発表前、何処に赴任を命じられようとそれに従う覚悟はできていたはずなのだが、まさか一度も足を踏み入れたことのない四国への赴任とは・・・・、何とかなるという楽観と絶対無理という悲観との間で揺れ動く毎日だそうである。今月末に愛媛に初上陸し、一週間ほど滞在したのち、いったん東京へ戻り、9月から本格的に移住するとのこと。その前に四国土産を持って研究室に顔を出しますと書いてあった。四国土産ね・・・・。さっそくインターネットで愛媛のお菓子を検索し、「今治一笑堂鶏卵饅頭」という可愛くて美味しそうな和菓子を見つけ、これを所望しますとメールを返す。もちろんゼミの教え子が人生の岐路に立って書いてきたメールへの返信に、まさかお土産の希望だけを書くわけにもいかないから、私も四国へはまだ行ったことがない、四国四県の白地図をみて愛媛がどこだかを正しく示せる自信はない、しかし、四国は外国ではないから日本語が通じるはずで、大丈夫、何とかなります、人生至るところに青山あり(いまの若者には通じないか?)、それに君は出身が愛知だったよね、愛知と愛媛、「愛」つながりではありませんか、彼の地で愛する人との出逢いが君を待っている予感がする、と励ましの文章を添える。就職から三ヵ月が経過、いま、最初のトンネルを抜けて、目の前に広がる新たな地平に立ちすくみ、それでも少しずつ歩みを進めようとしている若者たちがいる。・・・・しかし、愛媛のポンジュースも捨てがたいな。

 

7.12(火)

 会議が3つ。社会・人間系専修委員会、基本構想委員会、社会学専修の会合。心躍るような案件は少ない。「やれやれ」と「う~む」と「ふぅ・・・・」の連続である。会議と会議の合間に、「レトロ」で食事をし、生協で本(伊藤守『記憶・暴力・システム メディア文化の政治学』法政大学出版局)とスティック糊を買い、研究室で調査実習の領収証を費目別に台紙に貼り付ける作業をする。基本構想委員会で安藤先生の隣に座ったら、メモ書きを渡された。夏目漱石の時代から江戸っ子の四国を辺境の地と見るまなざしは少しも変わっていませんね、興味深い文章でした、というようなことが書かれていた。昨日の私のフィールドノートを読まれた感想である。思わず苦笑。安藤先生は漱石の研究をされていて、東北大学に保管されている漱石の蔵書(洋書)の書き込みを丹念に調べておられる。漱石は地下鉄早稲田駅そば、現在の喜久井町の生まれで、生家のあった場所には碑が建っている。27歳のときに、突然、東京師範学校の教師を辞めて、松山中学の英語教師として赴任するという不可思議な行動に出る。当時作った漢詩の一句、「大酔醒め来たりて寒さ骨に徹し、余生養い得て山家にあり」。27歳にしてすでに「余生」である。「大酔醒め」とあるのは、「洋文学の隊長」ならんとした青春の志が「英文学に欺かれたかのごとき」失望に変わったことを意味している。松山への赴任はそれまでの自分を埋葬するためである。漱石にとって、四国は死国であった。ちなみに安藤先生は三重だったか岐阜だったか、その辺りのご出身である。東京生まれ東京育ちの私の目から見ると、その辺りの白地図も四国四県に負けず劣らず曖昧模糊としているのだが、そのことは言わずにおいた。

 

7.13(水)

ジムの帰り道、熊沢書店に立ち寄り、グレイス・ペイリー(村上春樹訳)『人生のちょっとした煩い』(文藝春秋)、ポール・オースター編(柴田元幸他訳)『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』(新潮社)、『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)を購入。

石原吉郎は1915年の生まれ。東京外大を卒業して、翌39年、応召。北方情報要員第一期生として大阪歩兵第三七連隊内大阪露語教育隊に派遣され、41年、関東軍のハルビン特務機関へ配属。敗戦後、ソ連の収容所で8年におよぶ過酷な日々を送り、53年、スターリン死去の恩赦により帰国を許される。38歳になっていた。舞鶴港に出迎えに来てくれた弟から父母の死を知らされる。郷里の伊豆市土肥でしばらく静養した後、東京に出て、ラジオ東京で翻訳の仕事に就く。仕事のかたわら『文章倶楽部』に投稿した「夜の招待」という詩が特撰で掲載される。選者は鮎川信夫と谷川俊太郎だった。「石原吉郎はわたしたちの前に、突然あらわれた。第二次大戦が終わって十年ほど後の日本の戦後詩の世界に、戦争体験を通過した戦中派詩人として、もっとも遅れて登場したのである」(佐々木幹郎)。私の家の書棚には彼の詩集はない。私は今日はじめて彼の作品を手にしたのである。頁をめくりながら、今日は「石原吉郎という詩人が私の前に突然あらわれた日」だなと思った。

 

 葬式列車

 

 なんという駅を出発してきたのか

 もう誰もおぼえていない

 ただ いつも右側は真昼で

 左側は真夜中の不思議な国を

 汽車ははしりつづけている

 駅に着くごとに かならず

 赤いランプが窓をのぞき

 よごれた義足やぼろ靴といっしょに

 まっ黒なかたまりが

 投げこまれる

 そいつはみんな生きており

 汽車が走っているときでも

 みんなずっと生きているのだが

 どこでも屍臭がたちこめている

 そこにはたしかに俺もいる

 誰でも半分はもう亡霊になって

 もたれあったり

 からだをすりよせたりしながら

 まだすこしずつは

 飲んだり食ったりしているが

 もう尻のあたりがすきとおって

 消えかけている奴さえいる

 ああそこにはたしかに俺もいる

 うらめしげに窓によりかかりながら

 ときどきどっちかが

 くさった林檎をかじり出す

 俺だの 俺の亡霊だの

 俺たちはそうしてしょっちゅう

 自分の亡霊とかさなりあったり

 はなれたりしながら

 やりきれない遠い未来に

 汽車が着くのを待っている

 誰が機関車にいるのだ

 巨きな黒い鉄橋をわたるたびに

 どろどろと橋桁が鳴り

 たくさんの亡霊がひょっと

 食う手をやすめる

 思い出そうとしているのだ

 なんという駅を出発して来たのかを

 

 なんという静寂。汽車が鉄橋を渡る音はこの静寂をむしろ際立たせる。そしてその静寂の底からかすかに聞こえてくる「彼ら」の声にならぬ声。私は、この詩を読みながら、香月泰男の「シベリアシリーズ」を思い浮かべた。たとえば「北へ西へ」という作品(山口県立美術館蔵)。香月も石原と同じく収容所での体験を芸術に昇華させた人である。

石原の「詩の定義」と題する文章は、「詩を書き始めてまもない人たちの集まりなどで、いきなり『詩とは何か』といった質問を受けて、返答に窮することがある。詩をながく書いている人の間では、こういったラジカルな問いはナンセンスということになっている」と始まっている。そして、次のように終わっている。

 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。

 なぜ「書くまい」と思うのか。「書けるはずがない」からである。「語り得ぬことについては黙すべし」とヴィットゲンシュタインは言った。しかし石原は哲学者ではなく詩人である。「書けるはずがない」からといって何も書かずに沈黙することはできない。沈黙の、失語の、その一歩手前で、踏みとどまって書かれた詩。それが彼の詩だ。私の好きな荒川洋治の詩とはずいぶんと違う。しかし、私は石原吉郎の詩も素晴らしいと思う。もう一度書く。今日は「石原吉郎という詩人が私の前に突然あらわれた日」だ。

 

7.14(木)

 昨日の夕方、玄関先で迎え火を焚いていたら、道行く人たちが珍しいものを見るようにわれわれ一家を見ていた。そういえばご近所で迎え火や送り火を焚いているのを見なくなって久しい。もしかして我が家は知らないうちに民俗資料館のような存在になってしまったのだろうか。今日はお盆の中日。午前中に妻と鶯谷の菩提寺の墓参り。午後、5限(卒論演習)と7限(基礎演習)の授業。帰宅してから録画しておいた深田恭子主演のTVドラマ『幸せになりたい!』の初回を見る。この間までやっていた草彅剛主演の『恋におちたら』の少女版のような感じである。谷原章介は両方に出ているが、今回はいつもの彼のキャラ(クールで仕事のできる二枚目)とは違って、心優しいが気弱で仕事のできないADを演じている。でも、無理に演じている感じが出てしまって、ちょっと鼻についたりする。二枚目も大変だ。

 

7.15(金)

 梅雨明けか、と思えるくらいの真夏日。予想では来週の半ばあたりに梅雨明けとのこと。もしそうなら小中高が夏休みに入るのと同時で、絵に描いたような梅雨明けとなるだろう。

 5限の調査実習は最後の班である音楽班の中間報告。面白さの水脈を求めて何本も井戸を掘っている。二、三本、脈のありそうな井戸がある。そして面白さの水脈は、たぶん、他の班が探し当てた水脈と地下で繋がっている。小説班、映画・TVドラマ班、ブログ班、広告班、音楽班・・・・、それぞれの班が独自に行ってきた地質調査が1つのプロジェクトとして統合されていくかどうか、それが見所である。たとえば村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』や『海辺のカフカ』の読者は、同時並行的に展開していく2つの物語が一体最後にどうやって出会うのだろうかとワクワクしながら頁をめくっていくわけだが、それと似たようなプロセスをわれわれは辿ることができるだろうか。「人生の物語」という大陸を行く5つの調査隊が出会う約束の地はどこにあるのだろうか。To be continued.