フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年4月(後半)

2005-04-30 23:59:59 | Weblog

4.16(土)

 お昼休みを間に挟んで2限と3限で90分フルにしゃべる講義科目が2つ続くというのはけっこうしんどいものがある。特に今日は寝不足気味だったこともあり、3限の授業を終えて研究室に戻るとどっと疲れが出て、そのまま眠りたい気分だったが、面談に来た学生の相手をしていているうちにしだいに眠気が覚め、その後は夕方まで昨日発覚した問題の事後処理にあたる。

 フォークシンガーの高田渡が死んだ。公演先の釧路の病院で。56歳だった。なんだ、私と5つしか違わないじゃないか。山之口貘の詩に彼が曲を付けた「生活の柄」という歌を、授業で流したことがあった。いい歌だった。私だけではなくて、何人もの学生がそう言っていた。

 『山之口貘詩文集』(講談社文芸文庫)をパラパラとやっていたら、「自己紹介」という短い詩を見つけた。一昨日と昨日、3つの演習でたくさんの自己紹介を聞いたばかりなので、目に止まったのだろう。

 

 自己紹介

 

 ここに寄り集まつた諸氏よ

 先ほどから諸氏の位置について考へているうちに

 考へてゐる僕の姿に僕は気づいたのであります

 

 僕ですか?

 これはまことに自惚れるやうですが

 びんぼうなのであります

 

4.17(日)

 大学院の演習、卒論演習、調査実習、二文の基礎演習それぞれの年間スケジュールを立てる(3つの講義科目の方のスケジュールはすでに立ててある)。所詮は絵に描いた餅。途中で、変更・修正を余儀なくされることはわかっているが、それでも、できあがった美しいスケジュール表をながめていると気持がいい。夏休みの計画表を完成させた小学生のような気分である。夜、ハードディスクに録っておいた2つのTVドラマ、草彅剛主演『恋におちたら』と矢田亜希子主演『夢で逢いましょう』の初回をみる。前者は最終回までつきあうことになるだろう。後者は思案中(父娘ものというテーマ設定についてはひとまずおくとして、山田優や上原美佐という伸び盛りの若くて魅力的な女優を脇役に配すると、矢田亜希子の魅力を相対的に低下させて損なのではないか、少なくとも、矢田亜希子に失礼ではないかと彼女のファンとしては思ってしまうわけです)。

 

4.18(月)

最近、朝早く目が覚める。昨夜は午前3時の就寝だったのにもかかわらず、今朝は6時半に目が覚めてしまった。当然、寝不足であるが、いったん目が覚めてしまうと二度寝は困難で、起きて、机に向かって、パソコンを起動する習性がある。朝食は起床から1~2時間後くらいに食べることが多い。午前中にまとまった仕事ができるのはいいのだが、なんとなく寝不足気味で一日を送る羽目になる。月曜日は大学には出ない日なのだが、そうもいっていられない事情があり、昼から出かける。研究室に2台あるパソコンのうちの1台のソフトの調子が悪いので、リカバリーCDを使って全部のソフトを再インストールする。ハードディスクの初期化を行っているときに、40%くらいを初期化したところで、パソコンが動かなくなってしまったときは冷や汗をかいた。神様に祈りながらもう一度最初からやり直したら、今度は最後まで行ってくれた。生協文学部店で西條剛央『構造構成主義とは何か 次世代人間科学の原理』(北大路書房)、ストラウス『鏡と仮面 アイデンティティの社会心理学』(ミネルヴァ書房)、縮刷版『社会学事典』(弘文堂)を購入。帰路、丸善に寄って、竹内洋『立身出世主義〔増補版〕近代日本のロマンと欲望』(世界思想社)を購入。夜、木村拓哉主演TVドラマ『エンジン』の初回をみる。うん、これは見切るべきドラマだ。『グッドラック』、『プライド』とこのところの彼はまったく脚本に恵まれていない。『僕の生きる道』、『僕と彼女と彼女の生きる道』の草彅剛とは実に対照的だ。そして木村拓哉の不幸はあんなドラマでも視聴率が取れてしまうことにある。

 

4.19(火)

 火曜日は会議の日。今日は3つ。一文の社会学専修の会議、二文の社会・人間系専修の会議、そして教授会。教授会では新任の助手さんたちが紹介された。20人ほどの方がずらりと並んだところはなかなか壮観だったが、何人か欠席の人がいて、その専修の教員たちは「どうしたんだろう?」と顔を見合わせていた。もし忘れているのだとしたら、かなりの大物である。助手の紹介に先だって新任の教員の紹介があり、作家の北村薫さんの姿もあった。私より5歳年長だが、お若く見えた。夜、天海祐希主演のTVドラマ『離婚弁護士Ⅱ』の初回をみた。コミカルな作りで面白かった。これでライバル弁護士役の瀬戸朝香がもうちょっとシャープな印象だといいのだが・・・・。

 

4.20(水)

 自宅で仕事。昼飯を食べながら、昨夜ハードディスクに録っておいた稲森いずみ主演のTVドラマ『曲がり角の彼女』の初回をみる。稲森が実年齢と同じ33歳のOLを演じている。30代前半というのは女性が一番美しい年齢である、というのが私の持論なのだが、もう時間が遅いし(午前3時半になろうとしている)、その理由については書かずに寝ることにする。

 

4.21(木)

 昼間、研究室にK氏という人から電話があった。最初、誰だかわからなかったが、話を聞いているうちに思い出した。20数年前、私がまだ大学院の博士課程に在籍していた頃、M先生の調査実習で山梨県の西南湖(ニシナンゴ)という村落の調査をしたことがあって、私も一緒についていって勉強させてもらったのだが、K君(もうK氏からK君になっている)はそのときの20名の学生の一人だった。現在、テレビ大阪で報道の仕事をされているとのこと。で、電話の用件は、6月に調査実習クラスの同窓会をやりたいので出席してもらえますかという話。もちろん喜んで、とお答えする。当時の学生20名は全国に散らばっているが、にもかかわらず、15名ほどが出席できる見込みとのこと。卒業後20年でのこのまとまりはすごい。ちなみにK君の奥さんは同じ調査実習クラスのNさんで、私の記憶の中では二人はいつも一緒に文学部のスロープを歩いていたのである。

 

4.22(金)

 3限の大学院の演習は私が「自伝の弁明」という題目で講義。明治40年前後の生まれの8人の自伝的著作を取り上げて(清水幾太郎、湯川秀樹、宮本常一、亀井勝一郎、高見順、太宰治、淡谷のり子、水谷八重子、円地文子)、人が自分の人生を世間に向かって語る(出版する)ときの弁明の仕方というものについて考えた。自分の人生を語りたいという誘惑とそれは恥ずかしいこと(あるいは、はしたないこと)であるという躊躇との間で、多くの自伝の著者は「はじめに」や「おわりに」の中で、あるいは本文の冒頭で、なぜ自分の人生を語るのかについての弁明を行っている。その弁明の内容、語り口に着目することで、自分の人生について語るという行為の意味が明らかになるだろうというのが講義のねらいである。資料を準備するのにかなりの時間を費やした。私の場合、いや、多くの教員もそうではないかと思うが、受講生の人数と授業の準備に要する時間というのは反比例するのである。少人数の授業(私の大学院の演習は7名)ほど、授業が双方向的になり、いろいろな方向に展開する可能性を秘めているので、こちらとしてもいろいろな方向に展開できる下準備をしておかないとならないからだ。結果的に、授業で実際に展開される内容は、準備した内容の一部でしかなくなるのだが、日の目を見なかった内容は私自身の養分として蓄積されるからそれはそれで構わないのである。

 5限の調査実習では今後のグループ研究のためのグループを決めた。ポピュラーカルチャーの中に見られる「人生の物語」(その社会で支配的な「人生の語り方」)の分析を行っていくにあたり、「映画・TVドラマ」「小説・人生論」「音楽」「ブログ」「商品のキャッチコピー」という5つを対象領域として設定し、各自が所属するグループを決めてもらった。当初、「映画・TVドラマ」と「キャッチコピー」に人気が集中したが、そこはみなさん大人であるから、若干の調整の結果(授業を30分ほど延長しましたけどね)、最終的に各領域に満遍なく人員が配置された。グループの班長も決めてもらったが、女子が3人、男子が2人であった。これだけみると事情を知らない方は「リーダーシップのある女性が増えてきたんだな」と思うかも知れないが、むしろ要因は人口学的変数にあるのであって、受講生27名の男女比は7:20なのである。したがってジャンケンとかあみだ籤とかで班長を選ぶと、74%の確率で女性が班長になるのである。したがって5班のうち3班で女性が班長というのは、むしろ期待値よりも低い(60%)のである。これは班長がランダムに決まったのではなく、「班長は男子」という古風な規範を学生たちがまだいくらか引きずっているためと考えられる。こういう何気ないところにも「人生の物語」の形成要因は存在するのである。

 

4.23(土)

 土曜日に授業が入っていると言うと、「大変ですね」と言われることが多い。週休二日制が定着した現代では、土曜日に働くというのは休日出勤のような印象を与えるのだろう。実際、国立大学(正しくは独立法人だが)には土曜日の授業はない。しかし早稲田大学文学部のようにやたらに科目の多い大学では、土曜日にも科目を配置しないと立ちゆかないのである。それに、学生はどう思っているか知らないが、私自身は土曜日に授業をすることは苦にならない。第一に、通勤の電車が空いている。第二に、キャンパスの空気が平日よりものんびりしている。第三に、大変じゃないのに「大変ですね」と言ってもらえて何だか得をしている感じがする。2限と3限、2つの講義を済ませた後、卒業生のT君が来室。一橋大学の木村元教授が編者の『人口と教育の動態史―1930年代の教育と社会』(多賀出版)という600数十頁もある分厚い新刊書を頂戴する。目次を見ると、T君が相当の分量を書いている。たぶん去年はこれにかかりきりだったのであろう。今年はいよいよ博士論文に取りかかる予定とのこと。週6、7コマの非常勤講師の仕事をこなしながらの執筆は大変だと思うが、頑張ってほしい。「カフェ・ゴトー」は、土曜日のせいだろうか、普段より混んでいて、われわれは最初二人用の小さなテーブルに座ったのだが、途中で大きめのテーブルが空いて、そちらに案内された。苺のタルトと紅茶。一足早い初夏の香りがした。

 

4.24(日)

 今日、学生部学生生活課に以下のようなメールを出した。

 

担当者殿

文学部の教員の大久保孝治です。

毎年、調査実習でセミナーハウスを利用させていただいております。今年も前期試験終了直後の7月30日、31日、8月1日の2泊3日で鴨川ないし軽井沢のセミナーハウスの利用を申請する予定でおります。ただ、利用できるかどうかは抽選の結果(6月10日発表)しだいですので、毎回その時期はハラハラいたします(一作年度は当たりましたが、昨年度は外れました)。

窓口で伺ったことろでは、抽選にあたっては、授業での利用もサークルその他の利用も区別されないそうですが、「セミナー・ハウス」と言う名称の趣旨からすれば、授業(ゼミ)での利用が優先されてしかるべきではないかという思いがいつもいたします。

学期中に合宿を行いますと、学生たちに他の授業を欠席することを強要することになり、自分が担当している授業を合宿のために休講にするのとは違って、補講という処置もありません。ですので、私はいつも合宿は試験期間終了直後(夏期休暇あるいは冬期休暇に入った直後)に実施しているのですが、抽選という不確実な要素のため、授業計画が頓挫するリスクがいつもあります。

抽選結果の発表は6月10日ですが、申請の締切が5月20日であることを考えると、もう少し早くに発表していだけないものかとも思います。抽選に外れた場合、ただちに代替の施設を探し、申し込まないとならないわけで、そのためには一日でも早く結果がわかるとありがたいのです。セミナーハウスの抽選に外れ、しかし、他の安価に利用できる施設はすでに予約でいっぱいというのがわれわれが一番避けたい事態です。

今後のこともありますので、(1)セミナーハウス利用の授業優先の件、(2)抽選結果の発表時期を早める件、どうかご検討いただきたくお願い申し上げます。

 

4.25(月)

 学生生活課の方から昨日のメールへの返信をいただく。お忙しいところありがとうございました。概ね了解いたしました。

 明日、文化構想学部のある論系の準備委員会があり、私も出席するのだが、いつも非常に長時間の会議になるので、私なりに論点を整理した意見表明のメールを準備委員会のメンバーに前もって出しておくことにした。長い、長いメールになった。文化を構想する前に、まずは自分が所属するであろう論系を構想しなければならない。そのメールを書きながら、なんだが維新の志士のような気分になった。

 居間の室内ホンがピンポンとなった。私は階下の両親からのものと勘違いして、受話器に向かって「なんだい?」と言ってしまったが、それは玄関で新聞の集金人が鳴らしたものだった。いや、失礼しましたと言いながら、玄関に出て、今月の新聞代を支払う。失礼ついでに「何か展覧会のチケットはありませんか?」と図々しく尋ねる。ものは言ってみるもので、鞄からいろいろな催し物のチケットが出てきた。でも、一種類2枚だけということだったので、損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「魅惑の17-19世紀フランス絵画展(南仏モンペリエ ファーブル美術館蔵)」のチケット2枚を頂戴することにした。モンペリエは社会学の祖といわれるオーギュスト・コントの生地である。もっともそのことのためにこのチケットを所望したのではなく、チケットに描かれたギュスターヴ・クールベの「出会い、こんにちはクールベさん」(1854年)という絵が昔から好きだったのと、東郷青児美術館(新宿の損保ジャパンビルの42階にある)にまだ行ったことがなかったからだ。天気のいい日に行ってみることにしよう。

 JR福知山線の列車脱線事故のニュースを見たり、読んだりしていて、印象に残ったことを2つ。第一、「笑っていいとも」の放送中、何度も画面にニュース速報の文字が出て、その度に死者の数が増えていったが、番組は中断されることはなく、いつもと同じ笑いやギャグが展開されていた。溢れる笑いと増加する死者の数値。何かの我慢大会を見ているようであった。第二、脱線事故の直前、JR西日本の指令室はオーバーランで生じた電車の遅れについて運転士を2度無線で呼び出したにもかかわらず、運転士はそれに応答しなかったという。運転士は遅れを取り戻そうと制限速度よりも速い速度で運転していた可能性が強まっているが、JR西日本は「遅れを回復するよう、指令所からは指示していない」としている。この2つの事実は明らかに矛盾している。コミュニケーションには言語的なもの(バーバル・コミュニケーション)と非言語的なもの(ノン・バーバル・コミュニケーション)の2種類がある。われわれの生活において言語的なコミュニケーションはコミュニケーション全体の一部に過ぎず、大部分は非言語的なコミュニケーションなのである。運転士が応答しなかったという指令所からの2度の無線は、「電車が遅れているが、一体どうしたんだ。至急、遅れを回復せよ」というメッセージとして運転士に伝わっていたことは明らかである。言葉でストレートに指示していないから指示はしていないのだという考えは間違っている。フジテレビはニュースの速報性よりも視聴率を優先し、JR西日本は安全運転よりも時間厳守を優先したのである。

 

4.26(火)

 午後、戸山図書館運営委員会と文化構想学部関連の委員会。会議中、突然の雷雨。窓の外をしばし眺める。しかし、会議の方も波乱含みの展開で目が離せない。由良のとをわたる舟人かぢをたえ行方もしらぬ故意(恋)の道かな。夜、高田馬場の「AND TOKYO」で卒論ゼミのコンパ。この時期、彼らの話題の中心は就活である。一人だけ、卒論におけるオリジナリティの問題で悩んでいる学生がいたので、「どんなに多くの人がすでに論じている問題であっても、あなたがその問題と取り組むという事態は、史上初めてのことなのだ」とアドバイスをする。

 

4.27(水)

 H君から関東地方と東北地方の境目付近にある大学にこの4月から専任講師として就職することになりましたという葉書が届いた。H君は私が早稲田大学で最初に教えた学生の一人で、今年で31歳になる。さっそくお祝いのメールを出したら、すぐに返信のメールがあって、「実は、婚約もしました」と書かれていた(婚約が先で、その後で急に就職が決まったのだという)。もしかして、実は、もうすぐ父親にもなります、って言うんじゃないだろうな。それにしても、定職と婚約者とを同時に手に入れるなんて、この幸せ者が! T君(H君の同級生)、どう思います? でもね、もしかしたらこれがH君の人生のピークかもしれない(笑)。ちなみに彼が就職した大学のホームページの教員紹介に載っているH君の頁を覗いてみたら、〈受験生へのメッセージ〉として「後悔しない人生を送ろう!」と書いてあった。あ、熱い! は、恥ずかしい! 私は早々にその頁を閉じたのであった。

 

4.28(木)

 夏日の一日。ジャケットを着て家を出たものの、ホームで電車を待っているときには脱いで肩に担いでいた。このまま夏休みに突入するのだったらどんなにか素晴らしいだろう。5限の卒論演習では4人の学生が報告。これで春休み中の進捗状況の報告は全員(12名)が終了。連休明けから本格的な報告(毎回2人ずつ)が始まる。各自の報告内容については「講義記録」にアップロードしていく予定。7限の社会・人間系基礎演習4は3回にわたる社会学入門講義が今日で終わり、連休明けからテキスト(ギデンズ『社会学』)を使った講義とグループ発表に入る。全員(33名)ワセダネットのアドレスを取得したが、今日の時点で、クラスのBBSにまだ書き込みができない者が4名、私が出したメールに対して返信がない(メールを開いていないか、返信の仕方がわからない)者が14名いる。BBSとワセダネットの使い方について再度説明する。とにかく連休明けまでに全員がこれらのコミュニケーション・ツールを使えるようになることが、基礎演習を運営していく上での最初の課題である。ここをちゃんとやっておかないと、クラスやグループの活動から孤立する学生が出てしまう。ちなみに今日、自分がチューターを担当する2年生4名の名簿を事務所から渡されたが、その中の一人はいまだにワセダネットのメールアドレスを取得していない。学生にはメールで連絡をお取り下さるようお願いしますと書類に書いてあるが、メールアドレスのない学生にどうやってメールを出したらよいのだろう。

 

4.29(金)

 ゴールデンウィークが始まった。今日も夏日である。まるで夏休みが始まったような錯覚を覚える。ウチはまだ衣替えをしていないので、着る物に困る。しかたがないので半袖のアンダーシャツ一枚で机に向かっていた。例年のことだが、ゴールデンウィークはたいてい自宅で過ごす。何処へ行っても混んでいる時期にわざわざ外出などするものではない。というのは半分強がりで、実際は、連休中に片付けねばならない仕事(本当はもっと早く片付けねばならなかった仕事)が山積しているのである。片付けても片付けても山はなかなか低くならないが、片付けるのを止めると山は確実に高くなるのである。要するに仕事を片付けるペースと新しい仕事が入ってくるペースが同じなのである。よって仕事の山は一種の定数のようにそこに存在し続けるのである。山を低くしたかったら、驚異的なペースで仕事を片付けるか、新しい仕事が入ってくるのを止めるしかないが、そんな無理をしてまで山を低くすることもあるまい。「そこに山があるから登るのだ」とエドモンド・ヒラリーは言った。「飛ばねぇ豚はただの豚だ」と『紅の豚』の主人公は言った(関係ないがちょっと引いてみたかった)。ベランダに腰を下ろして初夏の空を見上げる。

 

4.30(土)

 連休の谷間であるが、休講にはしない。休みたい学生が休めばよいだけのことである。2限と3限の講義を終えて、帰りがけに生協文学部店に立ち寄ると、草野先生がいらしたので、先日頂戴したフレーバーティー(神楽坂にある「Janat」というお店の品)のお礼を申し上げる。片腕に本を5、6冊抱えておられ、「連休中に読む本を物色中なんです」と言いながら、その中から1冊を抜き出して、「これなんかいかがですか?」と私に手渡してくれたのは、J.M.クッツェーの小説『恥辱』(早川書房)だった。タイトルは何やらフランス書院文庫あたりの官能小説みたいだが、クッツェーと言えばノーベル文学賞作家だし、本書も彼自身二度目となるブッカー賞受賞作である。読み応えのある作品に違いない。帯に「52歳。大学教授。離婚歴2回。中年男がたどる悔恨と審判の日々。」と印刷されている。「離婚歴2回」以外はまるで自分のことのようである。せっかくの草野先生のお薦めなので購入することにした。他に、K.J.ガーゲン『社会構成主義の理論と実践』(ナカニシヤ書店)、坂本佳鶴恵『アイデンティティの権力』(新曜社)、細辻恵子『揺らぐ社会の女性と子ども』(世界思想社)、鈴木邦男『新右翼(改訂増補版)』(彩流社)、芦原由起夫『東京アーカイブス』(山海堂)、『伊丹十三の本』(新潮社)などを購入。店内にはモーツァルトのピアノ協奏曲20番が流れていて、心地よい緊張感があった。


2005年4月(前半)

2005-04-15 23:59:59 | Weblog

4.1(金)

 午後、読書会。今日は入学式でキャンパスは大変な人出だった。新年度の私の最初の授業まであと2週間だ。もう2週間しかないのか・・・・。昔々、私が子どもの頃、NHKのTVドラマで『不思議な少年』(原作:手塚治虫)というのがあった。後に小僧寿司チェーンの社長になった太田博之演じる主人公の少年が「時間よ止まれ!」と叫ぶと、周囲の時間が止まってしまうのだ(役者たちがストップモーションになり、少年だけが動けるという状況)。当時、そのドラマを見ていた子どもたちは、いや、大人たちも、それを盛んに真似て、何かにつけて「時間よ止まれ!」と言っていたような気がする。ちょうどいまのわれわれが「間違いない!」とか「残念!」とか言うような調子で。言われた人がノリのいい人であれば、ストップモーションになってくれたりするわけです。そんなことをふいに思い出しながら、人混みのキャンパスで、「時間よ止まれ!」と呟いてみた。すると、驚いたことに、わずか5秒ほどの時間ではあったが、周囲のすべてが動きを止めたのだった。誰も信じてはくれないと思うが、これは本当の話である。だから、いまみなさんの生きている世界は、私の目から見ると、「5秒遅れた世界」なのである。読書会の後、「太公望」で食事。

 

4.2(土)

 急な、しかし、短時間で済む用件のために大学へ出かける。生協文学部店で村上春樹『象の消滅』(新潮社)を購入し、食事に出る。『象の消滅』はアメリカのクノップ社から1993年に出版された短篇小説集“The Elephant Vanishes”の日本語版である。17篇の収録作品も配列もオリジナルのままであるが、冒頭に当時の編集者で現在はクノップ社の副社長であるゲイリー・L・フィスケットジョンの「刊行に寄せて」と、村上自身が全米デビューの経緯を書いた「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」が載っているので、「五郎八」で揚げ茄子のみぞれおろしうどんをすすりながら、「フェニックス」で珈琲を飲みながら、それらにまず目を通した。

 1990年の夏に、僕の短篇小説『TVピープル』が、アルフレッド・バーンバウムの訳で「ニューヨーカー」(9月10日号)に掲載されると決まったところから話は始まる。今からもう十五年も前のことになるが、僕はその知らせを聞いて、ずいぶんびっくりしてしまった。というのは、僕にとって「ニューヨーカー」という雑誌は、長いあいだにわたって、ほとんど伝説か神話に近い「聖域」に属するものであったからだ。そんなところに僕の書いた小説が載る・・・・と思うと、そんな涼しい顔はしていられない。・・・・(中略)・・・・ほかの人にとってはそんなの大したことではないのかもしれないけれど、僕にとっては、おおげさに言えば、「月面を歩く」のと同じくらいすごいことだった。どんな文学賞をもらうよりも嬉しかったーと言えば、その嬉しさの一端は理解していただけるかもしれない。・・・・(中略)・・・・93年の初めに「ニューヨーカー」から、うち優先契約を結んでくれないかという申し出があった。つまり作品が書き上がったら、まず最初に「ニューヨーカー」に持っていかなくてはならない。それが首尾よく採用になったら、そのまま「ニューヨーカー」に掲載される。もし不幸にして採用にならなかったら、そのときはどこかの雑誌に持っていってもかまわない、というきわめてシンプルな契約である。「ニューヨーカー」の稿料は、ほかのアメリカの雑誌に比べてもかなり高額だから、僕としては「ニューヨーカー」を優先することに異論はまったくないのだが、しかしー縦横十センチくらいの大きな太い活字でしかしと書きたいのだが、大事なのは稿料ではない。「ニューヨーカー」と優先契約を結ぶというのは、すなわち「ニューヨーカー作家」の列に加えられるということなのだ。それが何よりも何よりも重要な意味を持つことである。もちろん僕は即座にその契約にサインした。

 村上がこれほど正直に自身の立身出世志向を吐露するのも珍しい。松井秀喜にとっての「ニューヨーク・ヤンキース」は村上春樹にとっての「ニューヨーカー」である。優れたスポーツ選手が世界の檜舞台で活躍することを目指すように、優れた作家も世界のマーケットで自分の実力を試したいものなのだろうか。・・・・そんなことを考えながら珈琲を飲んでいたら、いましがた大学院の社会学専攻の新入生ガイダンスを受けてきたばかりの1年生3人が入ってきて、私に気づき、よろしくお願いしますと挨拶をされる。3人とも晴れやかな顔をしている。前途にひとかけらの不安も感じていない風である。人生でそうめったにない高揚した時間の中に彼らはいるのだろうと思った。

 道場親信さんから新著『占領と平和 〈戦後〉という経験』(青土社)を頂戴する。雑誌『現代思想』(青土社)にこれまでに発表された緒論に大幅に加筆・修正を施してまとめあげた浩瀚な(730頁!)書物である。

 本書にかかった作業の期間、ほかのことはほとんど何もできなかった。いま「あとがき」を書き終えつつあって、やっと「人間の世界」に帰ってきた気がする。ものを書くということは、「人間の世界」から切り離されて、ぐっと内側にエネルギーをむかわせていかないとできない作業である。

 道場さんとは一昨年、『社会学年誌』の特集「社会学者と社会」で一緒に仕事をしたが(私が清水幾太郎論を書き、彼が新明正道論を書いた)。書くスピードはそんなに速くはないが、持続力が人並み外れている。「ほかのことはほとんど何もできなかった」というのはレトリックではなく、事実なのだろうと思う。完成おめでとうございます。大学院の演習の参考文献のリストに加えさせていいただきます。ところで道場さん、書名と表紙の写真は小熊英二の『〈民主〉と〈愛国〉』(草思社)を意識してますよね? 

 夕方まで研究室の片付け。不用になった資料をかたっぱしからゴミ箱に運ぶ。机の上がきれいになっていくのは気持がいい。

 

4.3(日)

 昨年3月刊行の『社会学年誌』45号に載った拙稿「清水幾太郎の『内灘』」をホームページにアップする。『社会学年誌』に掲載された論文は、著作権は著者本人にあるのだが、第一次刊行権は早稲田社会学会が有するため、著者によるホームページへの掲載は翌年の4月1日まで待たねばならないのである。また、『社会学年誌』の版下そのものをPDF化することは禁じられているので、今回、ホームページにアップしたのはワードで作成した原稿のPDF版である。

 調査実習の報告書のタイトルは「戦後日本の人生問題とライフストーリー」に決定。これが目次である。

 

4.4(月)

 午後、大学。調査実習の報告書の件で印刷所の人と打ち合わせ。それを済ませてから、ギデンズ『社会学』を持って、「シャノアール」に遅い昼食をとりにいく。タマゴトーストと珈琲。しかし、すぐにこの選択はよくなかったことに気づく。本に書き込みをしながら片手でタマゴトーストを食べていると、タマゴトーストの中身、つまりマヨネーズで和えたゆでタマゴがぽろぽろとこぼれ落ちるのである。そうならないためには両手でしっかりと持って食べなくてはならないのだが、そうすると、本に書き込みをすることができない。しかたがないので、とりあえず食べる方に専念したのだが、情けないことに、両手でしっかりと持って食べているにもかかわらず、タマゴがぽろぽろとこれぼ落ちるのである。これは私の食べ方が下手なためではなく、少なくともそのためだけではなく、タマゴトーストというものが宿命的に持っている構造的欠陥のためである。床に落ちたタマゴはいかんともしがたいが、皿にこぼれたタマゴはフォークで拾って食べることができる。しかし、そういう事態が想定されていないのか、タマゴトーストにはフォークが付いてこない。フロアー係に言って、フォークをもってきてもらうこともできたのだが、ちょうど読んでいたのが10章「階級、社会成層、不平等」のところだったこともあって、フロアー係に余計な労働をさせてしまうことにためらいを感じ、結局、指でつまんで食べたのだが、指先がベタベタして、それを拭くためにテーブルの上のナプキンを大量に使用することになってしまい、なんという資源の無駄遣いかと知識階級的自己嫌悪に陥ったしまった。本日の教訓。本に書き込みをしながら食べるときはシンプルなトーストを注文すべし。

夜、自宅の湯船に浸かっているときに、突然、報告書のサイズがB5判であることを担当者に伝えていなかったことに思い至り(手渡した印字原稿はA4判だが印刷の際にB5判に縮小してもらわねばならいないのだ)、あわてて風呂から上がり、印刷所に電話を入れる。幸い担当者に話が通じ、事なきを得た。アルキメデスが「エウレカ(わかった)!」と叫んで湯船から飛び出した話は有名だが、ギリシャ語で「しまった!」は何というのだろうか。今度、宮城先生に教えてもらおう。

 

4.5(火)

 午後、大学。教員ロビーで宮城先生を見かけたので、「ギリシャ語で『しまった!』は何と言うのですか」と質問したら、宮城先生も知らなかった。宮城先生でも知らないことがあるということがわかった(エウレカ!)。

教授会の後、ホルスタインとグブリアムの『アクティヴ・インタビュー』(せりか書房)を持って、「シャノアール」に行く。昨日の教訓を生かすべく、トーストと珈琲を注文する。バターを塗っただけのシンプルなトーストは、左手に本を持ち、右手を使って食べるのに向いている。一見、何の問題もないように思えるが、「シャノアール」のトーストにはやはり固有の問題があるのである。それはトーストと一緒に出てくるイチゴジャムとマーマレードの処遇の問題である。この2つはそれぞれ一回分使い切りの小さな密閉容器に入れられて出てくる。私は溶けたバターの染みこんだ厚切りトーストには卓上の食塩をふって食べるのが一番美味しいと思う。しかし、そうするとジャムとマーマレードはどういうことになるのか。回収されて後のお客に出されるのだろうか。いや、たぶんそのまま廃棄処分になるのではなかろうか。それはもったいないし、ジャムやマーマレードの身になって考えると(どうしても考えてしまうのだ)かわいそうな気がする。そこでどうするかというと、2切れのトーストのうち1切れは食塩をふって食べ、もう一切れはイチゴジャムかマーマレードのどちらかを塗って食べることが多い。事実、今日もそのようにした。イチゴジャムかマーマレードかはその日の気分で決めるが、今日はイチゴジャム的気分だった。イチゴジャム的気分とマーマレード的気分は似て非なるもので、私の内部では両者の違いは歴然としているのだが、その説明は省略する。しかし、このように対応しても、結局、どちらか1つは残ってしまう。哀れさはかえってきわだつように思える。考えてみて欲しい。2匹の捨て猫のうちの1匹を抱き上げて、残った1匹に、「ごめんね、2匹は飼えないんだ」と言って立ち去ることができるだろうか。私には無理だ。一度、思い切って、1切れのトーストにイチゴジャムとマーマレードを両方塗って食べみたが、それぞれの長所が打ち消し合って美味しくはなかった。よって、残された道は残った1つをポケットに入れて持ち帰るというものだが、ところが「シャノアール」ではトーストを食べ終わって客が珈琲を飲んでいる段階で、トーストの皿とイチゴジャムおよびマーマレードの容器を回収してしまうのだ。そのとき「あっ、待って。マーマレードは持ち帰るから」と言えるかというと、なかなか言えるものではない。回収される前にポケットに入れてしまうという手もあるが、回収に来たフロアー係に「あら? マーマレードの容器がないわ。どうしたのかしら?」と思われるのがいやである。だったら最初の注文のときに、「イチゴジャムとマーマレードはいりません」と言えばいいのだが、いかにも「私はエコロジー運動の活動家です」みたいな感じで恥ずかしい。というわけで、「シャノアール」のトースト問題はなかなか奥が深いのである。

 

4.6(水)

 朝、目覚めて、風邪を引いていることに気がつく。喉の腫れと首・肩の筋肉痛、若干の寒気、そして鼻水(右だけ)である。予定していた作業は中止にして、昼過ぎまで眠る。疲れがたまっていたらしく、いくらでも眠れる。遅い昼食をとり、近所の内科医院に行って、抗生物質を出してもらう。

 散歩がてら(風邪気味ではあるが、散歩をしないとストレスがたまって体によくない)東口の中古パソコンショップに行き、1枚25円のCD-Rを200枚購入。調査実習のインタビュー記録(A4で400頁超)をこれに収めて報告書の付録にするためである。200枚で5000円。ソフトケースが200枚で1000円。合計6000円なり。もし印刷して報告書のレポート部分と合体して製本したら60万円余計にかかるから、それが100分の1の出費で済んだ計算になる。ただし、これから200枚のCDにデータを記録する作業が待っているのであるが。

帰路、復活書房でイアン・マキューアン『アムステルダム』(新潮クレスト・ブックス)、芥川龍之介の短編集『羅生門、蜘蛛の糸、杜子春外十八篇』(文春文庫)を、ブックオフで『電車男』(新潮社)を購入。リサイクル本屋で新潮クレスト・ブックスを見つけたときはとりあえず購入することにしている。『アムステルダム』は98年度のブッカー賞受賞作品。芥川の短編集を購入したのは、ジェイ・ルービンがペンギン社から芥川の18の短篇を新訳してペンギン社から出版する話を聞いたから。こちらは21篇だが、おそらく収録作品の異動は少ないはずだ。『電車男』は話題になっている本なので資料として購入。北田暁大が近著『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)の中で、『電車男』についてこんなことを書いていた。

 重要なのは、一般に皮肉屋と思われている2ちゃんねらー(2ちゃんねるへの投稿者)たちが、セカチュー真っ青の感動物を作ってしまったということである。(中略)この『電車男』が売れているということは、私たちの感動の方法論が、2ちゃんねる的になりつつあることを示しているとはいえないだろうか。ストーリーへの感動ではなく、電車男の苦闘に2ちゃんねらーとして立ち会ったことへの感動、感動できる状況、匿名の内輪の仲間たちと作り出したことに対する自己言及的な感動である。それは「感動は作られる」ことを知悉しつつ感動してみせる、というどこか皮肉な振舞いといえる。お仕着せの感動物語を嗤いつつも、感動を求めずにはいられない皮肉な人たちへの逃げ場、それが『電車男』だったのではないか・・・・。

 皮肉でありながら感動を指向する、という対照的な態度が共存すること。現代の日本を見渡してみると、様々な局面において、同様のアンチノミー(二律背反)を観察することができる。(13頁)

 なるほどね。いわれてみると、そうかもしれない。北田は、こうしたアンチノミーの構造が90年代以降に顕在化してきた背景には、アイロニー的感性の構造転換があったのではないかと考える。では、それはどのような転換か。

 もう少し直截にいってしまおう。2ちゃんねるは、おそらくナンシー関が批判し続けた九〇年代的な純粋テレビ的シニシズムとその存立「構造」を共有化している。構造化されたアイロニズムと「感動」指向の共存、世界をネタとした「ツッこみ」=嗤いと「感動をありがとう」的感覚との共棲―純粋テレビの九〇年代的「転態」をさらに純化させたものが2ちゃんねるなのではないか、と私はそう考えている。八〇年代的な「無反省」への反省としての「抵抗としての反省」、それが2ちゃんねるに象徴的に現象した「ポスト八〇年代」の反省様式である。(196頁)

ふ~む。そういう図式か。その妥当性については要検討だが、調査実習の授業で本書を課題図書の1つに取り上げることにしよう。熊沢書店(ここはリサイクル本屋じゃなくて新刊本屋)で、新書と文庫の新刊を6冊購入。シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』(岩波文庫)、吉田裕『日本人の戦争観―戦後史のなかの変容』(岩波現代文庫)、内田隆三『社会学を学ぶ』(ちくま新書)、吉見俊哉『万博幻想―戦後政治の呪縛』(ちくま書房)、井崎正敏『ナショナリズムの練習問題』(羊泉社新書)、内藤高『明治の音―西洋人が聴いた近代日本』(中公新書)。

 夜、ふだんは見ない「銭形金太郎」というTV番組を、渡辺満里奈と名倉潤の婚約発表のためだけにみる。私は渡辺満里奈のファンで、彼女のホームページは「お気に入り」に登録しているくらいなのだが、鶴田真由、本上まなみ、そして渡辺満里奈と次々に意外な相手と結婚していく。きっと小雪もそうなるに違いない。もっとも、彼女たちを個人的に知っているわけではないのだから、結婚相手の男性が私にとって「意外な相手」なのはあたりまえなのかもしれないが。

 

4.7(木)

 午後、大学。昨日今日のぽかぽか陽気で文学部キャンパスの桜も一気に見頃を迎えている。スロープを上がった中庭から36号館へ通じる遊歩道は桜のトンネルだ。ブルーハーツの「旅人」という歌の中の♪桜のトンネルや悪魔の通り道~という一節を思い出し、そちらへ向かう用事はなくとも、つい歩いてみたくなる。

調査実習の報告書の版下(B5に縮小され、ノンブルが打たれている)が届く。いくつかミスを発見。その場で修正して校了とする。表紙の色は去年がもえぎ色だったので、今年はよもぎ色にする。一週間後に搬入の予定。

 生協文学部店は教科書を求める新入生で混んでいた。新刊コーナーで立ち読みをしていたら、カウンターのところで1年生が店員さんに「社会学基礎講義のAとBはどう違うのですが?」と質問している声が耳に入ってきた。それは生協のカウンターではなく、学部事務所ですべき質問ではなかろうかと思いつつ、よっぽど「私が社会学基礎講義を担当する大久保ですが、質問を承りましょう」としゃしゃり出ようかと思ったが、新入生を緊張させるのもどうかと思いとどまり、黙ってやりとりを聴いていた。店員さん曰く、「同じです」。単純にして明解な回答である。正解だが、多少の尾ひれをつけてくれてもいいのではないかと思った。たとえば、「内容は基本的に同じですが、旬の話題で彩りを添えようと努力されているようです」とか。

 今日のギテンズ『社会学』の読書会にはいつものEさん、Mさんに加えて、Kさんが飛び入り参加。2人が3人になったわけだから1.5倍だが、喧しさは3倍くらいになった。女性が3人で「姦しい」とはよくいったものである。読書会というよりも井戸端会議でほとんど私の出る幕なし。夜、「紅閣」で食事。

 

4.8(金)

 汗ばむほどの陽気だが、まだ風邪が抜けきっていない。午後、妻と本屋に行く。加山雄三『I AM MUSIC! 音楽的人生論』(講談社)を購入。立川直樹はこう書いている。

 加山雄三を知らない人はいない。

 一九六〇年代の初め、大学卒業と同時に映画界に入り、映画俳優として成功すると同時に、歌手としても数々のヒット曲を連発して、ヒーローの名をほしいままにした時代から現在まで、映画とテレビ、音楽の世界で活躍を続けてきた加山雄三。

 でも、その多方面にわたる活動と、非常に親しみやすく“いい人”というイメージが長く浸透してきたために、音楽家としての加山雄三の全貌が語られたり書かれたりすることはほとんどない。

 その通りである。昨年の社会学研究10の授業で1960年代の若者ソングを論じたとき、加山雄三の曲を3曲教室で流した。「君といつまでも」(1965)、「夜空の星」(1965)、「旅人よ」(1966)である。一人のミュージシャンに3曲というのは破格の扱いである(ボブ・ディランでも2曲である)。それだけ彼の曲というのは若者ソングの変遷をみていくときに重要な位置にある、と私は考えるのである。「君といつまでも」は60年代前半に一世を風靡した青春歌謡から貧しさと暗さと哀しみを除去した高度成長後期の青春歌謡である。「夜空の星」はエレキギターのサウンドが日本の若者たちの間に広まる契機となった曲である。「旅人よ」はカレッジ・フォークの源流ともいえる名曲である。さらに重要なことは、加山雄三というミュージシャンは自分で作った曲を自分で演奏して歌う「シンガー・ソングライター」の日本における草分けだということだ。このことはいくら強調しても強調しすぎることはない。若者が自分たちの心情や主張を音楽で表現するという行為様式を手に入れたのは、加山雄三という身近なモデルがあったからこそなのである。

 池上線に乗って、蒲田から2つ目の池上で降り、本門寺の桜を見物し、相模屋で葛餅を食べる。春の行事はこれで済ませた。いよいよ来週から授業である。

 

4.9(土)

 早稲田大学の学生は全員大学からwaseda-netのメールアドレスを付与されていて、大学からの連絡のメールはそのアドレスに届く。しかし、学生たちの間で必ずしもそのアドレスが活用されているとは限らない。今日、その調査を兼ねて、新年度の調査実習(社会学演習ⅢD)の学生27名にメールを送ってみたところ(私からのメールを受信したらその旨返信するように書いておいた)、30時間経過した時点で返信があったのは12名(44%)である。waseda-netにはメールの転送機能が付いているから、ふだんwaseda-netを使っていない人は自分が使っているメールアドレスへ転送設定(waseda-net portal→システムサービス→メール転送設定)しておいてくれるといいのだが(携帯へも転送可)、それもしていないようだ。同じことを二文の社会・人間系基礎演習4の学生33名(全員新入生)に試みようと思ったところ、まだメールアドレスを取得していない学生が16名(48%)もいるため、実験の意味がないのでやめた。初期IDと初期パスワードは入学時に配布されるのだが「新入生コンピューターセキュリティーセミナー」を受講しないとwaseda-netが利用できるようにならないのだ。大学・教員と学生とのコミュニケーションを成立させるための最初のハードルは、こちらが考えているよりも、新入生にとって高さのあるもののようだ。基礎演習の初回の授業でwaseda-netの使い方を説明しなければなるまい(去年もそうだった)。大学は基礎演習の担当教員にこの点を周知させる必要がある。

夜、『父、帰る』というロシア映画をDVDで観た。小津安二郎の『父ありき』を暴力的にしたような映画である。いろいろな謎が謎のままで終わる映画であるが、それもいいかなと思わせてしまうところが凄い。

 

4.10(日)

 昨夜は床に就いたのが遅かったのだが、今朝は早くから妹夫婦が車でやってきて両親を箱根の温泉に連れて行ってくれるので、寝ているわけにもいかず、眠い目をこすりながら彼らを玄関で見送り、二度寝をしたら昼過ぎまで寝てしまった。二度寝のいいところは、休日感を味わえることと、昼食(というか、池波正太郎風に言えば、第一食)の後、昼寝なしですぐに机に向かえることだ。全国家族調査(NFRJ-S01)の報告書の編集の最終段階の作業。今日明日で片付けなくてはならない仕事だ。背負っている荷物を全部下ろして、新学期の授業初日を迎えたい。

 昨日のメールの件だが、送信から48時間が経過した時点で、23名(85%)から返信があった。メールの返信は2日以内にというのが、世の中の一般的なルールらしいので、85%がセーフティラインに入っているというのは「まあ、いいかな」という感じである。残りはあと4名。15日の調査実習の初回の授業までに彼らからはたして返信はあるだろうか。

 

4.11(月)

 51歳の誕生日。というわけで今夜はすき焼きであった。私用の牛肉と他の家族用の牛肉は値段が違うのだと妻が言った。それはかたじけないことである。で、私用の牛肉の値段はいかほどなのかを尋ねたところ、100グラム1300円とのこと。せ、せんさんびゃくえん!もしかして屋内ならぬ家内新記録ではなかろうか。私は目の前の皿に盛られた私用の牛肉を見つめながら、「俺もここまで来たか」と成金的感慨に耽った。私がこどもの頃、すなわち昭和30年代、我が家のすき焼きは豚肉が使われていた。地域性とかの問題ではなく、家計の問題でそうだったのだと思う。それでもすき焼きはご馳走であったが、長じて後、初めて牛肉を使ったすき焼きを食べたときは、そのあまりの旨さに自分のこれまでの人生は何だったのかと思ったものである。以来、私には牛肉コンプレックスがあり、吉野家の牛丼のような安価なものであっても、牛肉というだけでありがたがるところがある。私は鍋の一画を私用の肉の場所と定め、目の前の息子に無言の圧力(ここの肉に手を出してはならぬ)を与えた。息子は伏し目がちに別の一画を自分用の100グラム800円の牛肉(これでも高校生にはもったいないくらいだ)の場所と定め、「ベツニウラヤマシクナンカナイモンネ」的虚勢を張っているように見えた。頃合いを見計らって、最初の一枚を口に運ぶ。う、うまい。この柔らかさ、この甘さは、確かに100グラム1300円の牛肉のものである。よくTVのグルメ番組で若い女のレポーターが「わー、お口の中で溶けちゃう!」と言っているが、もし私用の牛肉を佐藤珠緒が食べたらきっとそう言うだろうと思う。二枚目を鍋の所定の場所に投じて、それが煮えるまでの間、他の具材(ネギ、白滝、豆腐、春菊)を食す。ふだんは共通の牛肉をめぐる攻防戦の合間にせわしなく食べる具材だが、今日はゆったりとした気分でそれぞれの具材の味を噛みしめることができた。途中で、好奇心から息子とそれぞれの肉を一枚交換して食してみた。100グラム800円の牛肉も柔らかく甘みがあり、もしそれを最初から食べていたら十分満足に値するものであったと思うが、100グラム1300円の牛肉の味を知ってしまった舌には、口の中で溶ける感じがやや足りないと思った。その違いは息子にもわかったようで、「イマニミテイロボクダッテ」的決意を固めたようだった。

 

4.12(火)

 午後、大学。Aさんに来てもらって、調査実習の報告書の付録CDの作成。CDにデータを焼き付け、焼き付けの終わったCDをソフトケースに入れ、パソコンで作成した「ライフストーリー・インタビュー記録集(編集版)」と書かれたラベルをケースに貼って一丁上がり。Aさんが焼き付けを担当し、私がラベルの切り貼りを担当。内職のようである。ときどきCDドライブがエンストを起こすので、130枚まで作成し、残り70枚はAさんの自宅のパソコンで作成してもらうことになった。

 途中、会議が一件。初めて出る会議だったが、「O委員長と語る会」みたいだった。最後に次回以降の日程を決め、2時間半の会議が終わる。研究室にもどってメールをチェックすると、図書委員会の開催通知が届いていた。見ると、いましがた終わったばかりの会議の次回の日時と重なっている。会議が多いのは仕方ないが、それぞれの委員会が独自に日程を決めるのは困りものである。どこかしかるべき箇所で学内のさまざまな委員会の日程の調整をやってもらえないだろうか。図書委員会の方に出席のメールを返し、今日の委員会には次回は欠席しますとメールを出す。

 雨が降っていたので、夕食は文カフェでとる。鯖の竜田揚げ、大根とモツの煮込み、おから、ごはん(M)、杏仁豆腐をトレーに載せてレジにもっていく。締めて700円ちょっと。文カフェでの食事としては豪勢な部類に入るだろう。レジの女性が私を見て、あるいは私のトレーを見て、ニッコリしたのは、「A.彼女は私の授業をとっている学生だった」、「B.ずいぶんたくさん食べるのねと思われた」、「C.おじさんがデザートに杏仁豆腐をチョイスしているところがなんだかおかしかった(あるいはかわいかった)」、このうちのいずれかであろう。

 9時まで雑用をして、家路に着く。あゆみブックスで、北田暁大『〈意味〉への抗い メディテーションの文化政治学』(せりか書房)と斎藤貴男『安心のファシズム』(岩波新書)を購入。用心の雨傘花冷えつづくなり 貞

 

4.13(水)

 明日から担当科目の授業が始まる。今日は終日書斎に籠もって授業の準備(配付資料の作成)。夜、一文の調査実習と二文の基礎演習のクラスのBBSを開設する件で、TRC(戸山リサーチセンター)にメールで問い合わせをしたら、30分後くらいにスタッフのTさんから返信のメールがあって、しかもBBSの設置まで行ってくれていた。これ、午後11時前後の話である。私としては明日の午前中に何らかの返事がいただければありがたいと思って出したメールである。この迅速かつ丁寧な対応には感嘆した。一昨日の100グラム1300円の牛肉と同じくらい感嘆した。

ところで、返信のメールと言えば、4日前に出した調査実習の学生たちへのメールへの返信だが、今日、26人目の学生から返信があった。「自分が最後の一人でないことを祈るのみです」と書かれていたが、大丈夫、last but one です。

それから、これは余談だが、一昨日の牛肉の話を読んだ卒業生がいて、彼女はいまはある若手社会学者の妻となっているのだが、ご自分のブログにそのことを書き込み、今夜の我が家の夕食は100グラム95円の牛コマ肉で作った肉ジャガだと記していた。実は、一昨日のフィールドノートを書いているとき、このご夫婦のことが脳裏をかすめたのだ。この方のブログには定期的に「奥様ニコニコGoGoデー」というローカルな話題が登場し、そこで2キロ550円の鳥むね肉をゲットしたというようなことがそれはそれは嬉しそうに書かれているのである。世の中にはこういう人がいる、こういう人生の歓びというものもある。私はその度に静かな感動を覚えてきた。そういう方が100グラム1300円の牛肉の話を読まれたらどう思うだろうか。そのことを私は危惧したのだった。書くべきではない。慎ましく暮らしておられる市井の人々に対して、札束ならぬ霜降りの牛肉でその頬をペタペタと張るようなマネをしてはいけない。そう思った。しかし、結局、「肉欲」に負けて書いてしまった。私は罪深い人間です。

あっ、うっかり書き忘れるところであったが、今日、大学で記者会見があって、新学部開設の件がプレスリリースされたのだった。

 

4.14(木)

 6年前に社会学専修を卒業し、ジョージ・ワシントン大学の大学院を出て、いまはワシントンDCにある企業で働いているMさんがひさしぶりに里帰りをされていて、今日、研究室に顔を出してくれた。お土産はフランス人の旦那さんの伯父さんの経営するワイナリーのラベルの貼られた赤ワインである(私には猫に小判だ)。ちょうど自宅のPCで焼き付けをしたCD(調査報告書の付録)70枚を持ってきてくれたAさんと一緒に「高田牧舎」でお昼を食べる。AさんもMさんと同じく学部時代にアメリカの大学への留学経験があり、職業志向にも似たところがあるので、話の通じるところが多々あったようだ。2人とも小柄で、アメリカで洋服を買うことの苦労話でも盛り上がっていた。ちなみにMさんが里帰りされる目的の一つが洋服を買うことなのだそうだ。

 Mさんとはスロープのところで再会を約して握手で別れ、研究室に戻って、大学院の他専攻のドクター2年のUさんと面談。明日が初回の私の大学院の演習に参加させてもらってもよいかという相談で、「人生の物語」「ナラティブ」といったことに関心があるとのことなので、いいですよと答える。雑談をしていると、印刷所から調査実習の報告書200部が届いた。

 5限は卒論ゼミ。出席者10名(欠席者2名)。仮指導(昨年12月)以後の進捗状況について4名の学生に報告してもらう。来週、再来週もこの続き。本格的な報告はゴールデンウィークが明けてからだ。5月12日以降の報告(毎回2名)の順番を決めて、今日は終わり。

 7限は二文の社会人間系基礎演習4。33名全員出席。配布資料は自分の分を入れて34枚刷ってきたのに私の分が残らなかった。おかしいな、枚数を間違ってコピーしてしまったかなと考えていたら。授業の途中で女子学生が一人教室を出て行った。あとからわかったのだが、その女子学生は私の授業に間違って出席していたのだ。まあ、そういういことは珍しいことではないが、面白かったのは、彼女はすでにテキストであるギデンズ『社会学』を購入してしまっていて、勘違いに気づいて教室を出る前にまだテキストを購入していなかった男子学生の一人にテキストを3000円(本当は3600円する)で売りつけたことである。購入した学生はあとの自己紹介のときにその話をうれしそうに(得しちゃったと)話していた。

 授業初日でけっこう疲れました。

 

4.15(金)

 大学院の演習と学部の調査実習の初回。まずまずのスタートで、帰宅して一息つき、明日の2つの講義(社会学基礎講義と社会学研究9)の準備に取りかかろうとしていたら、メールが入り、ちょっと頭の痛い問題が発生した。人生、何の問題もない時間というのは持続しないものである。起こってしまったことはしかたがないから、これからは最善の対処の仕方を考えるほかはない。いいかげんな対処の仕方は問題を大きくするだけだ。誠意をもって対処しよう。