フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月12日(土) 晴れ

2011-11-13 02:08:53 | Weblog

  8時、起床。一転して、今日は暖かい。

  午前中、『阪急電車ー片道15分の奇跡』という映画をDVDで観た。脚本が『彼女たちの時代』の岡田恵和だったので。ここでいう阪急電車とは阪急今津線ことで、西宮北口駅から宝塚駅までの8駅15分の路線だ。さまざな人の人生が交錯する物語で、普通、電車の中では言葉を交わすことなどない他人同士が、ちょっとしたきっかけで胸に響く言葉を交わすのである。物語を詰め込みすぎというか、きっかけが強引という感じがなきにしもあらずだが、後味のいい作品であることは間違いない。いま、私の選択基礎演習の学生たちは、グループで、電車の中に代表される他人同士がいる場所での、人々の振る舞いをフィールドワークしているのだが、公共的な空間というのは、儀礼的な無関心やただの無関心が充満する場所で、この映画で描かれたような他人同士の人生の機微に触れるようなかかわりが生まれる確率はとてもとても小さいだろう。だからこそ、われわれはそれにあこがれる。われわれはできるだけ他人とかかわりたくないが、同時に、ときには他人とかかわりたいのである。この映画の中心となる登場人物は中谷美紀演じるOLだが、彼女のナレーション、「名前も知らない人たちは、私の人生に何の影響ももたらさないし、私の人生も誰にも影響を与えない。世界なんて、そうやって成り立っているんだ。そう思っていた。でも・・・」―『彼女たちの時代』で深津絵里が演じたOLが言いそうな台詞である。岡田恵和は、山田太一の系譜に属する脚本家だが、『阪急電車』は岡田流「ありふれた奇跡」である。
  余談だが、中谷美紀を見ていたら、ゼミ一期生のゼミ長だったNさんのことを思い出した。彼女はちょと中谷美紀に似ていて、しかも阪急電鉄とはライバルの阪神電鉄に勤めているからだ。

  しばらく顔を見せず、「どうしたのだろう」と母やさかんに気にしていた野良猫が、今日、久しぶりに顔を見せに来た。しかも生まれて間もない仔猫を2匹引き連れて。そうだったのか・・・。野良猫たちの世界も避妊手術が普及したり、高齢化が進んだりで、あまり仔猫の姿を見なくなったが、この母猫は頑張っている。野良猫が安心して子育てができないような居住環境は人間にとってもよろしくないと考えているので、応援したい。

  午後から大学へ。今日は土曜日当番(午後)なのである。スロープ横のメタセコイヤの説明板に「小汀(おばま)利得」が寄贈したものであることが記されている。小学生の頃、毎週日曜日の朝、彼と細川隆元の対談番組「時事放談」をTVで見ていた。「あんなものはねえ・・・」という小汀のしゃがれ声がいまも耳に残っている。

  昼食は「フェニックス」で、チキンカレー。食後にコーヒーとミニサイズのティラミス。

  6時まで教務室で雑用。帰りの電車の中で、生協戸山店で購入した森晶麿『黒猫の遊歩あるいは美学講義』(早川書房)を読む。第1回アガサ・クリスティー賞受賞作で、作者は1979年生まれ、早稲田大学第一文学部の卒業生。物語の主人公は24歳で大学教授(専任講師?)の黒猫と呼ばれる青年と、彼の同級生で博士課程1年のエドガー・アラン・ポーの研究をしている女性。黒猫のキャラクターは、TVドラマ『ガリレオ』で福山雅治が演じた大学助教授の専門を物理学ではなくて美学にした感じといったところか。ガリレオが黒板に数式をかきなぐる場面は、黒猫が美学的な薀蓄を傾けながら事件の謎解きをする場面と重なる。ちょとついていけないところもあるが、総じて、本屋大賞を受賞した東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』より数段面白く読めた。