フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月30日(木) 晴れ

2012-08-31 01:30:11 | Weblog

   7時半、起床。だんだん標準的な生活時間を取戻しつつある。しかし、体重の方はなかなかである・・・。バタートースト、トマト、牛乳の朝食。

   今週は自宅およびその周辺で生活している。引きこもり的蒲田生活。夏休み疲れかもしれない。あるいは、バトンタッチを前にして、2年間の教務生活の疲れが出ているのかもしれない。実際には、原稿の執筆で机の前から長時間離れるわけにいかないという事情もあるのだが・・・。

  今日も昼食は自宅でとり(レバ炒め、玉子焼き、若布の味噌汁、ご飯)、TVを点けたらたまたまやっていた映画(オゾン層に穴が開いて、そこから冷気が急降下して、-60度くらいの寒冷前線がオーストラリアを、さらには地球各地を襲うというB級SF作品)を見て、夕方、運動不足にならないよう、Tシャツに半パン、キャップとジョギングシューズというスタイルで、本門寺まで往復した。昨日のブログでTシャツと半パンというスタイルで街を歩くのは60代の男性には似合わないと書いたばかりだが、私はまだ50代なので大丈夫なのだ。ウォーキング(スタスタ歩き)のつもりだったが、カメラ持参で、しょっちゅう立ち止まって写真を撮るので、あまり運動にはならなかった。


夕日の半パンマン


西日差す商店街


ここの商店街の特徴の1つは銭湯があること。


店名の書かれた看板のない魚屋さん


なぜか店の外で扇風機を回している食堂(まだ入ったことはないが、入ってみたい気がする)


数年前に一度入ったことがあるが、いまはやっているのか、いないのか、よくわからない白い小さな喫茶店


シャッターの下りたままの(元)商店も多い


歯が抜けたように駐車場になってしまっている場所もある


でも、頑張っている。

 
小学校の塀


川岸の蔦


電線の鳥(ヒヨドリか?)


明日が満月


左にカーブする呑川


池上会館の屋上からの景色(南側)


池上会館の屋上からの景色(西側)


寺町の夕暮れ


日が落ちるのが早くなったと感じる


商店街から外れた場所にある大衆食堂(ここにも入ってみたい)

  7時、帰宅。夕食の一品に肉ジャガがあった。美味しい肉ジャガだったが、そういえば、「得意な料理は肉ジャガです!」と合コンの時に言う女には気をつけろ(ぶりっ子の可能性が高い)という教訓がまことしやかに語られた時代があった。いまでもその教訓は生きているのだろうか。そんなことを考えながら食べていたら、妻が言った、「今日の肉ジャガは牛肉よ」。肉ジャガとは本来は牛肉を使うものだが、ウチはこれまで豚肉が多かった。いや、もしかしたら、ずっと豚肉だったかもしれない。妻が子供の頃、家庭で食べる肉ジャガも豚肉を使っていたのだろう。当然、私の子どもの頃もそうであった。肉ジャガどころか、すき焼だって豚肉だったのだ。牛は神様の化身だから食べてはいけなかったのだ、というわけではなくて、たんに牛肉が高かったからである。「今日の肉ジャガは牛肉よ」と誇らしげに語る妻の言葉に、ああ、父母の時代は終ったのだと思った。


8月29日(水) 晴れ

2012-08-30 01:01:13 | Weblog

  7時半、起床。ハムトースト、牛乳の朝食。

  昼食は昨日に続いて自宅で素麺(+「蒲田屋」さんの海苔巻き)。

  夕方からジムへ。近所に玄関先で豚を飼っている家があると妻から聞いたので、寄り道をして見に行った。ホントだ。しかも放し飼い。大きな黒豚で、私が道路から低い塀越しに覗き込んでいたら、向うから近づいてきて、至近距離での対面となった。すごい迫力だ。番犬ならぬ番豚として十分にやっていけるのではないだろうか。鼻の頭に紙で作った角を付けたら、小さな子供なら、「黒サイだよ」と言って騙せるかもしれない。試してみたい。

  ジムでは、筋トレ2セットと、有酸素運動45分(500キロカロリーを消費)。トレーニングの後は、スーパーのイートインコーナーでカットフルーツを食べたが、考えてみると、フルーツというのはそれなりのカロリーなのかもしれない。

  ジムは駅の東口、自宅は西口にある。行き来のルートはいくつかあるのだが、今日は駅ビル横の地下通路を使った。駅のホームの下を通る昔からある連絡通路で、自転車を押しながら階段を昇り降りるのは、子供にはちょっと大変で、私も悪戦苦闘した覚えがある。昭和の時代に通じるタイムトンネルのような雰囲気がある。


東口側(交番と駐輪場の間にあって、知らない人は気づきにくい)


かつては東口の駅ビルの地下売場への出入り口が左側の壁面に開けられていて、便利だったのあが、ある時、埋められてしまった。


西口側

  夏休みに入ってから、学期中はしなかった午後の散歩というものをするようになって気づいたのだが、私より少し年配の男性たちがけっこう散歩をしている。「先輩」方であるわけでだが、気になるのは、Tシャツに短パンみたいな恰好の人が多いこと。自宅にいるときとか、近所のコンビニに買物に行くときのような恰好で街中を歩いているわけだが、60代でそういう恰好が似合う人というのは残念ながら稀有である。多くはただだらしないだけである。リゾート地であれば、だらしない恰好もファッションンになりえるが、東京はリゾート地ではない。スーツにネクタイから解放された後で、どんな恰好で街中を歩くのかは、これからの高齢社会を生きる男性にとっての重要な課題であるように思う。

  8月も残すところ明日と明後日の2日間となったか。9月も夏休みは続くのだが(27日まで)、「二軍」相手のような気がして、「夏休みだ」という高揚感は薄れていく。「秋学期の準備をしなければ・・・」という気分になる。


8月28日(火) 晴れ

2012-08-29 02:24:38 | Weblog

   8時、起床。焼きハム、レタス、トースト、牛乳、トマトの朝食。


今日の雲は秋の雲

  昼食に素麺を食べて、少しばかり昼寝をしてから、蒲田宝塚に高倉健主演の『あなたへ』(監督:降旗康男)を観に行く。健さんの映画を観るのは『単騎、千里を走る』以来だから7年ぶりである。私は古くからの健さんファンではない。60年代から70年代前半のヤクザ映画はほとんど観ていない。『冬の華』(1976年)、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、『駅STATION』(1981年)、この3作が私にとっての高倉健主演映画ベスト3である。健さんは1931年の生まれだから、健さんが45歳から50歳の頃の作品である。

    

  その健さんも今年で81歳(撮影時は80歳)。『あなたへ』の中では、定年後嘱託として引き続き刑務所の技官として働いている男の役で、63歳の設定である。これはさすがに無理がある。背筋こそシャキッと伸びているものの、歩き方が老人のそれである。ヨタヨタしているというわけではない。そうではなくて、ヨタヨタした歩き方にならないように、腰全体で足を引き上げて歩くような歩き方、これが(元気な)老人に固有の少し無理をしている歩き方なのである。最初、演技かと思ったくらいだ。だから演技ではなさそうだと知ったときには、ちょっとショックであった。共演者の一人に大滝秀治がいて、彼は健さんより6最年長なので、87歳である。映画の中ではもちろん老人役だ。老人が老人を演じているので違和感がない。それに大滝は中年の頃から老け役が多かったイメージがあるせいか、それほど「老けたな」という印象がない。なぜ80歳の健さんにせめて70歳そこそこの老人の役をさせなかったのだろう。63歳の役をやらせることでかえって健さんの老いを際立たせてしまった。この作品が観客に与える最初のメッセージは、「人は誰でも老いる。あの高倉健でさえも」というものである。

  しかし、いったんこのメッセージを受け入れてしまえば、後は心おきなく作品を味わうことができる。ロードムービーである。映像が美しい。共演者が豪華である(中年の頃の健さんが演じていたような役を佐藤浩市が演じていた。新旧「理想の中年男性」の共演である)。ストーリーは枝葉の部分を刈り込みすぎて、わかりにくところがあるが、俳句的な余韻の漂う作品と言っておこう。「それもよかろう草が咲いている」(山頭火)。夫婦二人の老後や、配偶者に先立たれた後の一人だけの老後について、考えさせてくれる。そして人生は「一期一会」の旅なのだということを改めて認識させてくれる。高倉健と田中裕子の夫婦を見ていたら、先日、茅野の別荘を訪ねたときの、友人Kの夫婦の姿が重なった。仲睦まじい夫婦だということもあるが、Kのことを私は昔から「ケンさん」と呼んでいるためかもしれない。  

   映画の後は、「テラス・ドルチェ」でアイスコーヒーを飲む。


健さんが歩いたら似合いそうな道

   栄松堂で森沢明夫『あなたへ』(幻冬舎文庫)を購入。これは映画の原作ではなく、オリジナル脚本(青島剛+降旗康男)を原案として書かれた小説である。こちらはずいぶんと物語が膨らませてある。ノベライズでない、小説らしい小説で、映画の俳句的性格とは好対照である。 

  「メリーチョコレート」で妻への土産のチョコレートの詰め合わせを買って帰る。


8月27日(月) 晴れ

2012-08-28 01:15:53 | Weblog

   8時半、起床。寝たのが遅かった(午前4時頃)ためだが、寝たのが遅かったのは、夕食の後に2時間ほど寝てしまったせいで、なかなか眠くならなかったからだ。夕食の後に寝るのは寝不足気味だからだ。つまり一種の悪循環で生活時間が本来のモデル(7時起床)から逸脱している。今日は昼寝をして、夕食の後は寝ないようにしよう。そして午前1時には寝るようにしよう。

  本来のモデルから逸脱しているのは生活時間だけではない。体重もだ。要注意ラインから2キロほどオーバーしている。一般に体重の増加は消費カロリーよりも摂取カロリーの方が大きいときに起きる。消費カロリーが以前より小さくなったということはないと思うので(8月に入って週2のペースでジムに通っている)、摂取カロリーが大きくなったのが原因だろう。簡単に言えば、食べすぎである。このところの日誌を読み返して、思い当たる点がいくつかあるが、とにかく改善しなければならない。

  バタートースト、グレーププルーツジュース、フルーツ&ヨーグルトの朝食。 

  午前中、書斎でPCに向かっていると、近所のどこかの家から女性の大きな声が聞こえて来る。どうやら夫婦喧嘩、親子喧嘩らしい。しかし、大きな声は妻ないし母親のもので、夫ないし子供はじっと耐えている(あるいは小さな声で応じている)らしい。大きな声は断続的に長く続いていた。後で母に尋ねたら、よくあることらしい。周りの目(耳)を気にせず、あんなに大きな声を出せるというのは、ある意味、あっぱれという気がする。

  午後、「寿々喜」に泥鰌を食べに出かける。鰻が高いからではない。久しぶりに泥鰌が食べたくなったのだ。メニューに載っているのは柳川鍋と泥鰌汁の2つだったので、柳川鍋を注文する。店員さんが「いまの季節は泥鰌を背開きにしないで使いますが、よろしいですか」と聞いてきたので、「?」と思った。柳川鍋といったら背開きにするものだと思っていた。でも、私は泥鰌はそのまま調理する丸鍋の方が好きなので、「かまいませんよ」と答えた。厨房が忙しくて、背開きにする手間を省いているのかと思ったら、そうではないことが運ばれてきた柳川鍋を食べてわかった。泥鰌の腹の中に卵がいっぱい詰まっているのだ。これを背開きにしたら、せっかくの卵が散乱してしまう。久しぶり食べる柳川鍋は実に美味しかった。野趣に富んでいるが、決して下卑てはいない。甘辛く味付けられた泥鰌の苦味、そして卵の歯ざわり・・・、ご飯のお替りを辛うじて我慢した。


創業昭和10年、蒲田で鰻といえば「寿々喜」である。


「鰻のたたき」というのはまだ食べたことがない


柳川鍋(ただし今日の泥鰌は丸のまま)

  食後のコーヒーは「テラス・ドルチェ」で、1時間ほど読書をしながら。 

  TSUTAYAで『新世紀エヴァンゲリオン』のTV版の最初の4話分と、劇場版の前編・後篇のDVDを借りる。秋学期の演習「ケーススタディの方法」の下準備のためである。昨年度に続いてテキストは宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(ハヤカワ文庫)であるが、そこでは、1995年頃から2008年までの小説、映画、漫画、テレビドラマ、アニメーションなどの「物語」がもっている想像力の変遷が分析されている。実にたくさんの作品が俎上に上るのだが、とくに重要な作品については夏休みの間におさらいをしておこうと思うのである。

  帰宅して、少し昼寝をしてから、ジムへ行く。カロリー消費を増やすべく、有酸素運度の時間を35分から45分に拡大する。牛丼一杯分のカロリーを消費した。

  トレーニングの後、ジムの一階下のスポーツ用品店「ビクトリア」で、ウォーキングシューズを購入。「マルエツ」のイートインコーナーでアイスカフェを飲みながら、今日の日誌を付ける。

  内閣府が25日付で発表した「国民生活に関する意識調査」(今年の6・7月に実施)によると、「心の豊かさ」と「物の豊かさ」、今後の生活で重きを置きたいのはどっちかと尋ねた質問に対して、「心の豊かさ」と答えた人の割合が昨年10月に実施された同調査よりも2.6ポイント増えて、過去最高(1972年以来)の64.0%を記録した。内閣府の担当者は「人との絆や家族との関係を重視する傾向が、東日本大震災以降さらに強まっている」と分析しているとのこと。「またか・・・」と思う。もしかしたら高度な統計的分析を踏まえて言っているのかもしれないが、この種の現象をすぐに東日本大震災の影響と考える思考回路は単純すぎると思う。「心の豊かさ」を重視する人が震災後に急に増えたというなら話は別だが、時系列データからわかるように、「心の豊かさ」を重視する人はこの質問が調査票に組み込まれるようになった1972年以来、小さな上下動をくり返しながら、全体としては一貫した増加傾向にある。つまり、「心の豊かさ」を重視する傾向というのは近代化を構成するさまざなな趨勢の1つなのであって、もし東日本大震災が起きなくても、増加しつづけたであろうと思われる。前回から2.6ポイント増えたといっても、それは特筆するほど大きな変化ではない。過去にはそれより大きな増加のあった時期が何回かある(最大のものは、平成3年から4年にかけての5.2ポイントで、最近では、平成17年から18年にかけて5.1ポイント増えている)。そもそも震災のあったのは平成23年3月であるから、その影響は今回と前回の調査よりも、前回〈平成23年10月)と前々回(平成22年6月)の調査を比較した方がよいと思うが、そこでは1.4ポイントの増加に留まっている。震災の影響は見られないと言いたいわけではない。影響がないわけはないと思うが、それはあくまでも趨勢に影響を与えている様々な要因(政治・経済・文化・社会的諸要因)の1つとしてみるべきであって、特化してみるべきものではないと言いたいのである。

データは内閣府ホームページから:http://www8.cao.go.jp/survey/h24/h24-life/zh/z35.html

  いま、「震災の前後で世界は一変した」という「語り」が巷にはあふれている。しかし、世界とは何だろうか。それは誰にとっての世界なのだろうか。震災で肉親や大切な人を失った人や、仕事を失った人や、住みなれた場所を離れなくてはいけなくなった人にとって、生活や人生は一変したであろう。一方、震源地から遠く遠く離れた場所で暮らす人たちにとって、震災はリアリティのあるものではないだろう(それを想像力の欠如として責めるのはやめよう。それこそ想像力の欠如した人間のすることだ)。そして両者の中間に、目に見える直接的な被害はないけれど、いまもときおり感じる余震と原発事故による放射能の不安の中で暮らしている人たちがいる。私もその一人だ。それは存在論的不安と名付けてよいものだと思う。そうした不安は、客観的なデータで「ほら、このとおり」と示すことは難しい。しかし、「震災の前後で自分の生き方はどう変化しただろうか?」と自問してみれば、各自の答えは案外はっきりと出るのではないだろうか。私自身について言えば、以前よりも「一期一会」という気持ちで人と接するようになったし、したいことを先延ばしすること(現在を未来に従属させること)を忌避するようになったと思う。ただし、これは震災だけの影響によるものではない。きわめて個人的な出来事の影響も大きい。人生は複雑である。さまざまな要因の相互作用によって展開する現象である。そのことを忘れてはいけないと思う。


8月26日(日) 晴れ

2012-08-27 03:38:20 | Weblog

  6時半、起床。この二日ほど、少々気がかりなことがあり、早く目が覚めてしまう。PCに向かって原稿を書いていたら、9時前に事務所のSさんからメールが届き、問題は解決したとのこと。やれやれ。

  バタートースト、トマト、グレープフルーツジュースの朝食。トマトは上品にスライスして食べるよりも、丸ごとかぶりついた方が美味しい。 

  昼食は焼きそば。午睡をしていたら、その間に、妻がまたクーラーを入れていた。寝冷えをするじゃありませんか。

  夕方、近所を散歩する。専門学校の校庭は空が広い。風の通りもよい。

  商店街の入口のところにあるコンビニが8月末で閉店になるそうだ。絶好のロケーションのように思えるが、そうでもないのだろうか。コンビニが入る前は、ここは文房具屋さんであった。今度はどんな店が入るのだろうか。「閉店セール」だけあって、コンビニの店内にはすでにほとんど商品がなかった。スムージーという液状のかき氷のようなものを買う。これは以前はよく食べた(飲んだ)が、ガリガリ君の方が安いし、食感もよいので、買わなくなって久しい。今日はコンビニにお別れを言うつもりで購入。値段はとくに安くはなっていなかった(レギュラーサイズで100円)。路上で食べる(飲む)。

  近所にあって、そのうち入ってみようと思いつつ、まだ一度も入ったことのない飲食店というものがある。「こうらく」もその一つだ。『渡る世間は鬼ばかり』に出てくる「幸楽」は中華料理屋だが、この「こうらく」は洋食屋である。年配のご夫婦(たぶん)がやっている。あまり客が入っているところを見たことがなく、ご主人がテーブルでTVなんかを見ていることが多い(間違っていたらすみません)。ネットで「蒲田 こうらく」で検索すると、東口にある別の店がヒットする。こちらの「こうらく」の情報はない。

  「こうらく」の少し先に「スマイル」というドラッグストアーがある。以前は「文化堂」というスーパーだった。その名残だろうか、薬以外の生活雑貨をたくさん扱っていて、アイスクリームなんかはここで買うことが多い(今日も散歩の終りに購入した)。 

 

  「スマイル」のところを左折すると、私が小学生のときの通学路である。かつてはこの中ほどに木工所があって、独特の匂いが漂っていた。いまでも古いアパートが残っている。

  道路に面しているのに「裏側」を見せている家屋が続く一帯は、昔、どぶ川がながれていたところである。家の裏手のどぶ川が埋め立てられて、道になっても、当時の家屋の構造がそのまま残っているのである。

   西蒲田の辺りは昔の道がそのまま残っているところが多く、碁盤の目(道路と道路が直交する)ようにはなっていない。なので他所から来た人は歩いている間に方向感覚を失うだろう。写真のようなV字に交差する箇所が多いのだ。十字路よりもV字路の方が、写真の被写体としては面白い。人生の岐路のイメージとも重なる。右側の道の右手にあるのが私の母校である相生小学校である。


家屋の裏側が露呈しているが、実は、ここにも昔どぶ川が流れていた。

 


ここもV字路(角の店は昔は本屋さんであった)


ここもV字路(看板の出ている橋本医院は子供の頃によくお世話になった)

  V字路のほかに、散歩のときの心ひかれる風景は、路地である。その多くは私道で、かつ行き止まりである。個人の住宅やアパートの住人のための道である。なので足を踏み入れるのはためらわれる。ためらわれるのだが、同時に、心ひかれるのである。そこに私小説的真実があるような気がするのである。

  散歩から帰って、3階のベランダからわが町を眺める。半月よりも少し太った明るい月が南の空に浮かんでいる。

 

   今朝早く、御殿場の自衛隊の催し物に出かけていった息子が帰ってきた。土産は「自衛隊砲弾まんじゅう」である。一体、どんなものなのか、箱を開けてみたら、鳥の卵のような白いまんじゅうである。「鶴の卵まんじゅん」とか「朱鷺の卵まんじゅう」と命名して売っても違和感はないであろう(登録商標にはひっかかるかもしれないが)。最初に包装紙は見ないで、このまんじゅうだけを見て、砲弾を連想する人がはたしているだろうか。大いに疑問だが、味はよい。黄身あんをホワイトチョコでコーディングしてあり、上品な甘さで美味しかった。今度,機会があったら、「精鋭の休息」というドリップコーヒーを買ってきてくれないか。「砲弾まんじゅう」に合うと思う。


深煎りだそうです