フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月30日(日) 晴れ

2021-05-31 11:15:22 | Weblog

8時半、起床。

グラノーラ(+牛乳)、サラダ(+バナナ)、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする(寝る前にあらかた書き上げていた)。

10時前に妻と家を出る。今日は鶯谷の菩提寺で父と母の法要がある(父の十七回忌と母の七回忌)。

鶯谷駅は根岸一丁目にあり、菩提寺は下谷二丁目にある。『星落ちて、なお』の記述によれが、主人公の家のあった根岸一帯が関東大震災のときに火災を免れたのは上野の山が防火林の役目をしたからだそうである。さもありなんと思う。

動物の名前を冠した鍼灸院や接骨院はけっこうあるが、この町には「うぐいす」を冠した鍼灸院がある。

市外局番が3桁であることからして、この二軒長屋造りの看板建築の店はもう営業をしていないのではないかと思うが、「大衆中華」という文字が目を引く。いま、わざわざ「大衆中華」を標榜する店はないだろう。「大衆食堂」(「定食屋」とほとんど同義)や「大衆割烹」はまだかろうじて生き載っている言葉かと思う。

菩提寺のある地区に入った。

菩提寺(行春山泰寿院)に着く。

妹夫婦も合流し、本堂で法要。

法要の後の話の中で若い住職は、春の彼岸のときに私が言った「ステイ・ホームタウン」という言葉に触発されてこれまでしたことのになかった近所でのランニングを始めたという話をされた。よい心がけだと思うが、春に「師走」とはこれいかに(笑)。

本堂から墓前に移動。

墓前での読経。

施主である私に続いて、妹。

妻。

義弟(年上だけど)。

甕の中にたくさんのメダカがいた。

寺の側の入谷駅から日比谷線に乗る。

2つ目の仲御徒町で降りて、JRの御徒町駅のガード下を通って、上野広小路まで歩く。

上野広小路の交差点。向こうに見えるのが上野公園。

いつものように「人形町今半」上野広小路店(鈴乃屋ビル6階)を予約しておいた。

私と義弟は厳選すき焼き弁当、妻と妹は松花堂弁当を注文。

先付け。

厳選すき焼き弁当。

すき焼きは調理された状態で運ばれてくる。

デザート。

食事を終えて外に出ると少し雲が出て来ていた。

帰りはJR御徒町駅から、妹夫婦とは反対方向の電車に乗る。

2時半ごろ、蒲田に戻ってくる。北の空に夏の峰が見えた。

帰宅して、少し横になる。

3時になるのを待って、『山下達郎のサンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴く(ライブの途中から聴きたくはなかったのだ)。

講義原稿を少し書いてから、5時ごろ「スリック」に顔を出す。

今日はお客さんが多かったようで、シフォンケーキは完売だった。

常連客のマユミさんと相席をさせていただいて、アールグレー(アーマッド)を注文する。

マユミさんは大田区の職員をされている。先日、ワクチンの接種の予約ができたという話をする。大田区はうまくいっているようである。

閉店の6時になったので、店を出る。

東口から西口へ戻る。

西の空に雲が増えている。今日は昨日のような夕焼けは見られなそうにない。

最近、家の近く(以前、和菓子屋「蒲田屋」があった場所)にコインランドリーが出来た。最近は「コインランドリー」といわず、「セルフランドリー」というらしい。

実際、布団が丸洗いできる大型の洗濯機が供えられていて、料金的に「コインランドリー」という表現はふさわしいものではなくなっている。

夕食はポトフ、じゃこと胡桃の佃煮、ごはん。

デザートはメロン。

食事をしながら『コントが始まる』第7話(録画)を観る。ほとんどの芝居気を感じさせないマクベスの3人のおしゃべり。そういう自然体の演技はかなり高度なものである。3人の役者が火花を散らしているのを感じる。

本日提出されたレビューシートのチェック。日曜日は一番少ない。

風呂から出て、『サンソン』をまた聴きながら、今日の日記とブログ。

2時過ぎに就寝。


5月29日(土) 晴れ

2021-05-30 09:33:36 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ(+ウィンナー)、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。

2時を回った頃、昼食を食べに出る。

「ホンズ・キッチン」再訪。

フォーを食べてみようかと思ったが、今日は暑い。いずれ梅雨寒の日が来るだろうから、そのときにしよう。バインミー(豚チャーシュー)をテイクアウトする。

待つことしばし。

ホンさんに見送られて店を出る。

食事をしながら『ドラゴン桜』第5話(録画)を観る。妻が興味ないので、昼間、自宅でひとりで食事をするときや一服するときに観ている。

ボリューミーで一本で満足。

講義原稿を書く。「がんばってね」。空耳だろうか。

6時を回った頃、散歩に出る。今日の日没は6時50分くらい。

「ベニースーパー」の前を通る。「西蒲田店」以外にもあるの?

道端のホース。最近、道路にホースで水を撒いている人を見ないが、このホースは何に使うのかしら。

町内会の掲示板に短歌の集まりのお知らせが出ている。今日だ。成立したのかな。

『プレバト』には俳句はあるが、短歌はない。あってもいいように思うが、俳句が看板コーナーになってしまっているから、いまから短歌のコーナーを立ち上げるのは無理かな。

広い角地が建売住宅のプラン付きで売りに出ている。

呑川沿いの道に出る。走っている人をよく見る。五輪真弓の『恋人よ』の中に「マラソン人」という言葉が出てくることを思い出す。「砂利道を駆け足でマラソン人が行き過ぎる」という歌詞だ。音数をそろえるためとはいえ「マラソン人」はいかにも無理な日本語である。散歩人はふいにいろいろなことを考えるのである。

大森めぐみ教会が見えてきた。

今日はめぐみ坂を登ろう。

教会の横を通る。

堤方神社の横を通る。

本門寺の境内に出る。

仁王像がライトアップされている。

本門寺の西の外れ(本門寺車道を渡った先)から日没の空を見る。

本門寺車道を下りたあたりにカフェ「蓮月」はある。すでに閉店時刻を過ぎているが、店内に明かりが点いている。

写真展をやっているのだろうか。

ちょっと遅くなってしまった。「7時半過ぎに帰ります」と妻にLINEを送る。

夕食は鶏肉とアスパラとズッキーニとパプリカとモッツァレラチーズの炒め、刺身豆腐、玉子とワカメのスープ、ごはん。

デザートはメロン。

『福山雅治 福のラジオ』をタイムフリーで聴く。

風呂から出て『桑田佳祐の優しい夜遊び』をライブで聴く。

今日の日記とブログ。

2時、就寝。


5月28日(金) 晴れ

2021-05-29 13:06:10 | Weblog

8時15分、起床。

トースト、サラダ(+チキン)、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。

今日のゼミの発表資料(Moodleにアップされている)に目を通す。

昼過ぎに「まやんち」に取り置きをお願いしておいた品を受け取りに行く。

ひる

店主のマユミさんとお手伝いのカナさんがいらした。

テイクアウトしたもので昼食。

サーモンのキッシュ。

フォレノワール(左)とタルトシトロン。タルトシトロンにココアのチップが付いているのは運んでくる途中で揺れたからである。

2時前に家を出て、大学へ。

3時から研究室で卒研指導。

4時から留学についての相談。

ゼミが始まる前におにぎりを1つお腹に入れる(2つ食べている時間はなかった)。

今年度のゼミの教室は32号館201教室。33号館から渡り廊下を通って行く。渡り廊下は旧棟のときからあったが、新棟が立った時に新しく同じ場所に付け替えた。

5限は3年ゼミ。いま関心のあるテーマにうちて3名が報告。

6限は4年ゼミ。ゼミ論について2名が報告。

ゼミを終えて、残しておいたおにぎりを研究室で食べる。汁代わりにミニカップワンタン。

『星落ちて、なお』第5章「赤い月 大正十二年、初秋」を読む。大学に来るときの電車の中で途中まで読んでいた。「大正十二年、初秋」とくれば、当然、関東大震災のことが描かれているわけで、主人公とよは道具屋の廣田と人に会いに品川に出かけているときに地震に遭った。電車の中でこの直前まで読んで、続きは授業の後にとっておいたのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・

 野分を思わせるうなりが、突如、廣田の言葉を遮った。風が強くなったのかと上げた目がぐるぐると回り、海の青さが吹き散らされたように踊る。いや、違う、回っているのは、とよの視界ではない。目の前の景色がひっくり返した籠の中身の如く覆り、何が上やら下やら区別がつかない。

「う――うわあッ」

 耳をつんざく絶叫は自分のものか、はたまた廣田のものなのか。逃げようとする足がもつれて倒れ伏せば、腹ばいの下の地面は固まりかけた膠の面そっくりに波打っている。地震だ。

 小間物屋の店先に積み上げられていた笊(ざる)がざっと崩れ、一瞬遅れて、その上に屋根瓦が滝の水のように降り注ぐ。だがいまのとよにはけたたましいはずのその音すら、皆目届いていなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・

私の父は大正12年8月の生まれで、住んでいたのは浅草だったので、震災のときは母親に背負われて(水に濡らしたねんねこ半纏を被って)炎の中を逃げ回ったそうである(もちろん本人には当時の記憶はない)。

東京の下町に残っていた明治の面影はこの震災で消えた。中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは昭和6年のことである。

「赤い月」というタイトルは私に志賀直哉の「灰色の月」を思い起こさせた。昭和21年1月に『世界』に発表された作品で、山手線の車内で、空腹でうつらうつらしている少年工が「私」の隣に座り、「私」に寄りかかってうとうと始める。「私」は反射的に肩で押し返してしまう。少年は上野で降りるつもりであったが、乗り過ごしてしまう。乗客が注意すると「どうでもかまはねえや」と独り言を言う。「私」は暗澹たる気分で渋谷で降りる。そういう話だ。 

蒲田に着いて、「ちよだ鮨」で握りをテイクアウト。帰宅して、風呂に入ってから食べる。

『星落ちて、なお』最終章「画鬼の家 大正十三年、冬」を読む。他の章より短く、すぐに読み終わる。

最後、とよが作家村松梢風のインタビューに答えて父暁斎について語り始める場面で終わる。

「とよは己の言葉を噛み締めながら、朝にもかかわらず薄暗い画室を見回した。かすかにたゆたう膠の匂いは紛れもなく、かつてここに輝いていた星の残影であった。」

もしかしたらこの小説全体がとよの回想なのかもしれない。という気持ちで、最初の頁に戻ったりした。

裏表紙の見返しに「67歳 初夏」と記す。

ラジオを聴きながら、今日の日記とブログ。

2時、就寝。


5月27日(木) 雨

2021-05-28 11:47:01 | Weblog

8時半、起床。

トースト、ウィンナー、サラダ(+バナナ)、牛乳、紅茶の朝食。

朝から雨が降っている。たぶん気圧(の急な変化)のせいだと思うが、持病(耳鳴りと聴覚過敏)の具合がよろしくない。3限の大学院の演習(オンライン)は休ませてもらうことにする。

昨日が締め切りだったレビューシート、最後の一日に提出された150数枚(受講生の4割に相当!)に目を通す。

2時を回った頃、昼食をとりに「吉岡家」へ行く。

今日は冷える。梅雨入り後であれば「梅雨冷え」や「梅雨寒」という言葉を使えるのだが、その前は何と呼ぶのだろう。

 梅雨寒や背中合はせの駅の椅子 村上喜代子 

天ぷらうどん(+生卵)を注文。こういう日は温かな汁ものが一番。

東京のうどん汁は概して濃いというか、味が尖がっているが、生卵を溶かすことでちょうどいい具合になる。

食後のコーヒーを「きりん珈琲」に飲みに行く。途中で元カフェ「屋根裏」の前を通る。

JRの線路を渡る。

「線路は続くよどこまでも」という歌詞が頭に浮かぶ。元々はアメリカの線路工夫たちの過酷な労働を歌ったものであったが、「みんなの歌」で楽しい旅の歌として広まった。西六郷少年合唱団が歌っていた。

平日の雨の午後のカフェには、先客が一人いるだけ。お気に入りのカウンターの右端(入口に近い側)の席に座る。

水羊羹とブレンドコーヒーを注文。

栗入りの水羊羹にホイップクリームが載っている。

臨時休業+臨時営業のお知らせが出ていた。「臨時営業」というのはあまり聞かない言葉である。「臨時休業」する分の振り替え営業なのだろう。月曜は蒲田の馴染みのカフェのほとんどが定休日なので、7日(月)の臨時営業は覚えておこう。

来たときとは別の道を帰る。ある医院の庭先の紫陽花。

呑川を渡る(山野橋)。

あるお宅のブロッグ塀に描かれた熱帯魚たち。

帰宅して、あれこれの用件を片付ける。

夕食は麻婆茄子、シュウマイ、玉子とワカメのスープ、ごはん。

二人前です。

取り分けて、お替りを一回。

デザートはキューイ。

食事をしながら『プレバト』を追っかけ再生で観る。今日の俳句コーナーは「ワンラックアップ」の大盤振る舞いだった。

 驀進(ばくしん)の棋士は少年青嵐 岩永徹也

将棋の藤井聡太八段のことを詠んだ句である。「桂馬の使い方が独特なので「馬」の入った漢字を使いたかったと語っていた。「中原の桂馬」は有名だったが、藤井もそうなのか。知らなかった。よく勉強しているな。

本日から公開されたオンデマンド授業のレビューシートのチェック(初日の今日は50枚ほど提出された)。併せて次回の講義原稿の下準備に入る。オンデマンド授業の原稿と資料の作成、収録、アップロード、レビューシートのチェック、これが一週間の基本のサイクルを形成している。

風呂から出て、ラジオを聴きながら、今日の日記とブログ。

2時、就寝。


5月26日(水) 晴れ

2021-05-27 12:30:52 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ(+ウィンナー)、牛乳、紅茶の朝食。

新聞を取りに玄関先に出たとき、たまたま二匹のワンちゃんを連れたご婦人が前を通り、「お花がきれいですね」と挨拶をされたので、しばし立ち話をする。

「バラもいろいろな種類のものがありますね」とご婦人。「はい、妻がバラが好きで、いろいろ育てているんです」「奥様をお見かけしたことはまだないのですが」「午後、夕方近くに毎日植木に水をやっています。ワンちゃんのお散歩は夕方にはされないのですか」「はい、午前中だけです」「だからですね」・・・という立ち話。どこのどなたかは存じ上げない。

卒業生のカナさん(論系ゼミ10期生)と「パン日和あをや」で会う。もともと5月1日に約束していたのだが、緊急事態宣言が出て、今日に延期されていた。しかし、宣言が延長されて、再延期することも考えたが、先行きの不透明さや、せっかく今日彼女が有休を取ってくれていること、通勤にはなれていること、実家暮らしでないことなどを考えて、予定通り会いましょうということになった。社交は「不急」ではあっても「不要」なものではなく、感染予防に十分に配慮しながら一人一人が判断すべきこと、というのが私自身のスタンスである。

いきつけのカフェの中で一番、コロナ対策がしっかりなされているこの店を選んだ。

一組限定の2階席を予約しておいた。二つのちゃぶ台を繋げて、対角線上に座る。

まずはアップルタイザーで喉を潤す。

社会人2年目となる彼女自身の近況、ゼミ同期の卒業生たちの近況を聞いた。

本日のスープは鶏肉と茄子のタイカレー。ピタパンと一緒にいただく。

タイカレーは以前文キャンのそばにあったカレー専門店「メーヤウ」のタイ風レッドカレーを思い出させた。諏訪通りと明治通りの交わる辺りに「メーヤウ」が復活したという話を聞いたことがあるが、まだ行っていない。

ピタパンはスープとの相性がいい。

入店したときにカウンターに並んでいるクロワッサンを2個キープしてもらっていた(うかうかしているとテイクアウトで完売になってしまうからだ)。そのクロワッサンを味わう。それ単独で味わう。つくづく美味しい。

スイーツ代わりにバターあんコッペ。

〆はほうじ茶ミルクティーをホットで。

彼女は今月のドリンク、ストロベリーアイスラテ。

「パン日和あをや」の後は、天気がよければ池上へ、雨模様ならアーケードのある荏原中延への2通りの案を考えていたが、前者になった。

東急蒲田駅から池上線に乗る。「外国の駅みたいですね」と彼女が言った。大屋根のせいだろう。昔の東急渋谷駅もそうだった。

『終着駅』(1953年)というタイトルの映画があった。ローマの中央駅が舞台だった。「ターミナル駅」は終着駅であると同時に始発駅でもあるわけだが、作品の内容が「終着駅」にふさわしいものであった。ちなみに「終着駅」という日本語はこのときに生まれた。

本門寺通り商店街を通って、本門寺へ向かう。

参拝をしていきましょう。

彼女がおみくじを引いたら「末吉」だった。彼女ががっかりしているようなので、ちょっと説明すると、「大吉」「中吉」「小吉」が「吉」の大きさについてのものであるのに対して、「末吉」は「吉の末端」という意味ではなく、時間的な意味合いの強いもの、つまり「いまはいろいろついてないけれど、いずれ(未来は)よくなる」という「末広がり」の意味なのである。「コロナの時代」にふさわしいものではなかろうか。

線香を大香炉に立てて、煙を体に浴びる。

本門寺公園へ。木漏れ日の下、気持ちのよい風に吹かれながら歩く。

ここでポートレイトを撮りましょう。

天気がもってくれてよかった。

寺町の甘味処「池田屋」で一服しましょう。先客が一人いたが、ほどなくして店を出たので、貸し切り状態になった(5時ラストオーダーで我々が最後の客になった)。

久寿餅(葛餅の当て字)とアイスコーヒーを注文。初夏にはピッタリの組み合わせだ。

「池田屋」の向かいの古い酒屋さんの軒先で撮った「本日の一枚」。

池上駅から蒲田に戻る。JRの改札で彼女を見送る。「先生は何線でお帰りですか?」と彼女が聞いた。「えっ、蒲田は私の地元ですよ(笑)」。「あっ、そうでしたね(笑)」。今日は来てくれてありがとう。また会いましょう。

帰宅。

夕食は秋刀魚の缶詰(生姜煮)を使った丼、吸物。

デザートは葡萄。

食事をしながらがら『大豆田とわ子と三人の元夫』第7話(録画)を観る。「裏切り」あり、「やさしさ」あり、そして「乖離」あり、すごい内容だった。とりわけオダギリジョーには驚いた。

今夜はスーパームーンの皆既月食・・・のはずだったが、薄曇りで見えなかった。月食が終わった頃に空をみるとぼんやりと輝く満月が浮かんでいた。

風呂から出て、ラジオを聴きながら、今日の日記とブログ。明日は雨で、しかも気温が10度も下がるらしい。

2時過ぎに就寝。