フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月29日(月) 晴れのち曇り

2009-06-30 03:44:30 | Weblog
  10時、起床。卵焼きと赤飯の朝食。家では母が家族のお祝い事があるたびに赤飯を炊く。今日の赤飯は息子の誕生日の祝いのときのもの(残り)である。先日の「父の日」にも赤飯が炊かれた。凄いでしょ。でも、私も息子も赤飯が好物なので(胡麻塩をたっぷり振って食べる)、いいんですけどね。
  午後、散歩に出る。資料をいただきに区役所9Fの男女平等推進課に顔を出したついでに、男女平等推進区民会議を「保育付き」のものにすることを考えていただけないかと提案する。委員のお一人にそれを必要とする(そうなればとても助かる)方がいるというのが直接の理由だが、実現すれば、男女共同参画推進プランの1つとして象徴的な意味をもつものになるだろう。右から左に実現できるとは思わないが、動かなければ何も始まらない。
  ジムでウォーキング&ランニングを1時間。オムライス一皿分のカロリーを消費する。「シャノアール」でアイスココアを注文し、1時間ほど読書。くまざわ書店でジェイムズ・ジョイス(柳瀬尚紀訳)『ダブりナーズ』(新潮文庫)を購入。「タブリン市民」「ダブリンの市民」「ダブリンの人びと」などされたきたものをあえて「ダブリナーズ」と原音にこだわっての新訳である。

         
                      明日は雨らしい

  夕食後、少し眠ってから、授業の準備のための読書を始める。途中、明日の正午までに提出しなくてはならない書類のことを思い出し、読書を一時中断。その後、読書を再会して午前3時に及ぶ。フィールドノートの更新をして、これから寝るところ。生活時間の正常化は簡単にはいかない。 

6月28日(日) 雨

2009-06-29 03:00:53 | Weblog
  昨日のフィールドノートの更新時刻をみてもらうとわかるが、就寝したのが午前5時半頃で、起床は11時。私は夜型の人間なので、夏休みとかならたまにあるパターンだが、いまは学期中である。生活時間のサイクルをあまり乱すのは得策ではない。朝食はとらず、アイスカフェラテを飲みながら、NHKの将棋トーナメント(先崎8段vs杉本7段戦)を観戦する。ファンである先崎8段が勝つ。雨の音がだんだん強くなっていく。
  午後、外出先から妻が帰宅。昼食はテイクアウトの鮨。食後、床屋にでも行こうかと考えてみたが、雨音がますます強くなっていくので、断念。時差ぼけのような感じで、少し眠る。
  深夜、目が冴えてきた。本を一冊読んでから、フィールドノートの更新。ようやく眠くなってきた。今週は週の途中で月が替わる。7月、前期最後の月だ。その向うには夏休みが待っている。あとひと踏ん張りだ。

6月27日(土) 晴れ

2009-06-28 05:22:17 | Weblog
  10時、起床。ウィンナーソーセージとキャベツ炒め、トースト、アイスカフェラテの朝食。
  昨日、寝る前に録画で観た「スマイル」の最終回で、ビトと花の出会いの秘密(ビトは知らなかった)が花の口から語られた。花が小学生だったとき、同級生にいじめられていたところをビトに助けられたのだ。そのときから花はビトのことを忘れたことはなかった。これは『1Q84』の青豆と天吾の関係に似ている。青豆が小学生のとき同級生にいじめれているところを天吾に助けてもらってから、青豆は天吾に一途な愛を感じていたのだ。大沢真幸が『不可能性の時代』の中でこんなことを書いている。

  「現在、若者たちの間で人気の、恋愛物のアニメやゲームは、物語的な展開の豊かさを徐々に削ぎ落としつつ、きわめて高い比率で、一つの設定を共有している。恋愛する若い男女は、しばしば幼馴染なのである。(中略)なぜ、今、幼馴染なのか? ここに投射されているのは、親子の関係よりも原初的で直接的だと感受されるような関係だからではなかろうか。無論、現実の幼馴染の関係は、親子関係よりも後に成立する。だが、なぜか理由も分らず、生まれたときから近くに住み、仲良くしているという設定は、家族の関係にさらに先立って作用している。不可避の宿命の作用を、人に感じさせるものがないだろうか。あわせて、長いつきあいで、互いに知り合っている幼馴染は、他者性を感じさせない〈他者〉の典型的な一例ではないだろうか。」(194-195頁)

  大沢は家族の偶有性(他の家族の一員でもありえたということ)を強調して、それに代わる必然的な関係として幼馴染を論じているのだが、そういう思考のルートを無理に辿らずとも、インセストタブーの原理によって家族のメンバーは性愛の対象から社会的に排除されているわけだから、根源的でかつ社会的に承認される性愛の対象として幼馴染にスポットライトが当たるのは十分に理解できることである。現代は選択の時代であり、自己責任が強調される時代だが、にもかかわらずではなく、そうであるからこそ、恋愛や結婚には運命的な要素が求められる。なぜなら、それが重要な選択であるほど、「この選択は間違っていない」という確信を人は欲するものだからである。しかし、自分自身で決めた選択は、その直後から「本当にそれでよいのか?」という自問自答のループに陥ってしまう。そのループから抜け出すためには、自己の外部に絶対的な判断基準(大沢の言葉でいえば「第三者の審級」)が必要なのである。運命とはそうしたものの一つの呼び名である。「合コン」という広く普及している若い男女の出会いの仕掛けには、無理矢理感があり、出会いに運命を付与する機能は弱い。それに比して、幼馴染という関係には歴史性があり、運命と馴染みやすい。
  午後から大学へ。卒業生のHさんが研究室にやってくる。先日、私にメールで婚約の報告と結婚披露宴への出席の打診をしてきたHさんである。相手の方や二人の出会いのいきさつについて話を聞いた。披露宴でのスピーチを依頼されたので、そのための情報収集である。二人の出会いの場所はネット空間であった。といってもいわゆる「出会い系サイト」とかではない。彼女は大学入学当初からブログをやっていた。1年生の終わり頃、彼女が大崎善生の小説『アジアンタムブルー』の感想をブログに書いたところ、見知らぬ人からコメントが来た。それが彼だった。それから8ヵ月後、2人は現実の空間で初めて会った。彼はその文章から彼女が想像したいてとおりの青年だった。ブログの時代の愛。学生たちに紹介しなくちゃ。
  森田芳光監督の『(ハル)』(1996年)は、インターネットが普及する以前のパソコン通信の時代の映画だが、ネット上の映画のフォーラムで知り合った若い男女がパソコン画面に表示される文字によるコミュニケーションから現実の空間での恋愛へ至るまでの紆余曲折の物語だ。(ハル)は男性の方のハンドルネーム。女性の方は(ホシ)といった(最初は自分が女性であることを彼女は隠していた)。主演は深津絵里と内野聖陽。いまはハードボイルドな役が多い内野聖陽だが、当時は繊細な青年の役が多かった。一方の深津絵里はいまと変わらない。時代を先取りした画期的な作品だった。

                  

  娘の所属する劇団の公演が1週間後に迫ったので、以前の記事を再掲します。よろしくお願いします。

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  皆様、いつもフィールドノートをご覧いただき、誠にありがとうございます。娘の舞子です。
  さて、この度、高田馬場にて芝居の公演を執り行う事となりました。
そこで、フィールドノートをご覧の皆様に感謝の意を込めて「フィールドノート割引」をご用意させていただきました。
  お時間がありましたら、劇場にお越しいただければ幸いです。皆様のご来場を、団員一同心よりお待ち申し上げます。
  大久保舞子 拝

  ■フィールドノート割引■
  →1500円のチケットを、1200円にさせていただきます。
  (以下、ご利用方法)
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  1.「フィールドノートを見た」と当日受付にてお伝えいただく
  2.劇団MAIL(swz@live.jp)にご連絡いただく
  ※2の場合、件名に「フィールドノート」と明記してください
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  下記は公演詳細です。
  今後とも、父とフィールドノートをよろしくお願い申し上げます。

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  獣の仕業第2回公演
  『女は鎖、男は愛を潰す』
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  『この身体は薄皮一枚のお金で支えられる。さあパレードだ』
  滴るそれは鎖の味
  送った言葉は「おかえり」
  逝った言葉は「ただいま」
  まだ見ぬあなた
  あたしは、
  あなたと同じにここにいる

  作・演出:小林龍二

  出演:大久保舞子 阿部孝太郎 手塚優希 藤長由佳 小林傑 雑賀玲衣

  日時:
 7月4日(土)15:00/19:00
 7月5日(日)13:00/17:00
  ※上記は開演時間です、開場は30分前となります。

  料金: 1500円(前売・当日ともに)

  場所: 高田馬場アートボックスホール
  →JR山手線・西武新宿線「高田馬場」駅 早稲田口より徒歩8分
  →東京メトロ東西線「高田馬場」駅 6番出口より徒歩5分
  →東京メトロ副都心線「西早稲田」駅1番出口より徒歩3分
   ※詳細は下記獣の仕業HP内公演特設ページにて

  獣の仕業公式HP【獣web】 http://kemono.xxxxxxxx.jp/
  HPにて、公演特設ページや稽古場日記、劇場へのアクセス詳細などがご覧になれます。

6月26日(金) 晴れ

2009-06-27 02:58:09 | Weblog
  9時半、起床。ベーコン&エッグ、トースト、牛乳の朝食。フィールドノートの更新と授業の準備をして、11時に家を出る。今日も暑い。
  3限は講義「日常生活の社会学」。先週、先々週と家族にかかわる少々重いテーマを扱ったので、今週はエンターテーメント性の高い授業を心がける。梅雨の晴れ間の気分転換だ。
  4限は、「ごんべえ」で昼食(胡麻だれうどん)をとったあっと、研究室でゼミのグループ発表(来週)の事前相談。自動車を題材にした環境社会学の話で、たまたま研究室の本棚に宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974)という本があり、これは私が大学2年生のときに出て読んだ本なのだが、図書館の本のように分類ラベルが貼ってある。もちろん図書館の本を失敬したきたわけではなくて、私は一時期、大学院のドクターに入った頃だったろうか、蔵書に図書ラベルを貼って(カードも作成し)分類を試みたことがあったのだ。しかし、それはほどなくして挫折してしまった。理由はいろいろあるが、(1)資金不足(作業はアルバイトの人にやってもらっていた)、(2)日本十進分類法という客観的な基準は、さまざまな分野の本が万遍なくそろっている公共図書館の蔵書の分類には向いていても、関心の偏っている個人の蔵書の分類には不向きである、(3)個人の蔵書はそれほど数が大きくなるわけではないから(現在の蔵書数は、ちゃんと数えたことはないが、1万冊から2万冊の間であろう)、データベースを作っていなくてもどこにどんな本があるかは「だいたい」憶えているものである(持っている本を重複して購入してしまうリスクは、きちんとしたデータベースの構築のために必要なコストに比べればずっと小さい)。しかし、分類の作業がまったく無駄だったというわけではない。そのときのアルバイトの人の一人が、後に私の妻になったからである。
  5限は基礎演習。夏休みの課題レポートについて説明をした。教室に全員が集まって行う授業は今日で最後にして、来週以降は、6、7人単位で私の研究室で夏休みの課題レポートについての指導(卒論仮指導みたいなこと)を行なう。
  6限・7限はゼミ。前半で読んでいた心理学系テキストは今日で読了。次週からは新しいテキストに入る。読みやすかったというのが学生たちの感想だが、来年の3年生はもう少し高目のハードルからスタートしてもよいかもしれない。一方、後半で読んでいる社会学系のテキストは面白い(刺激的だ)が難しい(しかも相当にボリュームがある)というのが学生たちの感想である。いまのペースで読んでいくと、秋学期の半ばくらいに読み終るが、すぐに次のテキストに移らないで、最初からもう一度読むという手もあるかなと考えている。面白いが難しい本というものは再読すると理解度がぐんと高まるからである。競うべきは読んだ本の数ではなく、読み込んだ(自分のものにした)本の数である。

         
        今日のスイーツはスタバのドーナツ(暑さで砂糖が溶けてます)

  「つけ麺大王」で食事(肉つけ麺)をすませたから、11時に帰宅。卒業生(1998年卒)のShihoさんから結婚通知の葉書が届いていた。彼女はいま出身地である大阪の放送局で働いている。「まさかでした(笑)」との添え書きがある。そうそう、いつ、どこで、どんなふうな出会いから、結婚に至るかは誰にも予測できない。結婚式の写真の彼女は若い頃の綾戸智恵に似てとてもチャーミングだ。お相手の男性はサマーズの大竹一樹に似ている。夫婦漫才(当然、夫がボケで妻がツッコミだ)ができるんじゃないだろうか。どうかお幸せに。

6月25日(木) 晴れ

2009-06-26 11:17:19 | Weblog
  9時、起床。ウィンナーソーセージとキャベツ炒め、トースト、オレンジジュースの朝食。授業の準備をして、11時過ぎに家を出る。
  昼休みの時間は専門演習のグループ発表の事前相談。学生の一人が風邪気味で鼻をグスグスしている。この時期、研究室や教室での冷房の入れ方には気を使う。同じ温度設定でも、暑いと感じる学生もいれば、寒いと感じる学生もいる。ほんと、難しい。私自身は冷房が苦手なので、どこへゆくにもジャケットが必要である。ジャケットがあれば、冷房が少々きつくても対応できる。しかし、学生を見ていると、けっこう冷房に対して無防備で、二の腕を冷風にさらしている。これじゃあ寒いだろうなと思う。
  3限は大学院の演習。O君が面白い内容の論文を紹介してくれたが、他の学生はどうもちゃんと読んできていないみたいで、たいした質問やコメントが出ない。もっぱら私とO君でディスカッションをする。
  4限は研究室でおにぎりを食べながら授業の準備。5限は専門演習「現代社会とセラピー文化」。今日発表したグループはパワーポイントを使っていたが、聞き手に顔をあげさせる(レジュメから)効果は大きい。途中で発表者が「大久保先生はどうしてブログをやっているんですか?」と質問をふってきたので、ブログ研究の文献によれば「自己表現」と「他者とのコミュニケーション」というのが2つの主要な欲求だといわれているようですね、と一般論で返答をする。最大公約数的な回答で、このあたりはじっくり論じようとすればいくらでも論じられるところだが、とりあえず発表の流れに沿う方向で答えておく。発表者たちがケータイとブログを他者からまなざされることを求めるメディアとして同列で例にあげたことに対して、当然ながら、コミュニケーションの形式においてケータイは双方向的でブログは(完全に一方的ではないものの)非対称的であるといった意見が聞き手から出た。また、ケータイが特定の他者とのコミュニケーションであるのに対して、ブログは不特定多数の他者とのコミュニケーションを志向するものであるとの意見も出た。確かに二つのメディアを対照的に論じようとすればそういうことになると思うが、そこから始めてもう少しきめ細かく論じていかないと、認識は紋切り型になってしまう。たとえば、いま、私がここで、「・・・という意見をTさんが述べた」と書けば、ブログの読者の一人であるTさんは観客として自分が観ていた舞台にいきなり自分が登場したような気分になるであろうし、ブログから自分宛のメッセージが発信されたことを感受するであろう。つまりブログというメディアは、特定の他者との双方向的なコミュニケーションのメディアとしての機能も潜在的にもっているということである。ネット空間での相互作用の研究はまだ初発の段階にあり、これから大いに開拓が期待される分野である。
  TAのI君と「メーヤウ」で食事をしてから帰宅。特定給付金の振込通知が届いていた。妻がさっそくコンビニで引き下ろしてきて家族全員にそれぞれ1万2千円を支給する。国策に協力して、何かにパッと使ってしまおう。
  先日、アマゾンで注文した矢沢あい『天使なんかじゃない』全8巻(中古)も届いていた。いかにも、いかにもの、少女漫画である。これに読みふける自分を想像するとき、かすかなアイデンティティの危機を予感してしまう。

         

  深夜、明日の講義「日常生活の社会学」の資料(パワーポイント)を作り終えて、USBに保存しようとしたとき、USBを5限の授業の教室に忘れてきてしまったことに気づく。研究室に忘れてきた可能性もあるが(それならよいが)、教室の机の上に忘れてきてしまった可能性の方がはるかに高い。いろいろなデータが入っているので、紛失すると困ったことになる。時間が時間なのでためらったが、キャンパス入り口横の警手さんの詰め所に電話を入れて、事情を説明すると、そのUSBなら各教室を施錠するために最後の見回りをしたときにありました(こちらで保管してあります)とのこと。ああ、よかった。ありがとうございます。これで安心して眠れます。