フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月30日(金) 薄曇り

2006-06-30 23:59:59 | Weblog
  午前中、書斎で仕事をしていると、A新聞社のM記者から携帯にメールが届き、総長選挙についてのコメントを求められる。気が進ままないので、断りのメールを返す。というわけで朝から気分が重い。
  昼から大学へ。3限(社会学演習ⅡB)と4限(大学院演習)の間に総長選挙の投票を済ます。ろくでもない状況だが、棄権はしない。白票を投じるという行為には惹かれるものがあるが、結局、それもしなかった。もうしばらくこの大学の一員としてやっていく以上は、組織の長の選挙に傍観者のポーズは取りたくない。5限の時間は空き時間で、研究室のリクライニングチェアーに身体を沈めて目を閉じていたら、S書店の社長兼営業マンがやってきて、あれこれカタログを見せられる。購買意欲をそそられるもの皆無。6限(社会と文化)の授業を終えて研究室に戻り、PCを起動。大学のホームページで総長選の結果(現総長再任)を知る。「五郎八」で夕食(揚げ茄子のおろし蕎麦)を取り、成文堂で山田ズーニー『17歳は2回くる』(河出書房新社)を、あゆみブックスでローリー・リン・ドラモンド『あなたに不利な証拠として』(早川書房)を購入。電車の中で前者を読み、蒲田に着いてからマクドナルドでポテトセット(フライドポテトとコーラで330円)を注文して後者を読む。
  東京オリンピックの翌年(1965年)、俳優高田浩吉の娘高田美和の歌う「十七才は一度だけ」という歌がヒットした。小学校5年生だった私は、「18才だって、19才だって一度だけだ」と思った。かわいげのない子だった。しかし、ほどなくして私も17歳という年齢が特別な意味を持つものであることを理解する。それは純粋さのピークの年齢であった。翌年からは「18歳未満お断り」の世界へと入っていく。堕落の始まりである。汚れていくのである。だからこそ西郷輝彦は「十七才のこの胸に」を歌い、南沙織は「17才」を歌ったのだった。森高千里は「17才」をカヴァーし、その後、「私がおばさんになっても」を歌った。加齢とは悲しきものなり。ところが山田ズーニーは『17歳は2回くる』と言う。一体、どういう意味かと読めば…

  「なんのことはない、私自身が、『自分は何ものか?』ゆらゆら、悩みまくった年があって、いい大人になって、なんでこんなにゆらゆらするんだろう、と数えたら、社会に出て、ちょうど17年目だった。
  社会人の17歳。
  大卒なら39歳前後、高卒なら35歳前後、中卒……。これは、びみょーだなあ、だって中学生って、1回目の17歳もまだだもんなあ。
  とにかく、そのくらいで社会人の『思春期』がくる。かなり乱暴な説だけど、私はそう思っている。」

  山田ズーニーは大学を卒業してベネッセコーポレーションに入社し、17年目で退社して文筆の道へ進んだのであった。なるほどね。そういえば、私も放送大学から早稲田大学に移ったのが39歳前後であった。そして、あと4年で3回目の17歳を迎える。

6月29日(木) 晴れ

2006-06-30 10:09:49 | Weblog
  午後から大学へ。電車の座席でノートパソコンを開いて原稿書き。草稿レベルであれば、電車の中でもそこそこ書ける。昼食は文学部の近くに最近開店した「norari kurari」という名前のカフェでタコライス(コーヒーとセットで800円)。テーブルと椅子が低く作られていて、普通に座ると膝小僧がテーブルの下に当たる。それで足を前に投げ出すような姿勢で椅子に腰掛けることになる。落ち着くような、落ち着かないような、不思議な気分。テーブルと椅子の高さを少しばかり変えるだけで非日常的空間が演出できるところが面白い。店内には無線LANのアクセスポイントが設置されているので、持参のノートパソコンでインターネットが利用できる。メールをチェックしてから、原稿書きの続き。
  明日(30日)は総長選挙(再投票)。郵便受けに、メールに、はたまた研究室のドアの隙間に、あれこれの文書が舞い込む。何なの、これは? まるで村の政治だ。学者というのは政治に関心のない人が多いのかと思っていたが、そうでもないらしい。ここを先途とはりきっている人たちがいる。このエネルギーを授業に振り向けるだけで(格別の施設や予算がなくても)早稲田大学の教育レベルは確実にワンランクアップするであろう。しかし、現実に展開されているのは、教職員から時間とエネルギーを収奪するシステムの構築である。それは着々と進行している。私が今日電車の中やカフェで原稿を書いているのも、そうした現象と無関係ではないはずだ。たぶん、そうだと思う。

6月28日(水) 薄曇り

2006-06-29 02:03:38 | Weblog
  昼食後、散髪に行って、帰りにくまざわ書店に寄り、無着成恭編『山びこ学校』(岩波文庫)を購入。次回の大学院の課題テキストである佐野眞一「近代日本の田舎イメージ」の中で『山びこ学校』に言及されていたので資料として。カズオ・イシグロ『私を離さないで』(早川書房)を購入しようかどうしようか迷ったが、今日は見送ることにした。それほどの作品ではないと判断したからではなく、むしろその逆で、今日購入したら仕事に差し支えると判断したのである。『週刊文春』6月29日号の「ミステリーレビュー」で池上冬樹がこうコメントしていた。

  「いやあ素晴らしい。圧倒されてしまった。今年はローリー・リン・ドラモンドの『あなたに不利な証拠として』に★★★★★満点をつけ、もう満点は出ないだろうと思っていたら、カズオ・イシグロの『私を離さないで』(早川書房)が出た。六月八日号に書評が掲載されているので紹介できないが、これは何がなんでも必読の大傑作だ。」

  このコメントの上手いところは、『私を離さないで』と『あなたに不利な証拠として』をセットで購入してしまいそうになるところだ。あぶない、あぶない。そんなに面白いミステリーを二冊も購入してしまった日には、仕事が滞ってしまって大変なことになる。授業期間が終わるまで、いや、試験の採点が終わるまで、購入は控えること。夏休みとミステリー。相性はとてもいい。
  この頃、蒸し暑い日が続いているせいで、夜更けに、近所のコンビニにかき氷や冷たい飲物を買いに出ることが多い。本当は夜の散歩をしたいのだが、昼の散歩と違って夜の散歩には怪しげな雰囲気が漂っているので、「コンビニにお買い物」という大義名分の下、少しばかり夜の道を歩く。空気が適度にひんやりとして心地よい。昼間は寝てばかりいる半野良猫の「なつ」と「あき」が路地で遊んでいる。通りがかった近所のおばさんが「なつ」に向かって「はるちゃん」と呼びかけている。違いますから。「なつ」ですから。「はる」はわが家の飼い猫の名前ですから。心の中でそう呟く。おばさんが通り過ぎてから、「なつ」に向かって、「なつだから」と念をおす。

6月27日(火) 梅雨の晴れ間

2006-06-28 03:21:42 | Weblog
  午後から大学へ。午後3時から、新学部の基礎演習のワーキング・グループの会合。英文学の水谷先生が書いてこられた「アカデミック・ライティング入門」(草稿)の検討など。論文の書き方とは別にプレゼンテーションの方法についてもガイドブックがあった方がよいのではという意見を述べたところ、案の定、私が草稿を書くハメになった。何か意見を言えば仕事が増える。これ大学の会議の常識である。わかってはいるが、ついつい意見を言ってしまう。
  午後4時から、文化構想学部現代人間論系運営準備委員会に途中参加。7月29日(土)、30日(日)の両日、新学部のオープンキャンパスが予定されている。現代人間論系からも出店を出さねばならない。私は30日の担当と決まったが、困ったことが(少なくとも)一つある。いつものオープンキャンパスであれば、在学生や助手に手伝ってもらって受験生の相談相手になってもらうのだが、新学部には在学生や助手というものがいない。われわれ教員だけで受験生の相手をするとなると、カリキュラムの話はいいとして、大学生活全般(サークルやアルバイトを含む)についてざっくばらんに話をするという雰囲気ではなくなる。何よりオジサン教員ばかりが雁首を揃えている教室には受験生も入りにくいのではなかろうか。何か工夫を考えなければ。教室の入口に「麦茶が冷えてます!」と貼り紙をしておくなんてどうだろう。
  この後、もう一つ別の会議に出席して、午後7時半に帰宅。娘はいつものようにサークル、息子は今日から学校帰りに週に3日予備校に通い始めたので、妻と二人だけの食卓。わが家もそういうファミリー・ライフ・ステージを迎えたのである。
  本日引き受けることになった「プレゼンテーション入門」の原稿について〆切などをメモしたポストイットを机上のプリンターの前面に貼る。ずいぶんポストイットが増えた。数えてみたら、今年中に書かなくてはならない原稿の合計が600枚近くになっている。一月平均100枚のペースだ。いつも鞄の中にパソコンを入れて持ち歩いて、電車の座席でも書きますくらいの気持でやらないと無理であろう。ひとつそうしてみるか。

          

6月26日(月) 雨のち曇り

2006-06-27 02:17:10 | Weblog
  来年スタートする文化構想学部と文学部では、1年生の基礎演習で共通テキストを使用する。そのために両学部の全専任教員に400字詰原稿用紙換算で30~50枚の論文・評論の執筆を依頼することになったのだが、依頼をするにあたっては、まず基礎演習ワーキングの教員たち(私もその一人)が「見本」となる論文・評論を書かねばならない。その〆切が明日なので、今日は朝から机に向かっていた。書き下ろしである必要はないので、以前書いた「近代日本における人生の物語の生成」(大久保孝治編『変容する人生』コロナ社、2001、所収)を規定枚数に合わせて削り、テキスト用に「本稿のねらい」や「さらに進んで学びたい人のために」を付け加えたりした。
  息抜きに『月刊ザ・テレビジョン』をパラパラめくりながら、夏のTVドラマをチェックする。役者、脚本家、ドラマの設定、これが初回を観るかどうかを決めるときの3要素である(2回目以降を観るかどうかは初回を観て決める)。初回を観るドラマは以下の4作。曜日順に並べると、
  「サプリ」(月9、フジ) 広告業界が舞台。主演の伊東美咲は好みの女優ではないが、共演の亀梨和也には「野ブタ。をプロディース」で好印象をもっている。佐藤浩市の存在も大きい。
  「結婚できない男」(火10、フジ) 阿部寛が偏屈で独身の建築家の役で主演。脚本の尾崎将也とは「アトホームダット」で組んでいる。
  「下北サンデーズ」(木9、テレ朝) 下北沢の小劇団を舞台にした青春群像劇。なんだか他人事ではない気がする。原作は石田由良。主演は上戸彩。脇を固める古田新太と佐々木藏之介が頼もしい。
  「誰よりもママを愛す」(日9、TBS) 田村正和が弁護士の妻を支える専業主夫を演じる。59歳の役だが、田村自身はこの8月で63歳になる。一体、どこまで二枚目で頑張るつもりなのか観てみたい気がする。芸能界復帰の内田有紀にも注目。
  全体として、今夏の連ドラはぱっとしない印象。かつての「ビーチボーイズ」のようないかにも「夏の連ドラ!」という感じの作品がない。単発のドラマだが、木村拓哉主演の「HERO Again」(7月3日)が一番楽しみかもしれない。