フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年6月(後半)

2005-06-30 23:59:59 | Weblog

6.16(木)

 3限の時間、研究室で調査実習のコピー班(資料のコピーを担当する班ではなくて、商品のキャッチコピーから「人生の物語」について考察する班)の相談。大切なことは、自己主張をしつつ、連携プレーをすること。自己主張のない連携プレーは退屈だし、連携プレーの欠けた自己主張は見苦しい。4限の時間、研究室で二文3年生のT君のアドバイザー面談。5限は一文の卒論演習。Nさんが少子化問題について、F君が「スラムダンク」について、それぞれ報告。「スラムダンク」は『週刊少年ジャンプ』の全盛期を支えた作品の1つで、私も愛読者の一人であった。とはいっても雑誌を購入していたわけではなく、雑誌が発売される毎週月曜日に、当時住んでいた東西線の原木中山駅前の本屋で立ち読みをしていたのである。6限の時間に「五郎八」に夕食(きざみ鴨せいろ)を食べに行く。7限の基礎演習は約束通りテキストを読んできていない(読んだのかもしれないが、BBSに感想の書き込みをしていない)学生がけっこういたので、看過すべきではないと判断し、説教をする。基礎演習は大学での勉強の仕方を習得する場所であって、不勉強の習慣を身につけるための場所ではない。7限の授業の後、研究室で二文4年生のMさんとEさんと雑談。11時半、帰宅。風呂から上がって、録画しておいたTVドラマ『恋におちたら』を観る。来週がいよいよ最終回である。すべては予定調和的な結末に向かって進んでいる。

 

6.17(金)

 5限の調査実習は今日からグループ報告が始まった。先陣を切ったのは小説班。片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」、重松清「ビタミンF」、村上春樹「海辺のカフカ」の3冊を取り上げて、純愛や家族について論じていた。中間報告なので結論めいたものは必要ではなく、それぞれの班(小説、映画、音楽、ブログ、コピー)がどういうことをやっているのかがわかればよい。他の班がやっていることを知ることで、自分たちの班が今後どういう方向でやっていけばよいかのヒントが得られればよい。ディスカッションが終わったのは午後7時。それから音楽班の相談を「フェニックス」で9時まで行う。それを終えて、研究室に戻る途中、スロープでF君と出くわし、いま文カフェで来週が報告のブログ班が話し合いをしているのでちょっと相談に乗って下さいと言われ、顔を出す。椅子に座ると長くなりそうなので、立ったまま話をする。今日は3限の大学院の演習から8時間も学生を相手にしゃべっている。明石家さんま並である。深夜、TVをつけたら、「さんまのまんま」(ゲストは杉本彩)をやっていた。彼も50歳になったようだ。

 

6.18(土)

 正岡先生が1981年度に担当された調査実習クラスの同窓会がリーガロイヤルホテルで開かれ、当時TAとして参加していた私(大学院の博士課程の2年生で27才だった)も出席する。実に24年ぶりの再会である。すでにみな40代の半ばを迎えている。彼らとの年齢差は当時と同じ6才であるが、あの頃の6才差といまの6才差は違う。彼らは私とはもう同年配の人間である。挨拶の中でそう言ったら、彼らは「え~っ」とか言っていたが、いまの大学生には間違いなくそう見えるはずである。私が今年度担当している調査実習クラスには博士課程1年生のI君(27才)がTAとして参加していて、ちょうどかつての私と同じ立場にいるのだが、もし四半世紀が経ってから同窓会が開かれたら、I君もきっと私と同じ感慨に耽ることだろう。年齢差は絶対的なものだが、年齢差がもつ意味は相対的なものである。今日の2限、私は1年生を相手に講義をしたが、彼らとの年齢差は実に32才である。つまり彼らが生まれたとき私は32才だった。32才と0才では神様とミジンコくらいの違いがある。あの時の赤ん坊が、いま、私の講義を聴いて、出席カードの裏に質問やら感想やらを書いて、私を喜ばせたり困らせたりしているのである。時は矢のように飛ぶ。

 

6.19(日)

 今日は父の日ということで夕食はすき焼きだった。4月11日の私の誕生日のすき焼きの件では世間に衝撃を与えてしまったので、今回は100グラムいくらの牛肉であったかは記さないことにする。普段は別々に生活をしている階下に住む私の両親を夕食に招いたのだが、父が「柔らかい肉だね」と言い、母が「いい肉だね」と言うので、価格を告げたら、驚いていたということだけ報告しておこう。夕食後、腹ごなしに散歩に出る。熊沢書店で、岡田惠和『TVドラマが好きだった』(岩波書店)、伊集院静『美の旅人』(小学館)、酒井潔『自我の哲学史』(講談社現代新書)、三砂ちづる『オニババ化する女なち』(光文社新書)を購入。岡田惠和(よしかず)は私の好きな脚本家の一人で、『ビーチボーイズ』『彼女たちの時代』『ホームドラマ!』などのオリジナル脚本だけでなく、TVドラマ『アルジャーノンに花束を』や映画『いま、会いにゆきます』などの原作のある脚本も手がけている。本書は過去の名作ドラマへのオマージュだが、1959年生まれで私と年齢が近いため、取り上げられている作品のほとんどは私も観ていた。たぶん感性が似ているのだろう(ただし、山田太一『想い出づくり』と倉本聰『北の国から』が1981年の秋の同じ曜日の同じ時間帯に放送されていたとき、彼が前者を観ていて、私が後者を観ていた点は違う)。『淋しいのはお前だけじゃない』という1982年の夏に放送された市川森一脚本のドラマ(主演は西田敏行)を取り上げて、岡田はこんなことを書いている。

 放送された当時、私は、二〇代前半。シナリオライターを志し始めた頃である。このドラマを観て、打ちのめされた記憶がある。

 「こんなドラマ自分にかけるわけない」

 シナリオライターなんて自分には無理かもしれない・・・・。こんな発想できるわけないし、こんなよく仕組まれた物語を、いくら勉強したって自分が書けるようになるとは到底思えない。

 そんな気持になった記憶がある。

 ドラマだけでなく、小説でもそうだろうが、作家志望の人にとって、二種類の作品があるのではないかと思う。

 一つは描かれていること、描き方などを見て、さきほどの私のように「こんなもの書けるわけない」と思わせる作品。

 もう一つは、描かれていることも身近で、描き方も、平易に描かれていて、「ひょっとしたら自分にもできるのかも」と勘違いさせてくれる作品。

 (もちろん、それは大いなる勘違いであるのは言うまでもないのだが。)

 市川森一さんの作品は前者である、私にとっては。誤解を恐れずに書くと、たとえば、山田太一さんの作品などは後者なのかもしれない。もちろん、それは大いなる勘違いを産むのだが・・・・。

 「ドラマだけでなく、小説もそうだろうが」と岡田は書いているが、論文や評論やエッセーもそうだろうと私は思う。「こんなもの書けるわけない」と思わせる作品と、「ひょっとしたら自分にもできるのかも」と勘違いさせてくれる作品。私にとって、丸山真男は前者で、清水幾太郎は後者だった。小林秀雄は前者で、加藤周一は後者だった。丸谷才一は前者で東海林さだおは後者だった。おそらくそうした勘違いの延長線上にいまの私がいるのである。恥ずかしいことである。そして、いま、私の社会学基礎講義を受けている1年生の何割かが、「ひょっとしたら自分にもできるのかも」と思ってしまって(それは勘違いではないが)、来年、社会学専修に進むことになるのであろう。因果は巡るのである。

 

6.20(月)

 次回の大学院の演習は私が報告をする番なので、昭和戦前期のマルクス主義および日本共産党について調べる。当時、マルクス主義は高校生や大学生の間で「大きな物語」として機能していた。社会の歴史と個人の人生をマルクス主義が架橋していた。治安維持法による思想弾圧はかえってヒロイズムとセンチメンタリズムを運動に参加する青年たちにもたらした。たとえば、中野重治の「夜明け前のさよなら」(1930年)という詩。

 

 僕らは仕事をせねばならぬ

 そのために相談をせねばならぬ

 しかるに僕らが相談をすると

 おまわりが来て眼や鼻をたたく

 そこで僕らは二階をかえた

 路地や抜け裏を考慮して

 

 ここに六人の青年が眠っている

 下にはひと組の夫婦と一人の赤ん坊とが眠っている

 僕は六人の青年の経歴を知らぬ

 彼らが僕と仲間であることだけを知っている

 僕は下の夫婦の名まえを知らぬ

 ただ彼らが二階を喜んで貸してくれたことだけを知っている

 

 夜明けは間もない

 僕らはまた引っ越すだろう

 かばんをかかえて

 僕らは綿密な打合わせをするだろう

 着々と仕事を運ぶだろう

 あすの夜僕らは別の貸ふとんに眠るだろう

 

 夜明けは間もない

 この四畳半よ

 コードに吊されたおしめよ

 すすけた裸の電球よ

 セルロイドのおもちゃよ

 貸ぶとんよ

 蚤よ

 僕は君らにさよならをいう

 花を咲かせるために

 僕らの花

 下の夫婦の花

 下の赤ん坊の花

 それらの花を一時にはげしく咲かせるために

 

 『中野重治詩集』(岩波文庫)の解説の中で、松田道雄はこう書いている。

 医学部に入って、「医学部読書会」に参加すると同時に、私は特高のブラックリストにのせられた。臨床医としてしか生きる道のないことをさとって、小児科医になる修業をつづけながらも、私は手に入る限りの左翼の本をもとめてよんでいた。かくれたシンパ活動をこえることがなかったので、公然と転向をせまられる機会がなかった。

 一九三五年に日本共産党が袴田里見の検挙によって活動を停止したあと、中野重治の作品は私をはげました。この人は転向していない。この人の目がものを見あやまらないのは、私たちの思想があやまっていないからだ、よむたびにそう思うのだった。

 思想は哲学や社会科学の言葉によって語られるだけでなく、文学の言葉によっても語られる。山川均や福本和夫の論文だけではなく、プロレタリア文学というものを持ち得たことが、昭和戦前期のマルクス主義が青年層へ広く浸透していく要因ではなかったか。

 調べものが一段落したところで、スポーツクラブへ行く。帰りにTSUTAYAで『いま、会いにゆきます』のビデオを借りて、深夜に観る。不思議な、そしてちょっと怖い話だ。何が怖いかというと、主人公の女性が自分(たち)の未来を知りつつ、そのことを言わずに、夫や子どもと生活をしていたところがだ。彼女は何もかも知っていて、夫と子どもは何も知らないのだ(後から彼女が遺した日記を読んで夫は、たぶん息子も、そのことを知るのだが)。感動するというよりも、怖かったですね、私は。

 

6.21(火)

 午前11時から午後8時までずっと会議(1つの会議ではなくて、3つの会議が連続してあったのである)。今日は一年で一番昼間の時間の長い日であったが、会議が終わって外に出たらさすがに空は暗くなっていた。「メーヤウ」で夕食(タイ風レッドカリー)をとり、あゆみ書房で荒川洋治の最新詩集『心理』(みすず書房)を購入。表題作はこんな詩だ。

 

   新幹線で三島駅を通るたびに

   「ああ、もっと勉強しなくては」と 子犬は思う

 

 昭和二十年 終戦の年の十二月

 静岡県三島市に「庶民大学」の序章は生まれた

 講師は三十一歳の

 東大助教授丸山眞男

 学生、商店主、農民、主婦、子犬が集まる

 講義の中心は「なぜ戦争は起きたのか。どうして日本人は戦争を阻止できなかったのか」

 という根本的自他の冬の問いかけに応えるもので

 初回「明治の精神」(この日 子犬が集まる)

 翌年二月から四月は「近代欧州社会思想史」(八回)

 十二月は「現代社会意識の分析」(二回)さなかに彼は

 雑誌「世界」に「超国家主義の論理と

 心理」を発表、

 漱石の小説「それから」のせりふと

 戦争中の軍隊教育令、作戦要務令をとりあわせるなど

 の斬新な手法と論理で 戦争に至る

 日本の精神史を描き出す

 

 「許さん!」というメモを

 子犬はバッグのなかに

 しのばせて歩いていたら

 それが町の風でこぼれ落ちて 子犬のもとから

 ふわふわ空を飛んで

 

    それは「ゆるさん!」ではなく「許さん」という韓国の批評家の名前だ

    その許萬夏さんからはよく突然国際電話がかかるが

    彼はたいへん明敏な人で

    以上のような話も

    「三島教室というのがありまして・・・・・・生きたひとの、生きた話を

    生きた市民がきいた、というような 事件」

    くらいに早口でしゃべり

    あとは

    ぼくはびわが好きです びわもお月様 などと

    何の関係もないことのひとつふたつ言っておくと

    (これが重要)

    ものごとはちょうどいい具合になり

    すべてを

    理解してしまうという人なのだ

 

    外国に対しては 電話がちょうどいい

    つながるときも

    切れるときも

 

丸山の生活は庶民と同じで衣食住はままならず貧窮の底を這った 普段着は軍服と軍靴

あいまをみて郷里「信州」や常磐線まで買い出しにでかけた

軽い荷物と重い荷物が駅を通過する とても静かな駅を

 

詩「心理」はまだまだ続く。これでちょうど半分くらい。最後まで読みたい人は本屋で立ち読みをして下さい。実は、今日の会議の一つで、次号の「文学研究科紀要」に論文を一本書かせてもらうことが決まったのだが、書いてみたいテーマは複数あって、どれにしようか決めかねていた。偶々、この「心理」という詩を読んで、「二十世紀研究所」時代の清水幾太郎について書くことに決めた。「二十世紀研究所」とは、終戦の翌年、読売新聞社の論説委員を辞めた清水幾太郎が立ち上げた在野の研究所で、その活動の一環として「二十世紀教室」という巡回公開講座があって、それには多くの学者がかかわったのだが、丸山眞男もその一人だったのである。「悔恨共同体」というのは丸山の造語だが、三島市の「庶民大学」や、「鎌倉アカデメイア」や、「二十世紀研究所」といったものが続々と立ち上がった背景には、庶民の知への渇望だけではなく、知識人たちの悔恨、なぜあの無謀な戦争を止められなかったのかという思いがあった。しかし、清水は少し違っていた・・・・そのあたりのことを中心に書いてみようと思うのである。締切は9月末。夏休み中に他に2本の論文を書かなくてはならない。7月と8月で2本、9月で1本、それほど無理のない計画のように思えるのだが、不思議なことに、その場になってみると、なんて無謀な計画だったのだろうと悔恨の情にとらわれるのである。わかっちゃいるけど、やめられない、のである。

 帰宅して、演劇・映像専修の武田先生から拝借したケツメイシの「さくら」のプロモーションビデオを観る。脚本は岡田惠和。一昨日のフィールドノートをお読みになって、私の岡田惠和好きを知った武田先生が貸して下さったのである。なぜ武田先生がこのプロモーションビデオを所有していたのかというと、物語の中で武田先生が訳されたJ.オーモンらの『映画理論講義』(勁草書房、2000年)という本が主人公の男女の仲を取り持つ小道具として使われているためらしいのである。武田先生はご存じないが、私は岡田惠和のファンであると同時にケツメイシのファンでもある。だから私にとって一粒で二度美味しいグリコのようなプロモーションビデオなのである。岡田の脚本はよく出来ていると思った。しかし、よく出来ているために、そして出演している鈴木えみという女優がとても美しいために、肝心のケツメイシの歌が喰われてしまっているという印象を受けた。岡田惠和、頑張りすぎである。

 

6.22(水)

 今月初旬に入会したスポーツクラブだが、毎週2回(月・水)のトレーニングも3週目が終わった。トレーナーの人から「筋肉痛は3週間くらいでなくなりますから」と説明を受けていたが、なるほど、疲れはするが筋肉痛はなくなった。疲れの方も、気持のいい疲労で、ジムから自宅へ帰るときの道草をしながらの散歩が楽しい。ジムを出るのは午後5時頃だが、いまの季節は日が長く、雨の日でなければ(今年の梅雨はこれまでのところ雨の日が少ないように思う)、空はまだ明るい。ジムのあるビルの一階のスーパーマーケットで一口サイズにカットしたスイカのパック(300円)を買って、アロマスシティビルの前のベンチで食べた。そのとき目の前にあった松竹橋をケータイのカメラで撮る。松竹の撮影所が蒲田にあったのは大正9年から昭和11年までの間だが、撮影所の正門前を流れていた小川に架かっていた松竹橋の親柱がかつての「シネマの都」の記念にここに置かれているのである。撮影所はその後、大船に移転してしまったが、昭和11年といえば小津安二郎が彼にとっての最初のトーキー作品『一人息子』を撮った年であるから、活動写真からトーキーへの移り変わりの時期であり、蒲田駅と目の鼻の先の撮影所というのは電車の音などの問題があって使用に耐えなくなったのであろう。撮影所が移転してしまったのはしかたがないとして、1970年代くらいまではあった東口の映画館街が跡形もなく消えてしまったことは淋しい限りだ。JR蒲田駅のホームには電車の発着のときに「蒲田行進曲」が流れるのだが、「シネマの都」に映画館が2館(西口の亀屋ビルの中の「蒲田宝塚」と「テアトル蒲田」)しかないというのは地域振興という点で非常にまずいことだと私はつねづね思っている。近々、都議会議員選挙があるが、「蒲田に映画館街を復活させます」と言ってくれる候補者がいれば私は絶対に一票を入れるのであるが、どの候補者も似たりよったりのことしか言わないので、誰が誰だか区別がつかない。映画館が無理なら古本屋でもいい(唐突か)。とにかく駅の周辺に焼き肉屋と回転寿司屋とパチスロとサラ金ばかりというのは退屈だ。誠竜書林で、小林勇『随筆雨の日』(文藝春秋新社、1961年)、鈴木貞美『人間の零度、もしくは表現の脱近代』(河出書房新社、1987年)、沢木耕太郎『チェーン・スモーキング』(新潮社、1990年)を各200円で購入。

 

6.23(木)

 朝食をとりながら、昨日購入した小林勇『随筆雨の日』の中の一編、「父と娘―三木清―」を読む。1960年の9月に書かれた文章で、それは三木清が死んでからちょうど15年目にあたる。話は小林が三木清の一人娘洋子と彼女が勉強している東大の史料編纂所の玄関で待ち合わせて、昼飯を一緒にするところから始まる。

 洋子はうなぎを食いたいという。私達は赤坂山王の樹木の中の料亭へいった。座敷に対座して、私は洋子をしみじみと見た。父親に似ているがそれよりも遙かに豊かで美しい体格の立派な一人の婦人が洋子なのだ。明るい感じが溢れているのがうれしかった。こうして座っていうるとさすがに三木清の面影がありありと蘇って来るのだった。

 今日、私は洋子に、その父についてききたいことがあったのだ。

それは三木が埼玉県の鷲宮に疎開していた頃のこと、とくに警察から脱走してきた高倉テルを一晩泊めてやって衣服と金銭を与えたために三木が特高に逮捕された前後のことだった。小林の文章は三木清の無念、洋子の無念を晴らすために書かれたものである。1950年の雑誌『新潮』2月号に発表された今日出海の「三木清に於ける人間の研究」という三木清の偶像破壊(というよりも誹謗中傷)を意図した文章への反駁のために書かれた文章である。

 ともかくこれが出たときに洋子はひどい打撃を受けた。そして父のために反駁を書こうとしたが、東畑教授(大久保註:一橋大学教授の東畑精一。洋子の伯父)にさとされて思い止ったということである。東畑教授は、まだ幼い洋子に、この種のことについて反駁する力はないと考えたのであろう。

 私もまた今氏の文章に腹を立てた。

 或る日、清水幾太郎、吉野源三郎、栗田賢三の三氏と私は酒を飲んでいた。今氏の書いたものの話が出たとき私は憤慨して、三木のために反駁を書くといい出した。その時、清水、吉野の両氏はしきりに私に書いてはいけないといった。しかし今氏の三木についての文章には二人とも反対であった。私は今氏を反撃するのは、自分が適任だと主張したが、二人は何故かあくまで私の書くことに反対した。私はそれでは誰が書くのだときいた。吉野氏は自分が書くといった。私は念のために吉野氏が書かない場合はどうするかもたずねた。もしそんなことがあれば自分が書くと清水氏が断言した。

 数年後、吉野氏に約束の文章を書くのかどうかをたずねた。書く意志があるという返事だった。さらに二三年たった後に同じことをきいて、同じ返事を得た。けれど今日まで、まだそれは発表されていない。

 洋子と私とはこのことについても話した。洋子はハンカチを眼にあててしばらく泣いていた。そして「もう遠いことのような気もします」とかすかな声でいった。

 小林勇は職業的な物書きではない。岩波書店のナンバー2、大番頭の地位にあった人である。しかし達意の文章を書く人で、古本屋の主人には彼のファンが多い。私も彼の文章が好きで神田の古本屋で『小林勇文集』全11巻を購入している。とくに亡くなった旧友のことを書いた文章は彼の作品の中でも白眉といってもいいもので、こんな文章を書いてくれる人を友に持った人は幸せだと羨ましくなるほどである。同時に、こういう確かな眼力をもつ人が編集者にいるというのは原稿を書く身としては恐ろしいことだなとも思う。私だったら絶対に小便をちびってしまうと思う。でも、そういう編集者と一緒に仕事がしてみたい。

 

6.24(金)

 今日の東京は今年最初の真夏日となった。む、蒸し暑い・・・・。新学部になったら気温が30度を越え、かつ湿度が50%を越えたら休講という決まりを作らねばなるまい。

 3限の大学院の演習では、昭和戦前期のマルクス主義と知識人・学生たちについて話をする。院生諸君はマルクス主義そのものについてあまり知らないようで、これも時代の流れかと、感慨深いものがあった。私が中学生の頃(1960年代後半)、街の書店の棚にはやたらに「弁証法」についての本が並んでいて、当時の私はそれは法律の一種なのだと思っていた。たぶん弁証と弁償を混同していたのだと思う。大学に入ってみると、実存主義とマルクス主義と精神分析は、それについて何かしら語れないと大学生とはみなしてもらえないような雰囲気があった。いま、それに相当するものは何だろうか。そういうものがはたしてあるのだろうか。

 5限の調査実習はブログ班(ブログにみる人生の物語の考察)の中間発表。先行研究がまだ多くないので試行錯誤でやっている。メンバーの一人、Tさんはものは試しと自分でもブログを始めたらしいが、当初、ブログに手を出すつもりはないと言っていたのに、始めてみるとこれがなかなか面白いらしい。まだ誰にもURLは教えていないらしいが、どこの誰とも知らない顔の見えない読者だけを想定して書いているときと、顔の見える何人かの読者が混在していて、彼らのことを意識して書くときでは、ブログの語りは微妙に変化してくるはずだ。メンバーの一人、Sさんは以前からブログをやっていて、かなりのアクセスがあるようだが、最近、私が読者の一人になってからは、得意の下ネタ風(下ネタではないところが肝心な点)のネタを書くときに、「先生も読んでいる」という意識がどうしても働くらしい。この逡巡を突き抜けて、一段上のクラスのブロガーに成長してほしいものである。

 

6.25(土)

 今日も真夏日。しかも昨日より湿度が高い。む、む、蒸し暑い・・・・。週間予報では来週一週間は毎日真夏日になっている。なんなんだ、これは? 梅雨に入ったばかりのはずが、いきなり梅雨の中休みか。まさか梅雨が明けちゃったわけじゃぁないだろうね(いくらなんでそれはないか)。今年の梅雨は空梅雨ってやつなのかもしれない。

 講義を2つ終えて、二文のYさんの卒論指導。テーマが変わった。家庭内暴力からサガンの『悲しみよ こんにちは』へ。そんなのありかというくらいの大転換である。でも、いいんです。書きたいテーマで書くことが一番大切なことだから。一方、一番の問題は、私がその小説を読んでいないということである。有名な作家の有名な作品だから、知ってはいるが、読んではいない。この小説にまつわる唯一の想い出は、中学1年生のとき、友達の姉さんの通っている女子高の文化祭に遊びにゆき、文芸部の教室で作家の顔写真を見て名前を答えるというクイズに参加して、副部長だという女の子から「では、最後の問題です。このフランスの女性作家は誰でしょう? ・・・・悪い問題引いちゃったわね」と言われ、ちょっと考えるふりをしてから、名探偵コナン君のような口調で、「僕、全然自信ないけど、フランスワーズ・サガンかな~」とフルネームで答えて、全問正解の賞品をせしめたこと。年上の女性から「すご~い」と言われたのは、後にも先にもあのときだけである。Yさんから小説のあらすじを聞く。父親の再婚相手を自殺に追いやってしまう17才の女の子の話。ふ~む、けっこう衝撃的な話なんだ。帰宅の途中で熊沢書店に立ち寄って、『悲しみよ こんにちは』(新潮文庫)を購入。まさかこの年になってこの小説を読むことになろうとは思わなかった。サガンがこの小説を発表したのは私の生まれた1954年。波瀾万丈の人生を送った彼女が69才で亡くなったのは、昨年の9月24日のことだった。

 

6.26(日)

 昨日と今日の2日間、アマチュアの全国将棋大会「アマ竜王戦」が開催されたのだが、そこで衝撃的な出来事が起こった。特別出場のコンピューター将棋ソフト「激指」が予選リーグを突破し、本戦一回戦にも勝って、ベスト16に進出したのだ(二回戦で負けて、ベスト8入りはならなかった)。・・・・と書いても、将棋を知らない人にはこれがどういうことかわからないであろう。チェスの世界ではすでに人間の世界チャンピオンを破るレベルのソフトが開発されている。チェスは取った相手の駒は再使用できないので、局面が進むにつれて盤上の駒の数が減り、つまりシンプルになるので、コンピューター向きなのである。しかし、将棋の場合は、取った相手の駒は自分の持ち駒として再使用できるので、可能な指し手の数はむしろ局面が進むにつれて増えてゆく。人間は(もちろん強い人の場合だが)、可能な指し手の数は増えても読むに価しない手は最初から切り捨ててかかるが、コンピューターは読むに価する手と価しない手を読む前に判別することは原理的に不可能だから(ある程度読んでから「読むほどの手ではなかった」という判定を下すのである)、持ち時間に限りがある勝負では、最善手を発見できないということが起こるのだ。だから将棋でコンピューターが人間に勝つのは無理だと思われてきた。しかし、将棋のソフトの開発には目を見張るものがあり、私が自分のパソコンに入れている「東大将棋」というソフトはアマ4段クラスの私といい勝負をする。今回のアマ竜王戦に特別参加した「激指」は今年の世界コンピューター将棋選手権大会で優勝したソフトで、優勝記念にプロ棋士と角落ちで戦って見事勝利している。プロ棋士に角落ちで勝つというのはアマ5段クラス=県代表クラスの力があるということだが、今回の活躍で「アマ5段クラス」が過大評価でないことが証明されたわけだ。この調子でいくと「アマ名人クラス」に達するのは時間の問題であろう。「アマ名人クラス」であれば、並のプロ棋士とはいい勝負ができる。問題は「プロ名人クラス」(羽生善治!)まで到達することができるかどうかである。並のプロ棋士と名人クラスの棋士の違いは質的なものであるように思う。その質的な違いをソフトの開発者チーム(将棋はアマチュアである)が解明することができるかどうか、すべてはそこにかかっている。

 

6.27(月)

 書類ばかり書いていたような気がする。一つは社会調査士認定機構に提出する「専門社会調査士」の認定申請書。日本社会学会と日本教育社会学会と日本行動計量学会の3学会が合同で「社会調査士」という資格の認定を始めたのだが、学部の「社会調査士」資格関連科目(調査実習や社会調査法や社会統計学など)を担当する教員はそのワンランク上の「専門社会調査士」の資格を有していないとならないのである。申請が却下されることはないと思うが(たぶん)、認定(論文)審査料として4万円を収めないとならない。ボーナスが出たばかりとはいえ、やはり4万円は大きい。4万円あれば、あんなこともそんなこともできる。申請書を書きながらそんなことを考えているものだから、たかだか3枚の申請書がなかなか仕上がらない。もう一つは新学部の科目の提案書。5科目分ほど書いてみる。こちらの作業は新築する家の間取りを考えるような楽しさがある。

 

6.28(火)

 自宅から駅に向かう道すがら、近所の専門学校の学生が「6月ってこんなに暑かったっけ?」と同級生に話しかけているのが耳に入った。本日の最高気温36.2度。6月の東京の気温としては観測史上最高である。これまでの記録は42年前の1963年6月26日の35.7度だった。1963年、私は小学校3年生だった。6月26日のことは記憶にないが(あったらすごいけどね)、年表を調べてみると、その日、新宿区役所が樹木保護のため動力スプレー3台を使って害虫アメリカシロヒトリの駆除を始めたとある。アメリカシロヒトリ! 思い出した。自宅の庭に柿の木があり、葉っぱにこれがよく白い巣網を張っていた。それを発見したらすぐに枝ごと切りとって、焚き火の中に投じねばならない。進駐軍とともに日本にやってきた毛虫、アメリカシロヒトリ。それを焼き殺す夏の焚き火は安保闘争の残り火のようでもあり、敗戦の焼け跡のくすぶりの最後の炎のようでもあった。翌年の東京オリンピックを分水嶺として戦後は新しい時代に入っていったのである。

 午後、基本構想委員会。その後、研究室で、私がアドバイザーを担当している二文の3年生、Tさん、Sさん、T君と勉強会。夕方から、文化構想学部現代人間論系の運営準備委員会。終わったのは9時。人間発達プログラムでペアを組んでいる心理学の大藪先生とちょっと打ち合わせをしてから、地下鉄早稲田駅そばの中華料理屋「秀英」で食事。ビールを2本に餃子を2人前。冷えたビールがうまい。もっとも下戸の私はコップに2杯でもう十分。残りは全部大藪先生が引き受ける。学生時代から今日までのことをあれこれ話した。店員がラストオーダーを尋ねたので、私は鳥めし、大藪先生は中華丼を注文。店に入ったとき満席だった客はみんないなくなり、われわれが最後の客になった。

 

6.29(水)

 夜来の雨が昼まで降っていた。蒸し暑い真夏日が続いていたので恵みの雨である。午後、雨も止んだので、スポーツクラブに行く。フロアーには各種の筋トレの器具がたくさん並んでいるのであるが、そのうちの半分は私のメニューには含まれていない。その中の一つである胸筋用のものを試してみたところ、けっこうきつかった。かなり軽目の負荷で試したのだが、しんどいのである。いつもやっている器具はだんだん負荷も回数も増えているのだが、それは特定の筋力が上昇しているのであって、トレーニングしていない筋肉は非力のままなのである。こういうアンバランスは問題ではないだろうか。メニューを作成してくれたトレーナーは、代謝効率を考えて大きな筋肉(大腿筋や背筋や腹筋など)のトレーニングを優先しているのだが、私としては全身の筋肉をバランスよく鍛えたい。時間はかかるが、与えられたメニューをまずこなして、その後、アラカルトで自分で考えたトレーニングをしよう。

 夜、家の中に今年最初のゴキブリが出現。猫が何かを追いかけているので、妻が何だろうとよく見てみると、大きなゴキブリだった。妻はゴキブリが大の苦手である。悲鳴を上げながら私の書斎にやってきた。私だって得意ではないが、ゴキブリを叩き潰すのは私の役目ということになっていて、夫の(あるいは男の)面目を保つ数少ない場面の一つである。私はハエ叩きを片手に寝室に行き、猫と共同戦線を張ってゴキブリを追いつめ、仕留めた(猫も叩いてしまったような気がする。すまん)。

 深夜、二文の基礎演習の学生たちから明日の授業で取り上げるギデンズ『社会学』の第7章「家族」を読んだ感想がぞくぞくとメールで送られてくる。これを読みながら講義の内容を決めるのである。しっかり読んで、よく考えて書かれたメールが多い。感心、感心。授業中の質疑応答も、BBSを使った議論も活発で、入学早々これだけできれば卒業までにはかなりのところにまで行く可能性がある(もちろん研鑽を怠らなければの話だけど)。こういう学生を相手にするときの教師の心得は一つしかない。彼ら彼女らのやる気に水を差さないことである。下手に特定の方向に導こうなどとしない方がよい。そんなことをしても私の縮小版ができるだけである。私は一人いればいい。まして私の縮小版など不要である。

 

6.30(木)

 午前中、病院へ定期検診の結果を聞きに行く。肝機能の数値が正常値を外れていた。検査の前日、くたくたになるまでジムでトレーニングをしていた影響ではないかと思われる。いまは身体もだいぶ慣れてきたが、検査をしたのは2週間前、ちょうどジムに通い始めた直後で、疲労度もかなりのものだったのである。検査の前日は飲み過ぎや激しい運動は控えるべきなのであるが、うっかりしていた。もっとも肝機能の数値が悪いのは、検査前日の運動による一時的なものではなく、脂肪肝などが原因かもしれないから油断はできない。減量しなくては。昼食はもり蕎麦にする。

午後、大学。一文の卒論演習(5限)と二文の基礎演習(7限)。生協で新書を4冊購入。鹿野政直『近代国家を構想した思想家たち』(岩波ジュニア文庫)、佐伯啓思『自由とは何か』(講談社現代新書)、諸富祥彦『人生に意味はあるか』(講談社現代新書)、高田理恵子『グロテスクな教養』(ちくま新書)。

 帰宅して、昨日が息子の17回目の誕生日であったことに思い至る。本人を含め、家族全員そのことを忘れていた。17才。かつてわれわれの世代のアイドルであった南沙織が、♪私はいま生きている~(「17才」より)と歌った、人生でもっともキラキラと輝いているはずの年齢の最初の一日をこんな形でスタートするとはなんと不憫な奴であろう。昨日の夕食のデザートは私が学生からちょうだいしたメロン(しばらく研究室の冷蔵庫に入れたままその存在を忘れていた)を切ったのだが、これがちょうど食べ頃、すこぶる美味で、家族一同「うまい、うまい」と至福の表情を浮かべながら食べたことが、誰も意識していなかったとはいえ息子の誕生日の食卓のせめてもの彩りであった。息子よ、誕生日を忘れられたくらいのことでいじけることなく、めげることなく、17才の夏をたくましく生きていってほしい。


2005年6月(前半)

2005-06-15 23:59:59 | Weblog

6.1(水)

 散髪をして、「やぶ久」で昼食をとってから、妻の通っているスポーツクラブに行く。私もそのクラブの会員になるためである。最近、体重が禁断の領域に近づいている。そこに立ち入った人間は、砂浜に半分埋まった自由の女神の象を目にして絶望に打ちのめされるという。そうなる前になんとなしなくてはならない。食事でコントロールするという方法は、食いしん坊の上に甘いもの好きの私には不向きのようである。やはり体を動かさなくては、というわけで月初めの今日、入会の手続きをすることにしたのである。ロビーで妻がスイミングを終えて出てくるのを待つ。「お友達紹介」というシステムを利用して入会すると紹介者に5000円の金券、入会者にも会員種別に応じた額の金券がプレゼントされるのだが、そのためには入会手続きのとき両人がそろって出向かなくてはならないのである。「お友達紹介」というから夫婦であることがバレないようにしないとならないのかと思ったら、家族にも適用されるとのことだった。会員種別は利用できる施設、曜日、時間帯の組み合わせで7種類あり、私は一番安い「平日の12:00~17:00」のみ利用の会員となった。週に2回、大学に出ない(授業や会議のない)月曜と水曜の午後に通うことになるだろう。月会費は5,250円。一家の主人の健康維持のための必要経費ということで、私のお小遣い口座ではなく家計口座から引き落としてもらえることになった。入会の手続きを済ませてから、頂戴した金券で運動パンツを購入。「室内はけっこう冷房が効いてるから」という妻のアドバイスに従って半パンではなく膝下まであるタイプにする。シューズはクラブ内のショップには種類が少なかったので、外のスポーツ用品店で購入する。UCCの珈琲店(クラブでもらったサービス券が使える)で一服。初めての店だが、職人気質のマスターが面白い人だった。スーパーで夕食の買い物。アクエリアスの2リットルボトル(安売りデーで1本150円)を4本、自転車の前カゴに入れて帰る。いい運動になった。

 夜、瞬発的なちょっと強めの地震が4、5回もあった。NHKの地震速報によると震源地は東京湾。各地の震度が大きい順に画面に表示されたとき、大田区が震度3で一番上に表示されたので驚いた。

 

6.2(木)

 7限の社会人間系基礎演習4は今日から本格的なグループ発表が始まった。今日は1班と2班がテキストの第5章「ジェンダーとセクシュアリティ」の内容を土台として同性愛(1班)と売春(2班)についての発表を行った。感心したのは発表の後の質疑応答が活発だったこと。的を射た質問が多かったのは聞き手の側もテキストをよく読んでいるからである。自分が担当する章しか読まない(他の班の担当する章は読んでいない)ということが演習形式の授業ではしばしばあり、それだとどうしても発表者と聞き手との間で発表テーマについての情報量と関心度に大きな格差が生じ、発表者は一生懸命やっても、その後の質疑応答が不活発という事態が生じやすいのだが、今年度のクラスはそういうことがない。これについては私の方でもそれなりの工夫をしていて、1つの章のテーマは2週に渡って扱い、1週目は私の講義、2週目はグループ発表という組み合わせなのだが、全員が1週目の私の講義の前日までにクラスのBBSにその章を読んだ感想を書き込むように指示してある。私はその感想を読んでから翌日の講義内容を組み立てる(多くの学生が興味をもった箇所や説明が理解しにくかったと述べている箇所に焦点をあてる)。これをやってから、2週目のグループ発表に進めば、聞き手の方もそれなりの知識や関心をもってグループ発表が聞けるので、的を射た質問ができるというわけだ。発表する側もそういう聞き手を相手にするわけだからいいかげんな発表はできない。こうした緊張感がプレゼンテーションのスキルアップにつながる。すでに1回目にして高い水準の報告が聞けたが、回を追うごとにさらに水準が上がっていくことを期待している。

 帰宅してメールをチェックすると、事務所のSさんからメールが入っていた。件名が「彼女たちの時代」だったので、何だろうと思って開くと、私が以前このフィールドノートで捜していると書いたTVドラマ『彼女たちの時代』のノベライズ本がAmazonに中古で出品されていることを教えてくれるメールだった。えっ、ホント?と、メールに張り付けてあったURLをクリックすると、確かにその通りだった。私と同じように捜している人間が多いのであろう(Sさんもその一人だったとは知らなかった)、定価よりも高い価格に設定されていたが、もちろん即断でカートに入れて購入の手続きをする。Sさん、どうもありがとうございました!

 

6.3(金)

 3限の大学院の演習で高齢化のことが話題になって、電車の乗客にも高齢者が多くなるからうっかりシートに座ってもいられないねという話をしていたときに、T君が自分は電車のシートには座らないことにしています、電車のシートは不潔だからと言った。誰が座ったのかわからないトイレの便座に座ることに抵抗のある人たちというのはいて、だからこそ「便座シート」という商品が生まれたのだろうが、電車のシートにまでその感覚が適用されるのかとちょっと驚いた。さらにT君が電車のシートに座らない理由はシートそれ自体の不潔さというだけではなく、隣に座った人と身体が接触するのが嫌なのだという。三浦雅士が『身体の零度』という本の中で、他者の身体を不潔と感じるメンタリティはきわめて近代的=都市的なものであると述べていたが、このメンタリティの背後には身体を自己の容器とみなし、不潔な(見知らぬ他者がひしめく)外界と神聖不可侵な自己の境界線が身体の表皮であるという自己=身体観がある。だからわれわれは原則として他者との身体的接触をできるだけ避けようとする。原則としてと言ったのは、愛情によって媒介される他者との関係においては、逆に身体的接触が求められるからである。したがって他者との身体的距離は他者との親密度を反映することになる。ところが満員電車では親密でない他者との身体的接触を強要される。だから混んだ電車には乗らないという人もいる。T君の場合は、そこまでではないが、車内では座らないという行動になって表れるわけである。さらなる近代化というべきか。これからの超高齢化社会において、若い人にそういう人が増えると、中高年にとっては車内で座れる確率が増えるわけで、その点はいいのだが、介護というのは他者の身体に触れることを抜きにしては成りたたない行為であるから、困ったなぁとも思う(仕事となると話は別なのだろうか)。

 夜、選択定年で退職される学生部の坂上恵二さんの歓送会に出席。学生担当教務主任をしていた頃の懐かしい面々と再会する。リーガロイヤルホテルの一階入口正面の喫茶店は大隈庭園に面していて、床から天井までガラス張りで眺めが素晴らしい。TVドラマ『恋におちたら』の第6話の冒頭で、高柳(堤真一)が東條貿易の社長(山本圭)と会談したのがこの喫茶店だ。間違いない・・・・と思ったが、念のためホテルの従業員の女性に尋ねたら、「はい、そうです」と笑顔で答えてくれた。

 

6.4(土)

 2限の社会学基礎講義は「身体と規範」というテーマで話をした。途中で、「ビューティーコロシアム」という容姿で悩む女性たちが美容整形やダイエットやメイクアップによって変身する過程を描いた番組のビデオを流そうとしたところ、ちゃんと録画ができていなかったことが判明する。急遽、授業の組み立てを変更する。バーレーン戦の直前に小野伸二が足を骨折して出場不能になったときのジーコ監督の心境である。AV機器を使って授業をしていると、こういうことがたまにある。

 土曜日の4限、5限はこのところずっと学生の面談の時間になっている。今日も3人の学生と面談をした。いっそのことこの時間帯をオフィスアワーにしてしまおうか。帰宅の途中、本屋で『ユリイカ』4月号を購入。特集の「ブログ作法」を読みたくて。

 

6.5(日)

 日曜は一週間の体の疲れを取る日。昼寝→散歩→風呂。これに限ります。今日は家の近くを流れる呑川に沿って蒲田駅の東口の方へ歩いた。川沿いの道のいいところは空が広いことだ。蒲田の街には、いや、蒲田に限らず東京のたいていの街には、大きな公園というものがない。蒲田の街に点在する小さな公園はどれも児童公園で、大人がベンチに座って本を読んだり、煙草を吸ったり(私は吸わないが)できる場所ではない。そういうことがしたければ、喫茶店に入るしかないが、梅雨入り前の青空の気持のいい風の吹く日にわざわざ室内に入る気にはなれない。それで散歩の途中に復活書房で4割引で買った角田光代のエッセー集『しあわせのねだん』(晶文社)は、ニッセイ・アロマスクエア(地上18階の蒲田地区で最大のビジネスビル)前の公園のベンチで読むことにした。

 七時半に起きて牛乳を飲んで仕事場にいく。八時から仕事をはじめる。これが私の毎日である。仕事を終えるのは、きっかり午後五時。週に三日は体を鍛えにいくので午後三時半に終了。ちなみに土日は休み。残業、休日出勤、いっさいなし。

 現代のプロの物書きの生活時間である。少なくとも太宰治や高見順のような文士の生活時間ではない。もっとも角田も昔は文士のような生活時間であったらしい。それがいまのようになったのは、三十歳のときからだそうだ。

 生活を切り替えたのは、三十歳の決意とか大人の自覚とかではなくて、そのとき交際をはじめた男性が会社員だったからである。会社員とつきあうには会社員のような暮らしをしないとすれ違う。飲みにもいけない。土日も遊べない。かような理由で交際相手の勤務会社と同じ労働体系を導入したのである。(中略)その会社員とはわかれたのだが、労働体系だけは残った。以来ずっと、平日九時五時労働でやってきたのだが、最近になって、なんだか仕事が増え、気がつけば時間が足りず、でも残業はしたくないしスポーツジム通いもやめたくないから、一時間くりあげて、八時五時になった。人はなんにでも慣れるし、慣れるといろんなことがどうってことない、と最近思うようになった。

 「最近になって、なんだか仕事が増え」、というのはもちろん直木賞を受賞したからだろうが、感心したのは、増えた仕事をこなすために終業時刻を遅らせるのではなく、始業時間を早めたことだ。私には思い浮かばない発想だ。それまでしてアフター5の時間を死守しようとするのは、きっと、彼女が酒飲みだからに違いない。

 八時から五時の仕事時間の合間、十一時半から十二時半までが昼休みである。昼休みには、近隣の飲食店に昼食をとりにいく。私の仕事場周辺には巨大企業がいくつかあり、彼らをあてこんでどの飲み屋も食堂もランチ営業をしている。十二時に出ると店が混むので、少し早めの十一時半に昼休みになるという次第である。この三十分が、自由業の特権だと私は思っている。ああ、なんとしょぼくれた特権だろうか。

この感覚は大学教師という「半自由業」の私にもよくわかる。授業時間という不動の時間枠を別にすれば、大学教師には始業時刻、昼休み、終業時刻といった観念は希薄である。ちなみに「電車や食堂の混雑する時間帯を避けて通勤や食事ができる」というのは、私が大学教師になってよかったと思う理由の第5位に入っている。

 

6.6(月)

 午後、スポーツクラブへ行く。身長、体重、血圧、体脂肪率などを測定した後、インストラクターの人にトレーニングメニューを作成してもらう。当面、週2回(月・水)で1回2時間。内訳は、筋力トレーニング(筋肉を付けて太りにくい体にする)を1時間と有酸素運動(ランニング系の運動で脂肪を落とす)を1時間。ふだん運動らしい運動をまったくされていないので、運動だけでかなりの効果が期待できますから、食事はこれまで通りでかまいません(ただし水をたくさん飲んで下さい)とのこと。嬉しいじゃありませんか。生徒をやる気にさせるコツを心得ていらっしゃる。でも、間食は食事に入るのか、100グラム1300円の牛肉はNGではないかと思ったが、あえて確認するのはやめておいた。トレーニング機器の使い方を説明してもらいながら、筋力トレーニングを実際にやってみる。

レッグプレス(大腿四頭筋) 90㎏で10回

レッグカール(ハムストリングス) 27㎏で10回

チェストプレス(大胸筋) 35㎏で10回

ラットプルダウン(広背筋) 40㎏で10回

ロープーリー(広背筋) 34㎏で10回

クランチ(腹直筋) 20回

 正式にはこれを各3セットやるのだが、今日は試運転ということで、各1セット。しかし機器の使い方になれていないせいもあって、くたくたになる。最後のクランチ(腹筋運動)は10回でダウン。全然上体が上がらないのである。側で見ていた女性が呆れたような顔をしていた。全体として下半身よりも上半身の筋力が弱い。無理もない。階段の上り下りは毎日しているが、胸筋や背筋や腹筋を積極的に使うことなど日常生活の中で皆無といっていいのだから。

トレーンニングを終え、シャワーを浴び、着替えて帰る街の風が心地よかった。誠竜書林の200円均一コーナーで、小野博通『サーロインステーキ症候群 医学的に楽しくやせる本』(ちくまぶっくす)、沢野ひとし『放埒の人』(本の雑誌社)、小林司『出会いについて 精神科医のノートから』(NHKブックス)を購入。

 

6.7(火)

 調査実習のライフストーリー・インタビュー調査が今日から始まる。記念すべき最初のケースはAさん(主婦、51歳)。私の研究室を使って行う。インタビュアーはNさんとAさん。所要時間は2時間ほど。今月中に27ケースを行い、7月末の合宿でケース報告を行う(後期にさらに27ケースを行う予定)。いろいろな年齢・職業の人が自分の「人生の物語」をどのように語ってくれるのか。そこには現代人に特徴的な「語りのパターン」があるのか。その「語りのパターン」は彼らが生きてきた時代や社会構造とどのような対応関係にあるのか。そしていま「語りのパターン」に何らかの変化が現れ始めているといえるのか。・・・・といったようなことを考えてみたいのである。

 夕方から、文化構想学部関連の会議。出席者は7名。欠席者はなし。これで全員である。『七人の侍』という映画のタイトルを連想して悦にいっているわけにはいかない。本当は『真田十勇士』でないとならないのだ。人手が足りない。分身の術でも使うしかないのだろうか。

 教員組合の広報紙(速報)がメールボックスに入っていた。6月3日に開催された第2回春闘団交で理事会が第一次回答案を提示したのだ。「もう我慢できない! 3年連続のベースアップゼロの回答 大学年金財源として各期手当0.4月削減」と大きく書かれている。やれやれ、ほんと、意気消沈させてくれるよな。

 

6.8(水)

 午後、遅めの昼食をとって、一服してからスポーツクラブへ行く。先日作成したメニューに従って今日から本格的にトレーニング開始・・・・のはずであったが、メニューを書いたメモを家に忘れて来てしまい、筋トレの各種目の負荷がわからない。全体的に入門レベルより多少重めの設定にして各20回3セットをこなす(帰宅してから気づいたのだが、クランチ以外は各10回3セットだった。回数が多すぎた。どおりで苦しかったはずだ)。筋トレの後はランニングマシン。20分の設定で始めたのだが、10分で息が上がる。止まりたくなって、しかし、止まってはならないと、自分を叱咤激励して思わず口を出た言葉が「メロスは激怒した」だった。『走れメロス』の冒頭のセンテンスである。こういう限界状況でふと脳裏に蘇えるとは、すごいもんですね、少年期の読書体験というのは。帰り道、心地よい疲労感。妻はクラブの行き帰りは、買い物のこともあって、自転車を使っているが、私は歩く。のんびり歩いていると、筋肉がクールダウンしていって、しだいに疲労が回復してくるのがわかる。喉が渇いたので、自動販売機でミネラルウォーターを買って飲む。あんなに頑張ったことが一瞬にして無に帰してしまうような気がして、少量とはいえ糖分が入っているスポーツドリンクの類は飲む気になれない。熊沢書店に寄って、吉見俊哉・若林幹夫編『東京スタディーズ』(紀伊國屋書店)、奥武則『むかし〈都立高校〉があった』(平凡社)、喜味こいし・戸田学編『いとしこいし漫才の世界』(岩波書店)を購入。食後のデザート(ロールケーキ)も今夜はパスした。でも、夜更けの珈琲は砂糖抜きというわけにはいかない。100%の徹底主義は、私の流儀ではない。

 

6.9(木)

 昼から夜まで、半日、一文と二文の学内奨学金の面接および選考の仕事(5限の卒論演習と7限の基礎演習は休講)。奨学金の件数は希望者よりも少ないから、当然、全員の希望を叶えてあげられるわけではない。長時間の疲れる仕事の割に、終わった後、スッキリした気分に浸れない仕事である。

 

6.10(金)

 教員ロビーで草野先生が私の顔を見るなり、「あと5週間ですね」と言った。一瞬なんのことだがわからなかったが(誰かがお産でもするのか?)、すぐに残りの授業期間のことを言っているのだと了解した。「指折り数えているんですか?」と尋ねたら、「はい、残り15週から数えています」とのこと。残り15週って、それ、4月の初回の授業のときからってことじゃないですか。私の場合は、7月に入るまでは「夏休み」のことは考えないようにしている。それはランニングをしながら「水」のことを考えると、走るのがつらくなるので、考えないようにするのと同じ心理である。それに7月30日~8月1日に調査実習の合宿があるので、それが終わらないと本当の夏休みにはならないという事情もある。

合宿といえば、今日、学生生活課からセミナーハウスの利用申し込みの抽選結果が届いた。第一希望の鴨川セミナーハウスは外れたものの、第二希望の軽井沢セミナーハウスが当たった。うん、これでよしとしなくてはなるまい。5限の授業のときに抽選結果を学生に伝えると、「オォ・・・・」という反応が返ってきた。「軽井沢」のネームバリューはいまだ健在なのかもしれない。ただし、気になるのは浅間山である。気象庁の6月10日16:00の発表によれば、「浅間山の火山活動は活発な状態が続いており、引き続き注意が必要です。火山活動度レベル3が継続しています」とのことである。

噴煙の状況は、本日09時の観測では、白色の噴煙が火口縁上200メートルまで上がり北に流れていました。昨日の火山性地震は54回で、火山性微動は4回でした。本日00時から15時までの火山性地震は34回で、火山性微動は4回でした。傾斜計による地殻変動観測では、顕著な変化はみられません。浅間山上空では、本日18時は南の風、明日09時は南西の風が予想されています。風下にあたる地域では降灰等の可能性があります。

 「昨日の火山性地震は54回」って・・・・、ちょっと多くないですか。1時間に2回強という計算になるが、これ、全部、体に感じる地震なのだろうか。それとも「火山性微動は4回」とあるのが体に感じる地震のことなのか。万一、いや、万々が一、合宿中に大噴火が起きると、われわれはポンペイの市民のようになるのであろうか。そして後世、発掘されて、「彼らは逃げまどうことなく最期までゼミを続けていました」と語り継がれるのだろうか。

 

6.11(土)

 3限の社会学研究9は「戦争と人生の転機の物語」について論じたのだが、途中で東京大空襲についてのビデオを流そうとして、プロジェクターの不調で諦めざるを得なかった。どうもこのところAV教室での授業が筋書き通りに運ばなくて困る。その場で筋書きを修正して授業を続けるわけだが、ゲストのt.A.T.uにドタキャンされたときのミュージックステーションの司会者(タモリ)のような心境で、アドリブの多い授業はエネルギーの消耗が大きい。授業後、今日はひさしぶりに何の予定も入っていないので、帰宅しようと思ったら、学部再編関連の会合が急遽設定され、結局、いつものように夕方までいることになる。

会合が終わり、いまから帰宅すると家に電話をすると、「今夜はカレーでいい? ふぅ」と妻が言った。一応、質問文の形式をとっていて、私の意見を求めているようだが、実質的には「今夜はカレーだから」という宣言文であり、私が口を挟む余地はないのである(実は、昨日の私の夕食は「メーヤウ」のタイ風レッドカリーだったのであるが・・・・)。加えて「ふぅ」である。「ふぅ」というのは「私、疲れているの」という意味の感嘆詞、小さなため息である。昨日と一昨日、妻は実家に帰っていて、義母一人ではできない家の中の片付けものをして、いましがた帰ってきたところなのである。それをアピールする「ふぅ」である。お疲れ様でした、と言うほかはない。ついでに言うと、我が家の飼猫(はる)もしばしば「ふぅ」とため息をつく。ベランダに出ているのを抱きかかえて室内に入れるときなどに、「ふぅ」というのである。こちらは諦めの「ふぅ」である。人間の言葉に翻訳すると「やれやれ」である。

生協文学部店で、デイヴィッド・キャナダイン編『いま歴史とは何か』(ミネルヴァ書房)、渡辺潤・伊藤明己編『〈実践〉ポピュラー文化を学ぶ人のために』(世界思想社)、栗原彬『「存在の現れ」の政治』(以文社)を購入。『いま歴史とは何か』はE.H.カーの名著『歴史とは何か』の出版40周年記念論文集である。あの本を私は何度繰り返し読んだであろう。読みたい本、読まなくてはならない本は多いから、同じ本を繰り返し読むということは多くないのだが、『歴史とは何か』は数少ない例外の一つである。『〈実践〉ポピュラー文化を学ぶ人のために』は調査実習のグループ研究の参考書になるかもしれないと思って。『「存在の現れ」の政治』は水俣病についての論考が読みたくて。

 

6.12(日)

 夕方から高田馬場で二文の基礎演習のクラスコンパ。日曜日にクラコンというのは珍しい。会場は「素材屋」という居酒屋。集まったのは20名ほど。テーブルが2箇所に別れたのだが、1つの方は幹事のY君がテニスサークルのノリでさかんに盛り上げている。私が座ったもう1つの方は、まったりとおしゃべり志向。最初はわれわれの方がマイノリティであったが、騒ぐのに疲れたのか、だんだん向こうからこちらに移動してくる人が増えて、途中からはこちらがマジョリティになった。新入生を担当する教員としては「5月病」が心配なので、その辺りのことを尋ねてみたところ、やはりほとんどの学生はそうした精神状態を多少とも経験しているようだ。しかし、いまのところ、基礎演習の授業にはみんなちゃんと出席しているので、そんなに心配しなくてよさそうである。それにしても高田馬場という街は日曜日でも人が多いんだね。

 

6.13(月)

 月曜日だが、大学へ。心理学の大藪先生の研究室におじゃまして、雑談。大藪先生のご専門は発達心理学。プレイルームの母子の相互作用をビデオに録って、母子関係の発達過程について分析するという研究をされている。私の卒論のテーマは「子供と社会に関する発達社会学的考察」というもので、だから乳幼児期の母子関係についてはいまでも大いに関心がある。最近も全国家族調査のデータをもとに「家族の寝方に関する考察」という論文を書いたばかりだ(熊谷苑子・大久保孝治編『コーホート比較による戦後日本の家族変動の研究』日本家族社会学会全国家族調査委員会)。「基礎演習ではどんな本を読んでいるのですか」と尋ねたら、岡本夏木『子どもとことば』(岩波新書)や浜田寿美男の著作をあげられた。浜田の著作は私も何冊か読んでことがある。書名は忘れたが、最初の部分で、有島武郎の小説『小さき者へ』の一節(妻が出産をする日のこと)が引用されていたのが印象的だった。「浜田寿美男は発達心理学の分野では本流とはいえないのですが、私は好きですね」と大藪先生は言われた。確かに、数量的研究が優勢な発達心理学の分野で、『小さき者へ』に言及するような文学趣味は傍流とならざるをえないだろう。しかし、私も浜田のそういうことろが好きである。大藪先生とは文化構想学部の現代人間論系でペアを組んで「人間発達」というプログラムを立ち上げる予定でいる。母子関係の発達過程を映像に録るかたわら、母親にライフストーリー・インタビューを行って出産や子育てをめぐる物語を語ってもらうというのはどうだろう。母子関係の発達は母親の「人生の物語」の変容ときっと連動しているに違いない。われわれのペア(心理学+社会学)に限らず、文化構想学部では専門を異にする教員がコラボレーションを行って、旧来の学問の枠にとらわれない研究と教育を展開していくことになっている。それが具体的にどんなものになるのか、いまから楽しみだ。

 大藪先生の研究室を辞して、ミルクホールでベーグルサンドを1つと缶コーヒーの昼食をとってから、自分の研究室で読売新聞のS記者の取材を受ける。テーマは親の介護の「双系化」(自分の親と配偶者の親、両方の介護をする女性たちが増えてきていること)について。『現代家族の構造と変容』(東京大学出版会)という本の中の私の論文を読んで、関心をもたれたらしい。1時間ほどあれこれ喋る。ついさっきまで乳幼児期の母子関係の話をしていたと思ったら、今度は中高年期の親子関係の話をしている、という状況が何だか可笑しかったが、実際、「人間発達」というのは個人の生涯に及ぶ過程なのである。

 S記者が帰った後、明日の午前中に研究室を使って行われる調査実習のインタビュー調査のために部屋の片付けをして、帰宅。スポーツクラブで汗を流す。トレーニング後の筋肉痛は前回ほどではない。少しずつ体が慣れてきているのがわかる。

 

6.14(火)

 午後、大学。昼食は「てんや」の夏天丼(海老、鰻、太刀魚、新生姜、蓮根、隠元)。新生姜の天ぷらというのは意外に美味しい。夕方まで現代人間論系の運営準備委員会。夜、研究室で雑用。夕食は「五郎八」の鴨せいろ。焼いた葱が香ばしい。7限の授業を終えて帰られる英文学の安藤先生と「シャノアール」で雑談。夏目漱石から鉄腕アトムまで。12時帰宅。

 

6.15(水)

 雨の中、午後の3時ごろスポーツクラブへ行く。ジムはビルの5階にあるのだが、エレベーターは使わず、階段を歩く。トレーニングはこの時点から始まっているのである。コーラやジュースの類を自動販売機で買わなくなった。食事は腹一杯まで食べなくなった。間食もしなくなった。これ、すべて無理にそうしているわけではなく、潜在意識のレベルでそうした抑制が働くのである。しかし、世の中は誘惑で満ちている。ビルの1階はスーパーマーケットになっているのだが、トレーンニングを終えて帰るとき、どうしても果物コーナーに目が行ってしまう。喉が渇いていることもあり、カット売りのスイカがやけに美味しそうに見える。自宅のキッチンも誘惑の多い場所だ。妻は同じスポーツクラブで水泳と筋トレをしているにもかかわらず、菓子の類が好きで、定期的にどこからかまとめ買いをしてくる。ついさきほども麦茶を飲みにキッチンに来たら、キッチンの隅に置かれた大きなカゴの中に、「マーブルチョコレート」や「ピーナツあげ」、「たこやき亭」といったスナック類がわんさかある。冷蔵庫を開けるとコーヒー牛乳が目に入る。すべて無視しようとも思ったが、ストレスをため込むのはかえってよくないと、熟考の末、マーブルチョコレートの小袋を1つ取り上げる。マーブルチョコレートは小学生の頃によく食べた。♪マーブル、マーブル、マーブル、マーブル、マーブルチョコレート~のCMソングに乗って、上原ゆかりという子役がTV画面によく登場していた。両の瞼をしっかりと閉じればいまでも彼女の顔をはっきりと思い出すことができる。いまでもそうなのだろうか、当時、マーブルチョコレートの容器は筒状をしており、ポンと蓋を取ると「鉄腕アトム」のキャラクターのシールが一枚入っていた。・・・・そんなことをマーブルチョコレートを一粒ずつ口に運びながら思い出した。『失われた時を求めて』のマドレーヌのようだ。