8.16(火)
昼から大学へ出る。大学の近くのコンビニでおにぎりと麦茶を買っていたら地震があった(宮城沖を震源地とする地震であることは後から知った)。「やれやれ、またか」という感じ。地震慣れしているわれわれでも辟易しているのだから、地震のない国から日本に来ている外国人は頭がおかしくなりそうなのではないか。文化構想学部関連の会合とギデンズ『社会学』の読書会。夜、読書会の流れで「太公望」で食事。主人はあいかわらず無愛想だ。帰宅してメールのチェックをすると至急の対応を必要とするものが数件あり、予定していた論文Cの作業は中止。メインディッシュを食べ損なった感じで、悲しい。
8.17(水)
今日は朝から調査実習のレポートの添削を集中して行い、提出済みのレポートの添削はすべて終わらせた(未提出が数人いるので添削作業が終了したわけではないが)。そなんこんなでジムに行く前に昼食をとる時間がなくなったが、朝食(カレーとトースト2枚、牛乳)が遅めだったので、トレーニング中にスタミナ切れになることはなかった。60分しっかりウォーキング&ジョギングをして、「オムライス一皿」分のカロリー(580kcal)を消費した。「シャノアール」に寄ってコーヒーを一杯。臼井吉見の「太宰治伝」を読む。帰宅し、風呂に浸かり、夕食(牛肉とピーマンの炒め、小包龍、山芋、吸い物、ごはん)。
NHK衛星第2放送で映画『あこがれ』(1966年)を観る。監督は恩地日出夫、木下恵介の原作を若き日の山田太一が脚色(これがこの映画を観ようと思った一番の理由)。主演は内藤洋子(初主演)。内藤洋子は、当時、酒井和歌子と並ぶ東宝の新人アイドル女優だった。今回、この映画を観て、彼女の声が意外に低いことに驚いた。「キネマ旬報データベース」から『あこがれ』のストーリーを紹介しておこう。
母親が再婚するため「あかつき子供園」に預けられた一郎は、平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われ、立派な若旦那に成長した。しかも、“貰い子”とも思われないような親子仲の良い家庭で、両親は一郎の嫁探しで懸命であった。一郎が十九歳になった信子と再会したのは、ちょうど、このような時期であった。信子も「あかつき子供園」の出身で、一郎とは特に仲の良い子供であった。幼い頃を懐しむ二人は、子供園を訪れ、二人の親代りともいうべき先生水原園子に逢い、楽しい一時を持った。信子には酒飲みの父親恒吉がいて、信子の勤め先に現われては前借りをして行くので信子は勤め先を転々と変り、いま平塚に流れて来たということだった。毎日のように逢う二人はいつしか愛し合うようになった。しかも一郎は、信子との結婚を決意、そのことを両親に打開けた。この一郎の話は父親の怒りを買った。それを知った信子は、一郎の家庭を思い、勤め先を平塚から横浜に変え、一郎のもとを去った。一郎の悩む姿に母親は“もう一人の子供が出来たと思えばいいじやないですか”と父親をといた。そんな時「あかつき子供園」に一郎の生みの母親すえが訪ねて来た。再婚した先の家族と共にブラジル移民で出発することを告げに来たのだ。園子からこの知らせを聞いた一郎の両親は、逢うことを遠慮する一郎に“生みの親に逢いたくないなんて人間じゃない”と励まし、一郎を横浜大桟橋へ送り出してやるのだった。園子はまた横浜にいる信子にもこの事を知らせた。出発間際の桟橋で、一郎はやっと船の上から一郎を探すすえを見つけた。“一郎ッ”“お母さん”と呼び合う親子を包むテープの嵐--そこへ信子も園子先生もかけつけた。
1966年といえば東京オリンピックの2年後で、日本が高度成長後期に入った頃だ(私は小学校6年生だった)。その頃の青春映画にしては多少古風な設定である。「清く、貧しく、美しく」。1960年前後の日活の吉永小百合・浜田光夫コンビの青春映画の東宝版といったところか。でも、私はしっかり感動しましたね。信子(内藤洋子)と一郎(田村亮=田村正和の兄)の二人が結ばれることをひたすら祈りましたから。そしてその通りになるんです(よかった、よかった)。悪い人間が一人も登場しないところもいい。ところで子供時代の信子を演じていたのが林寛子だった。彼女は当時私と同じ小学校に通っていて、6年生だった私は彼女のいる1年生の教室の掃除を担当していたのだが、そのとき彼女から「さぼらないで、ちゃんと掃除しなさいよ」と言われていた。劇団に所属して大人と一緒に仕事をしているだけあって生意気な子だなと思いつつ、「はい、はい」と私は返事をしていた。
8.18(木)
午後、大学へ。調査実習のレポートの添削はこれまでメールで行ってきたが、今日は研究室に来られる学生は来てもらって、改善点を直接指示する。夕方までの予定でいたが、早めに終わったので、ひさしぶりに飯田橋ギンレイホールに寄って『シャル・ウィ・ダンス?』を観る。リチャード・ギアとジェニファー・ロペス主演のリメイク版である。映画そのものを楽しむというよりも、オリジナル版との比較を楽しむ映画であろう。どうしたって自然とそうなってしまう。いろいろな場面で「なるほどねえ」と思ったが、とくに「やっぱり自分にとって一番大切な人は妻なんだ」という主人公の思いが最後の場面で強くアピールされているところに、夫婦関係重視のアメリカ人の家族観を見た思いがした。それにしてもジェニファー・ロペスは草刈民代と比べるとあまりにも肉感的で、オリジナル版では主人公の男は女の淋しげな凛とした美しさに惹かれるのだが、リメイク版ではその辺が十分に表現できていない。私だったら『マトリックス』でトリニティ役を演じたキャリー・アン・モスか、ニコール・キッドマンか、ユア・サーマンに出演依頼をしたであろう。
さて、論文A・B(400字詰原稿用紙換算で各50枚)の〆切まで残り2週間となった。間に合うか、間に合わないか、いつものことだが、この緊張感がたまらない。明日から国民精神総動員レベルを3から4に上げる(最高レベルは5)。「地球のみんな、オラにちょっとずつ元気をくれ」(悟空の口調で)。
8.19(金)
論文Aのための集計作業の合間にジムで汗を流す。体重というものは一日の中で2キロぐらいの幅で変動する。私の場合、最高値Hは夕食を食べた後(76キロ前後)、最低値Lはジムでトレーニングをした後(74キロ前後)で、中間値Mは75キロ前後である。体重の長期的増減をみるならば同じ指標を一貫して用いるべきで、昨日のHと今日のLを比較して「一日で2キロも痩せた!」とかいうのは一種の誇大広告である(テレビのエステ番組などではこの種の手法がよく使われている)。ジムでのトレーニングを開始して2ヵ月半が経過したが、「1ヵ月で1キロ」のペースで減量が続いている。2.5キロの減量だが、筋トレによる筋肉の増加分を考慮すると、体脂肪は4キロほど減少したと考えてよいのではなかろうか。ただ体重を落とすだけなら食事制限が一番効果的だが、それでは夏バテしてしまう。空腹でイライラして読書や執筆がはかどらないというのでは困る。もちろん私も食事には気を遣ってはいるが、それは「満腹になるまで食べない」、「ジュース類は控える」、「脂肪分の多いものは控える」、「間食は控える」という程度のもので、並の自制心があれば実行可能なことばかりである。「控える」というのは「絶対に食べない」ということではない。とんかつを食べた翌日は軽目の食事にしておくというバランス感覚があればよいのである。これがスローダイエットのポイントである。ジムの帰り、熊沢書店に寄って、佐藤卓己『八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学』(ちくま新書)、吉崎達彦『1985年』(新潮新書)を購入。
8.20(土)
この夏はまだ海に行っていない。3年前、娘が高校2年の夏までは毎年家族で海水浴に行っていた。外房線の上総興津駅を降りてすぐの守谷海岸。いつもそこに決めていた。遠浅で白い砂浜の海水浴場だった。パラソルを借り、ラーメンやかき氷を食べる海の家は「たがや」。他の海の家は知らない。いかにも漁師の女房という感じの色黒で骨太のおばさんが店を仕切っていた。泊まる民宿は「いかけや」。そこが廃業した後は「すずき」。どちらの女将さんも高齢で、無口な、有り体に言えば、愛想のない人だったが、食卓はにぎやかだった。子どもが海辺で怪我をしたり、熱を出したりしたときは「川上医院」。頼りになるお医者さんだった。海辺では、私はほとんど泳がず、パラソルの下、デッキチェアーに腰を下ろして海を眺めるか、干潮の頃を見計らってシュノーケリングで色とりどりの魚たちを追いかけていた。午後4時頃には宿に引き上げ、風呂を浴びて、Tシャツと短パンに着替え、夕食の準備ができるまでのひととき、海辺の町を散歩した。空はまだ明るく、駅の待合所では、クラブ活動を終えた地元の女子高生たちが1時間に2本ほどの普通列車を待ちながらおしゃべりをしていた。私は自動販売機で冷たい飲物を買って、待合所のベンチに腰掛け、彼女らのおしゃべりを聞くともなく聞いた。駅前にはタクシー乗り場があったが、運転手たちはいつも暇そうだった。マイカーの普及で、日帰りの海水浴客が増え、かつては賑やかだったであろう駅前の商店街は閑散としていた。唯一繁盛しているのは海岸通りのコンビニ「デイリー・ヤマザキ」くらいであったろうか。われわれ一家も、早い夕食の後、コンビニに来てアイスクリームや菓子や雑誌を買うのが、海岸での花火と並ぶ、夜のレジャーであった。ハワイやグアムに海水浴に行く一家も珍しくなくなった時代に、われわれ一家は昭和30年代の庶民の海水浴の様式をずっと守り通してきた。しかし、それも3年前に終わった。時代の変化のためではなく、家族のライフステージの変化(子どもの成長)のためである。今日のようによく晴れた真夏日は、あの海辺の町のことを考える。
本日の朝食、カレー、トースト2枚、牛乳。昼食、そうめん、ゆで卵。夕食、さんまの塩焼き、カボチャの煮付け、玉葱の味噌汁、ごはん。本日観たTVドラマ、『女王の教室』。今回はこれと『ドラゴン桜』が面白い。どちらも学校ものなのは偶然か、あるいは私が教師だからか。『スローダンス』と『しあわせになりたい』はいまひとつ。『大人の夏休み』は期待外れ。視聴率トップの『電車男』は最初から観ていない。本日購入した本、ちくま文庫版『太宰治全集』(全十巻)。「日本の古本屋」で検索し、悠山社書店に発注(5000円)。
8.21(日)
「日本の古本屋」を通して注文しておいた淸水幾太郎『人間の再建』(白日書院、1947)が神保町のあきつ書店から宅急便で届く。論文Cのための参考文献である。58年の歳月で頁は赤茶けているが、破れてはいない。当時の淸水にとって、「人間の再建」は日本社会の問題であると同時に、いや、それ以前に、言論人としての自分の問題であったはずである。戦中の読売新聞論説員として書いた文章と敗戦からほどなくして創刊された多くの総合雑誌からの注文に応じて書く文章との間にどのような辻褄を合わせるのか、そうした「戦後処理」を曖昧にして戦後の論壇で生きていくことは困難であったはずである。論文Cの中核となる問いはそこにある。しかし、いまはこの本はひとまず脇に押しやり、論文A・Bの執筆に集中せねばならない。今日は論文Aを10枚ほど書いた。昼食は気分転換に「やぶ久」に食べに行く。久しぶりのすき焼きうどん。もちろん高カロリーである。深夜、執筆の合間に、腕立て伏せ(25回)と腹筋運動(60回)を行う。本当は有酸素運動の方がカロリー消費にはいいのだが、深夜のランニングというのもね・・・・。
8.22(月)
明け方の4時までパソコンに向かっていたため、目が覚めたら10時だった。ベーコンエッグ、トースト、牛乳の朝食をとり、論文以外の案件を片付けていたら、あっという間に午後になり、リンゴジャムのサンドイッチ、バナナ一本、アクエリアスの昼食をとってジムへ出かける。原稿書きに追われてはいても、国民精神総動員レベルはまだ4なので、ジムを休むには及ばない。ただし、後の疲労を考えて、筋トレはいつもより1セット少ない2セットに止めておく。有酸素運動はいつも通り60分。15分のウォーキングの後、ジョギングに移行。3分ほどで足が重くなってきたが、5分を越えると逆に足取りが軽くなり、なんだかいつまでも走っていられるような気分になった。これがもしかしてランナーズハイというやつだろうか。結局、30分走り続け、水分補給のために5分のウォーキングを間に入れて、最後の10分を再び走った。走行距離は7キロを超え、消費カロリーも600キロカロリー(焼肉弁当相当)を越えた。これまでの最高記録である。ジムでトレーニングを始めた当初は、走るのが苦手で、5分と続けて走ることができず、走っては歩き、走っては歩きで、最後はバテバテになっていたものだが、今日は最後まで息もそれほど乱れなかった。走ることが苦行ではなく、楽しかった。一段進化した感じである。ジムからの帰り途、テイクアウト専門の鮨屋で鯖の棒鮨とお稲荷さんを買って、夕食とした。鯖鮨はそんなに頻繁に食べるものではないが、ときどき無性に食べたくなるときが私にはある。酢飯と、青魚に豊富に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)を身体が欲しているのかもしれない。今日がそういう日だった。
8.23(火)
終日、論文Aと取り組む。散歩にも出ず、昼寝もせず、NHK大阪の某ディレクターからの取材の申し込みのメールにも「悪しからず」と返信し、悠山社書店から届いた『太宰治全集』全10巻(ちくま文庫版)と戯れることもなく、大好きな『踊るさんま御殿』も半分しか観ず、朝食(ウィンナーとキャベツの炒め、ごはん)、昼食(焼きそば)、夕食(塩鮭、とろろ汁、ひじきと鶏肉の煮物、ゆで卵のサラダ、茄子の味噌汁、ごはん)はそそくさと食べ、ずっと書斎のパソコンの前に座っていた。どうして1日はわずか24時間しかないのであろう。人生は長く、一日は短い。しかし、ときに人生が短いもののように感じられるのは、人生の構成単位たる一日が短いためではなかろうか。ゼロを何万倍してもゼロであるように、一瞬を何万倍しても一瞬なのではなかろうか。黄梁一炊の夢。ただいま午前3時を回ったところ。人間は眠らなくてはならない。
8.24(水)
昨日に続いて今日も終日、論文Aと取り組む。一応目処はついた。骨格は完成したので、明日からは論文Bに作業の重心を移す。今日は平時であればジムに行く日なのであるが、そうもいっていられなってきた。〆切まで残り1週間となったので、国民精神総動員レベルを5(最大)にあげて、100%の臨戦態勢に突入する。この期間は原稿書きが他のあらゆる事柄に優先する。面会謝絶。音信不通。けんもほろろ。赤子泣いても蓋取るな。ゴルゴ13も真っ青の冷酷非情の1週間である。ただし、以前からの約束は反故にしない。それが人の道である。高倉健である。明日、午後から大学へ出る。学生との読書会の約束があるのだ。いいかげんな読み方をしていたら叩き切ってやるつもりだ。
8.25(木)
台風接近中。雨降りで、気温も低い(26度までしか上がらなかった)。大学の場合、8月の終わりは夏休みの終わりではないが、気温が下がると夏の終わりを感じてうら悲しい。まだまだ残暑は続くであろうが、夏から秋への引き継ぎは着々と進んでいるのだ。午後から大学。「五郎八」で昼食(せいろ)をとり、郵便局で『太宰治全集』の代金を振り込んでから、研究室へ向かう。文カフェで弁当の販売をしていた。夏期講習か何かあるのだろうか。しばらく研究室に来ない間に留守電が何本か入っていた。再生したが、とくに重要な伝言はなく、すべて消去。最近は研究室の留守電に重要な用件が入っていることはめったにない。そういう用件はメールで来ることがほとんどだ。家人からの連絡もケータイの方に来るから、研究室の電話にかかってくるのは内線からのもの(主に事務所から)と、外部の不動産販売業者からのものだけと言っても過言ではない。コミュニケーションのルートも短期間でずいぶんと様変わりしたものである。読書会のメンバーの一人から、台風が接近中ですが本日の読書会はどうなりますかという問い合わせのメールがケータイに届いた。電話ではなくてメールというのが最近の若者の流儀である。電話に出られない状況にある場合を想定してのことかと思うが、メールの方が安いということや、電話という多少とも緊張を伴うコミュニケーションを回避したいという心理も働いているのかもしれない。私はたいてい電話で返事をする。その方が話が早いからだが、ケータイのメールでのやりとりは、面と向かっている者同士が筆談をしているような感覚が私にはあって、どうも馴染めないのだ。午後3時から読書会。6時過ぎまで行う。研究棟の外に出ると雨脚はそんなに強くはなってはいない。台風接近中ということを知らなければ、ふつうの雨降りと思うだろう。明日は台風一過の真夏日になるのだろうか。晴れでも雨でも、終日、原稿書きであることに変わりはないのだが・・・・。
8.26(金)
今日も一日この場所で過ごす。古本屋の主人が座る帳場に似ている。雑然として見えるかもしれないが、原稿を書くのに必要なものはすべて椅子から立ち上がらずに手に取れる範囲にある。その意味では飛行機のコックピットにも似ている。実際、席を立つのは、トイレに行くとき、キッチンに行って飲物を調達してくるとき、食事のとき、シャワーを浴びるとき、それだけである。食事で作業が中断するのが惜しいので、昼食は自分でハムとリンゴジャムのサンドイッチを作って、食べながら作業を続けた。夕食もそうしようと思って、妻におにぎりを作ってくれないかといったら、呆れて相手にしてもらえなかった。本日の夕食は、サーモンのピカタ、鶏の胸肉と胡瓜とレタスのサラダ、キムチ風味の白胡麻のふりかけ、なめこの味噌汁、ごはん。本日の唯一の息抜きはTVドラマ『ドラゴン桜』。本郷の東大構内でロケが行われていた。赤門の前でロケが行われるのは珍しいことでないが、構内でというのはあんまりないんじゃなかろうか。東大も独立法人になって宣伝活動の必要性を感じているのであろう。深夜、新しい分析の手法を思いついてしまう。時間がないときに余計なことを思いつくんじゃない! しかし、思いついてしまった以上はやってみないと気がすまない。うん、使えるかもしれない。いま、午前3時半。眠たくはないが、明日のために寝なくては。徹夜は〆切2日前にならないとやってはならないことに決めている。
8.27(土)
ただいまの時刻、(28日の)午前4時半を回ったところ。限りなく徹夜に近くなってきた。今日は、細部に時間を取られ、全体の進行が思うように進まなかった。さすがに疲労の色が濃い。丸山弁護士の100キロマラソンといい勝負かもしれない。
8.28(日)
午前中、論文B。昼食後、論文A。夕食後、再び論文B。思考回路のスイッチを事例分析モードから統計分析モードに切り替え、再度、切り替える。対照的な思考モードである故、両立が可能なのである。これが同じモードの2つの論文であったら両立はまず無理である。不幸中の(?)幸いというべきであろう。スイッチを切り替えるときに、腕立て伏せ20回、腹筋運動40回、スクワット100回を行う。頭と神経を酷使しているときは身体もそれ相応に疲労させるべしというのが私流の心身論である。そうしないとバランスが崩れると思うのだ。身体がそれほど疲れておらず頭と神経だけが疲れている状態というのは深い睡眠を得ることができない。このところ一日の睡眠時間が4、5時間なので、眠りの深さで眠りの短さをカバーしなくてはならない。もちろん身体を動かすことは運動不足の解消だけではなく、気合いを高め、思考回路を活性化させる効果もある。スクワット100回は人並み以上。学生時代にバドミントンをやっていたおかげで大腿筋は発達しているのである。腹筋は人並み。弱点は腕・肩の筋肉である。バドミントンではラケットを握る右の腕・肩の筋肉は発達するが、左の腕・肩の筋肉が発達しない。しかも5年ほど前にスキーで転倒して右の肩の筋を痛めてしまい、それが古傷化しているのである。それでもここ3ヵ月の筋トレで20回程度なら普通に出来るようになったのである。ジムにはもう一週間いっていない。たぶん今週もいけないだろう。走りたい。私も丸山弁護士のように女性たちにアイシングをしてもらいたい。間もなく午前3時。今日はそろそろ寝よう。なんだか早寝のような気がする。
8.29(月)
昼、論文B。夜、論文A。締め切りまで残り2日。ギリギリの作業が続いている。間に合うか、間に合わないか、現時点でもまだわからない。丸山弁護士はきちんと計算をして番組終了の15分ほど前に武道館に到着し、拍手喝采を浴びたが、私の場合は予断を許さない状況にある。しかも、ギリギリ間に合ったとしても、それは当たり前のことで、誰かが褒めてくれるわけではない。
ところで、今回の『24時間テレビ28 愛は地球を救う』は丸山弁護士のことが気がかりで、ときどき見ていたが、たまたま見ていたときに、癌患者でフォークシンガーの東田寿和という人が、自分のオリジナル曲「西へ向かう」を木村拓哉とのコラボレーションで歌っていた。とてもいい曲だった(出だしがちょっと長渕剛の名曲「乾杯」に似ている)。今日、インターネットで調べたら、「戦うオヤジの応援団」というところから彼のCD「西へ向かう」(全15曲)が販売されていることを知り、さっそく申し込む。また、Amazonで調べたら同名のエッセー集が中古本で出品されていたので、これも購入。彼は私と同年の生まれで、道理で彼の歌うフォークソングの旋律が私の耳に親しみやすかったはずである。
8.30(火)
私のホームページは大変シンプルなもので、カウンターも付いていなければ、どこからアクセスしているのかを分析する機能もない(付けようと思えば付けられるのだが、それは人生を煩雑にするだけのような気がするので、付けていない)。しかし、私の個人的な知り合いの中に私のホームページの読者が何人かいて、「フィールドノートを読んでから寝ることにしています」と言ってくれるので、ここしばらくフィールドノートの更新時刻が遅くて、申し訳ないような気持ちになっている。今夜もすでに(31日の)午前2時を回ってしまった。しかもまだしばらく就寝できそうにない。おそらく夜明けまでかかって論文Aを仕上げることになるだろう。そしてお昼近くまで寝てから、最後の一日を使って論文Bを仕上げるのだ。なので、フィールドノートはいま更新しておかないと、明日の朝の作業になってしまう。顔の見える何人かの読者のために、作業を一旦停止して、今日のフィールノートを書いている。ついさっき、妻が寝る前に私の書斎をのぞいて、「8月31日に夏休みの宿題をやっているカツオ君みたいね」と言った。はい、はい、そうですよ。あ~、よかった、8月が31日まであって。
8.31(水)
現在、9月1日の午前0時を回ったところ。論文Bを書いている(論文Aは書き上げた)。間違いなく朝までかかる。そして午後2時からの検討会(論文集の共著者たちが横浜のホテルで2泊3日の合宿をして、各自の論文の内容を検討する)に出向くことになる。さあ、いよいよゴール前の最後の上り坂だ。沿道の観衆も声援を送っている。「大久保先生、頑張れ」「大久保教授、頑張れ」「お父さん、頑張れ」「あなた、頑張ってね」・・・・幻聴が聞こえてくる。