フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月27日(木) 晴れ

2020-02-29 21:29:38 | Weblog

9時、起床。

ハムトースト、牛乳、紅茶の朝食。

妻が駅ビルの本屋まで行って(近所のコンビニでは売り切れだったので)『モーニング』というコミック誌を買って来た。昨日のニュースで「手塚治虫AI」による新作が発表されると聞いて。

「ぱいどん」というタイトルだ。「せごどん」に似ている、と思った。

昼食は冷凍のおにぎり(赤飯とおこわ)と味噌汁。

お八つは「まやんち」の木の実とドライフルーツの生キャラメルタルト。

毎年、11月くらいにメニューに出る大好きなお菓子なのだが、昨年はそれがなかった。私がそれを残念がると、そういうファンが多かったようで、「柑橘系のお菓子が終わる頃にアフタヌーンティーの一部として作ろうと考えていますので、その節はご連絡しますね」と店主の八代さんが言ってくれた。そして今日、午前中に八代さんから電話で連絡が来た。2個取り置きをお願いし、『モーニング』を買いに駅の方へ出る妻に受け取ってきてもらったのだ。

久しぶりで食べる木の実とドライフルーツの生キャラメルタルトはとびきり美味しかった!

日が西に傾くころ、散歩に出かける。

今日は木曜日。大森の「sanno2198」に顔を出す日だ。

ジャーマン通りの「BAKE MAN」で全粒粉食パンとクロワッサンとチョコデニッシュを購入。

珍しく正面のドアが開いている(カフェにはここからではなく、横の細い通路を入って行く)。マダムに「ドアが空いていましたが」と言ったら、慌てて見に行かれた。どうも風のせいらしかった。

カウンターには女性の先客がいた。私がドアを開けて入るとニッコリ会釈をされたので、前にお会いしたことのある常連さんかなと思ったが、思い出せない。どうやら私が大森の駅を降りて、マダムに「こんにちは大久保です。これから伺います」と電話をかけたので(いつもそうしているのだ)、マダムがその先客の女性にこれからこういう方がいらっしゃるのよと話していたらしい。いわばマダムはMCで、常連客同士を結び付ける役割をしているのだ。その方は自宅で翻訳の仕事をされているとかで、しばらくおしゃべりをしてから、お子さんのお迎えがあるからと帰っていかれた。

本日のケーキはタルトタタン。タルトタタンをいただくのは二度目だが、前回は紅玉、今回はサンふじを使ったものだ。珈琲はメキシコハニーオアハカ(マダムのお薦め)。

帰りに大森の駅ビルの本屋(ブックファースト)で『蒲田・大森本』を購入。

大井町の駅ビルの「ロフト」で「ほぼ日手帳」(4月始まりのカズン)を購入。2010年から使い始めたので、これで11冊目となる。こんなに続くとは思わなかったが、続けられている理由は、「ほぼ日手帳」それ自体の使いやすさということの他に、50代半ばという開始した時点の私の年齢にもあるような気がする。「一日一日を大切にしよう」という気持ちが高まってきた時期ということである。

帰りに「ティースプーン」に顔を出す。今日はスコーンの日だ(スコーンを焼くのは木曜日と決まっているのだ)。

3種類あるスコーンの中から全粒粉のスコーンを選び、ストレートティー、クロテッドクリーム&ジャムを付けてもらう。

カフェ仲間のトモミさんがお仕事終わりに顔を出されて、スコーンを大量買いされた。

すごいね。こんなに買っていく人は初めて見た。まさに「爆買」だ。いや、お仕事がいろいろ大変そうなので、「ヤケ買」かもしれない(笑)。でも、「爆買」であれ「ヤケ買」であれ、ウィルス騒ぎでお客(とくに高齢者)が減っている「ティースプーン」には神様のようなお客様である。

シマダさん、頑張って下さいね。

安倍総理が来週からの全国の小中高の臨時休校の要請を発表した。中高の家庭科の先生をされているトモミさんはいまこのニュースをどんな気持ちで聞いていることだろう。

夕食は豚シャブ。

安い、簡単、旨い。

久しぶりで東急プラザの佃煮屋を覗いたらタラコの若煮があったので買って来た。

大学から卒業式・入学式の中止の決定のメールが届く。卒業生へ学位記(卒業証書)はどいういう方法で行うかは未定のとのこと。

2時半、就寝。


2月26日(水) 曇り

2020-02-29 10:59:50 | Weblog

10時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

午後、散髪に出かける。街はゴーストタウンのようである(嘘です。たまたま人通りの途絶えた瞬間を撮っただけ)。

床屋は、年末に行って以来だから、2カ月振り。

散髪を終えて、駅ビル西館1階の「御座候」に今川焼きを買いに行く。

別の店になっていた。あらま。好きだったのにな。

東急プラザ1階の「銀座あけぼの」で草餅と豆大福を買って帰る。「草餅に・・・」といって黄粉を渡されたが、そういうものなのか。

 さてけふのお八つは草餅桜餅 たかじ

今日は桜餅が大福餅に代わった。大福餅の中身には妻の好みに合わせてつぶあんにした。

甘味の後のミニカップ麺。これで本日の昼食なり。

伊藤人誉『馬込の家』をチビチビ読んでいる。チビチビ読むのは読み終わってしまうのが惜しいからである。自宅で読んでいると一気に読んでしまうので、主に電車の中で読むようにしている。『馬込の家』には室生犀星いついての興味深いエピソードがたくさん書かれている。

「犀星は午前中に仕事をすまして、午後のわりあい早い時間に風呂に入った。午前中に書き上げる原稿の枚数も決めていた。二百字詰めの原稿用紙で七枚だと聞いている。毎日、同じ枚数の原稿をかいていたかどうかは知らないけれど、私のように原稿の書けない者には、まるで神業みたいな気がする。仕事のために夜更かしをするとか、徹夜をするとかということは一切なかった。そもそも時間割を変えもしなかった。時間割をきちんと守って、予定通りに仕事を片付けていたので、午前中の来客をひじょうにきらった。たいていは朝子が断りに出て、門のところからお引き取りを願っていたようである。/作家と呼ばれる種類の人たちはだらしのない生活を送っているように思われがちだが、犀星はまったく違っていた。きまった時間に家を出る会社勤めの人よりも規則正しかった。物書きという仕事をしながら、時間できちんと割りふった日課を、外部から強制されずに、自分の意志だけで特に努力しているようには見えないで、毎日変わりなくこなしていたのである。」(124-125頁)

「規則正しい生活」というとき、哲学者のカントがまっさきに思い浮かぶが、作家にもけっこうそういう人がいるものである。たしか村上春樹も執筆は午前中だけとどこかに書いていたと思うが、いまでもそうなのかしら。

二百字詰めの原稿用紙を「半ペラ」といった。四百字詰の原稿用紙の半分の大きさである。清水幾太郎も「半ペラ」派であった。「半ペラ」を使うことの利点は何だろう。3つ思いつく。第一、ケータイに便利なこと、第二に、スピード感が出ること、第三に、書き損じをして新しい原稿用に替えても紙の無駄が半分で済むこと。ほかにもあるのかしら。

それにしても犀星の「昼風呂」はいいなあ。

夕食は刺身の盛り合わせ、玉子豆腐、豚汁、ごはん。

刺身はサーモン、ハマチ、アジのたたき。

でも、本当の主役は豚汁である。

深夜、家の近所をウォーキング&ジョギング(4キロほど)。

1時半、就寝。


2月25日(火) 晴れ

2020-02-28 11:01:12 | Weblog

8時45分、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

10時に家を出て、大学へ。

同僚の阿比留先生から新著をいただく。

 阿比留久美ほか編『「若者/支援」を読み解くブックガイド』(かもがわ出版)

ありがとうございました。

1時から教授会。配られた資料の中に「新型コロナウィルス感染症拡大に対する対応について」という文書があった。本日付で総長から示された方針である。3月24日まで大学が主催する一定規模以上(参加者30人を目安とする)のイベント、高齢者の多くの参加が見込まれるイベント、参加者同士の濃厚接触の可能性の高いイベントは、原則として中止または延期するという内容であった(追記:この時点では3月25日・26日の卒業式についての判断は保留されていたが、2月27日に「卒業式・入学式も中止」と決まった)。また、大学主催以外のイベントについても中止・延期等の自粛の検討をお願いするというものである。

東日本大震災のあった2011年3月・4月と似た状況になってきた。

教授会が終わったのは3時過ぎ。遅い昼食を「天や」に食べに行く。

新商品の西京風銀ダラと白魚天丼を注文することにする。あさりの味噌汁がメニューにあったので、普通の味噌汁をそれに代えてもらう(差額を払って)ことにした。

それならお得なあさり汁セットがありますというので、そうしてもらう。

西京風銀ダラと白魚天丼のあさり汁セット。

天ぷらは6つ。西京風銀ダラ、海老、ほたて、白魚のかき揚げ、蓮根、インゲン。写真通りのボリュームで嬉しい。ただ、目玉の西京風銀ダラだが、元々の味が濃いので、丼ダレはかけなくていいのではないかと思った。

やっぱりアサリの味噌汁は美味しい。シジミもいいと思う。

ほうれん草のおひたしが付いてくるというのがいい。量もちゃんとある。

蕗の薹が単品メニューで出ていたので、追加で注文する。

こちらは写真とはチト形が違う。あまり蕗の薹らしくない。

これは塩(淡路島の藻塩)で食べる。「藻塩」は海藻に何度も海水をかけて塩分を多く含ませた上で燃やし、それを水に溶かして、その上澄み煮つめて採る塩のことである。

 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ  藤原定家

「松帆の浦」は淡路島北端にある海岸である。「松」は「待つ」の掛詞。

お新香は卓上に置かれていて無料。いまは沢庵。白菜だったら最高なのだが。

帰りに大森で途中下車し、ジャーマン通りを歩いて「sanno2198」へ。

いまブログへの登場頻度が一番高いカフェである。そのせいだろう、先日も南馬込にお住いの私のブログの読者(私とは面識はなく、早稲田の卒業生でもない)が来店されたそうである(マダム談)。

道を歩いていて、ここがカフェだと気づく人は少ないだろう。一応、植込みのところに「OPEN」という小さなパネルが置かれているが、気づかないだろう。

「メニュー」も出ているのだが、よほど近くに来てしげしげと見なければわからない。

本日のケーキはバナナタルト。珈琲はマダムお薦めの・・・忘れました。

ちなみに「ケーキ」は300円と破格の安さである(こういう場合、ドリンクは必ず注文すべきだし、テイクアウトはできないと考えるべきである)。

常連のミキさんがやってきた。彼女はこの建物の住人である。マダムに「はしごや」で買って来たというビーフシチューをお土産に渡した。「はしごや」というのはジャーマン通りにある酒屋だが、毎週火曜日にマルシェ(市場)を開催していて、肉魚野菜やビーフシチューのような惣菜を売っている店である。とくに鮭の切り身が絶品だとマダムから何度もうかがっている。今日はそのマルシェの日だ。「帰りに行ってみようかな」と私が言うと、ミキさんが、「電話して鮭の切り身をキープしておいてくれるようにいって頼んでおくわ」と言ってくれたので、お願いすることにした。

「はしごや」はジャーマン通りを駅とは反対の方向にもう少し行ったところにあった。鮭の切り身と豚肉の味噌漬けを2枚ずつ購入した。

もう少し足を延して「あんず文庫」に顔を出す。先日、伊藤人誉の没年を調べて教えてくれたお礼を店主さんに言うためだが、室生州々子編『犀星スタイル』(亀鳴社)という面白い本があったので購入する。

夕食は買って来たばかりの鮭、ほうれん草の卵とじ、サラダ(マッシュポテト)、大根の味噌汁、ごはん。

鮭は甘塩で、厚味があり、身もしまっている。確かに美味しい。あのマダムが絶賛するだけのことはある。

デザートは苺。

「あんず文庫」で購入した室生洲々子編『犀星スタイル』(亀鳴屋)。古本ではなく、伊藤人誉『馬込の家』を出版した金沢の亀鳴屋から出ている本だ。

室生犀星のライフスタイルを絵と文章で紹介している本である。

犀星は身長が低く、美男子でないことにコンプレックスを覚えていたそうだが、なかなかの洒落者だった。

たとえば「ネルのポケット」

ー「ネルの襦袢の左の胸の上の方に、長方形のポケットが縫いつけてある。犀星は札入れや財布を一切持たなかった人であるから、このポケットが札入れの代りをしていた。一緒に買物に行ってお金を払うとき、右手を衿元からポケットにすっといれ、指先でお札をはさんで出す。まるで手品のようなので、デパートの店員がびっくりした顔をしたことがあった。「お父様のポケットはまるで魔法のポケットね。いつもいつもお札が沢山あるのね」と私がからかうと、「馬鹿なことをいうものではない」ー

文章は犀星の孫で本書の編者である室洲々子(室生犀星記念館館長)が書いている。絵は武藤良子。

室生洲々子のサイン本である。

伊藤人誉『馬込の家』の中にこんな一節がある。

「犀星はいわゆる「ピン札」が好きだった。このことは取引先の銀行内に知れわたっていて、「犀星さんのピン札」という言葉が行員たちのあいだで使われていたくらいである。犀星のピン札は、いつもむき出しのままきもののポケットに入れられていた。そして支払いをするときには、犀星は手をふところに入れて、必要な枚数のピン札をさっと抜き出すのであった。これが詩人のいう金をきれいに使うということだった。とりわけ受け取る人が若い女性の場合には、札の居合抜きをするようなこの奇術めいたやり方が犀星の気に入っていた。心もち顔を上に向けて、にこりともしないで、しかしほくそ笑みを表情のどこかに隠しているようなすました顔付で、相手の反応をうかがっていたことだろう。残念なことに、私はじっさいに犀星がふところからピン札を抜き出して支払いをする現場は、いちども見たことがない。」(109-110頁)

「犀星賛歌」ですな。

3時、就寝。


2月24日(月) 晴れ *完結

2020-02-27 13:29:36 | Weblog

8時半、起床。

トースト、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

10時半に家を出て、千歳船橋(小田急線)に向かう。卒業生のサワチさん(論系ゼミ7期生)の出演する芝居を観るためである。

たぶんこの駅で降りるのは初めてである。

劇場は駅のすぐ近くの「APOC Tieater」。もう少し離れた場所だと勘違いしていて、そばを通り過ぎてしまい、到着までに時間がかかってしまった。開演5分くらい前に滑り込む。

本日の演目は作・演出河西祐介による「ワンルーム」「クロースチーム」「アフタースクール」の3つの短篇。「男」を通しタイトルとする連作短編集、いや、厳密には連作ではないので、連作風短編集というべきか。別日には別の3短篇で構成される「女」「愛」という連作風短編集が上演され、それらすべてを束ねて「人間賛歌」という公演タイトルが付いている。ここから想像されるのは、人間というものの素晴らしいことろだけでなく、弱いところやダメなところをすべて含めて描いて、それでもやはり、人間を、人生を、肯定的にとらえていこうというメッセージである。

河西は今回の公演パンフレットにこう書いている。「僕は半径5メートル以内のことしかかかない」。私小説ならぬ私演劇がここで宣言されている。こういうタイプの演劇では「会話」というものがとくに重要になってくるだろう。半径5メートル以内の小さな空間(部屋)の中で起きる「事件」ではなく、そこで交わされる「言葉」の中に人間関係の微妙な変化を読み取って行く、表現していくということになるだろう。

「ワンルーム」の舞台は休団中の劇団員タクミとその彼女チカが同棲しているアパートの一室である。チカと彼女の友人ユイが交わすたわいのない会話から舞台は始まる。ユカが環境省の職員と結婚することになったのだが、環境省大臣の小泉進次郎の兄の小泉幸太郎が出ているメガネのCMはどこのだっけという話で、「ゾフ」じゃなくて、「ジンズ」じゃなくて、「メガネ市場」じゃなくて・・・「ハズキルーペ」という言葉がなかなか出てこないという展開である。老眼鏡を必要とする私なんかにはお馴染みの「ハズキルーペ」が若者にはすぐに出てこないのかと思いながら聞いていたが、チカを演じるのがサワチさんで、できるだけ芝居っぽさを排して若者の「日常会話」を再現しようとしていることが伝わってくる。とはいってもこのときサワチさんは素の演技、普段の自分がしているようなしゃべりかたをしているわけではないだろうとも思った。私はときどき彼女とカフェをするが、そのときの彼女はチカのような話し方はしないからだ。もちろんカフェで私と会話をしているときのサワチさんが、素の彼女ではなくて、「大学時代のゼミの先生とカフェで会話をするときの私」というキャラクターを演じているのだと考えることはできる。たぶんそうだろう。しかし、そうだとしても、舞台の上でチカを演じている彼女が素のサワチさんだとはやはり思えない。彼女は普通の若い女性(OL)というのは友達とこんな口調で会話をしているだろうと考えながら、普通の若い女性(OL)を演じているのだろう。そして「普通を演じる」(演技であることを感じさせないように)というのはけっこう難しいことだろう。

そんなことを考えながら舞台を観ていると、「チカはどうなの?」という台詞をユイが言った。タクミとの結婚を考えているのかという意味である。ここから話は本題(演劇と生活)に入って行く。チカとタクミは付き合い始めて6年になる。けっこうな長さだ。結婚しないのは「お金がないから」とチカは答える。チカはしっかり貯金をしているが、バイト暮らしのタクミにはそれがない。でも、チカの紐のような存在にはなりたくない。チカがお金を出すからもっと広い部屋に引っ越そうといっても、彼のプライドが「うん」と言わせないのだ。「ワンルームじゃねえ、ストレスたまるでしょ」とユイが言い、「んー、ケンカした時とか、逃げ場がない」とチカが答える。

そこにタクミが劇団仲間3人(劇団主宰のトキオ、劇団員のトモコ、新人劇団員のヤマザキ)を連れて現れる。タクミはチカが留守(友達と会いに出ている)だと思っていたので、ここでミーティングをするつもりだったのだ。一方、チカはなんでいつもうちでミーティングをするのか、「バーミヤン」あたりでやればいいのにと常々思っているので、気まずい空気になるが、ユイがチカを促してご飯を食べに出ることになり、ミーティングが始まる。最初に新人劇団員ハマザキが自己紹介をして、劇団に入った理由を話す。高校時代に演劇をやっていて、そのときに出た大会の審査委員の一人がトキオで、そのときの講評が嬉しかったこと、去年の夏にトキオが主催したワークショップに参加してとても楽しかったことを話した。彼女は大学を辞めて劇団員になったのである。続いて、劇団主宰のトキオが来年は劇団として勝負の年にしたいと決意を語り始める。そのときタクミがトキオの話をさえぎって「ごめん、トキオくんさ。ちょっとその話をする前に俺から一個いいかな? ごめんね」と話始める(この場面に限らず、タクミの台詞には「ごめん」が多用される。「ごめん」とか「大丈夫?」とかの「気遣いの言葉」がとても多いのだ。多すぎると感じるほどに。それは私が若者(大学生)と話していて、あるいは彼らの会話を傍らで聞いていて、常々感じていることでもある)。

タクミは言う。「自分の話になっちゃって、申し訳ないんだけど、この半年間、お休みさせてもらって、その間、すっげえいろいろ考えたんだよ。まあ、俺もさ、もう30だし。ホントこれ、みんなにはぜんぜん関係ない話なんだけれど。まあ、一応、チカとも付き合って6年になるけし。子供のこととか考えたら、ちょっとそろそろ結婚しようかな、と思って。で、もちろん、お芝居も好きだから。好きっていうか、まあ、ずっとやってきたことだから。結婚しても、続けられたらいいなーとは思ったんだけど。自分の性格的に、ちょっとそれが難しくてさ。で、けじめってわけじゃないけど、ちょっとここで、お芝居をやめようと思って。」

サワチさんが今回の自分が出演する芝居について、「舞台役者を10年やっていた男性が彼女と結婚するために演劇を辞めて就職するというなんとも生々しいお話に出ます」と言っていた。「生々しいはお話」、つまり演劇界隈で生きている若者たちにとってはよくある、切実な話ということだろう。好きなことをやって、それで食べていければいいが、そうでない場合、好きなことと生活の両立に悩んで、好きなことをやり続けることを止めるという話だ。好きなことはここでは演劇だが、音楽や絵画などを含めて芸術一般に置き換えて考えることもできる。いや、さらに学問も含めて「学問・芸術」としてもいいだろう。タクミの場合、チカの存在(チカとの結婚)がそうした決断をする理由として前面に出ているが、そうした相手がいなくとも、「もう30だし」といういい方から、年齢という個人的要因が好きなことをやりつづけることのブレーキとして働いていることがわかる。好きなことをやりつづけることは若さの特権なのだろうか。そして「30歳」は若さの黄昏を意識させる年齢なのだろうか。

しかし、物語の結末は、タクミが演劇を辞めるところで終わるわけではない。タクミと劇団仲間との絆の強さ、演劇に対するタクミの思い(未練)を感じ取ったチカがタクミにキスをして言う。「あのね、あたしは、タクミくんのことが好き。すっっっっっっっっっごく、好き。だからね、お別れしよう」。はたしてこれでタクミはチカと別れて、劇団にもどっていくのか。はたまたますますチカのことが好きになり、決然として演劇と別れるのか。どちらにしろ、タクミはチカに愛されているのだ。決してチカから愛想尽かしをされるわけではない。「男」という通しタイトルの意味は、続く「クロースチーム」「アフタースクール」を観ずとも、ここに明らかである。男女の愛が「男」の視点から、換言すれば、自己愛的な視点から、描かれているのである。どんなときでも男は女に愛されたい(愛され続けたい)存在なのである。しょうもない存在だが、「人間賛歌」はそれを「しょうもないなあ」と受容するのである。

この調子であとの2つの芝居(サワチさんは出演しない)について書いていると話が長くなりすぎるので、短めに書かせていただく。

「クロースチーム」は舞台はラブホテルの一室。竹中という劇作家・演出家と芳子という女優志望の学生がいる。カップルというわけではない。竹中が電話で誰かと話をしている。「えっ、結婚なくなったの!? マジで? え、じゃあ、お前どうすんの。ああ、うん、おかえり」。「ワンルーム」を観た直後の観客は電話の相手はタクミだと了解する。チカと別れて、劇団に復帰するという電話である。「ワンルーム」では劇団を主宰する劇作家・演出家の男はトキオという名前だったが、「クロースチーム」では竹中という苗字で登場する。「竹中トキオ」。若者の多い観客の中でこの時点で「竹中トキオ」という名前のもつ文学史的意味について気づいているのは私以外に何人いただろうか。「竹中時雄」は私小説の嚆矢とされる田山花袋の小説『蒲団』の主人公の作家の名前である。そして「芳子」とは彼の著作のファンで、どうか先生の弟子にしてくださいと、神戸から上京してきた女学生の名前である。ちなみにタイトルの「クロースチーム」とは「布製の寝具」つまり「布団(蒲団)」の意味である。「クロースチーム」は『蒲団』へのオマージュなのである。竹中がラブホテルに来たのは、ラブホテルを舞台にした連作ドラマのプロット作りのためのロケハンで、芳子は助手としてついて来たのである。『蒲団』の主人公に妻がいたように、「ワンルーム」ではトキオは劇団員のトモコと一緒に暮らしていることになっている。しかし、竹中は清純で(彼氏はいないそうだ)、自分のことを慕ってくる芳子に恋愛感情を抱くようになる。二人は同じベットに入る。ところが、芳子が歯を磨きにいった隙に見てしまった彼女の携帯電話には彼氏らしき男からたくさんラインのメッセージがたくさん届いていた。竹中は芳子の嘘を責め、芳子が泣くと、「演技下手だねね」と突き放す。芳子は泣きやみ、舌打ちをしながら「ウザ」「キモい」「口臭い!」と捨て台詞を吐いて部屋を出て行く。竹中はパソコンに向かってプロット作りを始めるが、途中で、ベッドにもぐりこみ、芳子の匂いの残っている布団のに顔を埋め、深く息をする。分別のある大人の男たらんとして愛欲にバランスを崩す竹中、竹中に認められようとして清純でひたむきな娘を演じていたがとうとう地金が出てしった芳子、三上晃司と波多野伶奈の好演で見ごたえのある二人芝居になった。

「アフタースクール」の舞台は放課後の高校の演劇部の部室。「ワンルーム」と「クロースチーム」が連作色が強い旧作の再演だったのに対して、これは独立の新作だろう(「竹中」の名前が去年の演劇祭の審査員の一人として出て来るが、これは連作風にするための味付けだろう)。演劇部は部員の減少で存続が危ぶまれている。部員あゆの彼氏のごっさんを勧誘しようということになるが、あゆは浮かない顔をしている。昨日、彼がクラスメートの女の子と二人で「サイゼリア」に行ったことが原因で二人は喧嘩をしたからである。ごっさんが部室にやってきて、部長のやまだとおしゃべりをしている間もあゆは無言である。やまだが飲み物の買いに出て、二人きりになったとき、「私別に許してないからね。昨日のこと。やまだがどうしてもって言うからさ。それで呼んだだけだから」とあゆは言った。やまだが戻ってきて、それから少しして部員のちょりもやってきた。ちなみに部員同士は互いをニックネームで呼び合っている。ちょりはもちろんニックネームだが、あゆもニックネームで本当の名前は恵美だ。やまだに至っては本名は佐藤なのに「やまだっぽいから」ということでやまだと呼ばれている。ごっさん(本名は後藤)も部員になるのだったら改めてニックネームを付けようという話になり、ちょりが「岩石」「イシツブテ」なんかどうだろう(堅そうなイメージ)と言っているところに、あゆが「サイゼ」とボソッとつぶやく。「女とサイゼ行ってたの、こいつ」。昨日の件が暴露される。ちょりが「それはさー、ダメでしょ。浮気だよ、それは」と断言する。時計を見て、ちょりが退室。続いてやまだも。二人になって、ごっさんはあゆにさかんに謝る。「ごっさんは私のこと好き?」とあゆが聞く。「好きだよ」とごっさんが答える。「どこが好きなの?」とあゆが重ねて聞く。さあ、ここは大切なところだと思って、私も彼の答えを待ったが、彼はこう答えた。「んー難しい質問だね。俺のことを好きでいてくれるところかな」。人は自分に好意をもってくれる人に好意を感じるというのは一般的に言えることだが、ここでそれを言うのは馬鹿正直にもほどがあるだろう。あゆはごっさんのことを「好きかどうか、わかんないかも」と言ったのに対しても、「怒ってるってことは、それは好きだってことでしょ? 好きだから嫉妬するわけだし」とごっさんは答える。嫉妬の背後に愛情があるというのは心理学的には妥当な見解かもしれないが、この状況でそれを言うか。自己愛的性格丸出しである。「ドリア食べたの?」とあゆが聞く。「サイゼリア」でのことを聞いているのだ。「ドリンクバーだけ?」。ごっさんは答えた。「ドリア食べた」。あゆは「そっか」と言った後、少し間を空けて、「別れよっか。もう別れた方がいいと思う」と言った。私にはこの部分が一番興味深かった。ドリンクバーだけならぎりぎりセーフで、ドリアを食べたらアウトなのか。この感覚はなんなのだろう。並んで歩くだけならいいけど、手をつないだらダメというようなことなのだろうか。飲み物と食事の間に境界線があるらしいが、ケーキはどっちに入るのだろう、なんてことを私が考えていたら、あゆが泣きながら「ついて来ないで」と言って退室してしまった。ごっさんが唖然としているところにちょりが忘れ物を取りに戻ってくる。そして先に出て行こうとするごっさんい向かってこう言う。「一緒に帰らない?」。ちょりはごっさんが劇団ひまわりに所属していて、芸能人と仕事をすることもあるという点に興味を持ったようである。ごっさんが「ああ、ぜんぜんいいけど」と答えると、ちょりは「じゃあさ」と笑いながら、「サイゼ行かない?」と言った。おいおい、魔性の女かよ。ごっさんもそう感じたのだろう、「ねえ、ちょりさんさあ。君、モテるでしょ? モテるよね、絶対。あのさー、男子なめんなよ」と言い放った。うん、よく言った。「なめてないよー」とちょりは答え、「じゃあさあ。行かない?サイゼ」と重ねて聞いてきた。全然堪えてないみたいだ。ごっさんはちょっと考えてから、「まあ、それは行くけど」と答えた。これがバラエティー番組なら「行くんかーい!」とツッコミが入るところだ。まったく男ってやつは・・・「人間賛歌」ですな。ちょりを演じたのは「クロースチーム」で芳子を演じた波多野伶奈。さっきとは髪型を変えての出演だが、スパイスの効いた演技だった。あゆを演じた寺田華佳は、「ワンルーム」でもトキオに思いを寄せる新人劇団員のヤマザキを演じていたが、どちらも嫉妬で冷静さを失う演技がお見事だった。

短めに書くつもりが、結局、長いものになった。

観劇を終えて、併設のカフェでゆずスカッシュを飲む。

後からブログに感想を書くときの資料として本日の芝居の台本を購入した。

サワチさんと少し話をする。お疲れ様でした。彼女のご両親も来られていて、挨拶を交わした。

劇場を出て、時刻は2時になろうとしていた。近所で昼食を食べるから帰ることにしよう。

駅前の商店街を歩いて、「はま」というとんかつ屋に入る。

カツ丼(980円)を注文。「上」もあったが、初めての店では「並」を注文することにしている。「並」と「上」では肉の質や量が違うのだろうが、とんかつの揚げ方やカツ丼の味付けは同じはずである。

さきほどサワチさんから「サワチ特典」をいただいた。お菓子とカードが入っていた。

彼女は来月また別の舞台に立つ予定である。ただ、気がかりなのは、昨今の自粛ムードである。小さなイベントまで自粛ムードが広がるのはどうかと思うのだけれど。

夕食はとろろ汁、

揚げシュウマイ、鮭の昆布巻き、白菜の味噌汁、ご飯。

深夜、久しぶりに近所の専門学校のキャンパスの周りをウォーキング&ジョギング(4キロほど)。

2時、就寝。


2月23日(日) 晴れ

2020-02-25 15:00:27 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

9時に家を出て、大学へ。日曜で祝日でもあるのに出勤するのは科目等履修生の面接試験があるからだ。科目等履修生とは大学院の科目をいくつか履修する学生(大学院生ではない)のことで、以前は、大学院の入試に落ちた学部生が次回の入試を受けるための間の身分としてそういうものを必要としていたのだが、最近は(とくに社会学コースの場合)外国人留学生の出願が増えている。

けっこう面接には時間がかかった。人数が多いためもあるが、一人一人の面接にかかる時間が長いのである。間に昼食タイムをはさんで、2時過ぎまでかかった。

それを終えてから研究室で雑用。

私の研究室は角部屋のため窓が大小二か所ある。

蛍光灯を点けず、窓から入ってくる光のみでいると、不思議と気分が落ち着くものである。

大学を出る前に図書館で借りた本を返却に行く。

日曜日なので図書館は締まっているが、ドアの前に返却ポストが設置されている。入口まで本が詰まっていたが、なんとか4冊くらいなら入る余地があった。連休明けの明後日が返却期限なので、明後日に窓口で返却しても間に合うのが、万一、大学に来れなく事態も考えて(インフルエンザとか新型コロナウィルスとか)のことである。転ばぬ先の杖だ。

6時に大学を出る。

休日出勤の唯一のよいところは、朝夕のラッシュがないことである。

7時、帰宅。

夕食は肉野菜炒め、タラコと昆布の佃煮、味噌汁、ごはん。

肉野菜炒めはバーベキュー風味。

1時半、就寝。