フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月22日(火) 晴れ

2011-11-23 02:32:23 | Weblog

  9時、起床。体重を測ったら最近の基準値を1キロオーバー。ここ数日、ご飯の摂取量が多いせいである。朝食はパン、昼食は麺、夕食はご飯が基本型だが、三食ともご飯という日が何回かあった。やはり基本は大切だ。焼きハム、レタス、パン、紅茶の朝食。

  昼から大学へ。3限は選択基礎演習。グループ発表は文カフェでの学生たちの座り方を観察とアンケート調査から考察したもの。文カフェは公共的空間であると同時に、戸山キャンパスという一種のムラ社会の一部である。そこにあるまなざしはまったくの他人のものではなく、自分のことを知っている人のまなざしも含まれている。都会の雑踏の中や、電車の中とはそこが違うところだ。ここでは「私」はまったくの匿名的存在ではないのだ。たとえば、私がめったに文カフェで食事をしない一番の理由は、(学生たちのまなざしの中では)落ち着いて食事ができないからである。発表に関しては、観察とアンケート調査の併用はいいのだが、観察で行動を、アンケート調査で意識を、という戦略的組み合わせになっていないところがアマチュアである。仮説を立てて、それを検証するための質問を考えること。たとえば、文カフェで一人で座っている学生には、自分に自信のある人、自己肯定感の強い人が多い傾向があるという仮説を立てて、自己肯定感についての質問をアンケートに組み込んでみる、といったことである。

  4限は演習「ケーススタディの方法」。今日のグループ発表はマンガ班。『鋼の錬金術師』、『めだかボックス』、『花より男子』、『君に届け』の4作品をとりあげ、決断主義的バトルロワイヤルの克服がどのように試みられているのか等の視点から分析が行われた。

  5限は教員ロビーでゼミ論の個別相談。Iさん、Nさん、もう一人のIさん。それぞれにスイーツの手土産持参である。Iさんは手作りのバナナケーキ、Nさんはおだんご、もう一人のIさんはケーキ。いずれ各指導の合間にいただく。美味しかったが、3連荘は食べすぎだろう。みんな、そんなに気を使わなくていいからね。

  卒業生のMさんから、最近彼女が担当した本を頂戴する。『坂田昌一コペンハーゲン日記 ボーアとアンデルセンの国で』(ナノオプトキクス・エナジー出版局)。坂田昌一(1911-1970)は湯川秀樹の最初の教え子で、日本の素粒子物理学の基礎を築いた学者である。ノーベル賞こそ受賞していないが、「坂田模型」で有名な世界的な学者であった。その彼が、1954年、47歳のとき、コペンハーゲンの理論物理学研究所に招聘されて半年間を送ったときの日記が本書の母体である。彼の生誕100年を記念して弟子達が出版したものである。「もしかして先生はお好きになっていただけるのではないかと思いまして」とMさんはメモに書いてある。私がブログをやっていること、人の出版されている日記を読むのも好きであること、私が天文学や物理学に興味をもっていること、を彼女は知っていて、こう書いてきたのだろう。もしかしたら、1954年が私の生まれた年であることも彼女の頭のどこかにあったのかもしれない。しかし、さすがにMさんも気づいていないであろうが、本書には日記のほかに留学中に書いた書簡やエッセイ、座談会の記録なども収められていて、「原子力と国際政治」というロンドンで行われた座談会の出席者の一人は加藤周一であった。また、ストックホルムで開催された「国際緊張緩和のための世界平和会議」に出席するように要請があったが、坂田は断っている。この会議には清水幾太郎も参加していた。そんなわけで、私はこの本にはいろいろと刺激されるものがある。ちなみに、Mさんは以前、私の『きみたちの今いる場所』(数研出版)を担当してくれた編集者である。

  今日は夜間当番。夕食は「メルシー」のチャーシューメン。

  9時半まで教務室で『コペンハーゲン日記』を読む。帰りに、あゆみ書房に寄って、加藤典洋の新著『小さな天体 全サヴァティカル日記』(新潮社)を立ち読みしたら、前半は「コペンハーゲン日記」だった。一日に二人の学者のコペンハーゲンで書かれた日記を読むとは、なんという偶然であることだろう。